「ここだけの話」

傑作バックナンバー

毎日新聞連載

キレタマに変えます!

 コラム「ここだけの話」を書き出して、どのくらいたったのだろう。スクラップ帳を開いてみた。

 第1回は1998年1月7日の「友人から届いた遺書」。そうそう、東京・浅草で料理店を営む友人が「自ら死を選ぶ結果になりました」 と遺書を送ってきた話だった。

 このころ、資産デフレが深刻で自殺者が激増していた。「ここだけの話だが、僕のボーナスは額面147万7000円。この数字を明ら かにするから、中小企業が貸し渋りで苦悩している時、金融機関はどのくらいボーナスを社員に支給したか、公表してもらいたい」と書い た。

 それから7年。連載400回弱。「こんなことまで書くなんて」と同僚から不評を買った僕のボーナスは確実に減り続けた。「もらい過 ぎ」と言われた銀行員の給与も世間並みに落ち着いたらしい。7年たつと、時代は変わる。

 銀行員の友人が「いま給料が一番高いのはテレビ局とIT企業だ」と言う。調べてみると民放各社が上位を占めている。“公共の電波” を半ば独占するテレビ局の社員が高給取りになった。毎日新聞社はともかく新聞記者の実入りも結構高い。

 IT長者、と言うよりも「M&A業者」のホリエモンがフジテレビを乗っ取ろうとする超情報化時代だ。(ラジオは構造不況産業。「ニ ッポン放送を変える」なんてうそっぱち。標的はフジテレビ。それにしても、ニッポン放送の給与もなぜか高い)

 情報を持つ者が勝つ。勝ち組と負け組がハッキリした。権力と非権力がハッキリした。そして……経済的に勝ち組に属するマスコミ人が 御身大事に? 報道を自己規制している。

 「ここだけの話だが……」なんて悠長な言い回しで、モノを書いてはいけない、と思った。今でも「よくまあ、率直に書きますねェ」と “権力”から皮肉っぽく言われる僕だが、もっとズバッと本音を書かねば……。

 次回から、このコラムの名前を「牧太郎のキレの良いのが珠(たま)にキズ」に変えることにした。湯気が出る、ポッカポカの世相を切 れ味よく書きたい。今まで以上に“権力”とにらみ合うことになるが「珠にキズ」と笑ってくれ。

 愛称キレタマ、よろしく。

(毎日新聞東京版3月22日夕刊掲載)


地下鉄サリンから10年

 フィナンシャル・タイムズ紙のデビット東京特派員が「あの日」のことで取材に来られた。ここだけの話だが、朝日VSNHK、ホリエ モン、堤前会長……と興味が拡散して、すっかり「あの日」のことを忘れてしまっていた。内なる風化である。

 あの日……95年3月20日午前8時すぎ、東京の5本の地下鉄に猛毒のサリンが撒(ま)かれ、通勤客、駅員など11人が死亡、 5512人が重軽傷を負った。地下鉄サリン事件。それから、10年である。

 来日3年目のデビット記者は「オウム真理教は何だったのか? その後の10年は何だったのか」と聞く。彼は、作家・大江健三郎さん らにも同じような質問をぶつけたらしい。

 この10年……どう評価すれば良いのか、言葉に詰まった。マスコミとして初めて「オウム真理教の狂気」を追及した我々は、この事件 に「知的基礎体力の欠如」を痛感した。普通の社会性を持ち合わせれば、オウムの“まやかし”にすぐ気づく。しかし、高学歴の若者が次 々に騙(だま)された。家庭で、学校で、職場で孤立した若者が知的基礎体力を失い、無差別テロに加担した……あの時、僕は、そう総括 した。

 もちろん、当局にも油断があった。強制捜査の情報が事前に漏れ、オウムは捜査かく乱を狙って、サリンをばら撒いた。もし、情報が漏 れなければ……。

 それから10年。この国はどう変わったのか……僕には、この国の指導層が「知的基礎体力の欠如」と「油断」に陥っている、としか思 えない。

 「超能力」という言葉を使って教祖が人々を騙したのと同じ……とは言わないが、改革、民営化、自由な競争という“きれいな言葉”を 駆使して、勝ち組・負け組を作る。

 民主主義は「自由と平等」の哲学ではない。自由と平等の価値観は相反する。民主主義は「自由と平等のバランス」の哲学なのだ。その バランスが崩れたら……。

 アメリカで、ごく普通に行われる敵対的M&Aが起こると「これはテロだ」と言ったりする指導層。テロではない。「自由」に傾斜し過 ぎれば、当然、起こる外資の企て。「10年たって、日本は油断した国になった」と、僕は答えてしまった。

(毎日新聞東京版3月15日夕刊掲載)


ホリエモン・バブル

 おしゃれ誌「GQ JAPAN」の表紙にホリエモンが登場した。

 ホリエモンはニッポン放送株を既に42%?も買い占めたライブドア・堀江貴文社長の愛称。昨年9月のデビュー以来4戦4敗、いずれ も10着以下という彼の愛馬の名前だったが、いつの間にか、ご主人様のニックネームになった。

 表紙のホリエモンは……いつものTシャツではなかった。「ネクタイを締めないなんて礼儀知らず」と言われても、Tシャツは“老害” と立ち向かう彼のトレードマークだったハズだが、意外にも三つぞろい。Tシャツ姿をヘアデザイナーが改造して、頭をすっきり軽くして 顔を長く見えるようにしている。

 編集長さんに「企画の狙い」を聞こうとしたが、あいにく長期出張で連絡が取れず、その辺の事情は分からないが、写真が撮影されたの は昨年末らしい。

 さて、盛装のお値段は……スーツ42万円、シャツ1万8900円、ネクタイ1万8900円、靴10万3950円……。月給取りの僕 から見れば“王様の衣装”である。

 もちろん、彼にとって断じて高額ではない。いつものTシャツが1枚数万円、十数万円……なのだ。

 ホリエモン現象が日本人の金銭感覚を微妙に変えようとしている。Tシャツの若造(失礼)が一晩に800億円もの大金で株を買い占め る。カネがあれば、何でも出来る。(金権体質の政治家が批判するのはお門違いだが)ともかく、カネがかっ歩する。気分はバブルの再来?

 何億、何十億、何百億……という「数字」に人々は次第にマヒする。なけなしの財産が低金利で、実質的に目減りしている。人々は「若 造のカネ」をどう見ているのだろうか。

 4月からペイオフ全面解禁。「危うい金融商品」が大挙して登場する。ここだけの話だが、振り込め詐欺も顔負けのインチキ商品もある。 国民生活センターに寄せられた金融商品のトラブルは昨年1年間で12万件強。ホリエモンが「投資の妙」を教えるハイリスク・ハイリタ ーンの日本は、投資家保護が法的にないがしろにされている日本でもあるのだ。

 餌食になってはいけない。

(毎日新聞東京版3月8日夕刊掲載)


コリア系日本人に

 戦前、在日韓国・朝鮮人は日本国民だった。日本帝国が大韓帝国を併合した1910年以来、すべての朝鮮人は日本国籍を持たされてい た。

 戦後、サンフランシスコ平和条約が発効した52年4月28日、日本政府は法令で在日朝鮮人から日本国籍をはく奪した。個人の国籍選 択を認めなかった。「国籍はく奪には違憲の疑いがある」という指摘もあったが、当時「在日」は反日感情が強く「日本国籍は自らのアイ デンティティーを否定する」と考えたのだろう。国籍はく奪に抵抗は少なかった。

 そして、日本に住み、日本語を話し、税金を払う在日コリアンは現在47万人。“主権者の地位”を奪われたまま、戦後60年を迎えた。

 2001年1月、自民、公明、保守の与党プロジェクトチームは「基本的人権の原則と照らし合わせて適切でない」という立場で、旧植 民地出身者と子孫の特別永住者が日本国籍を取る要件を緩和する「国籍取得特例法案」を作った。

 法案には(1)日本国籍を届け出によって取得できる(2)従前の氏名をそのまま使うことができる……と明記された。「帰化」ではな い。日本の帰化手続きは「日本人らしい氏名」を求めているが、法案では「ルーツとしての氏名」をそのまま名乗り、コリア系日本人にな ることが可能だ。多民族多文化時代である。

 ところが、法案はいつになっても上程されない。公明党はこれとは別に「永住外国人への地方選挙権付与法案」を提案したが継続審議。

 日本人になろうとする「国籍取得特別法案」と、外国人として権利を主張する「地方選挙権付与法案」は立場が微妙に違う。ここだけの 話だが、参政権付与は“票田”にからむから微妙だ。

 2月10日、衆院第2議員会館で開かれた「特別永住者等の国籍取得特例法をめざす集会」は「今国会で成立」を訴える決議をした。

 「冬のソナタ」の韓流ブームを、朝鮮日報は「17世紀の熱烈な朝鮮ブームを作った朝鮮通信使以来の出来事」と書いた。朝鮮出兵の戦 後処理が行われ、江戸時代の260年間に12回来日した朝鮮通信使のことだ。日韓にまたとない友好の機運。国会はどう動くのだろうか。

(毎日新聞東京版3月1日夕刊掲載)


すてきなチャレンジ

 スポーツ紙の競馬欄に「東大卒調教師ウマれた!」という見出しが躍った。「ウマれた」はスポーツ紙の得意な駄ジャレ。東大文学部日 本史学科卒の小笠倫弘(おがさみちひろ)さん(33)がJRA調教師試験に合格したのだ。

 おめでとう。調教師を目指すのは、競馬サークルの家族が多いから、血縁のない小笠さんのチャレンジは確かに珍しい。「赤門卒は史上 初」と書いてある。しかし、である。へそ曲がり? の僕は「今時、東大卒がニュースになるの?」と思った。東大卒は特別の存在ではな い。ここだけの話だが、サラリーマンの世界でも、仕事のできる東大卒もいれば、箸(はし)にも棒にもかからない東大卒もいる。官僚の 世界でさえ、東大卒だけで生き残れるほど甘くはない。マスコミが“異色の東大卒”と特別扱いするのは、いささか時代遅れではないだろ うか。

 小笠さんだって、何かにつけて東大卒と言われたら迷惑だろう。馬が好きで好きでたまらない青年が、ごく普通に「東大馬術部→JRA 調教師」の道を選んだだけである。

 僕だったら、他の事を伝えたい。同時に発表された騎手試験合格者の中に西田雄一郎がいた。95年、騎手試験に合格した西田は、この 年10勝。96年にはサクラエイコウオーで七夕賞を快勝。有望な若手騎手だった。

 ところが……98年、彼は2度スピード違反をしてしまう。しかも、警察の出頭要請に応じなかった。

 彼に(マスコミも含め)世間は厳しかった。彼は騎手免許を返上した。へそ曲がりの僕は「その程度のことで仕事を失うのか? 弁護士 を頼んで争えば、騎乗停止半年ぐらいで許される」と思ったりした。何しろ、訳の分からない1億円を受け取った元総理大臣様が「もらっ たのだろう」と人ごとで済ます“寛容の国・ニッポン”だ。厳しすぎる、と思った。

 西田は6年たって騎手試験にチャレンジ。この間、宮城の牧場で馬の世話をする毎日。運転免許がなくなった亭主のため、奥さんが1時 間かけて練習に送り続けた。そして、合格した。

 西田君、おめでとう。

 時代遅れの美談報道と思わないでくれ。今の日本人に「けじめ」を教える“生きたマニュアル本”と思ってほしいのだ。

(毎日新聞東京版2月22日夕刊掲載)


授業料値上げの怪?

