編集長ヘッドライン日記 バックナンバー
2006.8月
8月23日(水) 「おまんこ」のハンコ?!
仕事場の近くの「柳橋中央通り」と「海岸通り」がぶつかった辺りに、小さなパン屋ができた。と、言っても、小さなマンションの二階の部屋でパンを焼き、マンションの
1階入り口で販売する。約60センチ四方のテーブルに箱が置いてあり、その箱に3種類で精々40個ぐらい。午前8時に“店”を出し10時ごろに店を閉める。もちろん、
売れ切れになれば閉店である。旦那さんが売子ということもあるし、品の良い奥さんが“店番”をしている時もある。
どうも道楽のようにも見えるが、これが美味い。格別、リンゴパンが美味い。「実はデパートにも置いているんですけど」と奥さん。それ以上のことは言わない。
朝散歩の終わりに、ここでリンゴパンを買うのが日課。今日は昼用の「ぶっかけキシメン」をコンビニで買い込んでから、一気呵成に執筆。
午後、TBSラジオの収録。相棒の豊田綾乃アナウンサーが夏休みでパリに行くので一気に3本分。どうしても、いつでも使える「ヒマダネ」になってしまう。終って
JRA六本木事務所に顔を出し世間話。
夜「調布の親友」が“京都の後輩”を連れて来たので酒盛り。例によって「言いたい放題」。奴ら、オレのことを、おちょくっているのか?! でも、おちょくってくれる
奴がいるのが「幸せ」なんだ。
2人が帰ってから、放り出していた雑誌の類に目を通す。月刊「現代」に藤田真利子さんが書いている「おんな下ネタ翻訳家赤面苦労話」が実に面白い。例えば「まだパソ
コンやワープロを使わず紙に書いた時代、ある翻訳家は英語のファックやファッキンを全部『おまんこ』と訳そうと決意して、原稿用紙の升目に合わせたハンコを注文し、
この言葉が出てくるとポンとハンコを捺したそうだ」。どんな職業にも苦労はあるものだ。
<何だか分からない今日の名文句>
ご性交をお祈りします
8月22日(火) 読者からの手紙
朝6時ごろには町内を歩く。7時半を過ぎると、暑さで汗がダラダラと流れる。何しろ最高で33℃前後の残暑だ。
仕事場がある柳橋(旧地名・浅草柳橋、江戸時代は代地)から西方面に東神田3丁目まで往復すると3000歩。ここから北に向かって鳥越神社まで足を延ばせば5000
歩。万歩計の目標の半分が達成される。
朝の散歩のもう一つの目的は旧跡めぐり。「東神田」という地名は何処から来たのか。この辺りは江戸時代、屋敷町(井伊直弼の家などがあった)で、どちらかというと
「浅草」に近い文化圏にあったと思うのだが、何故「神田」なのか? 長いこと、気になっていた。
神田川に架かる左衛門橋の脇の札には「秋葉あるいは秋葉原という地名に地元の人が反発したので東神田になった」というようなことが書いてある。
小さい時から「秋葉」は「あきは」か「あきば」かで、揉めていた。1869年(明治2年)暮れに、この辺りは大火。明治天皇の勅命により翌1870年に現在のJR
秋葉原駅構内(東京都千代田区神田花岡町)の地に、火の神火産霊大神、水の神水波能売神、土の神埴山毘売神の三柱を祀神とした鎮火社が建立された。
江戸の昔から、神仏混淆の秋葉大権現(秋葉山)が火防(ひぶせ)の神として知られていたので、秋葉大権現を勧請した、と伝えれているが、これは明らかな間違い。
新たに鎮火社を明治政府が作ったということである。
元々、この辺りは「秋葉の原」と呼ばれていた。江戸時代、火事の延焼を防ぐため火除け地(空き地)が多く作られていたのだ「空き地=秋葉の原(あきばのはら)」
「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼ばれていた。
鎮火社が出来てから、この「秋葉の原」を「秋葉大権現」と勘違いする向きが多くなったのだろう。「あきば」は江戸下町訛り。秋葉大権現では「あきは」である。
「あきば」と「あきは」は違う。
ところが「空き地の鎮火社」はいつしか「秋葉社」と呼ばれるようになる。1888年(明治21年)日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が上野駅から秋葉
原駅まで延長され、その後1930年(昭和5年)には鎮火社は秋葉神社と改名された。
官僚は新しく出来た駅の名前を「あきはばら」と読ませた。下町訛りの「あきばはら」を無視したのである。本来は「あきばはら」である、と亡くなった母は盛んに力説し
ていた。
官僚は地元を無視する。民を無視する。「あきはばら」と呼ばせる官に抵抗して、江戸っ子は地名に「東神田」を選んだ、と推測できる。今日世界的に知られる電気街
「秋葉原」は本来「あきばはら」なのだ。
と、まあ、そんなことを学びながら黙々と歩く。今日は朝だけで6000歩は歩いた。
午前中「おけら街道」を書き上げる。「功名の辻」のエピソードはフィクション、と言ったことを、高知競馬の「オオタグロ」に引っ掛けて書いてみた。読んでくれ。
午後、出社。編集局長に野暮用を頼み、社会部長とは「あの事件」の見通しを話す。やっぱり某県の知事さんは標的になっている。
読者から手紙を貰った。「Maiぱれっと」のコラム「牧太郎の新・ここだけの話」を読んだ読者が書いてくれた手紙。正直で、感動的だった。「私は54歳の離婚経験者
で、25歳と23歳の息子がおります。別れた時、子供たちは小学校の4年生と2年生。親が残してくれた物があり、自分も手に職があったので、慰謝料や養育費を貰わない
で、今までやってこられました」という書き出しで始まる。
その女性を続ける。「豪憲くんの事件は鈴香容疑者の特殊性の現れかも知りません。けれど、彩香ちゃんの事件は気の毒に思えてならないのです。私は子供が生まれてから、
本当に“死なないで‥‥死なないで‥‥”と思って育ててきました。それは子供たちが成人した今も変わりありません。それでも、一回でも、子供を疎ましく思わなかったと
言うと、そんなことはありません。その思いが殺意につまがらなかったのは、偶然かも知れません」。
手紙を読んで、ちょっと涙ぐんだ。正直に書いてくれて、ありがとう。僕の見方は間違いなかった、と思った。(その読者が読んでくれたコラムを以下に載せる。これは
WEBに載っていないので)
「鈴香」だけが悪いのか?
