編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2000.10月




10月30日(月) ホームレスになったら

 朝から山梨県市川大門町の紙漉き工場で取材。この町では、昔ながらの紙漉き和紙が作られている。(取材した話は後日)

 近くの笛吹川の土手にコスモス。午後から晴れて鰯雲。甲府盆地は穏やかだ。

 午後2時、石和で「冷やしほうとう・おざら」なるものを食べる。「冷やしきしめん」のようなもので、麺に歯ごたえがある。

 暖かい山梨名物「ほうとう」は、カボチャが入っているので、嫌に甘ったるく好きではない。が、冷やすと旨い。

 この店、「ほうとう・小作」はチェーン店で、ただ今、県内に支店15。来春には店頭公開する、という噂である。はじめはパートのおばさん数人で始めた「小作」。大地主にもなりそうな気配。

 値段が手頃なのが人気の秘密?なのか。

 取材は日帰り。午後5時ごろ、勤め先に戻ると、同僚の女性に「今日の日記に誤りあります。『まつしま菜々子』は松島ではなく松嶋」と指摘される。急いで有希に電話で訂正を頼む。どうもこのところ、ケアレスミスが目立つ。年なのかも知れない。

 でも、職場で僕のホームページが話題になる証拠で、ニンマリ。

 一つ仕事を済まし、一目散で帰りメールを点検する。

 結構、昼間も来るので、全て読み終えるには時間もかかるし、目が疲れる。

 隅田川の向こう岸の遠くを見れば、目の疲れが少しは取れる、を頭をあげてみると、辺りはもう真っ暗。

 秋、深まる。

 向こう岸の遊歩道。闇の中に青色のテントがまた一つ、また一つ、浮かび上がる。
ホームレスの数が増えたのか。

 路上生活者は夏増え、冬減るハズなのに。地球の温暖化が影響しているのか。

 テレビによれば、今、東京にホームレス約5700人。 (数えてはいないが、僕は もっと多いと見ている)

 台東区はホームレス用の施設を立て「就職を目指す人」に限り2月間収容し、その後、アパートを紹介するという計画である。テレビは広報の垂れ流しで、建前だけを放送しているが、正直にいえば「寒さでホームレスが死なれたら面倒」というところもある。

 去年は寒さに耐えられなくったホームレスが墨田公園あたりで隅田川に投身自殺した。一つや二つではない。

 大きく腹が膨れ上がった死体を見て、声もなかった。

 WINS浅草で100円馬券を一枚買って、一日中、場外馬券場で過ごしていた老人が“閉店”と同時に外へ出された。その瞬間、うずくまり亡くなっていた。

 こんな話は、お上の広報では登場しないから、記者さんは知らない。街ダネ記者がいない。

 寒くなっても、ホームレスの数は減らない。

 不景気が続くと、当方も、いつ何時、ホームレスになってもおかしくない。

 毎日のように起こるJRの人身事故を克明に取材する人もいないから不景気の実態が分からない。

 だから総理大臣は毎夜、料亭へ行く。料亭で接待する文化は大事にしたいが、毎夜毎夜なら立派な「辞任の理由」になる。

 「景気が回復軌道」なんて、とても信じられない。

 まあ、それはそれ。

 ホームレスになっても、このホームページがあれば、何とかなるさ。

 深夜、掲示板を読む。

 これが、翌日のヒントになる。

 29日の日記で「長野県企業局長さん」のことをおちょくったが、掲示板の反応が様々で楽しい。

 常連はもちろんだが、ペンネーム「地方大学生」氏など、変化球でない意見が登場してうれしい。

 想いの垂れ流しではなく、ビシッとした意見もほしかった。うれしい。

 この分だと、我が掲示板、数はともかく、質で日本トップクラスの「広場」になる予感。(少し、うぬぼれ)

 現金では手に入らない、時代の本音をみんなで記録しよう、とつぶやいたりして、幸せをかみしめベットに入ったのである。

 
<なんだか分からない今日の名文句>

貧にして楽しむ





10月29日(日) あの人のことを知りたい

 朝、例のTBSラジオ「中村尚登ニュースプラザ」のスタジオへ。窓の外に国会が見える。

 中川元官房長官の辞任と森さんの延命について話す。

 つい「僕のホームページでは森さん辞めろ!のキャンペーンをしている」などと話してしまう。

 それにしても、素人軍団、森内閣はガタガタである。

 中川さんの腹の切り方についても疑義だらけ。この疑問は民族性にも関係するので、今週の「ここだけの話」(31日夕刊)で書くつもりだ。

 紀尾井町の公共の施設で朝飯を食べてから、雨の中、府中競馬場へ向かう。

 雨が降っても天皇賞。それは一生懸命走る競走馬に対する仁義である。

 久ぶりに来賓席に行ったので(あとで書く「打ち合わせ」のためで、来賓席は苦手。馬券は一階スタンドが最上席)懐かしい知り合いに次々に会う。

 ある淑女からは「あの人はどんな人?」と聞かれる。

 「あの人」とは例の長野県庁の企業局長のことらしい。田中新知事の名刺を「こんなもの、受け取れるか」と居丈高になった「あの人」である。

 彼女「あんな人、今頃、日本にいるなんて……」と笑っている。その隣の女性は「でも、長野県民の意識革命に貢献ありよ。抗議の電話が2000本もかかったんだから、県民は県庁の封建思想に気づき、行動に移ったという訳よ」と相打ちする。

 そのまた隣の女性が「今、日本列島で一番、人気があるんじゃないの。あの人。どんな人か会ってみたい。県民栄誉賞をあげたらいいのに」と笑いこける。

 威張るくせに小心。女性陣はこんな男が大嫌いなのだろう。

 女性週刊誌のデスクなら、こんな時「あの人のことが知りたい」という企画を立てるべきだ。

 小学校のころ、彼は腕白だったのか?
 イジメをしたのか?
 就職試験の成績は?
   裏口入社だったのか?
 恋愛結婚か?
 上役にペコペコしていたのか?

 もしかしたら県庁の「隠れた天皇」だったのではないか?

 興味はつきない。

 「あの人」は既に公人なってしまったのだ。

 こんな企画はどうだろうか。

 「貴方の会社の長野県企業局長」なんてどうだろうか(この企業局長は固有名詞。普通の名詞の企業局長とは違うから許してくれ)

 女性社員にタバコを買いに行かせる人、カラオケのデュエットを強要する人、 「会社のため」と称して毎夜、嫌がる部下をつれてネオンの海を泳ぐ「あの人」。持てもしないのに「もてた、もてた」とはしゃぐ人。

 自慢ばかりの「長野県企業局長」は貴女の隣にもいる。

 午前11時10分、福島競馬4レース。未勝利戦。僕の愛馬・シルクハイネス号、13着。まあ、いいや。

 天皇賞は予想通りだった。

 スポニチの予想は菊花賞に次ぐ2連勝。でも「配当が安い」という理由で色気を出したばかりに、馬券の方は一着四着、二着四着。情けない。

 たまちゃんも、負けたらしい。

 プレゼンテーターの松嶋奈々子さんは一点勝負で馬連490円をゲット。有り金はたいてウン万円が……度胸がいいんだ。

 天皇賞終了後、来賓席で11月13日夕、東京・渋谷プラザエクウルで開かれる公開シンポジウム「21世紀のレジャーとしての競馬」の打ち合わせ。

 パネリストでもないのに、打ち合わせに顔を出したのは、シンポの発案者だから。

 パネリストとして参加してくれ作家・浅田次郎さん、ゲーム作家・薗部博之さん、東大教授・本村凌二さんらが天皇賞の余韻をかなぐり捨て、真剣な討議。頭が下がる。僕は黒子として協力するつもりだ。

 競馬ファンは当日、是非とも、渋谷に集合!

 夜。競馬仲間の家に招かれ、鮟鱇鍋。鍋が似合う季節になった。

<なんだか分からない今日の名文句>

自慢高慢馬鹿の内





10月26日(木) 森親書を追及したら

 また政治のことを書く。

 もう政治はクサクサだ、と思うが、もう一回だけ読んで欲しい。

 僕が「森さん、辞めろ!」と言い続けるのは、彼が政治家として「素人」だから だ。

 55年体制の下で、森さんは国対族として“根回し”に磨きをかけた。これは認 める。「竹下国対」には比べようもないが、一定の力量を認めよう。

 サービス精神に満ちた演説も上手だ。それも認める。いつも明るい顔付き。正直 言って、消して嫌いな顔付きではない。

 でも残念ながら、誉めるところが他にない。“根回し”だけの政治屋さんなの だ。

 外交素人、内政素人、庶民感覚に素人、時代に鈍感、それに優秀な側近もいな い。首相になれば、自ら“根回し”という訳にもいかない。

 そんな不幸な政治屋さんが、焦りはじめているから怖いのだ。何か、とてつもな い失敗をするよな気がする。

 対北朝鮮外交で彼は焦っている。

 「森親書」なるものが存在する。

 世界週報の10月31日号によると、在米韓国女性ジャーナリスト、文明子とい う人物に託されたもので「金正日さんにお会いしたい」と書いてあるらしい。

 大体、世界の対北朝鮮政策は「焦り」と「金大中マジック」で動かされている。
米大統領も「任期切れ前に一発、北朝鮮で男を上げよう」と焦っている。誰もが、金大 中マジックにかかり、ともかく、北朝鮮と早く仲良くなろう、と焦っている。

 そんな世界的な焦り現象を冷静に見極めることが、森さんには出来ない。だから 前後の見境なしに「森親書」を託す。下手をすれば「二元外交」になって、より難しい 事態になりかねない。

 それが、素人には気づかない。

 野党は方向を変えて「森親書」の存在を追及してみたらどうだろうか。

 午前11時すぎ、中川官房長官定例記者会見。CSテレビの録画で見る。

 女性のことなんて、どうでも良い。男と女の醜い結末はどこにもあるから、どう でも良い。

 でも、くだんの女性の写真が何故、撮影されたか、について「運転手が中に入れ てしまった」とは何だ!

