編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2003.1月
1月30日(木) 病院はNO、大学はOK?
28日夕刊の「ここだけの話」で、大学の株式会社化は教育の差別になりかねない、
と書いた。タイミングが良いのか、悪いにか、文部科学省は29日、構造改革特区で株
式会社の教育分野への参入34件を認めた。
何から何まで株式会社を否定する気持ちはないが、不登校拒否児を対象にした株式会
社などは国の仕事としてやって貰いたい。
株式会社は株主に配当するのが主たる目的だから、当然、営利ばかりを考える。それ
で良いのか。
しかもNPO(特定非営利組織)はすべて駄目。理解出来ない。
これに対し、厚生労働省は「収益性の高い医療分野に集中する恐れがある」という理
由で病院の株式会社を認めない、と決めた。改革理念の不統一?
午後、街ダネ取材。日本橋「海苔とお茶の山本山」で、お茶と人形焼きのセット(3
00円)を注文。お茶が何度もお代わりできるので評判だという。確かにうまい。でも
、創業元禄3年のお茶やの店員が「喫茶店の呼び込み」をするには驚いた。
高島屋の脇で久ぶりに靴磨きを頼む。これも取材活動。600円。痛いけど、これも
取材費。その後、東京駅周辺の取材。
夜、長男が仕事場に来訪。不動産会社に勤める彼が、制作に参加した新聞広告が日本
経済新聞に載ったというので見せて貰う。「都心の生活スタイルを良い気分に変えてい
く」というキャッチ。すんなりした、ごくごく普通な言葉で良いじゃないか。それより
、壁紙?のイエローが良く出ている。
「でも、毎日新聞には載らないの?」と聞けば「2月7日に載る予定」。この広告、
各紙に載るようだが「それはどうも、ありがとうございます。ご贔屓に」と礼を言う。
世間話1時間。地下の下落で、都心のマンションを無理せずに住めるようになったらし
い。
ハンドルネーム「ひる」さんからメール。「トップぺージに工夫がない」というご指摘
。「だから2003年大予想の応募が少ないのだ」。
どうやって参加して見たらいいのか、分からない人が多い、と言うのだ。そうかも知
れない。
「2003年大予想」のキャッチを少し丁寧に書いて締め切りを少し延ばそう。
週刊誌の「危機の年金」「危機の生保」ものを熟読して11時就寝。
<何だか分からない今日の名文句>
改革、金で面を張る
1月29日(水) 榎本武揚と深川亭
日本海側、大雪。東京も強風。
アメリカ経済が落ち込み、金利の引き下げが予想される中で、2月上旬から金融庁の
特別検査が始まる。
平成14年の倒産数は19458件。「ことしはそんなものでは終わらない」という
経済記者もいる。
そんなことで、出社後は、若干の経済論議。
夕方、プレスセンターで夕飯。競馬関係者と意見交換。競馬の世界も、ご多分に漏れ
ず構造改革の嵐?
でも、お上に上納しているJRAと、補助金を食いつぶしている他
の特殊法人を同じように扱うのは、おかしい気もする。
トイレに向かう途中、同期の編集委員・岸井君とばったり。「今日も新年会」。この
ところ、彼、新年会出席のため、連日、列島を走り回っているらしい。人気者は忙しい
。テレビ出演もこなして、実に生き生きしている。ちょっぴり、うらやましい。同期が
活躍すると、こちらも鼻が高い。
意見交換をほどほどにして、急いで仕事場に戻り、NHKの「その時歴史が動いた」
を見る。榎本武揚が目指した「函館政権」を特集している。
榎本は日本ではじめて本格的な外交文書を読み、外交文書を武器に列強と渡り合い、
函館政権を「交戦団体」と認めさせた人物である。明治政権と同じように函館共和国を
国際的に日本を代表する政権として認知させた。
これまで五陵郭の戦いばかりがドラマチックに取り上げられ、彼の外交手腕に言及す
るものが少なかった。「その時歴史が動いた」は、はじめて「外交文書を駆使した指導
者・榎本武揚」を描いた。うれしい。もし軍艦が沈没しなければ、北海道は別の国にな
ったかも知れないのだ。
実は僕の実家「柳橋・深川亭」は榎本武揚と因縁があった。
三代目「深川や文吉」(明治になって姓を許され「牧文吉」・明治23年9月6日没
)は、両国橋の西詰で「割烹・深川屋」を営んでいた。その娘、牧とくは幕末、深川の
中村楼に嫁いだが、家運傾き、仕方なく、川向こうの両国で「小中村」を開いた。が、
そこで火災に遭い、文吉が死亡したのを機会に、とくは離婚。文吉の店を継いだ。この
時、屋号を「深川亭」と変え、両国橋西詰から現在、僕が「仕事場」にしている「柳橋
代地」に店を移した。
新しい店は江戸落語にしばしば登場する料亭「川長」があったところである。
さて、函館戦争に敗れ、榎本は明治政府に降伏して江戸(東京)に護送される。死刑
を言い渡されることを予想するが、函館戦争の明治政府軍の大将・黒田清隆が「潔い敵
将」の恩赦を申し出てた。彼の外交手腕を高く評価したのだ。明治五年恩赦。浅草の菩
提寺「昭天寺」に親戚預かりになる。(後に墨田区の梅若公園近くに引っ越す。今の東
武線「鐘淵駅」から徒歩10分。そこに彼の銅像がある)
自由を取り戻した榎本の元に、かつての知り合いが集まり「江戸っ子會」が生まれた
。その主たる会合の場所になったのが「深川亭」だった。
現在、柳橋で現在、ただ一つ残っている料亭「亀清楼」は伊藤博文ら薩長の政治家が
贔屓にしたのに対し「深川亭」は江戸っ子が集まる店で有名だった。そのシンボルとし
て「江戸っ子會」と榎本武揚が存在した。
薩長の官僚は我がもの顔で、芸者衆に悪さをして、新聞に書かれたこともあったが、
江戸っ子は、そんな野暮はしなかった。
牧とくと榎本武揚に特別の関係があったかどうか、定かではない。
榎本は第1次松方正義内閣の外務大臣をつとめ、明治41年、73歳でなくなってい
る。「深川亭」は、その後、「とく」の弟、牧文次郎(僕の祖父)が洋書「日本橋丸善
」の番頭を辞め「とく」を助け、文次郎の次女・きみ(僕の養母。実母・文の姉である
)が「とく」の後を継いだ。
養母きみは「イナダイはお断り」と言って、戦後も田舎代議士は座敷に入れなかった
。そこには「とく」以来の、薩長の政治家、官僚を嫌う江戸っ子の意地があったからだ
。榎本の流れが脈々と続いている。
それと関係があるかどか、はっきりしないが、僕の実母・文は函館出身の小林春吉(
日本魁新聞の創始者)と結ばれた。函館は何故か縁の深いところ。僕の長男はわざわざ
、函館の教会で結婚式を上げた。
さて、東京地裁、オウムの中川智正被告に死刑求刑。どうしてオウム裁判は遅々とし
て進まないのか。
<何だか分からない今日の名文句>
江戸っ子は五月の鯉の吹き流し
1月28日(火) 急げ!大予想
朝、たいとう診療所。風邪も直り、血圧も安定した。寒いけど晴れ渡って良い気分。
出社後、気分が良いので、街ダネ探しに日本橋、堀留方面を歩く。掘留は衣類問屋の
街。座敷の事務所にソファーを置く昔ながらの老舗が並ぶ。
三越の山口展で河豚を買おうと思ったが、お値段が当方と意見が合わず、880円の
穴子寿司にする。美味。でも、去年よりお客さんが少ないような気がする。物産展を
やれば儲かる……の神話にもかげり?