つい同情してしまう「悪い癖」がある。秋田・連続児童殺害の畠山鈴香容疑者に同情した、と言ったら怒られそうだが‥‥。
初めは、怖いもの見たさ? で、ワイドショーを見ていた。「腹を痛めた子供を殺すなんて‥‥考えられない」というのが最初の感想だった。虚言癖。カネ使い。多彩な
男性遍歴‥‥驚くことばかりだったが‥‥一つだけ、彼女は本音を漏らした。
「4月9日夕、彩香ちゃんと一緒に藤琴川に架かる大沢橋に行ったが、駄々をこねたので、橋の上から川に突き落とした」と自供。「彩香ちゃんを疎ましく思っていた」と
告白した。母に取って9歳の娘は邪魔で邪魔で仕方ない存在?
未熟な鈴香容疑者は“遊び”のつもりで結婚し、妊娠し、夫と別れ、娘を引き取った。しかし、まともに生活をする力量がなかった。仕事を転々とする。経済的に追い詰め
られ、借金を重ね、自己破産する。最悪のシングルマザーである。
収入を得る技術を持っていればいいのだが‥‥実家が応援出来ればいいのだが‥‥別れた亭主が慰謝料を払えばいいのだが‥‥手助けがない「ひとり親」は追い詰められる。
追い詰められたシングルマザーが逃げ込む先は「男性」である。「癒しのセックス」が一番、安上がりのストレス解消という女性もいる。
セックスを優先する彼女たちは、子供に「夜になるまで外で遊んでろ!」と命じ、食事も作らず、コンビニに頼る。そんな女性が今、数限りなく存在する。
我が子は、彼女らの「大事なセックス(場合によってはカネを取る売春行為)」にとって邪魔な存在だ。妊娠した時、中絶してよけば良かったと後悔する女性もいる。中絶
しても良かった「存在」が、今、自分の自由を束縛する。
鈴香容疑者は「私は独身なのだから恋は自由だ!」とでも叫びたかったのだろう。しかし、その主張を認めないのが娘の存在だった。
鈴香の男関係は多彩だった。「癒しの、カネ目当てのセックス」は、とても「恋」なんてものではなかったが、この「恋」が大都会・東京に逃れるキッカケにならないか、
と思っていたのかも知れない。
何と言う自分勝手!
人間じゃない!
しかし、そんな追い詰められた「最悪のシングルマザー」は鈴香容疑者だけではない。シングルマザーは100万を超えた。そして、その多くが貧困に苦しんでいる。
彼女の元夫が「彩香が遊びに行ったまま帰っていない、と聞いた時、鈴香が殺したんじゃないか、と予感した」と話しているの読んで、訳もなく腹が立った。
悪いのは「鈴香」だけなのか。切ない時代になったものだ。
僕のコラムは以上である。手紙をくれた女性は「殺意につながらなかったのは、偶然かもしれない」と正直に書いてくれた。それは僕にも想像出来ない深遠だろう。彼女の
23歳の次男は「この人はこどもを産まなければ、殺人者にならなかったかも‥‥」と話したという。胸を打つ言葉だ。
「牧さんの記事を拝読し、救われた気持ちになりました。ありがとう御座いました」で終る手紙。こちらこそ、ありがとう。「鈴香を擁護するのか!」という意見もないで
はないが、正直な思いを書いて良かった、と思う。
世のシングルマザーよ、頑張ってくれ! 神様は、ちょっとばっかり、我々を試しているだけだから。
夜、人生の大先輩と物事を平に考える素晴らしい後輩と暑気払い。エッと驚く話が幾つもあって楽しかった。
<何だか分からない今日の名文句>
これぞ、記者冥利!
8月21日(火) 何故、オリンピックは東京なんだ!
原稿が溜まっていたこともあるが、本当は早稲田実業VS駒大苫小牧の再試合が気になって、報知の竹内さんの「松戸競輪」のお誘いを無下に断ってテレビ観戦。試合が
始まる前には、早実を応援するつもりだったが、早実が先制すると、駒大を応援したくなる。
もう一回、再試合になったらいいのに、なんて思う。どちらにも勝たせたい。が、最後に空振りした田中クンの「口惜しいけれど仕方がねえや」の笑顔が素晴らしくて、
良かった、と思う。爽やかだった。
まあ、球界のことを考えれば、やっぱり斉藤の早実が勝ってよかったかなあ。斉藤は早稲田に進み、低迷の6大学リーグに活を入れるだろう。そのための勲章。田中は
日本ハムに行くだろう。こちらもスター、間違いなし。
それにしても、自民党総裁選に立候補をこの日に選んだ麻生さん。新聞も、テレビニュースも高校野球一色で、霞んでしまった。「日本の底力」という政権構想を記憶する
日本人は極めて少ないだろう。かなりお金を掛けたと思うけれど。高校野球も終って、日曜日にはニュースが枯れるから、と判断したのだろうが、まさか再試合になるなん
て。不運だ。
オリンピックの話が飛び込んできた。福岡市と東京が目指す2016年オリンピック。国内立候補都市評価委員会が「東京優位」の報告書を纏めたらしい。何故、東京なの
か? 東京と比べたら、どこだって負けてしまう。
何もかも、東京優位、東京一極集中‥‥いまや、日本は「東京」と「東京以外の場所」に分けられている。オリンピックをもう一度、東京で開けば、日本の地域格差はも
っと深刻になる。僕は東京生まれだが、今回は福岡になってもらいたい。国家のバランスある成長を考えれば、福岡を候補地にして、国家予算をある程度積極的に投下すべき
だ。
石原知事再選のためのオリンピック立候補なんて、ほとほと迷惑である。
<何だか分からない今日の名文句>
江戸っ子はバランス感覚
8月20日(日) 元祖アイドル・太田幸司
競馬中継があるというのに、珍しくテレビで甲子園の決勝観戦。
73年ぶりの夏の大会3連覇を狙う駒大苫小牧(南北海道)。先輩・王貞治のガン闘病に奮起した?
初優勝を目指す早実(西東京)。1−1で互いに譲らず、大会規定により延長15回引き分け。
21日に再試合となった。
駒大苫小牧が満塁でスクイズに失敗したのを見て、松山商と三沢の激闘、元祖アイドル・太田幸司を
思い出してしまった。
1969年の第51回大会の決勝は松山商(愛媛)と三沢(青森)。スパルタの松山商。
小学生の時から顔なじみの仲間が集まった三沢。三沢は青森勢初の決勝進出だった。
センバツの覇者・三重高校が優勝候補だったように記憶している。
中京商の、何とかいう監督を迎えて、春夏制覇は間違いないという前評判だった。
高度成長まっただ中。この頃、反戦フォーク、全共闘‥‥若者がベトナム戦争や国家権力に
怒りをぶつけ、デモを繰り返していた。初任地の新潟でも、新潟大学でデモ、
学園封鎖が起こっていたが、デモがない日、僕は新潟県警記者クラブで、毎日のように親友・
宗ちゃん(産経記者・後にサンスポの代表)と甲子園の中継を見ていた。
その優勝候補の三重高校が広陵高校に逆転で敗れ、その広陵高校が今度は仙台商に敗れ‥‥
番狂わせの連続。伏兵・三沢高校が勝ち進んだ。多分、前の年の夏、それに春のセンバツにも
三沢は出場している。それにエースの太田は直球一本やりの豪腕。
それに、彼は目の可愛い美少年だった。僕の記憶が正しければ、彼が「元祖・アイドル」
だったと思う。
その太田が変化球を覚えていた。そして、決勝まで駒を進めた。
3連投の太田投手がスパルタの松山商業打線に立ち向かった。当時、太田の人気は大変なものだった。
若い女性が「お お た〜!」と連呼する。松山商は日本国中を敵に回したよう雰囲気だった。
スコアボードにゼロが並んだ。延長18回になっても0対0のまま勝負がつかない。
壮絶な投手戦だった。ハッキリ記憶していないのだが、この試合にも「満塁」が二度あった。
延長15回裏、16回裏?