 まるで奥方に言い訳するための記者会見? 無様、不様、ぶざま。主従関係にある運転手さんに罪をなすりつける輩、許せない。

 かつて、なくなったお袋は「下の者の不始末は自分の不始末。その覚悟が出来なければ、週刊誌の編集長なんてやるな」と言ってくれた。

 トラブルは幾つもあったが、全部自分の責任、と思うと気分的に楽になった。

 中川さん、「運転手が……」はないぜ。江戸っ子なら、ぶん殴る。

 午後、月刊アスキーに頼まれたコラムを書き上げ、テレビを見ると三田佳子の不幸。

 愛情に飢える運命がドラ息子を迷走させる。可哀想でならない。

 三田さんは、このドラ息子を勘当するしかない。

 親子の縁を切るのが彼のためになる。そして、彼女は芸人として一生を終える。ドラ息子は「三田佳子の息子」から解き放され、自分には母親はいなかった、と思うべし。まともになるか、ヤクザになるか、身体がボロボロになるか、今が正念場。もう、こんなニュース、見たくない。

 最後に競馬の話を少々。

 天皇賞とは無縁の「みちのく福島」。日曜日の4レースに一口馬主の愛馬・シルクハイネスが出走する。3歳じゃない4歳の初出走。

 一時ボケちゃって、レースに出るのは絶望的と思っていたが、関係者の努力で走ることは出来るようになった。

 同期の馬が菊花賞を争った翌週、福島の未勝利戦に間に合うなんて、僕にお似合いだ。

 父・ラムタラ。母・ハイラス。立派な血統を信じたが、たまちゃんの話では「着に 入らず」なんてことになる可能性大。

 でも、精一杯、愛一杯で応援するぞ。

「世襲官邸」に不安あり!

 と一度は日記を書き終えた頃、中川官房長官辞任のニュース。

 例の中川さんと女性の生々しい録音テープが民放各社に流れたのが、決め手らしい。

 当然である。でも、女性問題で辞任するのではない。世間をなめて、嘘を嘘で固める森政権の体質が辞任するのだ。

 後任に福田康夫さんは福田赳夫・元総理大臣の息子。

 官房副長官の安倍晋三さんは安倍晋太郎・元外務大臣の息子。

 森さんはご存じ、3代続く「石川県政の森家」の倅。

 政治を家業にする「世襲議員」だけで、ものごとを決めるところに「脇の甘さ」が生まれる。

 それよりも、僕は森さんに辞めることも愛、辞めさせられるのも愛ーーと言いたい。

 
<なんだか分からない今日の名文句>

愛は全てを救う





10月25日(水) 橋本派による、橋本派のための                 橋本派の政治=森のお粗末

 どんよりした秋空。

 午前9時ごろから霧雨がばらついて気分最悪。

 毎日新聞土曜夕刊の「競馬はロマン」をサッサと書き上げ、ベットに入る。前日の政局取材で少し疲れた。

 雨が降ると落ち込む。特に困るのは、半身麻痺は傘がさせないこと。「今日は在宅取材にするか」と決めて約1時間、惰眠。

 目が覚めて、歯医者の予約を思い出した。

 診察券の予約欄をみると、予約は24日午後3時。まいった。昨日は例の政局取材に夢中になり、歯医者のことなど、すっかり忘れていた。

 電話の前で平身低頭。何とか25日午後2時半の予約に潜り込む。何しろ、この歯医者、評判がいいので千客万来。患者が多すぎるので?看板も出していない。

 約30分で治療が終わって外に出ると、晴れている。

 突然、元気が出て、大手町界隈を歩く。この間、聞いた「MARUNOUCHI CAFE」なるものを探す。

 「洒落た喫茶店のようなスペースに椅子、机、コピー。新聞、雑誌も用意されていて、おしゃべりをしても、飯を食べても、昼寝しても、全てOK。もちろん無料。それが噂の丸の内カフェです」と教えてくれたのは、某社の女性編集者。

 どんなところなのか。必死に探す。

 大手町の歯医者から丸の内方面に歩いて約20分。見つけた、見つけた。丸の内中通りと馬場先通りの交差点の角。皇居と東京駅の間、帝国劇場近く、とでも言えばいいのか。(千代田区丸の内3−2−3、富士ビル1F。tel03ー3212ー5025)

 中に入ると、OL、学生、中年サラリーマンで一杯。

本を読んだり、パンを食べたり、昼寝をしたり……思い思いなことをしている。

 何よりもうれしいのは、机に電源スイッチがついていること。ノートパソコンを持ち込んでメールを打っているひとが目立つ。

 食べ物は自動販売機にパン、おにぎり、ウーロン茶、缶コーヒー……何でもある。もちろん、自動販売機を利用しなくてもいい。何時間、居座っても無料。

 多分、この辺の土地持ち「三菱地所」のコミュニティづくりの一環?。今時、余裕のあるサービスではないか。

 これからは、我が「二代目魁」編集会議もここでやろう。

 午後4時、仕事場に帰って、来客3組。

 競艇関係者2人。「11月1日から平和島競艇で3連単を行います」という説明に来られる。

 有希。「岩手県のボート大会で優勝した時の賞品が届きました。3本の木から収穫したリンゴ。その内、3個プレゼントします」

 そして、池袋の某映画館の元役員さん。本来なら、こちらから出向くのが筋だが、わざわざ、やって来てくれた。彼も脳卒中で倒れたこともある。後遺症が僕より軽いが、当方の勝手な在宅取材に付き合ってくれた。感謝する。

 さて、政局。

 想像できたことだが、橋本派は「政局は避けられない」と深く認識しているが、森さんに変わる人物がいない、という理由で、中川官房長官の「首」でお茶を濁す気配。

 またぞろ、橋本派(以前の小渕派、昔の竹下派、大昔の田中派=特定層利益追求型政治)による、橋本派のための、橋本派の政治。権力をほしいままにする公共事業派の“猿芝居”。あくびが出る。

 21世紀とともに来る「橋本派の断末魔」に気づかず、テレビに馬鹿面を見せる面々。失礼だが、小汚ない面相。

 世の中、甘く見るなよ!

<なんだか分からない今日の名文句>

森のお粗末(どうでも)いい〜男





10月24日(火) 森さん、辞めろ!

 朝、シドニーに出張中の副編氏からメール。写真入りだ。

 多分、オリンピックスタジアムで撮ったのだろう。元気いっぱいの日本代表選手みたいだ。

 それにしてもパソコン1年生の僕には、写真入りのメールが南半球からやって来るとドギマギする。凄い時代なんだ。

 リハビリを終えてから、数カ所、取材に回る。

 例の「日本人拉致・第三国で発見方式」提案騒ぎで、新たな展開。森首相から「彼の個人的提案」と“悪者”にされた中山正輝代議士(当時の訪朝団副団長)が官邸に現れ「個人的提案ではない。団としての提案だったはずだ」と猛烈抗議。

 中山氏は「うそつき三羽ガラスに抗議に来た。私に責任を押しつけ腹を切らせ、難を逃れようするのは怪しからん」。俺だけ悪者にするのか、という怒りだ。

 森さんは「団としての提案だった」と認め、陳謝。一国の首相が「嘘つき」を認めたことになる。

 すでに22日の編集長日記で書いたが、もう一度、言う。

 森さんは辞めるべきだ。

 周囲は責任を持って止めさせるべきだ。

 この「第3国提案騒動」が起こった当初、どの新聞も「一面トップ」の扱いをせず、中途半端な報道ぶりだったが、やっと、24日の夕刊から、多くの新聞が「一面トップ」にした。