 以前から、永田町(それに追随する?マスコミ)の「政治とカネ」という表現に違和感を感じていた。

 ワイロを指弾するなら「政治家の汚いカネ」とハッキリ書けば良い。もし、政治資金が足りず苦労しているという話なら「政治家の経済 学」とでもいうべきだろう。それをごっちゃにして、漠然と「政治とカネ」と表現するから、いつも「政治にカネは付き物」に終わってし まう。

 日本歯科医師連盟の1億円ヤミ献金事件。例によって橋本元首相の証人喚問をめぐり審議拒否が始まる。「汚いカネは野党も同じ」と自 民党も開き直り、まるで“目くそ鼻くそ”。

 我々は国会議員に「仲間うちの不心得者」を征伐してもらうためにだけ歳費を払っているわけではない。前回「NHK受信料に消費税が 掛かるのはおかしい」と書いたら、読者の皆さんからものすごい数のメールをいただいた。「政治は受信料を義務づける明確な根拠を 示せ!」「ガソリン税に消費税が掛かる二重課税を追及せよ!」。ガソリン税(揮発油税+地方道路税で1リットル当たり53・8円)に は消費税が掛かっているのだ(軽油は「軽油引取税」で消費税ゼロ)。人々は「矛盾に満ち満ちたシステム」に腹を立てている。

 05年度予算案で、国は国立大学法人に対する運営費交付金を削減する代わりに、授業料標準額を52万800円から53万5800円 に引き上げた。文科省は標準額を決めただけで、決めるのは各国立大学法人、と言い張るが、運営費交付金を減らされたままでは、経営は 破たんしかねない。現時点で、半数以上が「値上げやむなし」。据え置きは1校だけ。

 03年の通常国会で国立大学法人法案が審議された時、当時の遠山敦子文科相は「授業料は上げない」と明言した。民間手法導入で競争 が生まれるというが、これは事実上「官主導」の値上げだ。ここだけの話だが、残りの大学は予算案の廃案を祈っている。 (詳しくは、今週発売のサンデー毎日の「青い空 白い雲」に)

 高等教育費の公費負担はドイツが91・3%で、日本は43・1%。政治哲学実現のためにどう平等にカネを集め、どう重点的に使うか。 それが本来の「政治とカネ」である。
(毎日新聞東京版2月15日夕刊掲載)


エッ、受信料に消費税?

 確定申告の季節。ここだけの話だが、一年中で一番苦手な季節だ。何か“落ち”があっては……と1年間の銀行口座も点検してみる。

 「16・2・26 25520 NHK受信料」と記載がある。

 自動引き落としで、気にもしなかったが……昨今のNHK騒動、月額“約”2000円の受信料は高いか、安いかは意見が分かれるだろ う。それにしても、なぜ“約”なのだろう。月額2000円、年間2万4000円なら分かりやすいのに……ひょっとすると……。

 NHKに電話した。「受信料のことで聞きたいのですが?」と言うと「どちらに、お住まいですか」。

 受信料支払い拒否の通告とでも思ったのか。「東京都○○区です」と答えると、即座に「○○局○○番にお掛け直し下さい」。

 掛け直して「受信料に消費税は入っているんですか?」と聞く。「お待ち下さい」。しばらくして「入っております」。「それはいくら ですか?」「ちょっとお待ち下さい」

 1分ぐらい待った。「衛星、カラーで2万4305円と5%の消費税で2万5520円だそうです」

 うかつだった。日本国は受信料にも消費税をかけていたのだ。

 許せない、と思った。受信料は「サービスの対価」ではない。サービスの対価なら、国民は「カネを払ってまで、NHKのサービスを受 けるつもりはない」と支払いを拒否することができる。

 だから、国は「サービスの対価ではなく、受信料はNHKを維持運営するための特殊な負担金」と定義づけ、国民に義務づけている。

 受信料はサービスを求める「消費」ではない。もし、国(の放送行政)が「負担金」と主張するなら、受信料は国民の義務。「税金」の ようなものである。(「資産譲渡等の対価に類する課税対象」という訳の分からない言い訳をしているようだが)どこに「税金」に消費税 を掛ける国があるか!

 受信料に付加された消費税。これこそ、国民にとって一大圧力。「政治家の圧力」で対決する朝日新聞もNHKも、なぜ、問題にしない のか。これこそ、NHK改革の第一歩なのに。不思議である。

(毎日新聞東京版2月8日夕刊掲載)


少子化は「票」に?

 「外向きの哲学」と「内向きの哲学」がある、ような気がする。

 自分も大事だが、家族も大事だ。家族も大事だが、地域、職場、学校も大事にしなければ……と考え、国家、世界(地球)はもっと大事 だと結論付けるのが「外向きの哲学」。 反対に、世界も大事だが、まずは日本が大事。日本が大事だが、職場はもっと大事だ。職場も大 事だが、家族はもっと大事……でも本当のところは、自分だけが大事……と考えるのが「内向きの哲学」である。

 哲学は、その日その日の出来心。人間は、ある時は「外向き」に、ある時は「内向き」に哲学して? 上手に生きる。資本主義のリーダ ーが数限りない規制を押し付け、実質的に社会主義国家? を作ったりするくらいだから「内向き」「外向き」の使い分けは、致し方ない。

 しかし「内向きの哲学(=自己愛主義)」だけではチト困る。昨今の自己中心的な事件や事象を見ると、内向きの哲学が充満して、歪 (ゆが)んだ世相を生んでいるような気がする。

 アンティークの勉強でイギリスの大学に留学している30歳の女性が、クリスマス休暇で帰国した時、「ロンドンはおなかの大きい女性 でいっぱい」と報告してくれた。英国は出産費用がタダである。パリは「出産費タダ、教育費タダ、育児休暇最長3年」でベビーブーム。 少子化にストップを掛けた。少子化を放置しているのは、日本と韓国ぐらいだ。(サンデー毎日のコラム「牧太郎の青い空 白い雲」で、 ここ2週「少子長寿化」について書いた。読んでほしい)

 「内向きの哲学」と関係あるかどうか、分からないが、日本が抱える最大の問題は少子化である。郵政民営化、年金改革、景気対策が実 現したとしても、このまま少子化が進めば年金、定年、退職金……すべてのシステムが崩壊する。出産にカネが掛かるなんて、後進国だ。

 財務省の某幹部が「ここだけの話ですが、少子化が止まらないと日本は沈没する、と政治家の皆さんに説明すると『そうだ』と言うんで すが、その癖、何も進まない」と嘆く。なぜ? 「少子化問題は票にならないからでしょうか」

 政治家の「内向きの哲学」は、ほとほと困ったものだ。

(毎日新聞東京版2月2日夕刊掲載)


ヤサ帳は誰のもの?

 イギリスの投資顧問会社に勤務する知人が、こんな話をしてくれた。

 「同僚の机の上が少し変わったような気がする。妙だな、と思っていたら……ある日、突然、その同僚が退職を申し出るんだ。上司との 話し合いがその場で行われ、退職が決まると彼は猛スピードで机を片付け始める。書類、フロッピー……。イギリスでは退職が決まった 人間は30分以内に職場を離脱しなければならない。つまり、彼は周囲に気づかれぬように“持ち出すもの”を外部に移動させていたんだ」

 なるほど。日本なら「お話があります」と部下が切り出し、上司が「退社? なぜ? 期待したのに」と慰留し、退職が決まっても“後 釜”が決まるまで勤務を続ける。送別会という儀式もある。

 イギリスは違う。退職した人物が情報を持ち出すのを防ぐ“30分ルール”。突然の退職は、情報を持って「敵」に寝返りすることでも ある。

 日本でも「寝返り」は増えている。新聞業界も変わらない。ここだけの話だが、同僚記者が同業他社に移ったりすると、何となく腹が立 つ。

 例えば「ヤサ帳」である。「ヤサ帳」は新聞業界でしか通用しない隠語。ヤサとはサヤ。刀が鞘(さや)に納まるように、人間もネグラ に戻る。つまり、ヤサは住宅のこと。「ヤサ帳」はキーマンの住所録である。

 事件の捜査状況を知るために、事件記者は刑事(デカ)さんの自宅を訪問する。公務員には「守秘義務」があるから、職場では黙して語 らない。だから“夜討ち朝駆け”。

 しかし、その刑事さんの住所を探し出すのが難しい。やっと出来上がった「ヤサ帳」は運命共同体を誓い合った同僚との共有財産になる。 その宝が同僚の退社と共に流出する。

 今、日本でも、こんなことがありとあらゆる分野で起こっているのだろう。バブル崩壊後、「終身雇用は終わった」という謳(うた)い 文句で、リストラ力(強引に「首切り」する力)を誇った会社が生き延びた。が、多分、これからは「上手な雇用で情報とノウハウを守る 企業」が生き残る。

 それに……寝返り男よ。ストレスを抱え、新しい職場で生き残るのも、難儀じゃございませんか。

(毎日新聞東京版1月25日夕刊掲載)


“高利”の奪い合い?