満塁の攻防は高校野球史上「伝説のイニング」と呼ばれたようだが、多分、
スクイズ失敗があったような記憶があるが、本当はどうだったのか。
三沢は翌日、敗れた。敗れて太田人気はさらにフィーバーした。果たして、早稲田実業の斉藤君は?
深夜、コブラ返し、もとい、「こむら返し」で目が覚めた。痛い。猛烈に痛い。多分、
冷房を掛けたままで寝てしまったのだろう。左足のふくらはぎが痙攣している。肝臓・腎臓の機能障害、
下肢静脈瘤‥‥と恐ろしい原因もあるらしいが、多分、長時間、坂道を歩き続けたのが原因らしい。
それにしても、冷房を掛けないと眠られないほどの熱帯夜。
<何だか分からない今日の名文句>
記録は優勝、人気はいつも準優勝
8月17日(木) 「こころに刺青」の本家は?
靖国騒動は、精々3日間。小泉さんの靖国参拝を支持する人が50%を越えると分かると
メディアはシュンとして、何も言わない。僕の予想では、60%を越えるのではないか、
と心配したぐらいだから、決して意外な結果ではない。
小泉さんは喧嘩上手。庶民は「けんか好き」で、いきり立つ指導者が好きなだけだ。
何しろ、小泉さんは「こころに刺青を入れた」と話した人物だから、喧嘩は得意だ。
(二回も総裁選で敗れたから、強くなった。「こころに刺青」発言は、
亀井派に裏切られたとき「復讐」を誓ったときに、飛び出した)
でも、小泉さんは強いものとは喧嘩しない、ある意味で「臆病者」で、
決してアメリカには何も言えない。言わない。その内に、東アジアで日本は孤立している。
口先ばかりの「刺青」だ。(中国はアメリカに言いたい放題だが、歴史上、
中国はアメリカと戦争したことがない、これを良く知ってもらいたい)
「心に刺青」の先輩、と言っては、ご本人に失礼かも知れないが、
「心に刺青」の笹川良平さんは多面的な「刺青」だった。誰とも喧嘩するし、
誰とも仲良くなる。ご子息、笹川陽平さんから「お誘い」を受けた。
日本財団は教育図書有効プロジェクトとして、1999年から7年間で、
中国の24の大学に147万冊の図書を送っている。
147万冊が日本を勉強する貴重な宝になっている。陽平さんはこの事業の一環として
(良くは分からないが、中国の国龍江大学などで「日本知識クイズ大会」を開くらしい)、
この秋、中国を訪問する。この訪中に参加したら、という結構なお誘い。
取材するべき事柄で、大変、興味がある。日程が合えば良いのだが‥‥この頃、幾つか、
外せない先約があって、心ならずも断る。残念だ。
それにしても、北方領土・貝殻島付近の海域で、日本の漁船「第31吉進丸」が
ロシアに拿捕されたりすると、この問題のエキスパート・日本財団が、突然、脚光を浴びる。
本来、国家がやるべきことを日本財団がやっている。
そして、その役割を可能にしているのは、競艇のファンが払う舟券の寺銭。
その大事なことを忘れて、世のインテリは「ギャンブルなんて」などと言う。
日中友好を確信している中国人は「笹川」に期待している面もある。何故か、
世のインテリの多くが、この現実を無視している。
17日は一日中、民放連に缶詰。民放連賞の審査。グッタリした。
<何だか分からない今日の名文句>
舟券が守る「日中」
8月16日(水) 翠さんの「コラム絵巻」が出来た
朝から「青い空 白い雲」を書く。テーマは「ええじゃないか」。何故、ジェットコースターが「ええじゃないか」なのか? という話。
「青い空 白い雲」では、最後に必ず「太郎の青空スポット」という“囲み”を載せている。最近、あるいは、かつて出会った「青空」を紹介するコーナー。小さい時、
僕の憧れは「青い空のスーパーマン」だった。どんよりとした隅田川の空を見ていたら、急にスーパーマンを思い出した。スーパーマンが来れば、どんよりした雲が飛んで
行ってしまうのに。
「そうだ!スーパーマンは青空なんだ」と思った。スーパーマンにはなれないけど、新聞記者にはなれる、とあの頃、思っていたじゃないか。
衝動的にスーパーマンが見たくなった。本棚からDVDを取り出し、一気に第1作、第2作(もちろん最近の映画の方だけど)を見た。いつ見ても面白い。混迷の日本に、
ペテン師が闊歩する日本にスーパーマンは来てくれないのか? 何んて、子供のように真面目に思ったりする。丁度、第三作が8月19日に封切りになるから、今週は
「太郎の青空スポット・スーパーマン」で行くか。
中野翠さんの新刊「コラム絵巻」が送られてきた。1985年から2005年まで「サンデー毎日」に長期連載されているコラムから、彼女が選んだものらしい。彼女のコ
ラムは何度、いつ、読んでも面白い。オウム真理教が話題になった時、彼女は「イデオロギーが萎んだから」というようなことを書いていたが、それも載っていた。分かりや
すく「本物」と「ニセモノ」を書くのは彼女だけだろう。翠さんはサンデー毎日の宝。僕は翠さんの永遠のファンだ。
記憶に間違いがなければ、翠さんのコラムのタイトルは「電気じかけのペーパームーン」だったが、僕が編集長の時「私の青空」に変わった。この題名で、それ以上に僕は
好きになった。彼女が再度「満月雑記帳」とムーン型? にタイトルを変えてから、僕は自分のコラムに「青い空」を使えることが出来た。気分と言えば「翠さんの弟子」
である。
「青い空」を書き上げてから夕方、出社。まだお盆で、どちらかと言うと閑散としている。幾つか、読者からのメールが来ていた。15日の夕刊「(靖国は)権力のための
道具か」に対する意見。総じて「お叱り」のものが多かった。ありがとう。勉強しなければならない。
しかし、表現の勉強はするが、小泉さんの行動に賛成できない。小泉さんの靖国参拝を世論の半分は支持していると思う。でも、僕は違う。小泉劇場が終って見ると、誰も
が彼のインチキに気づくだろう。(実は小泉さん自身が無意識なペテン師で気づいていないようだけど)
夜、社台のテレホンサービスを聞くと、フェザーレイが26日・新潟で走るという。頑張るなぁ。休み明け3戦目。疲れが出ていると思うけど、応援に行かなければ。
実は、住之江競艇のナイター見学会のお誘いを受けていた。在席投票システムを導入するという試みに興味を持っているので、是非、見に行かなくてはならないと思ってい
たが‥‥それが25日の夜。あくる朝、大阪から新潟に行くには、健常者でも、概ね無理だろう。仕方なく「見学会欠席」の通知をする。
在席システムは、行く行く、舟券のマイレージ? に繋がるのではないか、と思っている。ギャンブル(馬券)のマイレージを実現すべきだ、と主張する当方としては見逃
せない。
<何だか分からない今日の名文句>
コラムは長命
8月15日(火) 「ブッシュの言いなり」を自白した
小泉さん、靖国神社を終戦記念日に参拝。最後の小泉劇場。5年間の日本国右傾化の総仕上げ?