 やっと、コトの重大さに気づいた。

 それなのに僕の勤め先・毎日新聞の夕刊は「一面ベタ」の扱い。何故だろう。

 「森さん贔屓の毎日」と取られたら、どうするのか。

  仲間に聞くと、締め切り直前のことで、正確な情報が入らなかったとのこと。

 この種の特オチは、僕も経験があるが、前線に緊張感が欠けている気もする。

 少ない陣容で、取材合戦している若い仲間には、厳しい指摘になるが、ここは勝負どころ。

 頑張って欲しい。

 極めて、個人的な意見だが、新聞は情報機関として(僕は、新聞は言論機関でもあるが、情報機関として)はっきり「森政権NO!」の立場を鮮明にするべきだと確信する。

 例えば、緊急世論調査。電話とインターネットを駆使すれば、国民の「声なき声」が聞こえるはずだ。

 24日発売の雑誌「ニフティ SUPER Internet 」に有田芳生さんの インタビューが載っている。

 終わりの方に、彼の「お気に入り」として「二代目魁」が紹介されている(P66)。同慶。

 例の横浜新税問題。

 午後、横浜市の幹部がJRAを訪れ、文書を手渡す。

 市長さんは、強引に新税を作りたいようだが、僕には悪代官のような気がしてならない。

<なんだか分からない今日の名文句>

雨がやんだらお別れなのね





10月23日(月) 芸能界ウラのウラのウラ

 朝、“検索遊び”していて、想わぬ拾いもの。

 1877年に毎日新聞に連載した「芸能界ウラのウラのウラ」がHPに載っているのを発見した。

 今から23年前の作品である。

 当時、入社10年目。そのうち5年間は警視庁捜査2・4課担当の事件記者だった。

 「夜打ち朝駆け」でロクに家に帰らない生活を続けていたから、一度は時間的な余裕を持って、好きなことを取材して、自由に書いてみたい、と思っていた。

 当時の牧内社会部長は「ロッキード事件で頑張ったのだから、好きなことをしてもいいだろう」と言ってくれたので、僕は「芸能界」を選んだ。

 当時、芸能界を取材するのは学芸部、と決まっていた。もちろん、社会面には芸能ものは登場しない。

 先輩からは「何故、社会部の若造が芸能界を社会面に書くんだ」と文句を言われたが、何しろ、怖いもの知らず。「新聞社に縄張り意識があってはいけない」と煙に巻き、朝刊社会面で「芸能界ウラのウラのウラ」を一年間、連載した。

 捜査4課、つまり暴力団担当の時、培っていた芸能界の知識、人脈が役に立ち、学芸部では書けない裏話が書けた。

 評判が良いので、毎日新聞から単行本になって、多分、3刷りしたと思う。  この本、大事にしていたのが、ある時、気がつくと一冊もない。あげたり、貸したりしているうちに無くなってしまっていたのだろう。

 5年前、筑波大学近くの青空市で、この初の著作本を発見、何か、感激の再会みたいな気持ちだった。

 200円の定価がついていた。

 この一冊を大事に大事に保管しているが、別に読むこともなかった。

 その「芸能界ウラのウラのウラ」がHPに載っている。驚いた。

 収録しているのは「石川さゆり非公式ホームページ・恋模様」  「芸能界ウラのウラのウラ」の石川さゆりに関する部分だけを収録しているのだが、誰か、どこかで、この古い古い物語を読んでくれていたのだ。

 書いていれば、誰かが、読んでくれるーーそれは真実だった。感激だ。

 スター誕生の裏側で、どんなことが、起こったか。

 ぜひぜひ「二代目魁」の読者に読んでもらいたい。

 これ、20年前の裏話。

 石川さゆりが結婚する前、週刊誌の記者さんから「さゆりさんが結婚するらしい。相手はジャーナリストと聞いたのですが、こころあたりはありませんか? もしかして、貴方では?」と聞かれた。

 これ、トンだ間違いで、ジャーナリストと言う人は元カメラマンで、マネージャーだった人だった。

 中川官房長官が例の首相の不用意発言で「過去のエピソード」と釈明。

 冗談じゃない。

 外交上の「過去のエピソード」は、進行中の案件にあるはずはない。

 そんな釈明を情報として平気で垂れ流すマスコミ。

 これはもう「軽薄首相とその一座」としか言いようがない。

 「ここだけの話」(毎日新聞東京版24日夕刊)を書く。例の六本木事件の余話。でも、ここにマスコミの性みたいなものがある。これも読んでもらいたい。

 午後3時ごろ、副編氏、出張先のシドニーで更新。

 インターネットって、怖いぐらいだ。

<なんだか分からない今日の名文句>

ウラのウラは表





10月22日(日) 軽薄首相を放置するのか

 もう我慢できない。

 森首相をこのまま、放置して良いのか。

 例の北朝鮮による日本人拉致問題で、かつて北朝鮮を訪問した際「行方不明者として第三国で発見する」という打開策を示した、と首相。そして、この打開策を何とブレア英首相に明らかにした。

 本当だろうか。耳を疑った。

サービス精神が失言を生む。「軽すぎる首相だが、もう少し見守ってやろう」と、国 民は渋々、首相の居残りを許していた。

 それが、何だ。

 今、一番神経を払わねばならない北朝鮮問題で、ひとつ間違えれば、国際的な緊張を引き起こす失言、暴言。辞めさせなければ、日本の国民は各国から笑われる。

 彼は「国権」を理解していない。もう、我慢できない。

 ジャーナリズムは、国民は、この軽薄首相を放置するのか。

 午前中、ヤボ用で横浜に行ったついでにニュースパークを覗く。ニュースパークは日本新聞博物館。新聞のことなら何でもわかる博物館で、今月始め、日刊新聞発祥の地、横浜にオープンした。

 約1時間、展示を見て回ったが、新聞が権力と闘った歴史がよく分かる。逮捕された新聞記者が何人もいた。

 号外で振り返る20世紀展。明治、大正にはまだ夕刊が無くて、ラジオも無い。唯一の速報の手段、号外が活躍する。

 東京日日新聞(現毎日新聞)の号外売りの半纏。朝日新聞の号外売りの鈴など、貴重な資料が幾つも並んでいる。

 「はがき号外」なるものが存在したことを知る。「はがき号外」が、今のHPなのかも知れない。

 (日本新聞博物館NEWSPARKは横浜市中区日本大通11 横浜情報文化センター TEL.045-661-2040)

 今の新聞が、日本軽薄体制打破の論陣を張るのはいつのことか。

 帰りにWINS横浜。「横浜新税」で話題になっている場外馬券場。菊花賞の馬券を買いながら、県、市がどんなサービスをしているか、取材する。

 警察官の交通整理はなかったが、救急車が出動しているのを見た。これは市のサービス。JRAに問い合わせてみると、去年の救急車出動は9回とのこと。

 あとはゴミ。開催日はJRAが委託する民間業者がゴミを運ぶ。開催のない日は、料が少ないので、市にゴミを運んでもらっているという。

 こんなサービスだが、JRAは混雑の迷惑料も含め1億3000万円を払っている。

それが高いか、安いか。

 極秘情報では、横浜市は24日、JRAに新税の説明に局長級を派遣するらしい。

 宣戦布告だ。

<なんだか分からない今日の名文句>

今日なら誉め、明日なら貶す
出所進退





10月19日(木) 福井県の引き出物は

 前の晩に聞いた「面白い話」。本当かしら?

 朝、リハビリの最中、診療所のケースワーカー、M嬢に「結婚式の引き出物は両手に一杯。手で持てないと両足でけっ飛ばして帰るんだって?」聞く。

 「そうですよ」とあっけらかん。

 本当なんだ。彼女も福井県の出身である。

 前の晩、夕食をした女性は福井県人会の要職をつとめるお方。

 「故郷の福井の県民性は、かくかくしかじか。面白いでしょう」と話してくれたが、あまり面白くて、からかっているのか、と思っていた。

 でも、20ウン歳のM嬢が「本当」と言うのだから、信じていいのだろう。

 弁の立つ女性の解説。

 福井の人は貯蓄が大好き。貯めて貯めて、結婚式に目一杯、金をかける。両手両足の引き出物はその最たるもの。

 結婚に際しては、婿(の実家)は家を建て、嫁(の実家)は家具一式を用意する。

 そして結婚。ところが、二人の仲が険悪になると、嫁(の実家)は「離婚していいのか」と婿(の実家)を脅す。

 もし離婚になると、嫁は家具一式、洗濯ばさみの果てまで持って実家に帰る。

 そうなると、家の中はガラガラ。婿は周囲の笑いものになる。

 そこで婿(の実家)は「不倫の相手と縁を切りますから、ご勘弁を」という事になる。

 盛大な結婚式とそれに伴う散財のシステムは意味深いものがある、というのだ。

 若いM嬢は「そうよ。日本一、離婚が少ない県ですよ。貯蓄率は第1位。なにしろ夫婦で働くから」と確実な県民性を強調する。

 ちょっと前ならケチと言われそうだが、今や、福井流で行かなきゃ。

 午後、仕事の合間に日本記者クラブで来客2組。

 一つは介護、在宅ケアの専門誌から「連載でコラムを書かないか」と誘われる。

 この分野のメディアは専門家の立派な意見ばかりで、患者の視点がないように思っていた。意味のある仕事と思うが。

 引き受けるつもりだが、果たして、良いものができるか。

 もう一つの依頼は「月刊アスキー」。こちらは、単発のエッセイ。HPのドタバタから、ITの明日を見るようなものを書きたい。

 夕方、モバイルの入力が出来なくなり、真っ青。

 副編の勤め先に押し掛け、治してもらう。

 奴がいないと一人立ちはおぼつかない。

<なんだか分からない今日の名文句>

倹約と吝嗇は水仙と葱





10月18日(水) 「党高官低」って何?

 朝一番で、何通かメールを発信する。

 前夜遅く、多忙な副編殿がやってきて「添付文書」を開け方を教えてくれた。いままで隠していたが、実は、僕、添付文書(クリップの印がついたもの)を開ける手順が分からず、立ち往生していた。

 その内に、開かない添付文書がたまりにたまり、副編殿にSOS。

 ようやく、開いた。助かった。

 それで朝から、次から次へと返信、また返信。1ヶ月あまりも放置したこと、許して欲しい。

 札幌は初雪。東京も木枯らし一号?