Jr.からメールで「2003年大予想」の中間応募情報が来る。参加者125人。出
足が悪い。
去年と比べると4分の1。「二代目魁」のアクセス件数は変わらないが、何か、原因
があるのだろう。
推測する。
(1)結果が出るのに1年もかかる。競馬なら2,3分で結果が出るのに(2)設問
が魅力的でない(これは編集長の責任)(3)前回、基礎的なミスで表彰することが出
来なかった。裏切られた人がいた(4)掲示板のメンバーが幾分、固定化して「二代目
魁」を読む人に参加意識が少なくなっているのかーー。
ゆっくり分析するか。個人WEBの限界のようなものにも繋がるようなことかも知れ
ない。
それはともかく、大予想は年中行事のようなもの。僕の日記を読んでくれる人は全員
参加していただきたい。
参加数が多ければ、時代の雰囲気がより正確に捕らえる事もできるから。
アゴアシ取材
浜崎あゆみが生意気だ、という噂を耳にする。常識はずれの我が儘。それを誰も諫め
ない。
芸能マスコミがだらしない。一部の芸能記者仲間から「アゴアシ付きの同行取材に自
己規制すべきだ」という声が上がっているそうだ。当然である。
スポーツ新聞が「○○、北京で大人気」と報じてもアゴアシ付きのご用芸能マスコミ
の報道では誰も信じない。スポーツ紙の読者離れの一因かも知れない。
アゴアシ無用。必要があれば、当然、自腹でついて行けば良い。必要なければ取材す
ることもない。
今では自民党幹事長の同行をしない大新聞もあるのだから。もっとも山崎さんに影響
力を感じない人が増えた証拠だと思うけど……。
<何だか分からない今日の名文句>
ご用記者はご無用記者
1月27日(月) 冷戦崩壊が朝青龍を生んだ
朝、新聞を見ていたら、初場所は外国力士が5階級を制覇、とある。
幕の内最高優勝はモンゴル出身・朝青龍。続いて十両優勝は朝赤龍。これは四股名で
分かるだろう。青鬼、赤鬼に見立てた兄弟弟子。もちろんモンゴル出身。
さて幕下は黒海である。グルジア出身である。続いて三段目・時天空。モンゴル出身
。序の口優勝は琴欧州。ブルガリア出身である。日本人力士で優勝したのは序二段だけ
である。
言いたかないが国技ではない。大相撲は他国技だ。
何故か、理由は幾つもあるが、多分、一つは東西冷戦が終わったこにあると思う。
「東」(社会主義)の国々は1992年前後に市場経済に移行した。そこで、当然、
貧富の差が歴然とする。モンゴルでは、厳冬季にマンホールで暮らす「マンホール・チ
ルドレン」が生まれた。「東」は食えない。
貧しい「東」の若者がたらふく飯が食べられる日本の角界を目指した。
ハングリーが力。東西冷戦構造が崩壊したから横綱・朝青龍が生まれた。
こんなことを念頭に世界週報に寄せる「これじゃ、他国技」を書く。
午前中に書き上げようと思ったが、ずれ込み、午後2時になる。気がついてみると窓
の外は強い雨。昼飯キツネうどん。
考えれば、東西冷戦が終わったことが、すべての混乱に起因している。
もう一つの混乱の要因は中国である。
デフレ克服のためにインフレターゲットを!と唱える人が多いが、中国という「人件
費20分の1」の大国があれば、競争国・日本のデフレは収まらない。デフレは中国と
いう「超安値商品」がある以上、デフレは克服できない、と思う。「元」に対する「円
」の価値が変わらなければデフレは収まらない、と思えてならない。
この辺りを小泉さんも、竹中さんも考えているのか。午後5時、赤坂プリンスでJ
RA賞授賞式。競馬サークルの同窓会のような感じ。
実は新潟時代の親友・宗ちゃんが発行人を勤める週刊Gallopが馬事文化賞を受賞した
。彼も出席しているはずで会場を探したが、別の会合に行ったらしく、会えずに残念。
それでも、30人ぐらいの人と談笑。楽しかった。
何人かの人から二次会を誘われたがすべて辞退。雨が強くなると、ネオンが気分的に
遠くならざるを得ない。
仕事場にもどり「ここだけの話・民営化の安売り」のゲラ直し。「国家理念なき民営
化」にうんざりする気分を書いた。
雑誌「Decide」に興味ある論文?「胡の中国」があったので、熟読。11時には寝る。
<何だか分からない今日の名文句>
すべては「元」と「円」
1月26日(日) 何でも「民営化」?