 モノの本質を隠す、巧みなネーミングが跋扈(ばっこ)している。

 「消費者金融」などはその最たるもの。賢く善意の(それでいて弱い)消費者を支援する金融。無担保、無保証、即決。緩やかな融資条 件で、確かに便利だが、おおむね年18〜25%を中心にしたローン商品。法定内金利ではあるが、ズバリと本質をとらえる古い日本語で 言えば「高利貸」と感じる人も多いだろう。

 「消費者金融」の存在価値を否定するつもりはない。が、もし「高利貸」という言葉が使われていたら、安易に利用する人は少なかった と思う。昨今、日本人はネーミングにだまされる。

 遊興費のために10万、20万円と借りまくる青年に「年利18%でいくらになる。考えろ!」と注意した。事実、消費者金融で返せな くなり、ヤミ金融を紹介されたやつもいる。

 その「消費者金融」が銀行と提携し始めた。アコムと三菱東京フィナンシャル・グループ、プロミスと三井住友フィナンシャル・グルー プ……。

 驚いた。消費者金融は、銀行では貸せない顧客に融資をして成長した業界だ。銀行には住宅・教育・自動車といった目的ローンはあるが、 遊興費を貸す「文化」はなかった。それが、一体、どうしたんだ。

 ここだけの話だが、不良債権処理が一段落した銀行群が収益強化に向かって「高利」に目覚めたのではないか、と友人が話してくれた。

 目覚めたのは良いが、銀行には「担保を持たない個人」を審査するノウハウはない。そこで、個人信用情報を持つ消費者金融と提携する。

 老舗銀行の建物の中に、消費者金融のローン申し込み機が置かれるのか。金利は? 消息通は「銀行のローン商品はおおむね年12%以 下。消費者金融のローンは18〜25%前後。この空白部分12〜18%に新しい商品が出るのでは」と予想する。

 しかし、疑問は残る。これまで、甘い汁を吸っていた消費者金融が、なぜ銀行と提携するのか。

 答えは「少子化」だった。お得意先の「収入が低い、信用力が低い、担保がない20代」が少子化で減る。そこで、新しい「お客」を銀 行から奪う。

 「提携」とは「奪い合い」のことなんだ。

(毎日新聞東京版1月18日夕刊掲載)


ハンデキャッパー

 急に寒くなった1月4日朝、また一人“職人”が逝った。昭和の名ハンデキャッパー・柴田裕さん、63歳。全国に十数人しかいないハ ンデキャッパーの早過ぎる死だった。

 競馬法施行令15条に「馬の競走能力を概(おおむ)ね等しくするため、その能力に応じて負担させる重量を決定する」という規程があ る。強い馬に重い重量を背負わせ、弱い馬に軽い重量を背負わせる。さすれば両者の能力差は縮まり、すべての馬に勝利の機会が概ね均等 に与えられる。これをハンデ戦という。ここだけの話だが、競馬は強いから勝つ、というわけではない。人間社会で強い人が必ずしも勝た ないため格差是正があるように、競馬の世界でも、勝利の機会を均等にする必要があるのだ。

 「どうせ勝てないなら」と、弱い馬の馬主・調教師がさっさと出走を辞退してしまっては困る。出走頭数が少なくなれば馬券の売り上げ は落ちる。馬券の売り上げの10%以上を吸い上げる国庫にとってはハンデ戦が必要なのだ。もちろんファンも、手に汗握るハンデ戦が好 きだ。どの馬が勝ってもおかしくないレースを作る、それがハンデキャッパー。

 柴田さんは1964年、岐阜大学の獣医科を卒業。JRA(日本中央競馬会)に獣医として勤務したが、ハンデキャッパーが性に合った のだろう。71年からこの道一筋。何百、何千というレースのハンデを決めてきた。馬体の好不調、競走距離、レース展開、騎乗法、過去 の着順……ありとあらゆるデータを勘案して、ゴール前、すべての馬が横一線になるのを究極の目的にハンデを決める。朝4時に起きて、 連日、馬の調教を見定める。

 横一線のレース? 例えば、平成2年新潟記念。49キロの最軽量の6歳馬サファリオリーブが勝ち。ハナ差、ハナ差が続き、1着から 12着までコンマ1秒差の激戦だった。

 柴田さんは「あなたのベストハンデレースは?」と聞かれるたびに「まだ、おれにはないよ」と言い続けたが、僕の印象では、その腕は JRA一ではなかったか。

 柴田さんからハンデキャッパー業務を教えてもらった韓国馬事会の代表が葬儀に参列した。「職人の腕」は国境を越えた。

(毎日新聞東京版1月11日夕刊掲載)


埋め込みチップ

 テロにでも巻き込まれたのか、とにかく病院の救急治療室にいる。同僚も、取材先の知人も、傷ついて収容されている。大惨事?

 早く何とかしてもらわなければ……右隣の人は手術を受けた。次は僕の番だな、と思ったら、左の人のところへ医師は向かった。人々は 次々に回復する。だが、なぜか医師は僕のところへ来ない。嫌われ者の新聞記者だから、見捨てられるのか。助けてくれ〜!……と叫んだ ところで目が覚めた。

 2005年の初夢。地震、津波、放火……といった「災」が意識の片隅にあったからか……夢の中で、僕の手当てが後回しになったのは、 年末から混合診療を勉強して、もしかすると、医療に貧富の差が生まれるのでは、と心配していたからか……。

 親しい医師に「ヘンな夢を見た」と言ったら「診療後回し? ウーム、正夢だゾ」と脅かされた。

 「ここだけの話だが、2005年中に、日本でも体内埋め込みチップが大論争になる」。ヘッ、体内埋め込みチップ? 何だ、それ?

 最近、米国アプライド・デジタル・ソリューションズ(ADS)社は人体埋め込み型IDチップを開発、発売した。米粒大のチップは音 も出さず、目にも見えないが、利用者の情報が保存されており、読み取り装置にかけると情報が出てくる。「商品に付いているバーコード と同じだ」と彼は説明した。

 価格は200ドル。それに、チップを医師に埋め込んでもらう費用と月額10ドルのデーターベース管理料。で、どんな利点があるの?

 原子力発電所の建物へ入る時、職員はID認証装置にカードを通す代わりに、チップを埋め込んだ腕を出せばよい。“腕”でATM (現金自動受払機)から現金を引き出せる。

 「チップを医療データベースとリンクすれば、意識不明の患者の体をスキャンするだけで病歴が分かり、すぐ処置できる」

 なるほど、チップの有る無しで、治療スピードに格差が生まれるのか。

 でも、これでは「人間端末」ではないか。データを独り占めにする者に、人間は完全に支配される。そんなばかなこと、夢であってほし い。

(毎日新聞東京版1月4日夕刊掲載)


島倉千代子の50年

 社会部の大先輩・オープンさんから手紙が来た。オープンさんは本名・開真(ひらきまこと)。名前通りのあけっぴろげな性格。いつも 人気者だった。

 手紙に新聞のコピーが入っている。「小生も79歳。身辺整理をしていたら、同封の記事が出てきた」

 「若だんな楽団、近く表彰 防犯にも一役 北品川」という1953年5月8日東京城南版の記事。若い商店主が楽団を作り、留置人や 恵まれない子供らを慰問している。カット写真付き。多分“駆け出し”のオープンさんが警察で拾ったネタだろう。

 本文に「歌は品川中学3年生・島倉千代子さん」とある。ひょっとして……オープン先輩「調べてみろ!」と後輩に“命令”している?

 お千代さんをやっとつかまえた。「この記事にある島倉千代子さんはあなたですか?」とぶしつけな質問。

 「ヘッ! この写真……。そうよ、アコーディオンを弾いているの確かに私です。こんな記事があったんですか」とお千代さん、歓声を 上げた。

 当時、売春防止法がなく昔のままの「女郎屋」が並ぶ北品川地区は犯罪多発地区だった。そこで防犯に一役買った若だんな衆。記事を読 み終え、お千代さん「そんな意味があったんですか」と、しみじみ。

 今、品川は東京で一番ナウい街に変貌(へんぼう)した。“のど自慢荒らし”の少女は、この翌年、プロになった。それから50年。

 今年もNHK「紅白歌合戦」がやって来た。86年まで30回連続出場の彼女は「いつ落ちるか、恐怖の連続で……」。翌年、紅白を辞 退した。美空ひばりから「これで良いの? 後悔しない?」と電話が掛かった。「ハイ、ありません」と答えて、初めて静かにテレビを見 たという。

 今年、視聴者アンケートで「紅白」に出場する。「ここだけの話よ。わたし、去年、あることがあって心が飛んだの。声が飛んだの」と 涙ぐんだ。大ヒット、結婚、破局、借金、がん……。「人生いろいろあったけれど、声が出なくなるほどのストレスは初めて」。身近な人 の一言で声が出なくなるなんて……。理由は聞かなかった。だって、お千代さん、克服したんだから。

 大みそか、島倉千代子は万感を込めて、半世紀を歌う。

(毎日新聞東京版12月28日夕刊掲載)


バルクを応援するぞ!

 競馬ファンでなくても、ハイセイコー、オグリキャップの名前はご存じだろう。目立つ血統でもない(つまり価格も安い)地方出身の競 走馬がさまざまなハンディを背負いながら、中央の良血馬(つまり価格が高い)に挑む。ひた向きに走り続ける“地方の怪物”。庶民は 熱狂した。

 ブランド野郎に負けるものか!