 べったら市がやってくると寒くなる。「あすなろ整骨院」の常連は「昔は、べったら市へコートで行ったものだ」と教えてくれる。なるほど、温暖化はお江戸の生活を変えていく。

 寒くなると、脚の膝が痛くなるが、それを無視して御徒町まで散歩。約3キロ。今から、歩くクセを付けないと冬が越せないように思える。

 途中で出会った顔見知りの奥さん。

 「あんたのHP、競馬ばかりで、つまらないよ。競馬なんか興味のない人が大多数なのに」と嫌みを言われる。そうかなあ。

 アメ横にほど近い洋品屋でAshworthのセーターを買う。一応、ブランド。
この店の主人は二枚目。背がやたら高いラグビーの選手。さわやかだから好きだ。

 仕事場に帰って、HPの掲示板を見れば「競馬」の文字が確かに目につく。メールを開ければスポニチに「賞金は高い」と書いた僕の意見に賛否両論のメールが届いている。

 秋の競馬はそろそろ本番。競馬の話題が多くなっても仕方ない。競馬を愛しているから仕方ない。

 でも、奥さんの喜ぶような話も探さねば。

 午後、霞ヶ関で「取材のような、取材でないような」コーヒータイム。

 「この間、久しぶりに××さんに会ったよ」と某大使閣下の話をすると、取材相手?は興味を示す。

 僕が「大臣は“党高政低”を嘆いていた」と話したら大使は「党高官低でしょう」と苦笑いしていた。

 外務大臣は「自民党の言い分ばかりで、政府の言い分が通らない」と嘆き、某大使は「自民党が官僚を馬鹿にしている。例えば?自民党に法案を説明に行き『こうした方が国益にかなう』と話すと、自民党のお偉方は『官僚が、国益を判断する必要はない』ですよ」 だから、今の賢い官僚は何も言わなくなる。

 この話をすると相手は「そう言う側面もあるが、自民党だって国民に馬鹿にされてるよな」

 「誰が信頼されているか?と言えば、誰も信頼されてない、ということ。信頼出来るのは自分だけ」

 「自分だって信頼できないよ」

 寂しい話で、コーヒータイム終了。

 夜。ニューオータニで知人と夕食。例の奥さんが喜びそうな、とても面白い話を聞いたが、長くなったので、明日、書こう。

 寒くなった。ご自愛の程。

<なんだか分からない今日の名文句>

人の女房と枯れ木の枝ぶり





10月17日(火) 国民不名誉賞は誰か?

 朝、リハビリ。

 トレーニングの合間の話題はいっぱいだが「なぜ、やわらちゃんではいけないの?」と言う、おばあさんの意見が飛び出して「国民栄誉賞とは、そもそも何なるか?」が議論になった。

 まあ、どうでも良いが、高橋尚子クン、28歳で国民栄誉賞は迷惑だろう。

 もし、美空ひばりじゃなくて、山口百恵が国民栄誉賞だったら、百恵さん、引退も、結婚も、ああスムーズに、カッコ良く生きるわけにはいかなかった、かも知れない。

 「賞」は儒教の教えを形にしたもの。反自由、反民主、反平等……現代人にはそぐわない。

 なぜ、権力者になると「賞」を連発したくなるのか。

 いっそ「国民不名誉賞」を創設して、内閣総理大臣が選挙前に授与したらいい。

 それなら候補者は手近に何人もいるし、辞退が続いたら、森さんが自を表彰すればいい(これは、冗談)。

 そうだ!

 「二代目魁」は「掲示板の仲間が選ぶ、2000年国民不名誉賞」をやってみたらどうだろうか。

 長屋の住民から「アホ!」と言われのがオチ!?

 午後の仕事が一段落してから、日本橋本町の「薬祖神祭」を覗く。

 この辺りは製薬会社が軒を並べる薬問屋の町。昭和薬貿ビル(中央区日本橋本町3−4−18)の屋上に「薬祖神」はまつられている。(因みに、薬の専門記者が集まる「本町クラブ」はこのビルの中にある)

 毎年10月17日は例祭。お神楽が出て、薬の入った福袋が配られる。

 昭和通りの向こう側にも、提灯がズラッと並んでいる。こちらは「宝田恵比寿神社」(東京・中央区日本橋本町3−10−11)の祭の準備である。中1日おいて、10月19,20両日は参道で「べったら市」が開かれる。

 恵比寿神は商売繁盛の神様。全国的には正月に行われる大阪・今宮戎神社の「十日えびす」が有名だが、江戸で恵比寿と言えば「宝田神社」。

 江戸城築城の予定地だった宝田村の鎮守神だったが、徳川家康によって恵比寿神と合紀されて、この名がついた。商売繁盛の神様も何と“合併”していたのだ。

 これは意味深い。昨今の「合併に次ぐ合併」は商売繁盛の神様の尊い経験から来ているのだ。

 祭りの間、宮内庁御用達の「新高屋」のべったら漬が飛ぶように売れる。これは430年間、変わりない。

 江戸の昔、べったら漬を荒縄でくくりつけるだけなので、他人の着物にベタベタとつく。そこで「べったり運がつく」という民間信仰が生まれた、というのだが……このところ、このあたりの金融機関、繊維問屋、薬屋、おしなべて不運である。

 まあ、日本橋で生まれた「日本魁新聞社」の2代目としては、21世紀に向けて、地元の恵比寿に大運をばらまいて欲しいのだが……どうだろうか。

 エッ、不名誉組を成敗するのが先?

 ご無理ごもっとも。恵比寿様もイライラしていらっしゃる。

 まあ、そんなことは忘れて、恵比寿参りはいかがか?

 近くに、安くて、新鮮な魚を食べさせる店も多いから、騙されたと思って運を拾いにやってきてくれ。

 因みに中央区は日本橋区と京橋区が合併して生まれたのだが、日本橋区の町会は全て町名の上に「日本橋」を付けた。「日本橋」がついてないのは東京駅前の町名「八重洲」だけである。

 日本橋は日本1。日本1で運が取れないでどうする。

<なんだか分からない今日の名文句>

ありそで無いのが金
無さそうであるのも金





10月16日(月) 黒々とした頭髪

 朝、HPパトロール。と言っても、お気に入りをザッと見るだけだが、今日は収穫があった。

 有田さんのHPに「ほろ酔い酒場」
なるページが出来た。彼の行きつけの店を紹介するのだが、どの店も庶民的で、いかにも「おかず」がうまそうだ。それに池袋から入っているのが、また良い。

 戦前からの横町「ひかり町」は以前、1,2度、行ったことがあるが健在なのか。有田さんにメールで「素晴らしいページ」と激賞する。

 俺も、こんなページ、やりたいナ。

 スポニチの「おけら街道」を書き上げると、腹が減る。トンカツが食べたい。

 昔からトンカツは好物で、学生時代「夕めしにトンカツをつけるから」という条件で、浅草観音裏の「とん笛」のせがれの家庭教師をした。女将さんは現役の芸者さんで、笛の名手だったので「とん笛」。

 気っ風のいい女将だった。店をたたんだようで消息を聞かない。(もし、お知り合いであれば、教えてもらいたい)

 トンカツを食べよう、と決意して仕事場から徒歩30秒の「あるかす」の前まで行った。が、また糖尿のことが頭をかすめ、ここは我慢、我慢。(この店の主人は人柄、すこぶる優しく、毎日新聞の愛読者)

 そこから200メートル歩いたところで、柳橋名物の「とんかつ百万石」にぶつかる。ここのソースの味は天下一品。ああ、トンカツが食べたい。

 それを我慢して、江戸通りは浅草橋たもとの「トラットリア・イロー」なる店でパスタ。なかなかの美味で、満足する。 サラダ、コーヒー付き1200円。

 午後3時、歯医者。

 午後4時、日本記者クラブで来日中の朱鎔基首相の記者会見。会場は満員。申し込みを忘れたので、一階下のクラブ談話室でCSテレビで見る。

 会見のやりとりは一般紙で読んでもらうことにして、僕の印象。

 朱さん、頭がいやに黒い。国賓にこんなことを聞いたら、失礼になるかもしれないが「染めているんですか?」と聞きたいぐらい。

 それに目が鋭い。これも失礼とは思うが、○○賢い目つきである。

 「ポルノ解禁はあり得ない」と断定的に言ったり、「中国との間で債権、債務の経済的なトラブルが続き、日本人は迷惑している」という質問に「パートナーを選ぶ時、慎重に」と平気でアドバイス?する度胸。

 「歴史を鏡にして未来に向ける原則」という彼のセリフは、やはり「軍国主義の過去を謝罪せよ」という意味なのだろう。そして、台湾と付き合うのはホドホドに、と睨みを効かすことも忘れない。

 このタイプの政治家は日本にいない。

 午後5時半、副編さんと野暮用。

 すこし、肌寒くなった夜風をお供に、9時頃、仕事場に帰った。

<なんだか分からない今日の名文句>

駿風に黒髪





10月15日(日) 体質と体重

 週末、我がホームページの掲示版は松坂の無免許、駐車違反騒ぎで賑やか。はじめて掲示板に登場した方も多く、うれしい。なにしろ「双方向」を目指すのだから。

 「なるほど!」という、洒落た意見もあるし、ついニヤニヤする。

 松坂ドジ事件の僕の感想。

 何しろ、会いたかったのだろう。×××したかったのだろう。若さは切ないものさ。
誰がなんと言おうと、俺は理解できる。若気の至り。法的な責任を取り、堂々とすればすむ。いい薬だ。

 どこにもある話だ。

 黒岩さんのもみ消し。魔が差した。保身に負けた。中年の至り。判断を誤ったとは言え、気の毒だ。世間が許してくれの待つしかない。

 しかし、だ。

 マスコミはやたら「堤オーナー激怒!」と書きまくる。まるで堤さんの一言で、厳しいお裁きが実現した、と言わんばかりだ。堤さん、そんなに立派なの?