「8月15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならば今日は適切な日ではないか」と胸を張ったが、小泉さん、つい「本音」を漏らしてしまった。
「ブッシュ大統領が“靖国参拝するな”と言ったとしても私は行く」。あまりに迂闊な発言である。
五年間の小泉政治は「ブッシュの言いなり」だった、と自白したようなものだ。日本はアメリカの「51番目の州に」なったと言っているようなものだ。
外交はブッシュに丸投げ、経済は竹中(というアメリカの利益追及人)に丸投げ‥‥ただ「靖国」で「見せ掛けの国の威信」を見せただけ。田舎芝居は顔だけにしてくれ!
朝、夕刊コラム「大きな声では言えないが」の担当デスク氏から「夕刊2面が靖国特集になるので、今日は掲載できません」という連絡。「多分、そう言うことになるので
はないか、と予想して、そうなっても使えるように“靖国もの”を書いている。是非、使ってくれ!」と願望した。こんなことはめったにないが、願望した。僕の「靖国」の
視点は、新聞各紙と大分、違う。「公約」に関する認識が違う。国民の大多数が求める事柄で約束するのが「公約」。小泉さんの「靖国参拝」というのは、特定の層と、権力
奪取のために行った約束である。「公約」ではない、というのが僕の視点だ。
交番会議(編集局幹部の会議。幹部が記者に「おい、こら」と注文をつけるので「交番」と言われる)に図ってくれ、と頼んだ。結論から言うと「コラムの形は出来ない。
普通の署名入り原稿にしてくれ。ただし、分量はコラムの半分ぐらいにしてくれ」ということになった。後輩の記者連中が応援してくれたのだろう。ありがとう。
かなり分量は痛めたが、ともかく「僕の主張」が字になった。WEBに載っているが、毎日新聞を読み忘れた方のために、以下に転載した。読んでくれ。(「大きな声では
言えないが」ではタイトルを「英霊が笑っている」にして、小泉さんのやり口を詳しく書いたのだが、それはまた別の機会で書くつもりだ)
[首相靖国参拝]権力のための道具か
専門編集委員・牧太郎
テレビの朝ワイドに時間を合わせた15日の小泉さんの参拝を見て「私だったら靖国に参拝するより“真紀子大明神”にお参りするワ」と、知り合いのスナックのママが
軽口をたたいた。そう言えば01年4月の自民党総裁選。田中真紀子さんが「私は変人の母でございます」と小泉さんを応援しなければ、多分、当選しなかった。真紀子さん
は権力奪取の道具? だった。
その真紀子さんが、その年の夏「日本遺族会に公約したから靖国に参拝するんですか? 国益を損なう。考え直してください」と進言すると、首相は「公約だから行くので
はない。公人だから行く。人に指図を受けない」と開き直った。
総裁選で特定郵便局長OBの会や建設業界を敵に回した小泉さんは「終戦記念日に靖国に参拝すれば日本遺族会はあなたを応援します」という言葉に動かされたのだろう。
対立候補の橋本龍太郎元首相が遺族会会長でありながら「中国から厳しいメッセージがある」と二の足を踏んでいた8.15参拝を「靖国」に縁が薄かった小泉さんが公約し、
地方の党員票を獲得した。「靖国」も権力奪取の道具? だった。
5年前の01年8月13日、首相就任後初の靖国神社参拝で、小泉さんは「他国に文句を言わせない」というプラスイメージを手に入れた。批判が出ると「中国、韓国の
言い分はおかしい」の一点張りである。
古今東西、指導者は内政で失敗すれば、外交で国家の強硬姿勢を示す。農村に社会的・経済的不安が渦巻く中国は「靖国」で日本と対立することで国民の支持をつなぎ留め
る。「靖国」は権力維持の道具にもなった。
「小泉さんも、中国も同じ穴のむじなね」と、おじいさんが靖国に眠るスナックのママは笑った。赤紙一枚で有無を言わさず戦地に送られ「靖国で会おう!」と散って行っ
た日本人は「英霊を利用するのもいいかげんにしろ!」と苦笑いしているのではないだろうか。
<何だか分からない今日の名文句>
「公約」と言えば愚民は道を開け
8月14日(月) 停電も国家秘密?