 2004年冬。そんなドラマが、再び幕を開けようとしている。北の星・コスモバルクである。

 バルクは01年2月10日、北海道三石(みついし)町の牧場で生まれた。父はアイルランドダービー馬のザグレブ。97年、日本で種 牡馬になったが、ロクな子供が生まれない。バルクが生まれた翌年、故郷のアイルランドに帰っていった。タネ馬としては負け組? だっ た。母・イセノトウショウはレースで走ったこともない。

 バルクは、ネズミのような、見栄えの悪い馬だった。が、岡田繁幸(おかだしげゆき)氏の目に留まった。馬の才能を見極める「相馬眼」 では業界1、2と言われる岡田氏はセリ市の季節になると集中力でゲッソリやせる。命がけだ。

 彼は500万円前後の安値でバルクを手に入れた。1億円の超良血馬とは比較にならない。

 日本の競馬では馬主と調教師は別だが、馬主の岡田氏は自前の北海道静内(しずない)町のビッグレッドファームでバルクの特訓を始め た。

 そのころ、北海道営競馬に革命?が起こっていた。競走馬は一定期間、競馬場・トレセンのきゅう舎に寝泊まりしてレースを迎えなけれ ばならないが、道営は「民間の育成牧場からレース当日、競馬場に直行できる制度」を導入したのだ。岡田氏は直前まで自分の牧場でトレ ーニングした。バルクは北海道で4戦2勝。そして、輸送に20時間以上もかけて、東京、京都などに遠征7回。皐月(さつき)賞、ダー ビー、菊花賞に挑んだ。ひた向きだった。そして惜敗を繰り返す。古馬との対決・ジャパンCも2着。

 今度こそ! 「負け組」がリストラ、増税で苦しみ、災害に傷ついた人たちが歯を食い縛る2004年冬。26日の中山競馬場の有馬記 念で、打倒!勝ち組、打倒!ブランドのドラマが始まる。

 ここだけの話だが、僕はもちろんバルクの単勝を買う。

(毎日新聞東京版12月21日夕刊掲載)


ニートより無気力で

 毎日新聞の緊急世論調査で内閣支持率は37%。イラク自衛隊派遣延長に反対した人が62%もいた。ここだけの話、この数字には驚 いた。

 と言うのも……一部メディアはサマワ視察セレモニーを伝えるだけで“延長容認派”にくみしていた。延長を閣議決定した時点でCN Nは「日本国民に強い反対があるが、小泉内閣は派遣を決定した」と報じたが、NHKは国内世論にほとんど触れず「イラクは歓迎。た だ一部宗教関係者が非難した」と報道した。

 イラクの反応はNHKが言うほど単純ではない。自衛隊員にも「サマワでも反米感情は強く、一体と思われるのが怖い」という意見も ある。NHKは小泉政権の言いなりで「独立性」を放棄した、と僕は思う。

 民放の朝ワイドは、この時期「ウソつき北朝鮮」一色。北朝鮮は許せない。取材に力が入る。が、その分「イラク」は片隅に追いやら れる。

 政府はなぜ、派遣延長決定の時期に「めぐみさんの遺骨はニセモノ」と発表したのか。意図は分からないが、結果として北朝鮮一色で ある。

 巧妙な世論操作が功を奏し、多くの人々が「イラク」を忘れてしまったのか?と危惧(きぐ)したが……そうは問屋が卸さなかった。 日本人のバランス感覚は脈々と生きていた。

 それなのに……派遣延長に反対して、わざわざ首相官邸に押しかけた自民党の大物議員3人組はどうしたのか。派遣延長がゴリ押しさ れればKKKの3人組は自民党を離党する、と期待する向きさえあった。

 それが何もしない。「残念ながら運動にならなかった」と平気の平左(へいざ)である。巧みな世論操作に負けたのは国民にあらずし て政治家だった。

 決起しない政治家……最近のニート(NEET=Not in Education,Employment or Trainin g=就業、就学、職業訓練のいずれもしない若者)と“無気力さ”において似たり寄ったりである。

 いやいや「選挙」という名の就職活動にはことのほか熱心で、職にありつけると不正政治献金、職権乱用、国会審議無視、弱者・老齢 者いじめ……そのうえ、国家の大事で平気で裏切る。「無気力」を装うこんな悪質政治業者は始末が悪い。

(毎日新聞東京版12月14日夕刊掲載)


ウソつき大賞

 「2004年ウソつき大賞」も大詰め。三賞の発表です。殊勲賞は「テレビが壊れた!」です。(拍手)

 NHK職員の制作費着服に腹を立てた視聴者の抗議のウソ……ですよね? 解説の宇曽野つく造さん。

 「そうです。テレビが壊れたので受信料を解約する、と電話したら、数日後にNHKから受信契約廃止届書が届いた。月に約3万件も 不払いが増えているようですね。NHKもウソと知りつつ、拒否することが出来なかった。もし『海老沢NHKが壊れました』ではあまり に生臭くて、三賞には入らなかった、と思いますよ」

 生臭いと減点ですか。分かりました……さて、次の技能賞は橋本龍太郎さん。「私が1億円を受け取って、渡したことは事実なんだろ う」です。(エッ!) 皆さんは驚いていらっしゃいますが、なぜ、これが技能賞なんですか? 宇曽野さん。

 「例の1億円ヤミ献金事件です。政治倫理審査会で元首相が言った言葉です。『事実』と言っても、これは立派な『ウソ』なんです。 昔からある『記憶にありません』のたぐいなんですが、時間差技が光る」

 何ですか、時間差技というのは? 「つまり、世間の注目が集まる時には身の潔白を主張し、熱が冷めたころ、『事実なんだろう』と人 ごとのように言う。それが光りました」

 なるほど。次は敢闘賞です。あっ、これも政治家です。「自衛隊が活動する地域が非戦闘地域」です。

 「さすがにウソつき大賞常連! 小泉さんは今年も頑張りました。下手な禅問答で『必要な時期に(自衛隊派遣を)説明する』と逃げる。 もう、とっくに延長を決めているのに」

 エッ、自衛隊派遣延長が決まっている? 驚きました。ここだけの話でいいですから、教えて下さい。

 「あなたもテレビ局員でしょ。あなたこそウソつきだ。取り返しのつかない派遣延長を知りながら、ウソつき大賞の司会なんかしていて ……」

 ……(司会者に苦渋)。急ぎましょう。優勝は? そうです。ブッシュ大統領の「イラクに大量破壊兵器がある」……そこで目が覚 めた。

 ばかげた夢を見ているうちに、自衛隊派遣の期限は12月14日!

(毎日新聞東京版12月7日夕刊掲載)


カネの切れ目が…

 インフルエンザの予防注射をした。料金は4200円。保険適用外だから仕方がないが、ちょっと痛い。 患者が少なくなれば国家財政 は助かる。保険にすればいいのに……。

 酒を飲みすぎ(つまり酒税を人一倍払い続け)脳卒中になったのに、国は感謝状一つくれない。酒税・たばこ税は医療特定財源にすべき だ、なんて愚痴も出る。

 ともかく、腹が立つ。昨今、税と言わず、年金と言わず、国民の負担が肥大するばかりである。3割負担で「保険」と言えるのか。

 そこへ持ってきて「混合診療」の論議である。これまで日本は「混合診療」を禁止してきた。保険が利かない治療を受ける時は、検査、 診察料など本来保険が利く基本的部分も全部自由診療になる。「保険が利かないもの」が一つでも交ざると、治療費はすべて自己負担にな るのだ。

 そこで、お医者さんは知恵を絞る。ここだけの話だが、勃起(ぼっき)不全の患者にバイアグラを出すと「混合診療」になるので、糖尿 病の治療をしたことにしてバイアグラの分だけ全額自己負担。ヤミ混合診療? である。

 そのくらいなら「混合診療」を解禁したら……というのが小泉内閣の意向である。

 「混合診療」の解禁で喜ぶのはがん患者だろう。アメリカ食品医薬品局が認めている抗がん剤のうち、日本では約60が未承認と聞く。 日本では効果判定に時間がかかり、医師も、患者もそれを待てない。混合診療はこの「未承認抗がん剤による有望な診療」に道を開く。

 だが、待てよ。

 混合診療解禁の意向はどこから出てきたのか。経済財政諮問会議である。すべては破たんしつつある国家財政の帳尻合わせの“手品”。

 長期的に見れば、金持ちだけが優れた医療を受けることになるから日本医師会は「保険で利くものが小さくなる」と猛反対する。

 がん患者を救え!(ただし、これは抗がん剤をすばやく承認すれば解決する)。他方、教育・医療の「社会的共通資本」が金持ちだけの 物になる危険……。

 格差時代がやって来る。カネの切れ目が縁の……いやいや命の切れ目……嫌な時代になった。

(毎日新聞東京版11月30日夕刊掲載)


1対29対300の法則

 「1対29対300の法則」をご存じだろうか。

 アメリカの技師・ハインリッヒ氏が発表した労働災害の発生確率分析。「1件の重大災害の裏には、29件の軽度の災害があり、ケガ人 は出なかったが、ヒヤッとする300件の体験がある」というのである。

 確かに、ビジネスの世界でも、当事者が「ヒヤッとする失敗」と思っても、外部からクレームが来ないので、つい見逃して“大失敗”。 300件の「認識された潜在的失敗」があり、29件の「軽い失敗」が存在し「致命的な大災害」が起こる。

 日本も、いま「認識した潜在的失敗」を積み重ねている。

 例えば……香田証生(しょうせい)さんが武装グループに誘拐された。「ヒヤッ」とした。小泉さんは「テロに屈することは出来ない」 と言うだけで、自国民を守ることが出来ない。香田さんは星条旗に包まれ遺体で発見された。

 国家と国民の“契約”が履行できない。善意の外交官は悩んだ。しかし、国家にクレームは少なかった。

 「危険だから行くな!」と言われたのに無視した青年。「自業自得じゃないか。中越地震の惨状。それどころではない」という思いもあ った。

 しかし、もっと深層の部分で、日本人は「自衛隊派遣が失敗だったかどうか」を精査するのが怖いのだ。

 ブッシュ大統領は大義なき戦争を引き起こし、結果として、世界中のテロ集団をイラクに集結させてしまった。愚かな戦争? 罪のない イラク人、米兵も多数死んでいる。

 日本人の多くは「愚かな戦争」を十分に認識している(と思う)。だが……同盟国が失敗した時、その“力なき同盟国”はどうすれば良 いのか。それが分からない。ここだけの話だが、小泉さんは「ブッシュの失敗に目をつぶってくれ!」と言っているようなものだ。

 英国は違う。「ブレアはブッシュのプードル(忠犬)なのか」という激しい論議が展開されている。

 自衛隊派遣延長まで約1カ月。延長に反対する自民党議員は決然として離党すべきである。そうしなければ「認識した潜在的失敗」は 顕在化しない。このままでは、日本は、ただ「大災害」を待っているだけではないか。

(毎日新聞東京版11月16日夕刊掲載)


オバマって誰だ!?