 想像するに、企業のイメージダウンを心配して、西武の広報さんが「堤さんは精錬潔白」をPRしたのだろう。松坂が汚れて、堤さんが綺麗?

 企業人として、堤さんは「悪」に加担しなかったのか。甚だ、疑問だ。

 何人か、西武の関係者に知人もいるが、彼の目を意識して社員はいつもビクビクしているそうだ。

 これでは、まるで「渡恒が怖くて言論の自由がない」某新聞社と同じだ。

 球団のオーナーの体質は、妙に似ている。

 朝、ベットの中で「たる」(たる出版・定価390円)を読む。大阪で出版されている酒の情報誌である。

 痛飲することが出来なくなってから、この雑誌で「読んで楽しむ酒」を覚えるようになった。憂さを晴らしている、と言った方が良いかもしれない。

 216号の「愛する本をウイスキーを割る」という特集は洒落た書評。楽しい。

 それより気になったのは「鳴声堂博士の楽しいダイエット講座」。

 鳴声堂は「BMIなるものが22の時、人間は最も病気にかからない。これは統計的に医学的に証明された」と言っている。

 BMI?

 よく分からないが、BMIは【体重÷(身長×身長)】の数値らしい。これが22だとベストだ、というのである。このところ、太り気味で体重は70キロすれすれである。

 70÷(1・75×1・75)=22.85

 鳴声堂博士こと朝井均・大阪体育大教授によると、BMIが24以上だと太り気味ということになる。(皆さんも計算してみたらどうだろうか)

 僕の22.85は微妙である。

 でも、病気が起きない理想的な数値に今一歩ではないか。散歩しよう!

 仕事場を出て柳橋を渡って、両国橋を渡って、例のKSDの本社の前を歩き、デニーズで朝食。490カロリーの「サラダモーニング」。痩せるゾ!の意志表示。さらに錦糸町に向かい歩く、歩く。

 錦糸町丸井の前の広場で一休みした。少し、汗ばんだぐらいだ。

 そこまで歩いて「今日はG1の秋華賞」と気づいた。

 スポニチは家で取っているのでサンスポを買う。検討約一時間あまり。ワイド馬券を買う。ワイドはこれで2度目。何とか勝ちたい、という意志表示?

 グランパドドゥ=河内の3着狙い。ダービーの5着の脚色はずば抜けていたから、前走の11着には目をつぶって、グランパのワイド流し。もし、3着に残ればワイドでも結構つく。

 馬券を買ったら午前11時ごろになっていて、お腹がグウグウ鳴る。我慢できずに「イカ入り焼きそば」を食べてしまう。

 ああ、減食は難しい。

 家に帰ると、グランパドドッの隣の2枠4番ティコティコタックが気になった。上がり馬で、もしかしたら、万馬券が来るならコイツかも知れない。

 たまちゃんの携帯に「枠で1−2,2−2、2−5、2−6」と頼んだ。グランパ、ティコが2枠に同居している。これで万全である。

 午後一時から、溜まった溜まった原稿に取り組む。400字7枚を一気に書き上げ、テレビで秋華賞を観戦。

 悲しいことに、狙いのグランパは4コーナーで脱落。ところが、人気薄のティコはアレよアレよという間に先頭でゴールイン。

 「やった!」

 と叫んだが、二着は?二着はヤマカツスズラン。「ドジャ!枠の2−7なんて買ってない」

 ああ、悔しい。

 後悔のテレビ観戦を終えて、また原稿2本。最後に書いた「ここだけの話」は本来、競馬の話は書かないことにしているが、「横浜新税」は大きな政治、社会、経済問題なので「ここだけの話」に書いた。競馬ファン以外の皆さんにも読んで欲しい。

 日曜日だというのに、一生懸命歩き、一生懸命馬券を検討し、一生懸命応援し、一生懸命原稿を書き、一生懸命缶ビール2本。午後9時、この日記を書き始める頃にはこっくり、こっくり。

 テレビで長野県知事選・田中氏圧勝を見てベットに入る。

 田中さん、おめでとう。

 シャンパン「クリスタル」、おいしいだろう。

 ペログリ日記のファンとして「おめでとう」と言っておくが、果たして期待通りに行くか。あまりに正直な人柄と聞くので、不安も残る。

<なんだか分からない今日の名文句>

毎日がほろ酔いの日曜日





10月12日(木) 永倉夫人のメール

 朝、永倉萬治さんの奥さんからのメールを発見した。

 彼を追悼した「ここだけの話」の紙面を遺影の前に供えた、と書いてある。

 「脳卒中の星が、本当の星になってしまったんでしょう」。

 奥さんは、淡々と事実関係を説明して「永倉は少し焦ったのかもしれない」と感想を述べ、“結び”に、こう書かいていた。

 こんなに冷静に、こんなに距離感を持って受け止めてくれたのか。萬治さん、うれしいじゃないか。

 でも、その分だけ、彼女のすすり泣きが聞こえてくるようだ。

 午前11時浅草発の東武ロマンスカーで鬼怒川へ。毎日新聞東京懇話会で記念講演。会場は老舗の「あさやホテル」である。

 この会は毎日新聞の北関東、甲信越、山梨、静岡、北海道の有力販売店の集まり。斉藤社長をはじめ、毎日新聞の幹部がほぼ全員、出席する。

 それぞれが15〜20分間、挨拶するが、ヒラ記者の僕は一時間たっぷり話す。なんという光栄?

 何だか妙だ。

 販売店の方々が「牧の話を聞きたいと」と言われたので実現したのだが……どうも居心地が悪い。

 それでも、最近、思っていることをズバズバ話す。

 何でも率直に話す方なので、若干だが、毎日新聞の悪口も飛び出す。

 販売店の方とは意見が合うのか、皆、大きくうなずいてくれるが、本社側はシュンとしている。その中で東京本社代表に石井取締役は、当方の指摘にじっと耳を傾けてくれる。

 終わって、過分のギャラが出る。

 給料ダウンの折から助かる。

 (もし、講演の口あったら紹介してくれ。HPも結構、目に見えない出費があるから、講演の口があると助かる)

 午後6時25分、鬼怒川温泉駅発で東京に戻り、タクシーを飛ばす。

 ひょっとすると、我がHP、ヒット50000件を越えているかしれない。その瞬間を見たい。

 仕事場に戻ってパソコンを開けると「ヒット50024件」。時計を見ると12日午後8時59分である。

 万歳!

 7月7日の七夕にスタートして約100日。こんなに早く5万を越えるなんて、光栄の行ったり来たり。万歳!

   部数は力。継続はチカラ。続けるぞ!