前日の「競馬有識者懇談会」で民営化の話が出たらしく、24日(金曜日)の朝日新
聞に「農水省、民営化検討」という記事が出ている。
「検討」と書くには民営化される可能性がかなり強い、と判断したのだと思うが、良
く読むと、そんな話も出た、という程度。果たして「検討」と改めて書く必要があるの
か。もともと、組織形態を議論する場なのだから……。
ギャンブルは「刑法の特例」として認められている。そう簡単に民営化することは出
来ない。法体系を直す必要がある。もし、民営化するとなると、JRのように分割民営
化する必要に迫られる。JRA東日本、JRA九州……と主催者が異なることになり、
ファンが分散する。しかも、民営しても馬券税は10%。果たしてファンに取って、馬
券は安くなるのか。
新幹線代が高くなったのと同じだ。
どうも競馬を知らない人が書いている感じもする。
昼、前からの約束で、プレスセンターで競馬関係者と昼食。官僚としてはフットワー
クの良い方で、色々な意見を聞いて、彼なりの結論を出す、というタイプ。ざっくばら
んに現況を説明し、意見を求められた。
25日、八王子市「大学セミナー・ハウス」で大学職員セミナーを取材。大学が倒産
する危機の中で、国立大学が2004年4月には独立行政法人になる。
「国立」の名前は残るが、職員は民間人に近くなる。
その”覚悟”を取材したかった。御手洗次官の講演は整理されているので、この問題
を勉強するには都合が良かった。快晴で武蔵野の面影、満喫。
メールで八千代市長選に毎日OBの尾崎さんが立候補するという知らせ。投票日は2
6日だと言うので、掲示板にお知らせを書く。多くの毎日OBが「二代目魁」を読んで
くれているらしく、こんな情報には好都合。
最近、記者出身の立候補が目立つけれど、どうなんだろう。人によっては「大学に教
授として再就職するのが難しくなったから」と分析する人もいる。
26日は資料整理。
いよいよ、対イラク戦が始めるのか。
夜、NHKスペシャルで「ヘッジファンドの実態」を見る。NHKはカネがあるなあ
、という実感。ヘッジファンドが戦争の黒幕?という推測。
いずれにしても、この一週間が世界を動かす気配。
<何だか分からない今日の名文句>
金が仇
1月23日(木) 池ブン天皇、逝く
午前中はテレビの国会中継。「対決国会」という触れ込みで、少しはお客さんを唸ら
せるのか。衆院予算委は楽しみだった。
菅さん、21日夜にスタッフとホテルに泊まり込み、作戦を練った。その結果「これ
しかない」と挑発戦術を取った。それが、小泉さんの「(公約違反は)大したことは
ない」の失言?を引き出した。まあ、座布団一枚!。
それにしても、小泉さん、答弁が投げやり。化けの皮が剥がせた、と見て良いだろう
。
午後、TBSで野暮用。続いてJRA六本木事務所で若干の取材。
知り合いの連絡で池ブンさんの死を知る。池田文雄さんは、日本テレビの「スター誕
生」の生みの親で、森昌子、桜田淳子、山口百恵、ピンクレディらを世に出した人物で
ある。
僕に取って出世作になった「芸能界ウラのウラのウラ」の取材で何度も厄介になった
。当時、池ブンさんは「天皇」と言われていた。彼が「スタ誕」で発掘した新人を芸能
プロに割り振る権限を持っていたのだろう。有望新人を手にした堀プロ、サンミュージ
ックが渡辺プロを猛追するようになった。
元々、事件記者だった僕は、はじめて芸能界という特殊部落?を取材したので戸惑っ
た。でも、怖いモノ見たさで、常識に捕らわれず平気で「天皇」を直接取材してしまっ
た。先輩の芸能記者に睨まれたものだ。
その挙げ句、池ブン天皇には触れて貰っては困ることをズバズバ書いた。多分「嫌な
奴」と思っただろう。
池ブンさんは日本テレビを退社された後も、美空ひばりのドーム公演などで異才を発
揮する。発想も、力も並外れていた。
テレビと芸能界を結びつけた異才の人。僕の記者生活で、記憶に残る数少ない人物の
一人だ。
69歳。早すぎる死だった。
<何だか分からない今日の名文句>
不透明は予想の醍醐味
1月22日(水) 隣にハゲタカ
風邪気味続く。熱はないが、胃腸の働きが悪いのか、やたらゲップが出る。だからと
言って寝てるわけにもいかない。
午前「競馬はロマン」を書き上げ、昼飯はJR浅草橋駅下のレストランでオムライ
ス。味が普通になったが、ゲップは出る。
1時過ぎ、知人来訪。極めて事務的な野暮用。
こんな世間話。「不良債権処理が目に見えるようになった。貸ビルを幾つも持ってい
る会社が次々にビルを手放し倒産するケースが目に付く」というのだ。
銀行の強い意向で、バタバタと倒産する。そして、ご存じハゲタカ。とても考えられ
ない金額で買い叩いていく。東京の中心部の10%ほどの土地が、すでに外資の手に入
っているのだろう。
不良債権処理は銀行を助けるが、企業を助けることは出来ず、結果的にハゲタカを太
らせる。日本はこうしてアメリカの州になるのか。体調不良が気弱にさせるのか。
しかし、税収が42兆円しかないのに82兆円の国家予算。ごくごく普通に考えても
日本国は崩壊している、と見るしかない。これは風邪とは無縁の観察だ。
「○○月危機、と言うが、危機は来なかったじゃないか」と小泉さんは言うけれど、
危機は局部的に現実になっている。危機慣れで判断が鈍っている。
生保の破綻が心配だ。金利が上がらなければ生保は破産する。金利が上がれば、企業
・銀行が潰れる。
人為的にインフレを起こそうとする向きは徐々に増えつつあるようだが……。
本当に先が見えない。
午後6時、ちょっと遠いところから親しい友人来る。前からの約束。年に1,2度ぐ
らいしか会えないから風邪に負けるわけには行かない。
彼が持ってきた苺大福を食べてから外出。浅草・仁丹塔があった辺りの「M」。
ここでも不景気の話、健康の話。それに定年の話。じめじめとはしないが、話題が色
っぽくない。
元気なたまちゃんに来て貰おうと思って、携帯で呼び出すと「帰宅途中です」という
つれない返事。まだ、9時だというのに。
そこへ、競馬評論家の阿部幸から携帯。「今、大勝館にいます」。大五郎命の阿部ち
ゃん、今日も元気で「大五郎参り」か。結構なことだ。
店を出ると意外にも寒く感じない。でも、明日(23日)は雪という予報。変わりや
すい。
<何だか分からない今日の名文句>
危機慣れこそ「危機」
1月21日(火) 大五郎とタケシ
身体の節々の痛み、治らず、たいとう診療所へ。高熱がないので、単なる風邪。薬を
貰う。単なる風邪でも、長引くようだ。
午後、仮眠。
小耳に入った話だが、例の15歳の女形・橘大五郎。タケシがメガホンを撮る作品に
重要な役柄で出演することが決まったらしい。
ちょっと取材したいのだが、風邪で気力がない。興味のある人、取材してくれ。スポ
ーツ新聞なら、それなりのネタになるはず。
夕方、来客一組。特定分野の意見交換。
夕飯。食欲はあるが、味がしない。ビールが本来の味でない。微熱があるんだろう。
午後8時、就寝。
<何だか分からない今日の名文句>
薬より養生
1月20日(月) 節々が痛い
市川の銀行で定期預金の更新を済ませて、JRA六本木事務所の記者会見を覗く。さ
したるニュースなし。
ちょうど、その頃、貴乃花、引退記者会見。これを見なきゃあ。堂々、として爽やか
だった。
ラビスタ新橋(競輪のWINS)に寄って、会員カードを普通会員から特別会員に変
更してもらった。
最近は、指定席がいっぱいで、普通会員だと入れないケースが多い。3連単が人気な
のだろう。
社にあがろうと思ったが、その頃から、身体の節々が痛くなった。疲労感がある。風
邪か?