 ブッシュVSケリーの米大統領選には、さほど興味がなかった。

 「イラク戦争の是非が最大の争点」と言われても、ピンと来ない。多くのイラク人が(暫定政府関係者は別だが)「どちらが勝っても変 わりない」と冷めた反応を繰り返す。「イラクが最大の争点」というのは限りなく虚構に近いように思えた。

 勝敗も予想できた。ケリー候補は「どこが悪い」と言うわけではないが顔つきに“難”がある。アメリカ人の好みは分からないが、口に こそ出さなくても日本人の多くは「暗い同僚は嫌だ」という程度の違和感を挑戦者・ケリーに感じていたはずだ。

 「辛うじてブッシュ勝つ!」という予想は的中した。最後は候補者のキャラクターが勝負を決める。

 それより……ここだけの話だが、イリノイ州の上院選挙が気になった。バラック・オバマ氏が勝つか? これが最大の関心事だった。

 オバマって誰だ? イリノイ州議会議員、バラック・オバマ氏。43歳。移民したケニア人を父に、カンザス州出身の白人女性を母に持 つ「アフリカン・アメリカン」である。

 貧しい家庭に育った彼は、なぜ、黒人の若者が自己破壊的な道を選ぶのか……そればかり考えて青春を送る。ハーバード大ロースクール に学んだ彼は大手弁護士事務所への就職をけってシカゴの貧困地域に住みつく。結局、「貧困」と戦うために政治家の道を選んだ。

 7月下旬の民主党大会で、オバマ氏は基調演説の大役を果たした。翌日のメディアは、同じ日に行われたケリー候補夫人のスピーチより、 この黒人州議会議員の基調演説を大々的に報じた。スター誕生? CNNで見て、がぜん興味がわいた。

 民主党のケリー候補がイラク戦争開始を要求した2002年、「私はすべての戦争に反対しているのではない。愚かな戦争に反対なのだ」 と主張したオバマ氏。2年後、ケリー候補が敗れた日、彼は上院選挙で勝利した。第二次大戦後、3人目の黒人議員。

 いつの日にか、アメリカに女性大統領、黒人大統領が生まれると確信する僕は彗星(すいせい)のように現れた「真っ白い歯のオバマ」 を次期大統領候補の“大穴”にリストアップした。

(毎日新聞東京版11月9日夕刊掲載)


天皇のお言葉

 憲法第1章第1条に天皇の地位は「国民の総意に基く」とある。総意とは「すべての者の意見」。民主主義原理に則(のっと)っている。

 しかし、第2条で「皇位は世襲」と定めている。子孫が代々受け継ぐ世襲は民主主義原理とは違う。この相反する価値観を両立させると ころに、2000年を超える日本民族の「知恵」があったのだろう。日本国憲法はたかだか60年足らずの歴史。改正もあり得るが「天皇 (制)」をなくそうとする動きは(現時点では)まずない。「天皇」は憲法より重い存在、と考える人もいる。

 戦後、昭和天皇は「無私」を貫いた。現憲法に忠実に「政治的なこと」に言及することはなかった。

 10月31日、天皇皇后両陛下はJRA設立50周年を祝って、天皇賞を観戦する予定だった。ここだけの話だが、陛下に一度だけお目 にかかった時、僕が「陛下のご観戦を心待ちにしております」と切り出すと、陛下は「皇太子の時は2回競馬場に行きました」と楽しそう に話された。

 ところが、突然の新潟県中越地震。陛下は「準備に尽くしてきた関係者に心苦しいことではあるが、せっかくの天皇賞競走に晴れやかな 気持ちで臨むためにも、行幸啓を取りあえず、来年まで1年延期することは出来ないか?」とお尋ねになった。

 10月26日昼「延期」が決まった。が、発表は夜まで遅れた。

 理由がある。同じように予定された秋の園遊会をどうするかで、宮内庁は揺れた。招待者に地震、台風で被災した自治体職員が含まれて いる。拝察すれば、園遊会より、両陛下は被災地を訪れ、お見舞いをなさりたいお気持ちだったのだろう。「(被災で園遊会に)出席でき なかった場合、次回以降に招待する」という文言が発表文に加えられた。

 その園遊会。東京都教育委員の米長邦雄さんが「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と話 した時、陛下は柔らかにだが、間髪いれず「やはり、強制になるものではないのが望ましい」と話された。陛下の強い意思を感じた。

 不透明な時代だからこそ「天皇」のお考えを知りたい、と思うのは僕だけだろうか。

(毎日新聞東京版11月2日夕刊掲載)


「ニセ本丸」の正体は?

 子供のころ、友達から映画の切符をもらった。何も“お礼”しなかったら、母にこっぴどく怒られた。

 人間は“無償”では動かない。仲良くなりたいから動く。名誉のために動く。恋で動く。金銭で動く。「だから、彼の好物の今川焼きで もおごって、仲良くなったら」と母は言った。

 人間は「何か」を求めて動いている。その「何か」を見定めるのは、幾つになっても、至難の業だ。同じ人物が同じ動き方をしても「何 か」は違う。建前、本音、ハッタリ、下心。うそが入り交じるから「映画の切符」のように単純ではない。

 小泉さんが「本丸」「本丸」と叫んでいる。何やら動いているのは確かだが、その真意が分からない。

 「本丸」とは、城の中心部にある、天守を築いた最も重要な郭(くるわ)である。「郵政民営化は改革の本丸」と言うからには、その「 本丸」に攻め入る、と決意表明しているのかもしれない。しかし、そこは、本当の「本丸」なのか。僕は怪しんでいる。

 以前、彼はことあるごとに「郵政3事業の民営化は財政投融資制度の抜本的改革につながる」と力説した。

 財政投融資は、財務省が年金、郵政資金を強制的に借り上げ、特殊法人、特別会計、さらに自治体に貸し付ける制度である。その残高は 実に350兆円。一般会計と違い、財投は国会審議を受けることなく(国民のチェックなしで)垂れ流しされる。しかも、ここだけの話だ が、その大半が返済不能?の借金なのだ。

 「財投」という名の不良債権。それを是正するための郵政民営化ではなかったのか。少なくとも、民営化で郵政事業が肥大化し、民業を 圧迫するのが目的ではなかった。

 9月10日の「郵政民営化の基本方針」から財投改革の言葉は消え、小泉さんは「ニセ本丸」に動いている。

 小泉さんが攻め入ったのは郵政族、建設族の拠点・旧田中城(=旧橋本城)の「本丸」? 角福戦争の昔から綿々と続いた旧田中派との 戦いが、ついに最終段階に入った。つまり「本丸」違い?

 相も変わらぬ政争の“愚”。嗚呼(ああ)「無償の改革」と勘違いした僕が、ばかだった。

(毎日新聞東京版10月26日夕刊掲載)


「お笑い」の大笑い

 秋は同窓会の季節。東京の下町、我が母校・台東区立育英小学校の昭和32年卒業組も同期会を開いた。

 「ことしは、みんな還暦だから派手にやる。絶対に来いよ!」と言われ、「あっ、僕も60歳なんだ」とホロ苦い気分。そう言えば、大 学を出たばかりだった美人先生はいくつになったのだろう。脚が不自由だという先生が伊豆からやって来られる。これまで、多忙を理由に 欠席していた僕も、初めて出席した。

 47年半ぶりである。誰も、僕のことなんて忘れているだろう、と心配だったが……ひょろ長い、屁理屈(へりくつ)ばかり、その癖、 算数と家庭科だけが「5」で、あとはオール「2」だった劣等生をみんな覚えていてくれた。

 「落語のことも覚えているワ」

 6年生のころ、ラジオの落語に夢中だった。当時はまだ、街頭テレビの時代。大人たちはラジオで講談、浪曲、落語といった娯楽を楽し んでいた。大人ぶる性癖があったのだろう。「僕は勉強しないで、落語を聴いているんだ」と妙な自慢をした。

 「なら、やってみろ!」ということになった。放課後、教室の隅に机を並べ、教員室から座布団を持ってきて高座が出来た。11歳の坊 主は生まれてはじめて落語「豆や」を演じた。悪い客が豆やをからかう話。ラジオで聴いた通りにしゃべった。

 同級生たちはゲラゲラと笑った。うまいもんだろう。才能があるのかなあ。有頂天。ここだけの話だが「落語家になろう」とさえ思っ た。

 「あの日のこと、はっきり覚えているワ」と一人が言った。そうだろう。小学生が教室で落語をしゃべるなんて前代未聞。記憶に残って 当然だ。急に胸を張りたい気分。同窓会の“壁の花”にならなくて助かった。

 懐かしそうに「そうそう、みんな、廊下に集まってなぁ。『やつ、本気だぜ』『困るよな。どうせ下手に決まっているのに』『でも、太 郎ちゃん、一生懸命だから、おかしくなくても笑うんだよ』と約束してなぁ」と、誰かが話した途端、60歳の同級生は一斉に笑い出した。 僕だけ「……」。

 何だ、あのゲラゲラ、やらせ? だったのか。

 でも……下町の「恥をかかせない友情」って、うれしいじゃないか。

(毎日新聞東京版10月19日夕刊掲載)


青い空、白い雲

 週刊誌、殺すにゃ、刃物は要らぬ、雨の3日も降ればいい−−。

 発売後の3日間が、週刊誌の売れ行きを決める。その3日間が雨だったら……売り上げはガクンと落ち込む。傘が週刊誌の大敵なのだ。

 10年ほど前、サンデー毎日の編集長だったころ、いつも「空」ばっかり気にしていた。東京地区発売の月曜日。午前5時半ごろ、寝 室のカーテンを恐る恐る開ける。雨。仕方ない。火曜も水曜も雨。朝から自棄酒(やけざけ)を飲みたい心境である。が、待てよ。雨に 泣いているのは僕ばかりではない。あの人たちこそ「雨」に泣いている。駅前の新聞・雑誌売り場に出かけた。

 「今週、何が売れてる?」と聞く。「売れないよ。この雨じゃあ。でも週刊××は売れてるね」

 雨の日でも売れているには、それなりの理由がある。それは何か?

 夕刊紙が発売になる昼、店を開けるおばちゃんは、秋の長雨のころ、足元に電気ストーブを置いていた。

 雨の日ごとに「何が売れてる?」とやって来る男に、彼女は「あんた誰なんだい?」と聞く。「実は……」と打ち明けると「あの売れ ない週刊誌の編集長さん?」

 大きなお世話だ。

 でも、売れない。約1時間、サンデー毎日はゼロ冊。週刊××は3冊。

 おばちゃんは当方に「売れるコツ」を教えてくれた。そして、それ以来、彼女は“売れる週刊××”の隣にサンデー毎日を置いてくれ た。

 新聞は偉そうに「テレビは視聴率ばかり気にして……」と批判するが、ここだけの話だが、新聞社系の週刊誌だって実部数に青息吐息 だ。

 先週から、古巣のサンデー毎日でコラムを連載することになった。タイトルは「青い空 白い雲」。僕の一番好きな言葉だ。今週の第 2回はシングソングライター・KEIICHIROの「青い空」を書いた。(良い話です。読んで下さい!)

 雨の日、JR浅草橋駅西口の売り場で久しぶりにサンデー毎日を買い、売り場の女性と話して驚いた。彼女、JR有楽町駅前で店を開 いた昔、再三、週刊××編集長H氏の来訪を受けたという。なんだ、彼も“同じ手”を使っていたのか?