 すべて皆様のお陰です。ありがとう。

 次の目標は「菊花賞3連単! 応募数50突破!」

 出来るだけ多くの方に、掲示板に登場してもらいたいのだ。

<なんだか分からない今日の名文句>

罪深いHPに幸あれ





10月11日(水) 「赤い靴」のきみちゃん

 朝、東京・三田の東京専売病院で問診と血液の検査。

 血圧は上140,下82。順調である。

 大山ドクターは常々「太り過ぎ」を指摘する。おおむね健康だが、糖尿の数値が心配だ。

 終わって、久ぶりに「きみちゃん」に会いに行く。

 9年前、脳卒中でこの病院に九ヶ月入院した時、午後になると外出の許可を取って、僕はきみちゃんに会いに行った。

 それが日課だった。

 きみちゃんは、港区麻布十番のパティオ十番広場に建てられた小さな小さな銅像なのだ。

 愛らしい女の子に、毎日、会いに行った。

 悲しい物語を聞いてくれ。

 岩崎きみちゃんは、明治35年7月15日、静岡県清水市に生まれた。

 未婚の母だった「かよさん」はきみちゃんを連れて、北海道に渡った。新天地を求めたのだろう。

 羊蹄山の麓の開拓農場に入るとき、彼女はある決断をした。

 きみちゃんをアメリカ人宣教師の養女にしてもらおう。きっと、幸せになるーー彼女の目にアメリカという国が裕福に映った。

 きみちゃんはアメリカに行き、きっと幸せになる。母親は信じた。

 開拓の夢は破れ、かよさんは小樽に移り住んだ。

 平成のいま、人気の観光スポット、霧と運河の小樽である。

 そこで、かよさんは新聞社につとめる人と巡り会い、結婚する。

 やっと幸せを手にした彼女に、きみちゃんへの思いがのしかかる。「何故、手放したのか」。きみちゃんを捨て、アメリカ人に預けた「悲しい過去」がのしかかる。

 彼女は、自分の腹を痛めた娘を養女に出した切ない思いを夫の同僚・野口雨情に話した。

 この話を聞いた作詞家・野口雨情は童謡「赤い靴」を作った。

赤い靴 履いてた おんなの子

異人さんにつれられ行っちゃった

 きみちゃんは横浜の波止場から、船に乗ってアメリカへ行ったはずだった。が、運命の悪戯なのだろう。

 彼女はアメリカに行くことはなかった。

 結核で長旅が出来なかったのだ。

 アメリカ人宣教師は「必ず迎えに来る」と行って麻布十番の孤児院にきみちゃんを預け、アメリカに帰国した。

 きみちゃんは、結核で明治44年9月15日、ひとり寂しく、その孤児院で9歳の生涯を閉じた。

 この話を看護婦さんに聞かされた僕は、入院中、車椅子を押してもらい毎日毎日「きみちゃん」に会いに行った。

 「きみちゃん、元気かい」と声をかけたかった。

 当時、僕はノイローゼ気味で何をしていいのか、分からなかった。

 でも、右半身マヒの自分の方が、きみちゃんより幸せなような気がした。

 退院しても病院に行くと、不自由な足で坂道を歩いて、きみちゃんに会い行った。

 その度に、かよさんの選択をあれこれとなく想像した。

 明治の頃、娘を捨て、開拓の夢に走った彼女を否定することは出来ない。

 無謀な夢に走ってしまう青春。それも選択である。

 でも悲しい。

 地下鉄・南北線の開通で麻布十番へは便利になった。

 もし近くに来たら、きみちゃんの顔を見に来てくれ。

 何か、考えることもあるだろう。

 帰りに病院前の美容院で、思い切って毛を短くしてパーマをかける。

 このところ、落ち込むことが多かったので気分一新。まるで乙女のようで恥ずかしい。

 午後5時半、JRA城山事務所で「瀧本誠・金メダル祝勝会」

 「オリンピックの前と後で周囲の雰囲気が違ったようですが、僕は全然、変わっておりません」と平成の姿三四郎。

 人間、根っこは変わらない。

 この言葉を聞いて元気百倍!である。

<なんだか分からない今日の名文句>

勝つと思うな、思えば負けよ





10月10日(火) 56歳になっちゃった

 誕生日。56歳になっちゃった。

 この歳になると「年齢」を偽りたい衝動である。

 最近、かつての東映の名脇役・内田良平さんの事件簿を読んだ。親しい女性に「へそ下三寸」を切られた例の騒動だ。

 事件そのものは、女癖が悪い(失礼)内田さんの身から出た錆。嘘をついて関係した相手にチンチンを切られただけの話だが、興味を覚えたのは彼の年齢である。

 事件が起こった1965年(昭和40年)、彼は「34歳、独身」という触れ込みだった。

 当時、東映ヤクザ路線の華々しい時代で「山口三代目」といった映画で癖のある役を演じる彼を何度か見たが、まあ35、6ぐらい、と思っていた。

 マネージャー氏の証言によると、本当は東京、京都に別々の内妻がいる「41歳」だった。

 二枚目でもない役者でも「7歳」も鯖を読んでいた。

 芸能界は年齢を偽るのは常識なんだろう。

 誰が年齢を偽るのか。本人なのか、映画会社なのか。マネージャーなのか。

 何故、内田さんの場合「34歳」でなければならないのか。

 そして、この年齢を周囲は信じているのか。

 その辺を知りたい。

 年齢をごまかすことは果たして「悪」なのか。場合によっては「善」ということもあるのではないか。

 年齢をごまかすことは犯罪になるのか。

 なるとしたら軽犯罪なのか。詐欺なのか。

 その辺を知りたい。

 なんて、そんなつまらないこと考えながら「56歳」を迎えると、何となく僕も年齢を偽りたい衝動に駆られる。

 その理由は……やがて近づく「60歳」が怖いのだ。

 僕が子供の頃は50歳定年。60歳は老人だった。下手をすると、60歳で死んでも文句の言えない感じだった。その印象が強くて「60歳」が怖いのだ。

 まあ70歳まで働く時代になっているから「60歳」は鼻たれ小僧、と思うのだがが、それにしても出来れば「時間」を止めたい。「年齢」を止めたい。

 それに、である。

 「56歳」になると不利なことが起こる。

 僕の勤め先では56歳になると「役職定年」。噂では、仕事は昨日と変わらないが、給料が約30%ダウンする。「噂」というのは、怖くてコトの真偽を人事部に問い合わせる勇気がないのだ。

 想像するに、役職定年で「役職手当」がなくなるのだろう。先輩は「その後の生活が厳しいゾ」と脅かす。まあ、そうとなっても、あきらめるしかない。

 世間にはリストラにあって苦闘する人が多いのだから、文句は言えまい。

 昼ごろから「誕生日、おめでとう」という電話がかかってくる。HPの掲示板にも「おめでとう」の書き込みが相次ぎ、次第に浮き浮きする。(掲示板にお祝いの言葉をいただいた皆様、ありがとうございます)

 某女性から花かご(アレンジメントと言うのかしら)が届けられるに至って、喜びは頂点に達する。ミナズキ、バラ、モカラ……名前が書いてあるのがうれしい。

 誕生日も、いいじゃないか!

 夕方、友人、知人、それに若干の悪友、それほど親しくない人など計10人が「役職定年を祝う誕生会」を開いてくれた。

 どうも会合の名前が気に入らないが、まあ、いいか。

 一人一人、お祝いの言葉。最年長の競馬評論家、松沢俊夫さんは「俺は馬と会話ができる。一生懸命、馬の言葉を聞こうとすれば、馬も一生懸命、話すんだ。牧さんも頑張れ」と話してくれた。

 新聞記者として、しっかり巷の「声なき声」を聞け!という励ましだろう。肝に銘じる。

 家に帰れば、ケーキのプレゼント。友達って良いナ。

 所属する組織も大事だが、友人は僕に取って一番、大切な存在だ。

 「年齢」はもちろん、何事につけても嘘をつかないこと。これが少しづつ友達を増やす秘訣ーーなんて考えながら、56歳、最初の眠りについた。

<なんだか分からない今日の名文句>

人生、ちびり、ちびり





10月9日(月) 「準備」大幅に遅れる

 三連休の最終日。朝、結構、強い雨が降る。

 ようやく雨が上がると、午後6時には辺りが真っ暗になる。秋は早足だ。

 記憶では10月10日の「体育の日」は殆ど晴れ。東京オリンピックの開会式、僕が20歳になった日は全国的に快晴だった。それ以後「体育の日」は晴れ渡った。

 10月10日は11月3日文化の日と同じように“晴れ日”なのだ。

 その厳粛なる事実に目を向けず「体育の日は第二月曜日」なんかに変更するから雨が降るんだ。

 旗日の歴史を無視して、ただ“連休づくり”のために休日を変更するなんて、悪しき経済至上主義だ。

 それほど連休を作りたいなら、7日土曜日、8日日曜日、9日休日と休日に挟まれた休日、10日体育の日ーーにして4連休にすればいい。

 人生とは思い出だけ。

 あの世に金を持っていく訳にも行かないし、不動産を持っていける訳でもない。勲章を持っていく訳にも行かない。

 楽しい思い出だけが、あの世に持っていける。

 その思い出の日付けを勝手に変える奴は「人生ロマン」を忘れた馬鹿野郎。天は怒って、この3連休は雲が垂れ下がり、小雨が氷雨になった。

 仕方なく、という訳ではないが読書。

 森下節著「小説エノケン」(読売新聞社)を読む。

 昭和46年頃、雑誌「自由」に連載されたもので、やっと図書館で探し出した。

 僕の母の実家(今は僕の仕事場)があった東京・台東区柳橋にゆかりの人物が、その本に登場するというので、探していた。

 ザッと読んだ感想。

 喜劇人は「悲劇」とまでは言わないが、孤独の中に生き、孤独の中に逝くーー。

 有名になればなったで、どうしても「内面」が悪くなる。家庭崩壊。エノケンはその典型なのかも知れない。

 花柳界は、そんな淋しい男を支える女気がある。

 秋はHPで「柳橋物語」を書く、と宣言していたのだが資料が思うように集まらず、それに結構、野暮用が多く、執筆の時間が取れない。

 「準備中」と書いてはいるが、もう少し時間がかかる。

 お許しあれ。

<なんだか分からない今日の名文句>

胸のあかりも 消えるころ
みなと小雨が 降るように





10月8日(水) 王国のパーティー

 友人の作家・永倉萬治氏の急死で哀しい、やるせない週末を送った。

 7日夜の通夜では、焼香の時、つい号泣してしまった。彼は僕の戦友のような存在だった。

 彼の人柄、交遊については、多くの人に読んでもらいたいので「ここだけの話」に書いた(11日の毎日新聞夕刊、夕刊のない地域では12日朝刊、このHPでは15日更新。ぜひ、読んでもらいたい)