そのまま仕事場に帰り、仮眠を取るが、むしろ、節々の痛みは増すばかり。日記を書
く意欲もない。寝よう!
<何だか分からない今日の名文句>
浮き世の馬鹿は起きて働け
1月19日(日) 寒中飲み会
金曜日、市川の銀行から「定期預金の満期が来たので、ご来店ください」という電話
。そんな預金、あったかどうか記憶にない。通帳を探す。必死で探す。約30分。やっ
と探し出した。
いつもの総合口座ではなく、まったく別の通帳に記載されていた。何故、別の通帳に
したんだろう。それに未だかつて電話で銀行から「満期」を知らせることはなかったよ
うに思う。しかも、その満期は昨年の8月ではないか。今頃、何故?
改めて当方から銀行に電話を掛ける。「通帳はあったが、どういうことか?」と聞く
。と「あの定期預金には優遇金利がついていましたが、今月でこの制度はなくなるので
来て欲しいのです」と言う。要するに銀行の勝手な条件変更なのだろう。
この間も別の銀行でヒットを解約したら、預け入れた金額より安くなってしまった。
金利より手数料が高くなったということ。銀行というもの、信用できない気分。
週末は市川で過ごす。
土曜日(18日)は次男一家が遅い新年挨拶にやって来る。新年早々、愛子が水疱瘡
にかかり、竜生にうつった。
近くに住む長男一家も呼ぼうかと思ったが、優之介にうつると困るのでやめた。
僕も3歳の頃、水疱瘡にかかり、いまだに鼻にハッキリと水疱瘡の跡が残っている。
若い頃「俺が女の子にもてないのは、この疱瘡が原因」と悩んだことがある。
「大丈夫か?」と聞くと、倅曰く、「最近の医学では、水疱瘡の跡など残らない」そ
うなら良いけど。
インフルエンザが九州など一部地域で大流行の兆し。A香港型のようだが、これに効
く抗生物質の生産が間に合わないらしい。お年寄りは気をつけなければ。最新医療も間
に合わなくては意味がない。
日曜日(19日)は中山競馬場。6戦2勝。ほんの少し浮く。それにしても中山は荒
れる。9レースの3連復、痛恨の1着4着。これは惜しかった。鼻差。もう1メートル
長かったら、○○万円儲けたのに。残念無念。
最終レースの後、親しい仲間5人が市川にやって来てくれた。遅い新年会。それぞれ
、アルコールを持参してくれた。
予報では雪が降りそう、と言っていたが、寒い。実は市川のマンションにはエアコン
がなく、ガスストーブが一つだけ。寒い。要するに酒で暖を取るしかない。
寒中飲み会。おでん、焼き鳥、そぼろ納豆。それに江戸家の寿司。誰が持ってきてく
れたか分からないが、能登の地酒が特別うまかった。
<何だか分からない今日の名文句>
酒は風邪予防
1月16日(木) 滝沢、惜しかった
朝、鳥越神社まで散歩。帰ってから「競馬はロマン」を書き上げ、新聞、雑誌を読み
漁る。
週刊文春には朝日批判、週刊新潮には読売批判。雑誌VS新聞の様相。
大宮開設記念競輪が気になった。愛する滝沢センセイがまだ勝てない。得意の500
パンク。47の競輪場で500バンクは7つしかない。4日開催で勝てないなんて……
応援したい。
午後、取材の合間に新橋ラビスタを覗く。9レース。3番滝沢。人気薄。渡会ー光岡
に人気が偏っている。ここは一番、滝沢の捲りだ。勝負!
ことし最初の競輪だ。勝つ、必ず勝つぞ! 車単でなくて車複。どうしても、勝ちた
いから、仕方ない。
滝沢センセイは気合いが入っていた。並ではなかった。直線、藻掻いた。引っ張って
くれた佐藤まではじき飛ばした。勝った、と思った。が、2番の松本を捕らえなかった
。2着。惜しかった。惜しかった。でも、車券はバッチリ。
滝沢センセイにお年玉を貰った気分。うれしいじゃないか。180円コーヒーを飲み
ながら、ズボンのポケットに押し込んでいた「年玉」を財布にしまう。至高の一瞬。実
は最終もバッチリで、財布、膨らむ。
夕方、JRA六本木事務所。某紙の若者から「牧さん、ファインモーションでしたね
」と言われる。僕が年度代表馬の投票でファインモーションに投票したことがバレてい
る。
強かった馬より「歴史に残る感動の馬」を選ぶのが僕の流儀。タニノに勝てなか
ったシンボリではなく、古馬を破って、有馬に出て、男馬にチャレンジしたファインモ
ーションに感動した。だから、この馬に投票したのだが、どうして知っているのか。
聞いてみると、誰がどの馬に投票したか、WEBで公開しているのだそうだ。知らな
かった。
開いてみるとファインを選んだのは3人。少数意見とは思ったが……(タニノが一票
、後はシンボリ)。
夜、Jrに夕飯をおごる。楽しかった。が、午後8時半に切り上げ、散歩が少なかっ
たので9時半頃まで仕事場の周辺を歩く。
どうしても、痩せない。
<何だか分からない今日の名文句>
記録か、感動か、王か、長嶋か
1月15日(水) ミサイルに載った生物兵器
東京専売病院で大山ドクターの検診を受ける。少し血圧が高い。寒いからなのか。
病院前にある例の美容院「ビューティーよし」でことし初めての散髪。パーマをかける。
ここ、昨年末「ここだけの話・美容院の世界」で紹介したカリスマの店?である。
「コラムに書く」と言えば「止めてくれ」と言われるハズだから、勝手に書いた。だ
から、書いたことを知らせなかった。彼がどう反応するか、若干、不安だった。「書い
ちゃったんだ」と言うと「お客さんが記事をもってきたよ。読んだよ。やられたな、とい
う感じだな」と満更ではない様子。一度も「新聞記者なんだ」と言っていなかったから
、ビックリしたのだろう。
彼、テレビ、雑誌の類の取材を断っていたので「書く」と言えば、匿名でも「NO」
と言うだろうが、まずは怒ってないのに一安心。
でも、奥方に文句を言われた。彼女のことに全く触れなっかたことにお怒りなのだ。
彼女、店を手伝っているが、あえて「内助の功」は書かなかった。どちらかと言うと
「夫婦鏡」みたいな美談的なことは書きたくない性分なので、奥方のことに触れなかっ
た。