 長雨の後は「青い空」だ。

(毎日新聞東京版10月12日夕刊掲載)


48年後の“荷風”続報

 品の良い、ご婦人が「この記事を読んで下さい」と訪ねて来た。

 昭和31年6月4日付の毎日新聞。「『ボク東綺譚(ぼくとうきだん)』の原稿 父子二代のリレーで秘蔵」の見出しが躍っている。

 「この世にないとされた永井荷風の名作『ボク東綺譚』の原稿が発見された。荷風は広瀬千香という人に懇願され、原稿を与えたが、売 却できないように最初の部分は破った。が、原稿は広瀬氏から<特に名を秘す人物>に譲られ、二代にわたって空襲と火災から守られた」 とある。

 婦人は「私は記事にある広瀬千香の娘です。秘蔵したという人が“特に名を秘す”で、なぜ、母が実名なのですか?」と切り出した。千 香さんは編集・校正を業とした人物。95年、98歳で亡くなっている。娘さんが代わって「真相」を語った。

 昭和11〜12年、荷風は「ボク東綺譚」を書いた。朝日新聞に連載する予定だったが、盧溝橋事件勃発(ぼっぱつ)直前の切迫した時 局で掲載が少し遅れた(昭和12年4月16日付で連載開始)。

 そこで、荷風は私家版を作ると言い出した。千香さんが校正を担当。本が出来た時、荷風から自筆の原稿をもらった。原稿は千香さんが 校正した分だけで、荷風が自ら校正した部分は入っていなかった。売却を防ぐためではない。

 昭和18年、千香さんは自費出版の支払いに困り「ある人」から借金した。借金のシルシとして、原稿を預けたのだが、借金を返済して も先方は「探す」と言うだけで原稿を返してくれなかった。

 「なぜ、あの時、母に取材してくれなかったのですか」

 「48年後の抗議」である。

 ここだけの話だが、誰がこの記事を書いたのか、分からなかった。事実関係を確かめるには時間がたちすぎていた。

 「私も81歳。母の汚名をそそがなければ、と思いましたが、聞いていただけただけで結構です」

 婦人の真剣なまなざしが目に浮かんで……悩んだ。

 大先輩記者が千香さんに会えば、その言い分を紙面化しただろう。なら、代わって僕が「もう一つの真相」を書こう。だからこれは「4 8年後の続報」なのだ。

(毎日新聞東京版10月5日夕刊掲載)


キーボードの罪?

 ごくまれに、雑誌社から原稿の依頼を受けることがある。

 数年前まで、編集者が電話を掛けてきて「ぜひ、お願いしたい。詳しくはファクスで」という段取りだった。電話で趣旨、字数、締め切 り、それに「些少(さしょう)ですが」と原稿料が知らされる。ファクスは確認行為。編集者が来訪されるケースも多かった。

 ところが、最近はメールが主流である。初めての編集者から依頼内容が記入されたメールがやって来る。後はこちらが返信すれば良い。 便利だ。でも……何か味気ない。

 多分、依頼された側の“観察行為”が拒否されるからだろう。電話で相手の声の質、言葉づかい、それに熱意……そんなものを“観察” して「書かせてもらいます」と決意するのだが、メールの依頼だけでは、依頼者の人となり、体臭のようなものは、まず伝わってこない。 依頼文のひな型が用意されていて、キーボードで先方の名前を打ち替えるだけではないのか。どうにも味気ない。

 1995年の秋から冬にかけて、新型のパソコン基本ソフト・WINDOWS95が驚異的に売れた。パソコン元年。そのころから、日 本文化は「意思の伝達=キーボードを打つ!」になった。

 それから10年……某大学教授が指摘する味気なさ。「自信がないのか、若者はまずメールのやり取りから始め、恐る恐るデートするん だ」。退職した刑事さんの味気なさ。「ここだけの話だが、調書をパソコンで取るケースが増えて、取り調べの“押し”のようなものがな くなった」

 記者会見で記者さんがパソコンでメモを取る。その手さばきは見事だが、概して、鋭い質問を浴びせる余力? を感じない。質問より、 まずはキーボードの入力なのか?

 そればかりか、「メールで夜回り」の記者が現れた。深夜、関係者の自宅を訪ねて取材する「夜回り」は相手の顔色を見ながら事実を確 かめるのだが、訪問せずメールで済ましてしまう。

 キーボードを打つ文化で、人々は「人間」と会わなくなった。

 キーボードの文字変換機能に頼って、すっかり「漢字知らず」になった日本人は、やがて「人間知らず」になってしまいそうだ。

(毎日新聞東京版9月28日夕刊掲載)


花博に行こう!

 あと20日ほどになった静岡県「浜名湖花博」。ここだけの話だが入場者データなるものを見せてもらった。

 初日の4月8日(木)曇りのち晴れ。入場者2万370人。ボランティア参加者177人。駐車台数は乗用車1954台、団体バス1 90台。車椅子貸し出し51台、迷子1人……。初日の出足はまずまず。この週の土日、入場者は3万5000人を超え、25日目の5 月2日(日)には7万2938人に達した。

 静岡県の人口が380万人だから少し高望みだが「500万人突破」の目標も夢ではない。何しろ、かつて例のない6000品種・50 0万株の草花。アンケートでも、お客さんの80%が「もう一度見たい」と答えていた。

 ところが、学校の夏休みに入った途端、入場者がガクンと落ちた。7月20日(火)1万1408人。前日のほぼ半分。そして、翌日 には、ついに1万人を切ってしまった。

 原因は? 20日はとてつもない熱波だった。東京の大手町で39・5度を記録した、あの日である。これを境に入場者は下降線。熱 波が人間の行動を明確に制約する。目標500万人は怪しくなった。

 地球の温暖化は間違いなく進行している。このままの速度で二酸化炭素が排出されれば、地球の100年後の平均気温上昇は1・4度 から5・8度。もし高い予想値が現実になったら、ある地域では草花はもちろん、人間の生存だって怪しくなる。事実、03年、フラン スでは熱波の影響で3000人が死んだ。

 入場者データを見た9月16日、会場では全国都市緑化祭が開かれ、地元の小学生が秋篠宮さまと共に、記念植樹にはしゃいでいた。 が、彼らが大人になったころ、地球環境はどうなっているのだろう。

 熱波が収まり、9月中旬になって入場者数は再び上向いた。「500万人突破」はギリギリ?

 10月11日閉幕。コスモス65種類、サルビア90種類、カンナ60種類、キク70種類……新たに登場する秋の花たち。

 ボランティアを含め約2000人のスタッフは「温暖化の行方」を心配しながら(心配するからこそ)花を愛する人々の来訪を最後ま で待っている。

(毎日新聞東京版9月21日夕刊掲載)


「引退の広瀬」

 「引退の広瀬」と呼ばれる男が引退する?と聞いて会いに行った。

 昼下がりの東京・赤坂、TBSの1階喫茶室。小柄な、でも猛烈にエネルギッシュな中年男が笑顔を振りまいて現れると、誰彼となく 会釈する。大変な“顔”である。

 広瀬隆一さん。何者なのか。

 「広瀬さんはサラリーマンなんですか」とぶしつけな質問から始めた。

 「れっきとしたTBS子会社の社員ですよ。でもサラリーマンになったのは10年ほど前かなあ……。学校時代からモータースポーツ・ ジャーナリストで飯を食っていたんですが、1964年、日本初のF1を取材するためTBSに出入りしたんです。そのうちに『奇麗な女 優に会いたくないかい?』と聞かれて『ハイ、会いたいです』と答えたら『君は芸能畑が似合ってる』と言われて……」

 広瀬さんは歴代の編成局長と番組宣伝業務の個人契約をした。その日から37年間バンセン一筋。「この仕事は放送記者に気持ちよく番 組の紹介記事を書いてもらうこと。記者さん、それぞれに、切り口の違うネタを用意するんです」

 ドラマの視聴率は、放送当日の朝刊ラジオテレビ欄に紹介コラム(例えば毎日新聞の「視聴室」)が掲載されるかどうかが、微妙に影響 する。10年前「TBSの人間になったら」と誘われ、50歳で初めてサラリーマンになった。

 担当した番組。「時間ですよ」「ザ・サスペンス」「8時だよ!全員集合」「どうぶつ奇想天外!」……など1241作品。ギネス級 だ。

 タレントの人生相談を受けることもあるし、タレント、記者と酒を飲んで、家に帰らないこともある。

 「引退の広瀬と言うのは?」

 「山口百恵、都はるみ、アリス、ピンクレディー……引退特番はみんな僕が担当したからでしょう。百恵の時は記者が400人。タレン トに、厳しい質問をかわす知恵を教えたりしてね」(笑い)

 9月9日、彼は60歳の誕生日を迎えた。定年退職。「NPO法人を作って、殺陣、お経、乗馬、手話……他人より優れたスキルを登録 すれば、誰にでもドラマの仕事がやってくる仕組みを作るんです」

 広瀬さんに「引退」はなかった。

(毎日新聞東京版9月14日夕刊掲載)


結婚!と言われて

 ある朝、隣の家に嫁いでくれ、と言われた。仰天した。しかも、親に言われたわけではない。新聞で知った。 うすうす婚期が迫っている、と覚悟していたが、なぜ「隣の家」なのか、説明してくれ!……UFJ信託銀行の行員は、 そんな気持ちだった。

 東京・丸の内のUFJ信託銀行本店の隣にライバルの住友信託銀行本店がある。UFJグループが3000億円の資金欲しさに、 信託部門を「隣の家」にたたき売った。行員たちは傷ついた。ある行員は 「せめて業務提携している三菱信託銀行なら分かるんですが」と困惑げだった。

 「結婚準備」が始まった。取引先を法人、個人に仕分けする。法人はUFJ銀行、つまり実家に残す。 個人は住友信託銀行に移す。法人、個人両方で融資を受ける向きも多いので「嫁ぎ先」の 行員も加わって深夜まで仕分け作業が続いた。

 ここだけの話だが、住友信託側が「通行証」を出す、と申し出た。嫁ぎ先の社屋に自由に出入り出来る。 「両社の本店をつぶして、ここに超高層の本社ビルを建てたら」なんて話が出た。「新居の夢」は傷ついた行員を癒やした。

 そして、取引先に正式に「結婚」を説明しようとした寸前、まさかの「破談」がやって来た。 この時も彼らは新聞で知った。UFJグループと三菱東京グループが結婚する。

 それから先は、もうハチャメチャ。裏切られた「隣の家」が裁判所に訴えるのは当然だが、 三井住友グループが新・嫁ぎ先に名乗りを上げる。これから何が起こるか! 行員、取引先、その家族……は震える。

 これほど、当事者(UFJ信託)の意思決定が無視されて良いのか。

 結婚(合併)はバラ色ではない。新聞が「○○額世界最大の××が誕生」と書くが、負債額も最大規模に膨らむ。 「合併でいらなくなった」という理由で“大量首切り”。勝ち組が業界第一の座を奪う野望。陰で糸を引く「結婚相談所」 (金融庁)は雲行きがおかしくなると「ご両家(民間)のこと」と逃げ口上。合併は経済的責任、社会的責任、環境的責任が整ってこそ可能なのに……この無責任!