 野暮用を片付け、午後6時半から東京・ホテルニューオータニで社台ダイナースサラブレッドクラブの「会員の集い」に出席する。

 いわゆる「一口馬主クラブ」の一年に一度の集まりである。

 これまで、僕は5頭の「一口馬主」になった。

 最初のスカイアドベンチャー(牡)は8戦して一度、4着になったが、後は全て最後尾をドタドタと走って、サッサと引退した。

 大損だった。

 次のバブルカムフェロー(牡)は天馬だった。骨折で皐月賞、ダービーを棒に振ったが、4歳で秋の天皇賞を制覇した。「一口馬主としてこんな幸運、栄誉はない」と言われた。

 次はダンスダンスダンスの子(牝)。名前もつかないうちに腸捻転で死んだ。

 次のデリキット(牝)。現在5歳で現役。19戦1勝。「走る労働者」だが、一口馬主としては収支は合わない。辛うじて、飼い葉料は自分で稼ぐ程度である。

 リングレット(牝)。4歳。血統の良さが出ないで、未だ1勝。牧場に放牧中だが、これは晩成型。密かに期待している。

 そうそう、5頭の他に、この夏の応募でバブルガムフェローの子供が抽選で当たった。都合6頭が正しい。

 で、儲かったか?と聞かれれば、バブルのお陰で儲かっている。が、それも底を尽く。

 多分、一口馬主は儲からないのだろう。

 浅草橋のIさんは一口馬主20年。通産成績70勝。この成績は垂涎の的だが「結局、損している」と笑って話す。

 「損した」と笑えるから道楽。お金持ちの個人馬主の一部に「馬主経済を支える賞金」の値上げを要求する動きもあるようだが、競馬は「たまに儲かるから美しく、結局、損をするから美しい」のだ。

 パーティは参加者2000人。芋を洗うような会場で、知人に会うのが大変。

 社台3兄弟が「次々に種牡馬を世界から買い求め、しゃにむにやって来た。これからも、良い種牡馬を探す」と挨拶したが、実は今年、社台の馬が、繁殖牝馬を妊娠させたのが3000頭を越えている。

 日本で生まれるサラブレッドは一年にザッと9000頭だが、その内1/3が社台の血と言うことになる。

 社台は既に王国だ。

 会場で河野洋平外務大臣に会う。

 「ところで、森さん後はどうなるの」とズバリと聞くと河野さん「森さんの後より、ダービー馬の方が興味がある」と一言。

 現時点では、河野さんの愛馬に、正直言ってダービーを勝てる馬はいない。

 本人が総理大臣になる方がまだ可能性がある。

 党高政低ーーつまり自民党の力が巨大で、政府の言い分が通らない昨今、外務大臣は軽く見られているが、国によっては「次は河野」と見る向きもある。

 社台だって20年かかって王国になった。

 河野さんにも、思わぬ道が開けるかも知れない。

<なんだか分からない今日の名文句>

slow and steady





10月5日(木) 松茸の匂い、闘いの臭い

 仕事場に近いJR浅草橋。東口を出ると江戸通りである。北に行けば浅草。南に行けば日本橋ーーという位置関係にある。

 東に4、50メートル行くと、何やら「匂い」を感じる。いい匂いだ。

 何だろう。

 どこから匂うのか。鼻の大きく開いて嗅いでみる。

 どうやら松茸の香りである。どこに松茸があるのか?

 必死で探した。

 あったあった。一本120円の松茸!

 妙だぞ。そんな安い松茸なんてあるはずがない。

 松茸を売る店をよくよく見ると、そこは八百屋ではない。

 造花問屋。この店では「匂い入り松茸の造花」を店頭で販売しているのだ。

 松茸の造花が並び出すと、人形、造花の問屋が立ち並ぶ江戸通りに秋がやって来る。

 今朝、リハビリに向かう途中、同級生の実家の造花問屋を覗くと、もうクリスマス用品一色である。一年は早い。

 リハビリの「たいとう診療所」では「新しいドクターが入るらしい」という噂で持ちきりだった。

 2年半前に開業した診療所は、この界隈で評判の医療機関になって、いまや千客万来。内科、リハビリの今井ドクターだけでは、とてもさばき切れない。

 何しろ「3分問診」で済ます大病院と比べ、今井ドクターは時間を惜しまず、患者の相談に乗る。

 往診、在宅リハビリが中心だが、火木の午前中だけ外来。これが混んで混んで。僕は火木の外来リハビリに通うのだが、3人いる療法士はいつも汗だくだ。

 そこで、新しいドクターが来る。

 年老いた患者は「これで今井クンの負担が軽くなる」と喜ぶ。彼はまだ30代。お医者さんを我が子のように思うのだろう。

 そこで、どんな先生が来るのか?

 若いキリッとした二枚目らしい、という説もあるが、どうやら競馬好きの女医さんらしい。

 話が合いそうな気がする。

 リハビリの帰りに副編に事務連絡の電話。

 「つい肩に力が入って」と昨日の日記の書きっぷりについて、言い訳すると「確かに今日のは力が入ってましたね。こっちも身が引き締まる思いです」とからかう。

 昨日の日記で、サンデー毎日の仲間に「命がけで巨悪と渡り会っているのか」と書いたのは、幾分、行き過ぎだったかも知れない。「二度と書かない」と言うと「いやいや、ドンドンやった方が……」と副編氏、励ましてくれた。

 ありがとう。

 お世辞が言えない性分。悪いものは悪い、というのが江戸っ子の気性。副編だけは、この辺を分かってくれる。

 午後、今、問題になっている「横浜新税」のことを勉強する。

 財政逼迫の横浜市が新税を作って、JRAから10億円の税金を徴収しようとしている。

 不景気が長引くと、権益を奪い合う闘いが始まる。

 特定の法人、個人をターゲットにして税を取る手法はいくら「地方分権」を理由にしても「暴挙」に思えるのだが……。

   8日の日曜朝8時20分のTBSラジオ「牧太郎のザ・コラム」で僕の意見を述べようと思っている。

<なんだか分からない今日の名文句>

正宗で薪を割る





10月4日(水) 特ダネとは

 火曜の夜か、水曜の朝に「週刊文春」と「週刊新潮」を読み比べる。二つとも良質な週刊誌だから、読み比べて行司のように誌面の“勝ち負け”をつけるのが楽しい。

 今週は「新潮」の勝ちである。

 「新潮」のトップは昨年9月25日土曜日、亀井静香代議士と逃亡中の許永中が修善寺温泉の某高級旅館で密会していた、というスクープ。

 微に入り細をうがつ。とにかく詳しい。

 とても捜査当局のリークがなければ、そこまでは書けない。誰がリークしたのか?  これだけのネタがありながら捜査が進展しない。この現状に業を煮やした捜査員が「新潮」に極秘情報を流した、と見るが、どうだろうか。

 もし、それが当たり!ということになると、水面化で進んでいた「亀井さんと許永中の犯罪的ダック」は結局、捜査対象にならなかった、ということなのか。

 まあ、リークであれ特ダネは特ダネ。見事である。

 「文春」のトップは、どちらかと言うと「恥ずかしい部類のスクープ」と言って良いだろう。

 「鳩山由起夫の不道徳な略奪婚」。

 何しろ話が古る過ぎる。それより鳩山由起夫が「週刊誌のトップ」を飾るスターなのか? 甚だ疑問だ。

 失礼だが、政治家としてのバイタリティに欠ける彼をトップニュースにする感覚が、とても理解出来ない。

 これは「誰も知らない、そして誰も知りたいニュース」という週刊誌道に反している。

 「あの人はいま」風の短信を寄せ集めて、毎週毎週、何とか凌いできたツケのよう なものを「文春」に感じる。

 どうしたんだ!「文春」!

(僕の古巣・サンデー毎日はさらに出来が悪い。その古巣の体たらくを無視して「大文春」にケチを付けるのはおこがましい。が「文春」には世の中をアッと驚かす潜在能力があるから、あえて文句をいうのだ)

 「文春」は多分、今週は売れないと思う。

 週刊誌は「売れてナンボ」だ。

 夕方、勤め先の毎日新聞ホールで「新聞協会賞・受賞記念会」に顔を見せる。

 受賞した「片山隼君キャンペーン報道」は、すばらしい仕事だった。

 1998年2月、隼クンの母親から毎日新聞に手紙が届いた。

 その前年11月、隼クンは東京都内でダンプカーにひき逃げされ死亡した。ところが、運転手は不起訴。東京地検はその理由も明らかにしない。

 手紙は被害者の遺族の怒りだった。

 この手紙に着目した毎日新聞社会部の江刺記者は、徹底的な調査報道に着手する。
そして、彼の正確な、被害者の立場に立った記事が世論の後押しを受け、地検は再捜査する。

 調査報道と世論の二人三脚。素晴らしいキャンペーン報道だった。

 パーティには読売、朝日のライバルからも、祝電が舞い込んだ。

 久しぶりに、まっとうな審査で、まっとうな記事が評価された。

 このままでは、新聞協会賞は汚れた「レコード大賞」になってしまう寸前。協会賞は生き返った。

 うれしい。

 このキャンペーン記事は地味なものだった。

 だから、素晴らしい、と思う。

 週刊誌は「売れてナンボ」。

 新聞は「売れなくてナンボ」。

 売れる、売れない、と関係なく、地道に事実を掘り下げる。僕には出来ない、後輩の武士道のようなものがある。

 新聞って良いな。

 でも「売れてナンボ」の週刊誌もいい。

 これはメディアの役割分担。

 新聞協会賞、最多17回受賞の我が毎日新聞は業界1の安給料。それも、またいい。武士道のようで良い。

 ちょっと文章が興奮気味なのは、久しぶりに美味しいお酒を飲んだからだろう。

 酔ったついでにからむ。

 我が愛するサンデー毎日は命がけで巨悪と渡り合っているのか。

 そう言えば、何のことだか、分かるはずだ。

 悪酔いしそうなので眠る。

<なんだか分からない今日の名文句>

ごまめの歯ぎしり





10月3日(火)「M・bis」で立ち飲みワイン
           そして、素晴らしき特ダネ


 10月に入ってから、ぐずついた空模様が続く。

 枕元に置いてあった「JR・EAST10月号」のページを開くと「奥多摩には妙な地名が多い」という話が載っていた。

 たとえば「雲風呂」「雨降り」「下り」ーー霧が溜まる、奥多摩の山あいに3つ並んだバス停。妙な地名ばかりだ。

 「風呂に雲が出て、じきに雨がふりだし、天気が下り坂……」。

 泉麻人さんが3つのバス停をこんな風に絵解きしている。

 何となく、今の日本……少なくても、ことしの10月は「雲風呂」のような空だ。

 朝、スポニチの「おけら街道」を書き上げてから出社する。

 午前中、勤め先に来客2組。ともに「力になってくれ」という注文。どちらも難しい問題で、僕の力ではどうにもならないが、依頼者の誠意・熱意がわかるので、精一杯、協力するつもり。が、果たして、結末はどうなるか。景気が悪くなると、権益の奪い合いになる。