しかし、これは誤りだった。聞いてみると、彼女の方こそカリスマ美容師。18
歳で美容院を開いた時、当時の新聞に大きく載ったのだそうだ。コンクールで優勝した
回数は奥さんの方が彼より上だったのだ。
33年前、結婚してからは、旦那さんの「下働き」に徹した。「下働き」はどうやら
パーマを巻く仕事のようなもので、ご主人に言わせると「下働きの腕が良くなければ良
い作品(仕事)が出来ない」そうだ。
これは広い意味で誤報。機会があったら、この夫婦のこと、どこかで書くつもり。
午後、出社。
博報堂、大広、読売広告社の経営統合の話が話題になっている。巨大な電通に対抗す
るにはこれしかないのか。読売が博報堂を飲み込むのか、またその逆か。毎日広告はど
うなるのか。
小泉さんの靖国参拝。掲示板でも話題だが、もうひとつ、小泉さんの真意が分からな
い。親しい論説委員の松田君に聞いても「分からない」である。
もしかするとロシア訪問で点数を稼げなかった小泉さん、話題を「靖国」に向けよう
とした「破れ被れ戦術」?なのか。
しかし、そんなことで「政権維持」を画策する前に危機管理を徹底して貰いたい。
この日記でも再三、指摘しているが「核生物化学兵器」によるテロが現実のものにな
りつつある。イギリスのことは書いたから、もう書かない。(最近、このことはマスコ
ミも取り上げることになった)
いずれにしても、英国は緊張している。
アメリカは天然痘ワクチンを2億8000万人分用意した。
北のノドン1号が100発、生物兵器を乗せて日本に向けセットされている、という
説には信憑性がある。脅しである。
「北は暴発しない」「米朝はイラクの後」と見るのが現時点では、常識的な分析だと
は思うが、思わぬ事態に備えることが国家だ。外交感覚を磨き、相応しい布石を打つの
が小泉さんの仕事ではないのか。
いずれにしてもアメリカ追随型のやり方をする以上、小泉さんには日本国民を守って
貰いたい。
日本経済をアメリカの「ハイエナ」に売り飛ばすばかりか、日本をテロの犠牲者にさ
れたらたまらないじゃないか。
靖国の参拝で小さな議論沸騰を狙うなんて……そんな時ではない。
<何だか分からない今日の名文句>
冗談は顔だけにしてくれ!
1月14日(火) 大貫さんの1億円
ことし初めての診療所。今井ドクターに新年の挨拶。風邪が流行っているらしい。「
ことしは喉と咳」だそうだ。
しばらくリハビリをさぼっていたので、行き帰りの町の変貌に驚く。あの洒落たレス
トランが姿を消していた。あんなに人気だったのに……多分、人件費と店の賃料でやっ
ていけなくなったのだろう。
逆にJR浅草橋界隈は「淡水パール」「半貴石」などを売る店が急増した。自分で飾
りものを作るのがはやり。大変な人気である。
午後、某君からの電話で世紀のスクープ?を知る。
「例の大貫さんが拾った一億円の持ち主が分かった、と週刊誌が書いているぞ。マキ
仮説とは大分、違うぞ」と言うのである。
1980年4月25日の夕暮れ、中央区銀座3丁目の道路をトラックで移動中の大貫
久男さんは、ガードレールの上に置かれた風呂敷包みに気づき、古新聞と思ってトラッ
クの荷台に放りあげた。
ところが、家に帰って風呂敷包みを開いてみると、何と1000万円の束が10個。
1億円である。
当時年末ジャンボ宝くじの一等が3000万円だから、今の貨幣価値にすると5億〜
10億円。それを大貫さんは拾ってしまったのだ。
あれは大変な事件だった。落とし主が見つからず、結局、大貫さんのものになった。
誰が落としたのか。届け出することが出来ないカネなのか。落とし主を探し出したら
「世紀のスクープ」になると真剣に考えた。
某君が「Yomiuri Weeklyが落とし主を見つけた、と書いている」。
さっそく、JR浅草橋の売店に走った(半身不随だから走れないけど、気分は「走っ
た」)。実はこの事件、興味があったので当時、密かに取材していたのだ。
Yomiuriの「大貫さん一億円事件 23年目の真実」には、こう書かれていた
。
この場所で、タクシーから降りた佐川急便の社員が、3つの風呂敷包みを他のタク
シーに積み替えようとした時、その一つを置き忘れた。風呂敷包みの中は3つとも1億
円。選挙が近い中堅国会議員に佐川清社長が献金するものだった。
この経緯は「顛末書」に記録されている、というのだ。
これは大変なスクープである。やられた。
実は、当時、必死で「落とし主」を探した。そして、一つの「仮説」を構築した。こ
れが「マキ仮説」である。
風呂敷包みが放置されたガードレールの近くに、ある建設・不動産関連会社があった
。この会社は当時、東京・浅草の国際劇場の跡地を中心に地上げを行っていた。その作
業を手伝っていたのが、「その筋のお方」である。
その日「その筋のお方」から、地上げ資金を持ってこい、と指示があった。
そして、運ぶタクシーに乗せる時にその莫大の地上げ資金の一つをガードレールの上
に置き忘れたーーというのがマキ仮説だった。
この「仮説」を裏付ける証言は幾つかあったが、確証を掴むことは出来なかった。某
君には「こんな話があるんだが……」と話した記憶がある。彼も興味を持ったのだろう
。
もちろん、記事にするようなことはなかった。考えてみれば、この種の話は、いくつも
あったのかも知れない。
佐川マネーだった、と言われると、これは説得性があるような気がする。
多分、大貫さんも、佐川さんも、亡くなってしまっているので真相が明らかになった
のだろう。
ちなみに「マキ仮説」の根拠になった地上げ地は、いま浅草ビューホテルになってい
る。
小泉さん、午後、靖国神社を参拝する。
なぜ、今、行くのか。外交面のマイナスを知りながら靖国に行くのには、それなりの
理由があるはず。
(1)抵抗勢力の古賀との取引
(2)第二の赤報隊的脅しがあった
(3)総裁選再選の狙い
色々なことが想像出来るが、いま、中国、韓国は大切な国なのに……理解に苦しむ。
<何だか分からない今日の名文句>
真実はやっぱり一つ?