 小泉マル投げ金融政策の断末魔。悲劇は連鎖するかもしれない。

(毎日新聞東京版8月10日夕刊掲載)


まるでチルドレン?

 実家が料亭を営んでいた東京・柳橋(やなぎばし)かいわいは、江戸後期から東京で一、二を争う花柳界だった。

 戦後の高度成長期。一時隅田川に流れ込んだ工場廃水が異臭を放ち、料亭街は廃れたが、80年代までは“夜の自民党本部”だった。

 料亭にはそれぞれ贔屓(ひいき)筋がある。官僚派は××楼、党人派は××亭。政争の隠れた戦略本部になる。

 マッサージ師だった女性は「うつぶせの角サン(田中角栄元首相)の背中に乗って足で胃のツボを押すと眠ってしまう。 そこで次の料亭に行くと、福田(赳夫)さんが待っていた」と角福戦争の当時を思い出す。そのぐらいだから、 料亭はいや応なしに「権力」とつながる。某航空機疑惑の最中に、老舗の若主人が謎の自殺を遂げたこともあった。

 僕の戸籍上の母(叔母)は、この街では少数派だった。「学者、医者、長者と付き合え。芸者、役者、記者と付き合うな」 が口癖だった。芸者、役者と親しくなれば金が掛かる。無理な金作りは身を滅ぼす。「記者は何でも嗅(か)ぎ回るから嫌いだ」

 「じゃあ、政治家は?」「イナダイかい。威張ってばかりの子供だから大嫌いだ」。ここだけの話だが、母はイナダイ、 つまり「常識のない田舎代議士」は座敷に入れなかった。

 料亭の一室で、1億円小切手の数字を確かめてからポケットに入れたご仁が、一国の総理大臣だった。

 人間を優劣、上下、勝ち負け……の尺度でしか考えられない「子供みたいな大人」。そんな2世議員が1億円もらって 「記憶がない」と言い張る。「選挙区は出馬辞退」と引き換えに、検察の“お慈悲”を請いながら「比例は良いでしょう?」

 ああ、何というガキの倫理観。

 アダルトチルドレンは「機能不全家族の中で育った子供(大人)」だそうだが、常識のない政治家は 「機能不全のマスコミ」が育てた。

 Newsweek日本版8月4日号は「おかしいぞ!日本のマスコミ」で、“なれ合いジャーナリズム” を外国人記者が厳しく批判している。なぜ、権力者の矛盾だらけの言い訳を許してしまうのか。

 「ワイロの舞台」も、陰に回れば「政治家と記者は大嫌い」と笑っている。

(毎日新聞東京版8月3日夕刊掲載)


(白)骨折り損の…

 漬物が大嫌いだ。においをかいだだけで逃げたくなる。

 京都のバスツアーに参加したら、大変なことになった。お城の前の漬物屋に寄るという。 お城がコースに入っていないのに……なぜだ!

 バスを降りると、あのにおいが店先に充満している。急いで“退避”すると、ガイドが「こちらですよ」。  「苦手なんだ」と手を合わせる。  「買わなくてよいんですよ。でも一応、店に入ってもらわないと」

 「漬物屋に行くなんて、案内書に書いてないじゃないか」とイチャモンをつける。 「そんなことありません。ここに“土産の時間もたっぷり”と書いてあるじゃないですか……ネ」と彼女、にこやかに笑った。

 たっぷり?って、これか? エイ! 何も言うまい。鼻をつまんで店に飛び込み、すぐ飛び出した。 その後は……炎暑の中、一人、たっぷりと?舗道に立ち続けた。

 なぜ「旅の終わりは漬物屋」なのか。旅行会社の知人に聞くと……。

 「あの漬物屋は、どの旅行会社のどのツアーが、1人当たりいくら土産を買うか、データを持っている。 その実績で旅行会社に払うリベートの額を決める。ここだけの話だが、飛行機代より安い、 うそのような北海道格安ツアーが実現するのは土産屋のリベートがあるからなんだ」

 なるほど。どんな業界にも、許容スレスレのカラクリがあるものだ。

 長野県安曇(あずみ)村・白骨(しらほね)温泉。売り物の「白濁の湯」が濁らなくなり、 8年前から草津温泉の入浴剤を入れて「魅惑の乳白色」を演出していた。このカラクリが突然、発覚した。 村長さんは辞任。県知事さんは「抜き打ち検査で犯人を捕まえた」と手柄話を披露する。 いつの間にか「疑惑の湯」は大ニュースになった。

 だが、それほどの大事件なのか?  身体に有毒というわけでもない。日本全国、冷たい温泉をガスで沸かしている旅館は幾つもある。 「白骨プラス草津の湯」もオツなもの、と笑い飛ばすのが「おとなの度量」。

 “巨悪”と対決せず“巨悪”を平気で眠らせる人々が「疑惑の湯」でハッスルする。日本は妙だ。正義の報道?が 「(白)骨折り損のくたびれ儲(もう)け」にならなければよいのだが。

(毎日新聞東京版7月27日夕刊掲載)


スリ替え語講座?

 「小泉純一郎です。11日の参議院選挙では、自民党は議席を2減らしましたが、与党全体では60議席を獲得し、 参議院においても全(すべ)ての委員会で与党が過半数の議席を維持することができました」

 見事な書き出しですね。今日は、この「2004年7月15日発行、小泉内閣メールマガジン第148号」を教材にします。

 まず「2減」という言葉、いかにも「最小の減」という印象じゃあありませんか。 もし「選挙区では民主2193万対自民1969万。その差は230万票」なんて書いたら、大敗したと見破られます。 まして「比例区の差は440万票」なんて書いたら……責任を取らされる。そこでサラッと「2減」と書きます。 後は「全ての」「過半数」「維持」というプラスイメージの言葉を配置します。最後の「できました」。 「皆様のおかげ」と頭を下げる姿勢です。

 次が肝心です。「年金、イラクなどに対する強い批判の中で、与野党がほぼ同数という結果になったことは、 野党の声にも耳を傾けて(A)『構造改革をしっかり進めよ』という国民の声と受けとめ、改革を促進していきたいと思います」

 これ、ヘンじゃありません?

 そうです。(A)の部分に入る言葉が消えている。(A)は「年金、イラク問題を再度、議論します」でしょう。 これを平気で削りました。そして、一気に、誰もケチの付けられない「構造改革」という言葉を持ってくる。 「抵抗勢力」を多用した、あの手法です。

 「来週、韓国の済州島を訪問し、ノ・ムヒョン大統領と打ち解けた雰囲気の中で話し合います」

 この一文、最高です。明るいイメージです。もう選挙なんて過去のコトと思わせます。ここだけの話ですが、 小泉さんは首脳外交がうまいとは思いませんが……。「(両国首脳は)打ち解けた雰囲気で(話し合った)」 が正しい慣用句ですが、主語を削り、過去形の動詞「話し合った」を無理やり「話し合います」の未来形に変えた。 「打ち解けた」という言葉に拘(こだわ)り「成功が約束されている未来」を演出する。お見事!

 小泉さんは天才です……では今日の「スリ替え語講座」を終わります。

(毎日新聞東京版7月20日夕刊掲載)


被害者の人権

 あの男が……週刊文春(7月15日号)を読んでがくぜんとした。

 あの男が15年たって、また「逮捕監禁致傷」の容疑で逮捕されたと報じている。許せない。

 1988年11月25日夜、アルバイト先の工場から自転車で帰宅する17歳の女子高校生に 男が言いがかりをつけた。自転車をけり倒す。そこへ別の男が現れて、少女を助ける。少女は“善意の男”のバイクに乗せてもらった。

 しかし、2人の男はグルだった。彼女を東京・綾瀬の民家に連れ込み、新たに2人の仲間が加わって、殴りけり、 毎夜、集団強姦(ごうかん)した。食事はろくに与えず、体にライターで火をつける。壮絶な暴行は41日間続く。 少女は衰弱死した。男たちはドラム缶とセメントを盗んで来て、遺体をコンクリート詰めにした。

 15年前の綾瀬コンクリート詰め殺人事件。あまりの惨(むご)さに泣いた。人間に、こんなことが出来るのか。 野獣だ。4人を極刑に!と思った。少女の親だったら、やつらを引き裂いても許さなかったろう。

 4人は何と16歳から18歳の少年だった。少年法が「野獣」に味方する。当時、サンデー毎日の編集長だった僕は あえて彼らを「野獣」と書いた。

 それが、世に言う「人権派」を刺激した。「加害者の人権を無視している」というのだ。彼らの集会に顔を出せば、 つるし上げを受ける。当時、人権は錦の御旗(みはた)。ここだけの話だが、オウム報道で知られるライターの江川紹子さんでさえ 「加害者の人権を無視しているのではないか?」と取材に来られた。僕は「野獣としか表現できない」と応えた。

 被害者の人権はどこにあるんだ!

 それから15年。少年刑務所に送られたサブリーダーの「あの男」は出所して、今年6月4日、また逮捕監禁致傷の容疑で逮捕された。 「野獣」は少年法をあざ笑うように……。

 あの少女の親は何と言うだろう。

 この7月、サンデー毎日は、あのころ、活躍した越川健一郎を編集長に迎えた。彼は初めての編集長後記で 「キーワードは健全な懐疑主義で行く」と書いた。「守らなければならない人権」とは何なのか。 懐疑する編集長に一言。週刊文春には負けるなよ!