早朝、東京大停電。80万所帯に影響が出たそうだが、何故か、台東区柳橋の仕事場は被害に合わなかった。関西電力の知人から「東京は停電だそうですが」と心配の電話
を貰うまで、原稿を書いていて、停電が起こったことすら気づかなかった。クレーン船が傷つけた高圧電線「江東線」は浦安市と江戸川区の間の旧江戸川に跨っているから、
台東区はモロに被害を受けそうだが‥‥不思議である。
この高圧電線の仕組み、知りたいが、これは国家秘密の範疇かも知れない。外電が「首都大停電」をいち早く世界に打電したのも、これが広い意味でも「軍事機密」に関連
するからだろう。北の工作員などは、こんな時、必死に情報を集めているのだろう。記者会見で言っていいものと、悪いものがあるような気もする。
日本は「情報」に疎い。後進国程度の情報機関しか持っていない、と言ってもいいだろう。
言いたかないが、英国警察当局が水際で米国行きの旅客機爆破テロを摘発した一件で、日本がその事実関係を独自に入手した形跡もない。こんなことで、国民の安全が守れ
るのか。オウムの時、逮捕情報が相手側に筒抜けで、地下鉄サリン事件が起こったことを、日本の指導者は肝に銘じたハズなのに。
明日(15日)小泉さんが靖国に参拝する、という話だが、そんなレベルの話で安全保障を考えていては困る。「心の問題」なんて話ではない。そんなロマンの話では断
じてない。クールに考えよう。適度な情報機関を作り、冷静に外交を進め、一定の安全保障のもとで「非戦」を貫く。それが近代国家である。
15日夕刊の「大きな声では言えないが」では「小泉さんは靖国を利用した」と書いた。ただ、小泉さんが靖国へ参拝すると、このコラム、紙面の関係ですっ飛ぶかも知れ
ない。
午前11時、明治座の松井誠劇団の取材。久しぶりに作曲家・浜圭介さんに会う。彼が、気になる新曲「ええじゃないか」を作曲している。「競馬、儲かっている?」と
聞かれて「ボチボチ」と応える。圭介さんは馬券の達人? と聞いているので、ちょっと、背伸びして「ボチボチ」と話したが、この夏は、それほど、滅茶苦茶に負けてはい
ない。
夕方、大井競馬場へ。「おけら街道」の取材を兼ねて4レース。2レース的中したが、配当が低すぎて‥‥ちょっと負けてしまった。
<何だか分からない今日の名文句>
ボチボチ負ければドンドン負ける
8月13日(日) 田原総一朗の「オフレコ!」
大阪から帰京。同僚が訪ねてくれたので、午後2時から「日曜の昼酒」。東京はお盆で静まり返っている。
前の晩、仕事場近くの秋葉原に落雷があった。「今日も夕方、落雷?」というので、仕事場を出ずに飲み続ける。
同僚が帰ってから書類整理。田原総一朗の「オフレコ!」が送られてきていた。二号で潰れたのかと思っていたが健在。トップの「政界最後のフィクサー福本邦雄・私が
見た政治家とカネ・すべて話そう」が面白かった。薄々、知っていたことだが、こういう人物が話すとウラがもう一つ読める。
それでも「角栄は凄い。100万円渡すところを300万円渡した」と言うけれど、どんな時、どんな人間に、300万円を渡したのか、一つぐらいはハッキリしないと。
具体性に今ひとつ、欠ける。「すべてを話そう」と掛け声は勇ましいが‥‥ちょっとガッカリする。新聞記者はウラを取らないと字にしないが、インタビューは「話させる
だけ」で良いのだから。
7時ごろになって、夜空にゴロゴロと物騒な音。雷かな? と思ったが、そうでもない。遠くの花火の音。隅田川の夜空を隈なく見渡したが、残念ながら花火は見えな
かった。
<何だか分からない今日の名文句>
音はすれども姿は見えず、ホンにお主は屁のようだ
8月10日(木) 第三次世界大戦?
台風一過。爽やかな朝。前夜、1人で泊まってしまった愛子ちゃんと蔵前デニーズで朝飯。
彼女、コーンスープが大好き。覚えておかなければ。「こんな大きいお孫さんがいるんですか!」と店員さん。お世辞かな?
八重洲口の床屋で頭を洗ってもらってから、午後の新幹線で大阪へ。最高気温36℃。
北区堂島浜のクラブ関西で開かれた「パブリック・アフェアーズ(PA)懇談会」で講演する。
PA懇談会は在阪主要企業の広報担当者で組織する集まり。「日本沈没」の原作者・小松左京さんらが中心になって
1979年に生まれた。知人の依頼で引き受けたのだが、ベテランの広報マンの質問にタジタジする。当方の方が勉強になった。
とは言え「新聞記者の本音」と題して、正直な話をしたので(例えば「広報マンは一流の記者と末永く付き合え、
二流の記者とはそれなりに付き合え」「一流の記者は120%情報を集め50%分の記事を書く。二流の記者は50%の情報で、
平気で120%分の記事を書く」というようなこと正直に話したので)共感?を得たのだろうか‥‥講演後、30人ぐらいの人が
名刺交換の列を作った。名刺を用意しなかったので、半分ぐらいの人に迷惑を掛けた。
名刺交換で気がついたこと。毎日新聞の仲間が関西財界にかなり食い込んでいること。
彼らの話に、次々に同僚の名前が何人も登場する。この間、東京本社の政治部長から大阪本社編集局次長に転じた倉重は、
もう何人か主要人物と接触している様子。流石に“フットワークの倉重”である。
深夜になって「英国が旅客機テロを阻止した」というニュースを知る。米高官は「アルカイダ系の犯罪か」と
いち早くコメントしている。ブッシュ大統領は「イスラム過激派と戦争している」と改めて叫ぶ。
アフガンと言い、イラクと言い、レバノンと言い「第三次世界戦争」の様相。とても、北朝鮮の拉致事件解明なんて、ブッシュさんには無理だ。
それにしても、日本は少なくても、レバノン停戦決議ぐらいはすべきだが、
我、関せず。自主外交なんて小泉さんが総理大臣になってから夢の夢に、なってしまった。
その外交丸投げは大きなツケになって戻ってくるぞ。
そして週末、週明けは、小泉さんの「意地の靖国参拝」。日本人の文化
(日本人は蒙古襲来の昔から敵味方を区別せず、祀った)日本の平和外交をすっかり忘れた所業にウンザリする。
今宵の宿は、例によって京都御所近くのホテル。
謀略入り乱れて盆休み
8月9日(水) 美人アナ・豊田綾乃さんの休暇
台風7号がやって来るというので、幾分、早めに起きて三田病院へ。大山ドクターの問診。血圧135−70。順調。
仕事場に帰ると、例のコピー屋の青年が遊びに来ていた。「土曜日から9連休なんです」。9連休? ああ、お盆休みか。「神津島へダイビングに行きます」「誰と行くん
だ?」「もちろん彼女です」
良いなぁ。若いって良いな。朝早く竹島から高速艇で行けば午前中に着く。「去年はグアムで10万円掛かったんですが、今回は国内で1人5万円ぐらいかな」。彼女、
外資系の会社に務めているそうだが、待遇が良くて、かなり自由に休みが取れるらしい。「残業にすべて手当が出るんですよ」と彼。これが当たり前だ。サービス残業なんて
異常なんだ。それにしても、外資系のOLと神津島でダイビング。9連休。羨ましい。
午後、TBSラジオでプレシャスサンデー「牧太郎のザ・コラム」収録。ちょっと真面目に「靖国参拝」を話す。パーソナリティーの美人アナ・豊田綾乃さんは、この問題
では僕と意見が大分違う。
彼女、1976年、横浜生まれのO型。ウィリアム・フレムド高校(アメリカ・イリノイ州)上智大学文学部 教育学科卒の、所謂、帰国子女。結構、物知りだが、それを
表に出さないタイプ。趣味はドライブとショッピング。「メールを打つ早さは負けません」。何しろ多忙。あの番組、この番組と、一日中、こき使われていている。ストレス
が溜まると「足裏マッサージ。それに落ちつくまで焼き鳥を食べる」。明るい、可愛い女性だ。
収録後、靖国問題で少し議論した。やっぱり、世代の違いか「赤紙一枚で戦地に送られた悲劇」が今ひとつ、彼女には理解できない様子だった。
で、話題を変えて夏休みの話。9月に入ってから一週間程度、休みが取れるらしい。「深夜、のモナリザに会いに行きます」。例の映画「ダ・ビンチ コード」の大ヒット
で、“夜のルーブル美術館ツアー”が超人気なんだそうだ。(正直言って、実に退屈な映画と思っていたが‥‥若い女性には「キリストに子がいた」というストーリーが面白
いのかも)
ルーブル美術館は13世紀末から19世紀中葉まで約6000点の絵画が所蔵されている、と聞くが、映画のヒットで“夜間営業”。まあ、深夜、モナリザに会うのも乙な
ものだが、どこに行っても日本人ばかり? だったりしたら。「誰と一緒に行くんだ?」とは聞かなかった。
仕事場に戻ると、次男一家がやって来ていた。小学校3年生の愛子が1人で泊まって行った。
キリストもビックリ
8月8日(火) 玉置和宏先輩の手紙
朝一番で、長野から帰京。
自民党総裁選が「安倍で決まり」と思っているのか、多くのメディアの感心は参院選に向かっているらしい。もちろん核心は小沢戦略の行方である。
7日発売の「剛腕維新・小沢一郎」は結構、東京で売れているらしい。地方では動いていないが。もちろん、この単行本も参院選で自民に圧勝するための小道具? 長野
知事選の終盤、民主党が田中康夫支持を打ち出したのも小道具。「野党連合」に向けた布石だろう。田中康夫が代表を務める「新党日本」を民主党に取り込み「野党連合」
を作るつもり?