1月13日(月) 角さんがいたら
成人の日。一年で一番多く、華やかな和服を見る日。
180円コーヒーの喫茶店でスポーツ新聞で「深作欣二死去」の記事を読む。72歳
の若い死。やりたいように生きると、破天荒に生きると人間、早死にするのか。
かつての愛人・荻野目慶子はどんな想いで訃報を聞いたのだろう。
喫茶店から帰って久しぶりに溜まった原稿に向かう。
まずはエコノミストに頼まれた書評。塩田潮著「田中角栄失脚」(文春新書)。
この本は昭和49年11月号に掲載された「田中角栄研究」(「立花隆・田中角栄の
金脈と人脈」「児玉隆也・淋しき越山会の女王」)が何故、生まれたか、何故、このス
クープが最高権力者を引きずり降ろしたかーーを執拗に取材したもの。
筆者の塩田さんは、以前、何度か、政治がらみの取材で会ったことがある。どちらか
と言うと、先方が取材されることが多かった。実直な方だ。その人柄が作品に良く出て
いる。取材が丁寧である。
「角栄と女」の企画は当初「女性自身」で企画されていたことを塩田さんは克明に記
録している。
その取材の中心だった児玉隆也に田中サイドは人を介して「企画の中止」を申し出た
。
その仲介に立った一人が、僕が厄介になった評論家・故戸川猪佐武さん。そのくだ
りは興味深かった。
戸川さんは「角栄の女・辻和子さん」の特集をつぶしにかかった張本人の一人と目さ
れているが、その通りだったと思う。戸川さんは「趣味は角さん」だった。
戸川さんが腹上死で亡くなった時、僕が角さんが読む弔辞を書いた。そのとき、中曽
根首相か二階堂進さんの弔辞をナベ恒さんが書いたように記憶している。
とにかく、戸川さんは角さんが命だった。惚れていた。
「女性自身」に圧力をかけたことも、生前、戸川さんから聞いたこともあるが、塩田
さんが書いていることと、若干、違うような気もする。が、それほど僕の記憶が確定的
なものでもないので、書評では触れなかった。
この本はジャーナリズム志願の若者には読んで貰いたいものだ。取材の奥行きが分か
る。
それにしても「角栄もの」が相変わらず読まれるのは、いまこそ「コンピューター付
きブルドーザー」が必要だ、と思っている人がいるからだろう。
それにしても小泉さん、こころもとない。
午後から「JR EAST」の頼まれ原稿。みのもんたのことを書く。
夕方、友人から電話。情報交換ということでもないが、石原慎太郎の動きがまた一段
と激しくなっているとのこと。
3月10日の都知事選立候補のタイムリミットに「都知事選、立候補辞退」をする。
そして新党……というのが一般的な見方だそうだ。
慎太郎ロマン。日本人にとってプラスか、マイナスか。
<何だか分からない今日の名文句>
真実は幾つもある
1月12日(日) 加藤!ぬけぬけと!
10日(金曜)は東京の三田会館で行われた「特別失踪者調査会」の立ち上げ記者会
見を覗く。報道陣が会場から溢れている。
一年前まで、この種の拉致被害者支援の会に報道陣は数えるほどだったのに。
記者会見のあと、横田めぐみさんの拉致事件を発掘した例の兵本達吉さんと会って、
久しぶりに竹橋(毎日新聞社)地下1階の「いろは」(寿司屋)で一杯。昨年秋、ドイ
ツで行われた「ゾルゲ国際シンポ」の模様などを聞く。
「正論の宗ちゃん、元気か?」と聞いたら「奴、産経新聞の取締役になったらしい」
知らなかった。宗ちゃんとは駆け出しの新潟支局時代の親しい仲間だが、このところ
ごぶさたばかりだった。お祝いしなければ。
土日は野暮用。
11日に加藤紘一・元自民党幹事長が地元で政界復帰宣言。冗談じゃない。秘書の脱
税、自らの政治資金流用が発覚して「社会的、政治的、道義的責任を取って衆院議員の
職を辞す」と表明。立件を免れた。これ、明らかに指揮権発動。地検の「東大閥」が「
議員を辞めれば立件しない」という約束があった、と見るのが自然だ。
辞めるということは少なくても、3年以上の謹慎だろう。執行猶予だって、普通「3
年」だ。なめるなよ。
平気で衆院選に立候補して、永田町に舞え戻るのだろうが、選挙民は一致団結して落
選させるべし!
小泉さんのロシア訪問。記者会見は「核」ばかりが、交渉の中心は「拉致」。これが
本題。徐々に内容が流れてくるはずだが、ロシア側は「しかるべき人物が金日正に直接
、2点について質した。1は拉致の事実、2は拉致被害者の安否。金日正は『拉致は事
実だが、拉致した人間を殺したことはない』とだけ言っている」と日本側に説明した(
と、推測出来る)
8人に関して「殺していない」と金日正が言うのなら大部分が生存と判断できるだろ
う。(死亡している人もいるけれど)
もちろん「5人の家族の帰国」についても、かなり突っ込んだ話も出た模様だが、明
らかになるにはかなり時間がかかるのだろう。
快晴続く週末。3連休。みんな、遊びに行っているのか掲示板が閑散としている。
<何だか分からない今日の名文句>
恥を知れ!
1月9日(木) 拉致疑惑40〜70人を救え!
朝、江戸通りを散歩。蔵前の造花屋に「おかめ」「ひょっとこ」「天狗」のお面がそ
ろった。節分ももうすぐだ。
両国界隈は初場所景気。片男波部屋から番付が送られて生きた。貴ノ花が出場決意。
午後、野暮用でTBS。終わってJRA六本木事務所にちょっと寄り世間話。スポー
ツ新聞が売れない、という深刻な話。
横田めぐみさんの拉致事件を発掘した兵本達吉さんから「今年から『その他』40〜
70名の拉致疑惑者の解明に取り組む。バックアップしてください。1月10日に会を
立ち上げる」との葉書が届く。
実は「家族がいなくなった。北朝鮮に拉致されたのでは……」という訴えが、現時点
で130件も存在する。その中には単なる「家出」もあるだろう。しかし、拉致された
、と疑うに足る証拠のあるケースが40〜70名はいる。ところが、今の政府、警察の
対応では、この「疑わしい人たち」を救い出すことは出来ない。
5人の家族、生存不明の8人の救出。その次には「拉致疑惑者」の救出である。
そこで「支援する組織」が是非とも必要なのだ。この「立ち上げ」は新展開だ。
兵本さんと連絡を取り「明日(10日)の発表には顔を見せる」と約束する。行く行
く、俺でも役になることもあるだろう。
福ちゃんが紹介してくれた浅草のスナック「M」(「隠し家」にしておきたいから「
M」にした。昔の仁丹塔のあたりにある、現役芸者が経営するスナック)。福ちゃんか
ら「ママが是非来てくれ、と言うから付き合って」と言われて、顔を出すと開店7周年
でお祝いだった。
日本にただ一人の「おんな幇間」幽玄亭玉さんの都々逸、浅草芸者の手踊り、吉原芸
者の太鼓……華やかなイベントである。手狭な店内でやるので、招待された客と芸者衆
がごった返しで楽しむ。これがまた楽しい。
玉ちゃんは、かなりの高齢者の芸人だが、色っぽい話をする。幽玄亭玉介の弟子だと
いうことだが、幇間というより俗曲の範疇のような気もする……。小さいとき、玉介さ
んは毎夜のように実家「柳橋・深川亭」に出入りしていたので、面識はあるが、弟子に
「おんな幇間」がいるとは知らなかった。別に詮索せずに楽しんだ。
吉原芸者の太鼓は立て膝で打つので色っぽい。見習い芸者の踊りはまるで女子高校生
のような初々しさ。目の保養?