 お客さんを送り出すと、やっと晴れ間が出た。

 仕事が一段落して、自動車免許の更新で警察署へ。そのついでに、生後一ヶ月の優之介の顔を見に行く。

 夜が更けて、市川市の真間山弘法寺に通じる大門通りで「ワインの立ち飲み屋」を発見する。

 武蔵屋酒店のお嬢さんが始めた「多分、千葉県では初めてのワイン立ち飲み」。
(ひょっとすると、日本初?何てことはないとは思うが、僕は初めて経験)  グラスワイン150円からで、会社帰りのOLで賑わっている。

 新橋、神田の日本酒立ち飲みとは、雰囲気がまるで違う。自慢じゃないが、市川は「千葉の鎌倉」。めちゃ洒落ている。

 店の名前は「M・bis」。

 Mは武蔵屋のM。bisはフランス語で「アンコール」とか「同じ番地の2番目」という意味らしい。

 要するに「武蔵屋の2番目」。

 秋の夜長に、立ったまま赤ワイン、なんて……。

 仕事場に帰ると、メールで特ダネ通報。

 「舛添要一さんの母、ユキノさんが亡くなった翌日、彼の奥さんに娘さんが生まれた」 赤ちゃんの名前は「果連」。(未確認情報だが、彼の親友の情報だから信用できる)

 カレン?可憐?

 洒落た名前じゃないか。

 お母さんの生まれ代わり、なんて、いかにも日本的な発想も許される秋の夜長だ。

<なんだか分からない今日の名文句>

花は根に帰る





10月2日(月) 海の見える墓

 朝、文藝春秋のグラビアコラムの取材で東京駅周辺。

 いったん仕事場に戻って、喪服に着替えて、午後2時から湯河原の宗徳寺で政治評論家・舛添要一君のご母堂、ユキノさんの告別式。

 仕事もあったが、母思いの彼のこと、落胆が見えるようで、式に出ると言うより「激励」の意味で参列した。

 彼とは政治評論の仕事とは全く無縁で、単に競馬馬鹿同士という間柄。辛口の評論で敵無しの彼だが、こと、競馬のことになると、だらしない。

 馬券がはずれたり、自分の愛馬が負けたりすると、ひどく落ち込む。そして、何故負けたかを長々と言い訳する。そこが、愛らしい。

 そんな「落ち込む姿」をいつも競馬場で見ているから、母を亡くした彼はひどく落ち込んで、再起不能、と想像した。僕も4年前、母をなくした時は一晩中泣きじゃくった。

 まして、要一君は痴呆症になったユキノさんを自ら介護した親孝行。 泣きじゃくっ ただろう。

 彼に会ったら、何て言おうか。言葉を探したが、名文句が出てこない。

 宗徳寺は海の見える高台にあった。

 福岡出身の舛添家の菩提寺が湯河原にあるのは、おかしいと思い、石屋さんとおぼしき人に聞くと「奥さんの実家がこの近く。奥さんの実家の寺というのではなく、舛添家の菩提寺と宗旨が同じ寺を探して、新しい菩提寺にした」とのこと。

 その事を聞くと、悪童?の一人が、彼の華やかな女性遍歴に触れ「奥さんが、逃さないように寺を用意したんじゃないか」と冗談を言った。

 そこに彼、登場。やはり元気がない。

 「このたびは……」と言うしか、言葉が浮かばない。

 焼香のとき「がんばれよ」と声をかけたら「ウンウン」とうなずいた。

 森自民党総裁、橋本竜太郎衆院議員、高橋JRA理事長などの弔辞。浜田卓二郎さ<んの姿も見える。

 宗徳寺の墓地から太平洋が一望。小雨が降っていたので見えなかったが、初島、大島が浮かんでいるらしい。

 お母さんに「海の見える墓」をプレゼントしたかったのだろう。

 腹が減ったので、出光スタンドの前にある「味の大西」でラーメン。650円。美味。客はあふれるほどだが、マスコミで有名にならないのは、オヤジがテレビの取材を断っているかららしい。

 社に帰ると、例の立ちション野郎が社の処分も終わりようやく出社。久ぶりに仲間数人、輪を作ってゲラゲラ笑う。我が勤め先も、もとに戻った。

 夜、たまちゃんとオデンでも食べよう、と思ったが、原稿がたまったので延ばす。

 そろそろ、日本酒がうまくなるか。

<なんだか分からない今日の名文句>

母望の人





10月1日(日) 菅直人、どこか妙だ

 今日から10月。

 一年で、もっとも活動的になる季節(でありたい)。

 と言っても、別に用事もないので家でゴロゴロする。

 西武・松坂の彼女とは、どんな女性なのか。長島監督も可愛がる女子アナとは?

 好奇心のなせる技、近くの本屋に行って、隠密デートをスクープした「フライデー」を購入し「松坂大輔の朝まで10時間」を熟読玩味した。

 ウーム、松坂クン、ようやるじゃないか。なかなか肉感的な美女である。

 10時間の逢瀬を楽しんでいる間に、球団所有の車が違法駐車でをレッカー車に持っていかれるところなんて、傑作だ。

 おもしろい。めちゃ、おもしろい。写真誌はこうでなくっちゃ。

 だけど、嬉しゅうて、やがて淋しい週刊誌。

 徹底尾行して決定的写真を取ったカメラマンに「良くやった!」と誉めたい気持ちだが、読み終え、しばらく経つと「スクープ?……だからどうなんだ」と言う気分になる。

 誌面を作っている編集者も、どこか淋しくなる。カメラマンは、もともと淋しいだろう。週刊誌って、とっても淋しいメディアなのだ。

 終わりの方のページに「朝日新聞記者が立川支局に飛ばされた」という記事があった。

 不倫騒動で「ニュースステーション」から姿を消した“ご意見番キャスター”が、 一年半たって立川支局に転勤になった、というニュースである。

 ヘェー、そんな人、居たっけ? と言うぐらいのニュースである。

 でも、政治部記者が社会部に移ると「飛ばされた」ことになるのかしら。これはちょっとおかしい。

 若いとき、社会部から政治部に移るように言われた時、僕は「社会部を出ろというんですか」と食ってかかった。当時の社会部長(ちょっと前までスポニチの社長)森浩一さんから「人事異動に文句を言うな!」と一喝され、泣く泣く政治部に行った。

 結果的には人脈も広がり、政治部に行ってよかったのだが、僕は社会部の方が性に合っていた。

 だから、政治部から社会部に「飛ばされた」という表現は正確でないように思う。

 それはそれとして「ご意見番キャスター」がテレビの人気者になった時分、なんとなく「妙だ、妙だ」と思っていた。イヤに正義感ぶっているのが、妙だった。

 噂では、日頃は朝日風こわもて取材。その癖、政界の大物(例えば、小沢一郎さんとか)にはペコペコ。テレビでは正論をはく。

 そのアンバランスが妙だった。

 政治部特有の権力志向、隠微なテレビの権力志向が身に付いた彼に、社会部立川支局は人間性回復のリハビリ道場になるはず。断じて「飛ばされた」訳ではない。

 ここには「庶民」という名医がいる。

 街ダネこそ記者の原点ーー何って、生意気にも、彼に言いたい気持ち。僕の方が年齢が上なので、生意気を言っても許してくれるだろう。

 昼すぎ。永田町の友達から電話。

 「菅直人、ちょっとおかしいと思いませんか?」

 確かに。

 例の28日の衆院予算委員会で、菅さん「義務教育が、子どもは学校へ行き、親は子どもを学校へ行かせる義務だという認識は基本的に誤っている」と発言した。

 不登校が増えたのは学校に問題がある、と言いたいのだろうが、あまりに「受け」を狙った妙な意見だ。

 学校のない社会はない。

 気のきいた発言で、テレビにチヤホヤされすぎた菅さん。「受け」を狙って屁理屈を並べている。

 テレビ、新聞に「受けない」と、いつかマスコミから消えていきそうな恐怖感があるのかしら。

 この種の発言が飛び出すとなると……政治家・菅直人が心配だ。

 “ご意見番キャスター”と同じように、とは言わないが、そろそろ、お里が……。

 10月は、どんな季節になるのかしら。

<なんだか分からない今日の名文句>

誉め手千人、悪口万人