しかし、田中康夫の負けっぷりが、いかにも悪すぎる。引退して、全国的には知名度ゼロの、元官僚の69歳に7万票も離される。すでに「康夫」はスターではない。
むしろ、彼を参院のトップ候補にすると「野党連合」に傷がつくかも知れない。小沢さんがどう見ているのか。
むしろ、小沢さんは、国政に戻ろうとしている「土井たか子」を標的にするこも知れない。田中真紀子、土井たか子‥‥の二本柱? なんてこともある。
総裁選では麻生さんが「靖国社」構想をぶち上げるが、どのくらいのインパクトになるだろうか。終戦記念日は近い。
大先輩の玉置和宏さんから手紙を貰った。3月で毎日新聞の論説委員をリタイアした、とのこと。社論を支えて16年と2ヶ月。ご苦労さまでした。玉置さんとはサンデ
ー毎日の編集長のころ、彼が週刊エコノミストの編集長で、お互いに色々と雑誌の経営? で苦労した間柄。いつも若々しいので、67歳になっているとは思わなかった。
今後は特別顧問として活躍するようだが、この間も、サンクトペテルブルグ・サミットを取材して(彼の表現では)プーチンの「鬼気迫る捨て身の外交」を見てきたという。
立場(と言うか「肩書き」)は変わったが、玉置さん、相変わらずの記者魂。人生一記者。「不運にも新聞記者の妻を長年、務めてくれた家内にも少しは尽くさねばなりま
せん」なんてしおらしいことを書いているが、多分、これも言葉だけだろう。奥さんにはもう少し我慢してもらわなければならない‥‥。
評判の玉置節は「酸いも辛いも」という電子版のコラムに連載されているので、経済に興味のある方は読んでもらいたい。
あす以降、色々、用事が立て込んでいるので、台風7号の上陸がちょっぴり心配。
新聞記者の妻は家族ではない。遺族である。
8月7日(月) 千曲川の煙火大会
終日、長野県内で野暮用。新潟県にも、長野県にも、街の発展に格差がある。新潟の一部地域ではマンションラッシュ。逆に、シャッター銀座で夜になると真っ暗な市
もある。長野市も必ずしも活気がある、とも言えない。新しい大型スパーの進出もない。地方には地方の「格差」がある。
東京圏でも、六本木防衛庁跡地が「職・住・遊・憩の一体化」で勢いづいているのに、かつての再開発の千葉・幕張などは、更なる発展がない。東京圏の格差はもっと凄い
のかもしれない。
夜、誘われて、信州千曲市の「千曲川納涼煙火大会」を見物する。昼から100発打って、夕方には長野市から和服姿の若者がやって来ている。
この花火大会の特徴は「煙火」の一つ一つにスポンサーがあること。それも企業、旅館、酒屋と言ったところだけではない。個人がスポンサーになっている。例えば
「116番 7号・5号・3号速射 遊んで 学んで ケンカして 元気に育て 玲菜7歳、泰輝5歳、悠真3歳、畑山昌也。久美子」。親が子供たちにプレゼントする
花火。例えば「127番 10号一発 大切な仲間! 宮下泰征クン お誕生日おめでとう 共和ボーイズ」「130番 10号一発 祝・誕生 青木優太君 宮川正子」
とか。誕生祝いの花火も多い。個人の花火は裕福の証?
最後は、合併して新しく生まれた「信州千曲市」提供の超大スターマインで、しばし酔う。
深夜「大きな声では言えないが」のゲラ直し。今回は「亀田3兄弟」より、品の悪いテレビ局の視聴率戦争について書いてみた。TBSから文句が出るかも知れないが。
夏空に 花火キラメキ 盆近し
8月6日(日) 大人気ない田中前知事が参院選で良いのか?