それにしても、現役の芸者がこのご時世、7年間スナックを続け、それなりの繁盛。
奇跡に近い。
赤字覚悟のお祝いに、その秘密を見る思い。
午後9時半、仕事場に帰って雑誌類の整理。今日は原稿を書く時間がなかった。
<何だか分からない今日の名文句>
いつか忘れた浅草ごころ
1月8日(水) 猛毒リシン
大快晴。午前中「競馬はロマン」を書き上げ、午後、西武新宿線沿線の病院に入院し
ている知人の見舞い。暮れに大規模な手術をしたが、数日後には退院するまでに回復し
た。大変な精神力。凄い。
お見舞い客は僕を含め3組。人気者だ。
このあたり、雪が残っている。都心と比べるとかなり寒いのか。興味があるので、こ
の辺りのマンション、一戸建ての価格を比べて歩く。業者の“値付け”の工夫がよく分
かる。住宅デフレ?
帰りは、清瀬をまわり西武池袋線→地下鉄有楽町線で都心へ。
年末、日記で「ロンドンはテロの恐怖」というようなことを書いたが、現実にロンド
ン市内で、7日、北アフリカ出身の男6人が対テロ法違反で逮捕された。その内の一人
の自宅からリシンが押収された。この事件、それほど重大に報道されていないようだ。
リシンはヒマの実から抽出される毒素で最小致死量0・03ミニグラム。生物兵器に
なりうる。
以前、アル・カイーダの施設からリシンの文献が発見されている。事実上、イギリス
もテロ戦争に巻き込まれているのではないか。
やはり「戦争の2003」の様相は否定出来ない。日本はどうするのか。まったく戦
争に対する論議がないのが、気味悪いほどだ。
少し疲れたので9時過ぎには眠る。
<何だか分からない今日の名文句>
沈黙の責任
1月7日(火) 島倉千代子さんのサイン
朝一番で「おけら街道」を書き上げ、外に出て若干の取材。浜町まで歩く。お日様が
雲に入るとチト寒い。
今年の年賀状で、知人の生越孝さんは例の4文字熟語で2003年春を言い当ててい
る。
不況停滞(デフレはつづき)
日朝混沌(さきゆきみえず)
薄唇軽言(くちさきばかりで)
改革破綻(なにごともできず)
政財官界(どこをむいても)
朝縄暮蚊(シロウトばかり)
五穀豊穣(いつもながらの)
謹賀新年(しんねんおめでとう)
雲が晴れたと思えば、すぐ太陽がお隠れになる。
浅草橋で180円コーヒーを飲んでから床屋。午後4時、ラジオ日本のスタジオへ。
企画会社「セブン セラーズ」の小野君がプロモートしているラジオ番組「島倉千
代子と金子ひとみの歌はともだち」のゲスト。小野君はかつて掘プロで石川さゆりのマ
ネージャーをしていた。20数年前「さゆり密着取材」で厄介になったので「適当な人
がいないので、是非、出てくれないか」と頼まれれば断れない。それに島倉さんには興
味がある。ファンだ。
すっぴんの島倉さんは気さくな女性だった。
収録が終わってから「身障者仲間に島倉さんのファンがいるので、サインしてくれま
せんか?」とお願いする。
「サイン?ことしはじめて」と言いながら、一字一字、丁寧に「人生いろいろですよ
ね」と書いてくれた。
あとでスタッフに聞いてみると、右手に「障害」があり、リハビリをしているらしい
。サインはまずしないそうだが、知らなかったとは言え、無理を言ってしまった。
対談では、僕が19歳の時、名もない(インチキ?)レコード会社から「歌手になり
ませんか」と誘われた話をした。多分、来週の火曜日(1月14日)午後9時半に放送
されるらしい。
その後、JRA六本木事務所に新年挨拶。友人と東京駅近くで軽い夕食。
夜、書評を頼まれている塩田潮さんの「田中角栄失脚」をもう一度、熟読する。知り
合い作品だから、よけい神経を使う。
明日は全国的に晴れるらしい。
<何だか分からない今日の名文句>
年賀状に皮肉
1月6日(月) 土方歳三の言葉
柳橋の仕事場に戻って仕事始め。午前中は挨拶まわり。午後出社。
このところ、毎日の部数が増えているので、社内は活気がある。
「ここだけの話」のゲラ直し。2003年はじめての原稿なので……と思い、力を入
れてしまうと駄作になる。出来れば軟派で入ろう、と思いながら、つい「落ち」に力を
入れて、何となく野暮な原稿になってしまった。
ことしから夕刊のコラム欄に強力な助っ人が現れた。月曜担当の「夕閑コラム」の諏
訪正人大先輩。23年2ヶ月「余録」を書き続けた大先輩が「夕餉の味噌汁」のような
佳作を書く。6日はその新装開店。当分は大先輩のコラムに注目が集まる。まあ、僕は
、それこそ「流儀」が違うので緊張することもあるまい。
仕事場に来た年賀状を読む。1500通ぐらい。元気な昔より、知り合いが増えたの
か。うれしい。
「ここだけの話、読んでいます」と書いてあると本当にうれしい。誰も読んでいない
のではないか、落ち込むことが多いから「読んでるよ」の一言がうれしい。「二代目魁
を見ている」というのも急に増えだした。継続は力だ。
年賀状の文句には、いつも胸を打たれる言葉が隠されている。尊敬する木戸湊先輩(
勝手に当方が尊敬しているだけ)の賀状に土方歳三の言葉が引用されていた。
「籠城というのは援軍を待つためにやるものだ。われわれは日本のどこに味方を持っ
ている」
五稜郭籠城を拒否した土方の言葉である。そして戦死した。
木戸先輩は「より潔い人生を!」と書いていた。潔さとは何か。考える。
そして、もう一つ、素晴らしい賀状があった。山本祐司さんの賀状。障害者仲間の文
学サークル「ルパン文芸」を主宰している大先輩。賀状には「66歳の誕生日に脳梗塞
で倒れた」とあった。知らなかった。
すでに15年前に脳梗塞で倒れている山本先輩は半身不随。これで二重苦である。涙
が出た。僕もそうなるかも知れない。脳の細胞が弱いものはいつも死と隣り合わせだ。
しかし、彼は年賀状で「アメリカの正義に惑わされるな」とはっきり書いている。凄
い。言語不明瞭ななかで時代の正論を吐く。山本先輩は凄い。見習わねば。
賀状を読み終わるのに三時間かかった。
午後5時ごろ、スポニチから「144万円馬券が出た。何か書いてくれ」という注文
。東北地方が雪で、締め切りが早くなるので急いで、という。ままよ。待ってろ。早い
だけが取り柄だ、と書いては見たが……何を書いたか分からない。恥ずかしい。でも、
注文があったことに感謝する。
一時間で書き上げた「訳の分からない原稿」が、僕の2003年最初の作品になって
しまった。
言い訳はやめよう。ことしの俺は潔く生きるんだから。
<何だか分からない今日の名文句>
年賀状に真実
1月5日(日) 「死体になって死体を書いた」
元旦は夕方、第六天榊神社、浅草観音初詣。浅草演芸ホールで、例によって権太楼の
落語を聞き、釜飯「春」で焼き鳥&牡蛎鍋。
2日は深川閻魔堂「法乗院」。義母・きみの命日。亡くなって12年たった。深川不動
仲見世の店で深川めし。店の女将さんに「去年もいらっしゃいましたね。お元気で?」と
言われる。一年前のことを覚えていたのか。身障者は目立つ?まあ、僕の正月はいつも
、同じだから。
3日市川で牧家の新年会。次男一家が仕事で参加出来ず、若干淋しい。その分、長男
の倅・優之介が部屋を走り回る。可愛い。でも、溺愛しないこと。立派な男にするには
適度な愛が必要だ。溺愛爺にならないぞ。
「江戸家」の上寿司、1600円が1700円に値上げしたが、その分、ネタの質が
あがっている。夜、雪チラホラ。
4日快晴。佐藤健さんの葬儀が我孫子の浄土真宗・真栄寺で行われる。市川から京成
バスで松戸。そこから常磐線で我孫子。意外に近かった。
途中で、岸女史と一緒になる。岸さんは作詞家・星野哲郎さんの秘書。「星野が参列
する予定でしたが、風邪で名代」。遠く川崎からやって来てくれた。感謝する。彼女だ
けではない。全国から800人が参列した。
立派な葬儀だった。斉藤明社長が弔辞を読んだ。夕刊の「近事片々」の筆者・吉野正
弘さんが、暴走族とトラブルになり死亡した時、斉藤さんは病室で健さんと一緒になっ
た。その思い出を話した。その吉野さんが「健とは流儀が違う」と言っていたそうだ。
吉野さんは名文家だった。吉野さんの文章には良い意味で「気取り」があった。健さ
んも名文家だが、地を這うような取材がその前提で、文章に「気取り」が少ないように
思えた。
その取材も、自らがその世界に飛び込む「地を這う取材」。それが、佐藤健流だった。
距離感を意識した吉野流。密着の、いや同一化の健さん流。そこが違う。斉藤さんは
、そのことを言いたかったのだろう。
「飲み友達」の早稲田の石山修武教授(建築学)は「インターネットの出現で新聞は
変わらざるを得ない。健さんは新聞が一番輝いた時、新聞記者だった」と話した。そう
だ、と思う。健さんは時代背景にも恵まれていた。それは我々にも言えることだろう。
先輩の大住さんが最後の弔辞だった。「佐藤健は坊主になって坊主を書いた。死体に
なって死体を書いた」と大きな声で朗読した。素晴らしい弔辞だった。一番、一番、健
さんを知る大住さんだから言える文句だ。ちょっぴり泣けた。
帰りの車で東大病院の看護婦さんと一緒になった。健さんの面倒を見た彼女が思わず
言った。「今まで朝日新聞を読んでいたのですが、健さんと知り合って毎日に変えまし
た。読んでみて驚きました。毎日って暖かい新聞ですよね」。
そうなんだ。暖かい新聞なんだ。僕が広告担当なら「毎日は暖かい新聞」をキャッチ
にする。健さんが「毎日新聞の大義」を知らしめたようなものだ。
空が澄み、鳥が何羽も飛んでいた。さようなら、佐藤健。
5日は競馬の元旦。中山競馬場は一杯だった。9レースから参戦。9レース、かすり
もせず。10レース的中。中山金杯は惜しいところでハズレ。最終レース、大的中。万
歳万歳!かなりプラス。幸先よし。馬場詰め所で、ビールで乾杯。
良く喰い、良く飲んだ。良く考えた。おおむね結構な正月。明日(6日)から、ゆる
ゆる始動する。
<何だか分からない今日の名文句>
七草粥で生き返る
大晦日〜元旦(火) 「死を創る時代」だけれど
30日、31日の両日は世間並みの過ごし方。買い物に出かけた東京のデパートは
立錐の余地もない。
午後、ちょっと東京から離れて小旅行気分。湘南の夕日に富士のシルエット。贅沢だ
なあ。
一年が終わった。
それほどのこともなく、怒るでなく、泣くでもなく、ただ月日の経つのを振り返って
いただけ。
ことしも、特別の手柄もなければ、失敗もなかった。儲けは少なかったが、損もそれ
ほどなかった。それで良いのだろう。
ここ数日、佐藤健さんの死に打ちのめされた。何とか、ふるい立たねば…と思う。
柳田さんが「死を創る時代」と書いていたが、死を演出するなんて、俺には無理だ。
佐藤さんはドラマチックな人だった。家族に拍手で送られるなんて……。
でも、何の予告もなく、突然、死んで逝く。それが普通の人間だろう、と思う。
佐藤さんの壮烈を噛みしめながら、名もなく、誰にも知られず、逝く人の「幸せ」を
感じたりする。
佐藤さんの遺体は毎日新聞社を経由して、我孫子の寺に向かう、と聞いた。もう、着
いたのだろうか?
しんみりした大晦日。今夜は日本酒にした。
紅白も見る。中島みゆきの「地上の星」を聞く。これも普通の大晦日。平凡な年越し
。
心底、寒い。明日、東京も雪になるという奴もいる。本当だろうか。
凍えそうな思いを胸にする人、人、人。2002年はそんな年だった。
で、2003年は?
普通に生きるしかあるまい。
尚、編集長日記は正月休み。次は1月6日更新です。
<何だか分からない今日の名文句>
平凡にして非凡たれ