愛馬フェザーレイが出走するので、4日遅く再び新潟へ。翌日、SMAPのコンサートがあるのでホテルは満杯。
辛うじて、古びた駅前のビジネスホテルを取った。でも、これが意外にも、新しい東横インなどと比べスペースが広く、快適だった。
古いから駄目、と言うわけではない。
5日は午前中、西新発田の開発を取材した。JR白新線の新発田駅の隣に、新しい西新発田駅が出来て、
イオンがその地域の中核になっている。物凄いスピードで、街が拡大している。注目すべき場所。もちろん、カネが動く。
午後2時に競馬場に入り、メインレース「長岡特別」で愛馬を応援するが、惜しくも2着。
(これは「おけら街道」で書くつもり)だが、薄暮競馬の小倉の最終が的中。新幹線代、ホテル代をチャラにする。
夜、ホテル・オークラの「新潟競馬場と記者の懇談会」に顔を出す。専門紙の「馬三郎」のキャップ格と思しい記者さんと
隣り合わせたので、専門紙業界の話を教えてもらう。そんな機会はまずないから、貴重である。
専門紙の厳しい競争、オーナーの「影の顔」「予想が当るなんて偶然」‥‥といった話で盛り上がる。
「スポーツ新聞は専門紙の予想を読んでから予想の印を付けるんだ」と彼は内幕を話す。専門紙の誇りを感じるが、
その彼が「JRAはスポーツ新聞と専門紙を差別している」と発言した。確かに、そんな感じである。
競馬専門紙の記者の場合、記事を書くことが殆どない。予想の印が命である。つまり、JRAは彼らを
「意見を発表することのない予想屋さん」と思っているのだろう。JRAはJRAの宣伝を書いてくれるスポーツ紙の記者を大事にしているのだろう。
記事を書かない記者は軽くあしらわれる。誰が馬券を当てようと、JRAには関係ない。と、まあ、そんな話をする。
深夜、県知事選を明日に控えた長野県に入った。ちょっと感心があった。新聞と知事の「恒常的な行き違い」。それに、感心があった。
長野県は、大人気ない知事(の周辺)と大人げのない新聞が対立し続けている。
例えば「ミリオネア騒動」。あまり知られていない話だが、田中知事がフジテレビのミリオネアに出演して1000万円を獲得した。
番組の中では、田中さんは小布施のワインを会場で披露、白骨温泉に端を発した長野県の温泉改革なども宣伝した。でも、県会の最中だった。
それを信毎は「クイズ番組出演知事に苦情続出 2月県会中の収録」と批判的に書いた。
どうにも、大人げのない記事だ。精々、ゴシップだろう。
この記事に腹を立てたのが、田中さんの応援団。彼らは信毎の不買運動を始めた。大人気ない。
田中県政が始まって以来「大人気ないことばかり」と友人は言う。
その田中知事が問われる知事選。6日夜、比較的早く勝敗がついた。「新人」と言っても、
前自民党衆院議員の村井仁さんが61万2000票余を獲得し、田中さんに7万8000票余の差をつけてた。
田中さん、惨敗である。(有効投票数に占める得票率は、村井氏53・42%、田中氏46・58%)。
知事不信任決議を受けた02年の知事選では82万票余(得票率64・28%)を得て圧勝していたのだから、
県政運営の手法を県民がハッキリNO!と言っただろう。
「批判は宝物」と言いながら、自身と意見の異なる人間を遠ざけた県知事が負けた。「大人気ない知事」が嫌われた。
ちょっと気になる噂。地元では「田中さんは参院選に出る」。「権力の味」を知った、大人げのない人が、参院選に出るのは‥‥取りあえず、
田中さん、ご苦労さん。
ハダカの王様
8月3日(木) ボクシング業界の台所
朝、蔵前デニーズで朝飯。最近は、朝飯を食べに来る外国人が多く、英語が出来ない当方、ちょっと肩身が狭い。浅草にも国際化?
英語が出来ないウェートレスさんが「あんなことやって、恥ずかしくないでしょうか?」と当方の意見を求めて来た。同僚が、外国人と楽しくおしゃべりしているの
で、こちらも何か話さないと‥‥という雰囲気? 話題は、前夜の亀田豪毅の八百長試合のことだ。「こんなことしていると戦争になりますよネ。恥ずかしい」というのが
彼女の意見である。
「協栄ジムの試合は、昔から、疑惑の世界戦が幾つかあったんだ」なんて薀蓄を披露する相手でもないので「‥‥」。「八百長ですよね。そう思いません?」と念を押す
彼女。「そうだ、その通りだ」。「良かった。意見が合って。TBSどうすんだろう。大晦日、レコード大賞をやめて、亀田で行くんでしょ? もう、誰も見ないですよね」。
朝の話題は、どこへ行っても「疑惑の王者」である。
帰りしなに福引をする。ウェートレスさん、大きな声で「凄い!500円、当たりました。今度来たとき、500円引きですからね」。500円引きにしたら、儲けがなく
なるのに。これ、八百長?
午後になって分かったことだが、このウェートレスさんの心配通り、TBSは急遽、大晦日の出し物を変更せざるを得なくなった。幾らショーと言っても、世間を舐めて
はいけない。
ボクシングの世界、何人もチャンピオンはいるが、顔と名前が一致するのは亀田兄弟だけ。彼らが負けたら、誰もメシが食えないのだろう。業界の台所、一時は空っぽだ
ったが、亀田兄弟の活躍で、それなりの資金も作れた。だから、負けるわけにはいかなかった。出社。夕刊に、たまちゃんの取り置き原稿「ディープインパクトもの」が
載っている。何故、今なの? 何故、今日なの? オレがデスクだったら、今日夕刊は一面から社会面まで「オール亀田」で潰すのに。これでは、新聞は売れない。作る方
と読む方がこれほど乖離している「一般紙」って、一体、何だろう。緊張感のない姿勢が新聞不況を生んでいる。たまちゃんには気の毒だが、タイミングを無くしたら、
ニュースはお終いだ。たまちゃんの原稿が泣いている。
怒り、泣き、笑い、そして、考えてしまい、そして、人々が何か、アクションを起こす。それが新聞だ。感動のない新聞なんて要らない。
夕方、JRAで相談事。終って、有楽町のガード下(「丸三横丁」というらしい)で、友人と一杯。初めて入った「さつまや」は結構、焼き鳥が美味い。2人で「青森
ホクホク・ニンニク焼き」を二つ食べてしまった。
土曜日、新潟のメインレースにフェザーレイが走る。新潟に行きたいのだが、何か、大掛かりなイベントがあるらしく、ホテルは一杯である。
ボクシングも新聞も、要はフットワーク
8月2日(水) 可愛そうな興毅君
亀田興毅の世界戦を見て、可愛そうになった。別に、八百長判定でチャンピオンになった! なんて言うつもりはない。これはショーであって、スポーツとは違うのだか
ら。別に勝負はどうでも良いのだが‥‥「興毅」で稼ごうとする人々の品性がいかにも下劣で‥‥滑稽で‥‥可愛そうな気がする。
試合の前に、突然「ジムも、テレビも“負けることも想定内”と言っている」という情報が流れる。とは言え「無敗の興毅」だからCMの声が掛かる。「無敗」だから
CMオファーが10億円の価値になる。亀田3兄弟で稼ごうとする人々は、こんなところで負けて貰っては困るのだろう。テレビの解説者は、それほどでもない興毅のパンチ
を「効果あり」と話す。恥ずかしい。アナウンサーは大声で興毅を応援する。
KO負けしたら、どうしよう。ビクビクしていた関係者は何人もいた。可愛そうに。
最後の12回。ランダエラは手をダランと下げていた。ガードする必要がないほど、興毅はグロッキーだった。
興毅クンはもっと可愛そうだ。普通の青年なら、人間を磨く大事な時に「天皇のような扱い」を受ける。可愛そうだ。ボクサーとして逸材であっても、人間として落第する。
歳を取って、試合が出来なくなった時のキミ、誰も見向きもしないキミを想像すると可愛そうで、可愛そうで。(そんな可愛そうな元チャンピオンを我々は何人も知っている)
やるせないな。ああ、早よ寝よ。
殴り合いは「多芸」にして「無芸」
8月1日(火) 拝金新聞社に敗れる勇気
将棋の名人戦の創設は革命的なことだった。江戸時代以降、
世襲や推薦で贈られた「名人」の称号を実力制に改める革命。毎日新聞社はその先頭に立った。
1937年、名人戦創設。もちろん、名人戦は将棋界で最も古いタイトル戦になった。
第1期(37年)から第8期まで、当然ながら、毎日新聞社が主催した。
が、戦後の混乱期、契約条件が合わず、50年からは朝日新聞社が主催した。
毎日は仕方なく、新たに王将戦を作った。ところが「王将」というイメージが
芝居や歌の世界で持て囃やされたこともあって、王将戦が人気を博す。一時は「毎日の王将、
(実は毎日が作った)朝日の名人」と並び表されることになった。我々の先輩は「それでも良い」
と思ったのかも知れない。他の新聞社も、それぞれのタイトル戦を作り、
新聞社は将棋の世界でも切磋琢磨した。
ところが76年、朝日と将棋連盟が契約内容で対立が生じる。結果的に、
名人戦は毎日に戻ってきた。名人戦を作った毎日新聞社としては名人戦を無くすことは出来なかった。
毎日新聞は名人戦と王将戦のダブル・タイトルを持つことになった。
それは誇りだった。二つとも毎日が作ったタイトル戦である。
ところが、この春、寝耳に水の事態が起こった。将棋連盟は米長会長が就任した後、
将棋人口の減少や連盟の財務状況の悪化などを踏まえ、色々な判断があったのだろう。
連盟の理事会は3月、名人戦の主催を毎日新聞社から朝日新聞社に移す方針を決め、
66期以降の契約解消を求める通知書(3月28日付)が毎日新聞社に送付された。
まったく、寝耳に水だった。
毎日は撤回を要求する。5月9日になって、理事会は毎日、朝日の共催とする案を提示した。
それも、突然だった。毎日はこれが飲めない。
その後、連盟は当初の通知書の内容を事実上、撤回した文書を毎日新聞社に提出した。
5月26日に開かれた棋士総会では、
<1>毎日新聞社が単独主催を希望した場合は棋士の表決を行う
<2>共催を希望した場合は理事会に一任する−−という案が賛成多数で承認された。
そこで、毎日は7月10日に単独主催案を提示した。
その内容は@名人戦契約金(64期は3億3400万円)とは別に将棋振興金3000万円を
7年間拠出する
A66期の契約金は100万円増額して3億3500万円とし、
67期以降は毎年協議する
B名人戦と併せて王将戦を継続する
C全日本都市対抗将棋大会を創設する−−という内容だった。
毎日は他の分野でも、様々なスポーツ、芸能文化サークルと友好的な関係にあり、
経済的応援をしてところいもある。ギリギリの提案だった。
そして、今日8月1日、日本将棋連盟の臨時総会が東京・千駄ケ谷のけんぽプラザで開かれた。
総会には現役、引退棋士合わせて195人のうち192人が出席したらしい。
そして、契約期間を7年間(66〜72期)とした毎日新聞社の案に対する表決を行った。
結果は僅差だった。賛成90票、反対101票(議長は投票せず)。毎日は敗れた。
将棋指しの理解を受けることが出来なかった。
見事な「負けぷり」だった。将棋指しは、拝金朝日新聞社を選んだ。
これで「毎日の名人戦」は再び、朝日の手に落ちた。
伊藤編集局長は「約70年前に私たちの先輩が創設した“毎日の名人戦”に注ぐ我々の思いが、
十分に理解されなかったのは残念ではあります。が、将棋界で最古の伝統と最高の権威を持つ名人戦が
いっそう発展し続けることを心から願っています」とコメントした。
この騒ぎが起こって、多くの棋士、全国の将棋ファンから、毎日新聞社は温かい激励を貰った。
それだけで良いじゃないか。拝金新聞社と闘う意味なんてないじゃないか。
森内俊之名人、羽生善治王将をはじめ、棋界をリードする有力棋士が
毎日を支持してくれたじゃないか。
毎日新聞には幾つも「宝」があるじゃないか。例えば「点字毎日」。
目の不自由な人のために赤字を覚悟でやっているじゃないか。
拝金主義の新聞社がやらないことをするのが毎日新聞の使命じゃないか。
どうせ、時代が変われば、名人戦は戻ってくるさ。
今夜は、負けっぷりナンバー1の毎日に乾杯!
損得よりも信義
7月31日(月) 田中康夫知事、苦戦?
31日の信濃毎日新聞が一面トップで「村井氏と田中氏 横一線」と知事選情勢を報じている。当初は「田中康夫知事が圧倒的な強さ」と伝えられていたが、そうでもない
らしい。
相手の村井仁さんは6期も衆議院議員を務めたベテランだが、知名度はイマイチ。全国区とは言えない。羽田孜の側近で、自民党・新生党・新進党と行動をともにしたが、
後援会の要請で自民党に復帰。郵政民営化の旗振り役を務めていた。ところが、スジを通す人柄か「政府案では民業圧迫になりかねない」と法案に反対。その結果、前回の衆
院選では自民党の公認を得られず、泣く泣く引退を表明した。
それが、突如、県知事選に立候補したのは「田中知事が圧倒的に強く、誰が出ても勝負にならない」という下馬評。「対立候補がいなから」で、村井さんにお鉢が回った。
しかし、その村井さんが善戦している。
一方、田中さんも郵政民営化法案には因縁がある。自民党内の反対派が新党を結成した時、田中さんは「新党日本」の代表に就任した。あくまでも反自民。その田中さんが
「自民に復党した村井さん」と戦う。ヘンな構図だ。
因縁の闘いは・・・信濃毎日は28〜30日に県内全域で電話世論調査を行っているが、その結果では両者横一線。(2割の有権者が態度をきめていないが)村井氏は北信
と中信で優位。特に衆院議員時代に基盤とした松本地域ではハッキリと差をつけている。田中さんは南信(飯田、諏訪など)で村井さんを上回っているらしい。男女別では、
村井さんが男性の支持者が多く、田中さんは女性。田中さんは革新陣営に浸透しているといわれるが、2002年の出直し知事選のような勢いはないようだ。
微妙に自民総裁選にも、影響があるから、誰が村井応援に長野へ行くのか。小沢さんは田中支持に動くのか。興味深々。
今週の「大きな声では言えないが」は昭和天皇の靖国発言メモについて書いてみた。新聞記者の1人として、日経の勇気あるスクープを支持したい。読んでくれ。
人気もいつかは雪崩を打つ