(毎日新聞東京版7月13日夕刊掲載)


覚悟

 前回、ちっぽけな「覚悟」をして、こんな話を書いた。

 ある国の王室美術展。絵が不得意なシンデレラは高名な絵描きに“手”を入れてもらい、素晴らしい作品を出品した。が、その一部始 終を柱の陰の女官が見ていた。その翌年、高名な絵描きに王室から“お召し”はなかった。シンデレラは大ピンチ!……うなされて目が 覚めた−−と書いた。題は「梅雨の夜の夢」である。

 覚悟した通り、複数の読者から「チンプンカンプンでまるで分からん!」とおしかりを受けた。舌足らずで申し訳ない。それでも「あ の一件、上手に書いたな」とほめて下さった方もいる。

 「ある国」では、シンデレラにインタビューするなんて、まず無理。「これは事実」と思っても、完全なウラが取れない。それに…… 歴史を最初にデッサンするのが仕事だと言っても、善意の人に迷惑をかけてまで「王室官僚の意地悪」をストレートに書くつもりはない。 そこで……ここだけの話、ちっぽけな覚悟で「おとぎの夢」を書いてしまった。

 それぐらいなら、匿名でネットに書けばよい、と言う人もいる。

 ウィンドウズ95が発売された1995年を「インターネット元年」と言うから、今年は「ネット10年」。誰もが匿名・無料で発信 できる電子掲示板は「究極の平等社会を作る道具」と持てはやされ、市民権を得た。マスメディアがネット情報の後追いをしたことも度 々ある。

 しかし、いま、巨大電子掲示板「2ちゃんねる」をのぞくと、そこは誹謗(ひぼう)中傷、バッシングの渦。匿名氏がネットに“共通 の敵”を設定してバッシングを繰り返す。イラク人質事件でも小泉再訪朝でも……。

 匿名は暴力性を露呈する。自分は安全地帯にいて「言葉という凶器」を振り回す。「覚悟」がないから、何でも書ける。

 言葉が刃物になることを知りつくす聡明な皇太子が、あえて「雅子妃のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と話された。 これが「覚悟」と言うものだろう。「自衛隊が多国籍軍に入っても、今までと同じ」と涼しい顔の小泉さんにも、それなりの覚悟?

 「覚悟」の中身が気になる季節だ。

(毎日新聞東京版6月29日夕刊掲載)


梅雨の夜の夢

 王室の美術展が近づいていた。王様も、お妃(きさき)も、第1王子も、第2王子も、絵を描いて出品する。

 シンデレラは悩んでいた。歌も、踊りも得意だが、絵は大の苦手だった。夫の第1王子に「私には、皆様のように上手に描けない」と 打ち明けた。「大丈夫だよ。絵の先生が教えてくれるから」

 絵の先生は、その国で一番高名な絵描きだった。「伸び伸びと、好きなように、お描きになればよろしいのです」と白髪の絵描きは言 った。 伸び伸び? 本当なの?

 王子と結婚してから、シンデレラは一度も伸び伸びすることなんてなかった。伸び伸びと歌ったことも、伸び伸びと踊ったこともない。

 「好き勝手に描けば良いの?」とシンデレラは尋ねた。絵描きがうなずいたので、シンデレラは一番好きな花を、一番好きな色で描い た。子供が描いたような素朴な絵が完成した。

 「お上手でございます。私は、こういう絵が大好きです」と絵描きはシンデレラを喜ばせた。「でも……このままでは、貧乏人の私は 王子様から、お駄賃がもらえません。この絵に、手を入れることが許されれば、お金がもらえるのですが……」

 高名な絵描きが貧乏人? ヘンだな、と思いながらも、優しいシンデレラは「もちろんです」と答えた。 「それでは……この線を… …」と絵描きは、そっと絵筆を走らせた。 と、どうだろう。

 絵柄は勝手に踊り出し、瞬く間に、その絵は傑作に生まれ変わった。

 ここだけの話だが、その一部始終を柱の陰に隠れて、意地悪な女官が見ていたのに、シンデレラも絵描きも気づかなかった。

 王室の美術展でシンデレラの絵は評判だった。王子は大いに喜んだ。 翌年、また美術展が近づいた。

 絵描きは不安だった。「シンデレラの絵に手を入れてあげなければ……」。しかし、なぜか、彼に王室から“お呼び”は掛からない… …。

 シンデレラは大ピンチ!

 うなされて目が覚めた。暑苦しい夜、半端な記者は、高貴な世界でも、下々の世界でも、どこにでも転がっている「嫉妬(しっと)と 意地悪の夢」を見る。おとぎ話の結末は……。

(毎日新聞東京版6月22日夕刊掲載)


六ケ所村の風

 青森県六ケ所村に行った。3度目である。

 山背(やませ)が吹いていた。寒冷雨気の北東の風。一面、厚い霧に包まれる。別名・餓死風……8月まで続く。

 前回は2000年12月だった。核燃料サイクル施設の一つ、再処理工場の建設が始まり、日本中から大型クレーンが結集していた。 あの日は、凍えるような寒さだった。

 村が核燃料サイクル施設を受け入れたのは、この気象条件と無縁ではない。餓死風で、農作物は限られる。「豊かな土地」とは言えな い。

 だからと言って「原子力」のために家代々の土地を手放す人はいなかった。「原子力は悪魔だ」と言う人もいた。粘り強い説得に応じ たのは「国策」と認識したからだろう。

 島国・日本はエネルギー資源の96%を輸入している。今後、中国の爆発的需要増大。争奪状態になる。

 しかし、原子力発電所の使用済み核燃料のうち、処分すべき廃棄物は全体の5%以下。残りのウランやプルトニウムはリサイクル出来 る−−「国策」はこう説明された。

 立地申し入れから20年。再処理施設の約95%が完成していた。近くのウラン濃縮工場には年に25回、IAEA(国際原子力機関) の査察が入る。ここだけの話だが、この濃縮技術を悪用すれば原子爆弾も出来る。抜き打ち査察を経て、核兵器保有国以外で日本だけが 商業規模の再処理を国際的に認められた。

 ところが、やっと再処理の本番……という段階になって、風向きがおかしくなった。この春、永田町、霞が関に「ウランの国際価格は 安定している。再処理は中止!」という意見が飛び出した。コスト計算は短期か、長期か、で判断は分かれる。

 安全確保がすべてである。安全が確保されたうえでの議論は結構だが、コスト主義だけの「中止!」には疑問を感じる。

 この国には、食糧にも、エネルギーにも「安全保障」の視点がない。同盟国の言いなりに軍事力を派遣すれば(つまり軍事安保で) 食糧もエネルギーも確保されるとでも思っているのか。それこそ平和ボケ!

 すべてコスト、コストで判断する風潮。いつか日本という国に“餓死風”が吹くかもしれない。

(毎日新聞東京版6月15日夕刊掲載)


その数字は印籠?

 森喜朗前首相はサービス精神の人間である。新聞記者が夜回りに来れば、それなりのネタを提供する。結婚式に招かれれば、ご両家を 褒めちぎり「それに引き換え、新郎新婦はヒヨッコ。皆さんのお力で……」と頭を下げる。ここだけの話だが、某テレビ局員の結婚式で 10回も爆笑を誘った森スピーチには舌をまいた。

 00年5月15日、彼は神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年祝賀会で「我が国は天皇を中心にしている神の国」とあいさつした。 身内? のお祝いで口が滑った大サービス。内閣発足時の世論調査では約40%あった支持率は半分に急降下した。

 01年2月10日午前8時47分、ハワイ沖で宇和島水産高校実習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦に衝突。この時、ゴルフ場の森さん はプレーを続け、官邸に戻ったのは午後2時16分。“周辺”に対するサービス精神がプレー中断を許さなかった。支持率は10%弱。 森内閣は崩壊した。だから後継の小泉純一郎首相は徹頭徹尾「世論調査」を研究したのだろう。

 例えば……世論調査はうそをつく。「選挙に行く」と答えた人が実際には行かない。設問の違いで結果が違う。「○○職員が××したの を支持しますか」という設問を「○○官僚が」と変えただけで、結果は変わる。人々は特定の言葉に情緒的に反応する。電話の調査では 在宅の可能性で男女差が出るし、いつ実施するかのタイミングで、結果が逆転する。

 にもかかわらず、マスコミは世論調査に追随する。「この印籠(いんろう)が目に入らぬか!」と水戸黄門の葵(あおい)の紋所のよう に世論調査の数字を突きつけられると、識者の意見も霧散する。

 小泉さんは世論調査を味方にするコツを覚えた。ある時は田中真紀子さん、ある時は安倍晋三さん、ある時は帰国する拉致被害者……情 緒に訴えるスターを次々に登場させる。不特定多数に対するサービスが勝負の分かれ目。最近では「拉致家族会に苛(いじ)められる首相 」まで登場した。

 小泉さんはさらにサービス精神に磨きをかけるだろう。でも……「偏差値は上がったけれど、何の役にも立たない大人になってしまった」 と嘆く“優等生”がごまんと居る。数字は時に「虚構」なのだ。

(毎日新聞東京版6月8日夕刊掲載)


お宝イロイロ

 子供が骨とうに興味を示すなんて……テレビ「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系)が登場するまで考えられなかった。

 焼き物、掛け軸、壺(つぼ)、マニアもの……「お宝」を持って依頼人が登場する。「800万円は下らないケヤキの巨木と交換した 掛け軸です」

 そこで、司会の島田紳助さんが「本人評価額は?」と声を張り上げる。「応挙の作と言うから5000万円!」と依頼人は自信たっぷ りだ。

 おもむろに、その道の達人が天眼鏡?を取り出す。結果は大型の電子計算機に表示される。スタジオが息をのむ。一の位から0、0、 0、1、……ヘッ、1000円!? 鑑定人が気の毒そうに「偽物です。印刷ですよ」。スタジオは大笑い……と他愛もない番組だが、 中にはアッと驚く国宝級が発見されることもある。テレビの前の子供が「うちにはお宝ないの?」。大人も「もしかして、我が家にも ……」と家捜しが始まる。

 電力マンの知人が勤め先の地下倉庫に古いフィルムが眠っているのを発見した。映写機に掛けると関西電力の前身・京都電燈株式会社 本社、つまり現・関西電力京都支店の建設を一部始終撮影している。戦前の昭和10年起工。何もない京都駅前に高さ31メートルのビル を建てる。機材を馬車が運ぶ。地下水があふれ、工事は難航する。その辺は想像できたが、驚くことが次々に記録されていた。

 あふれる地下水は冷暖房に使い、何と重役室は今大流行の床暖房になった。軍人から舞妓(まいこ)さんまで招待された昭和12年6 月の竣工(しゅんこう)式では、電気自動車が試験運転された。67年も前に、電気自動車があったのだ!

 これは宝だ。お金に換えられない宝だ。ここだけの話だが、フィルムはお宝ビデオに再編集された。

 お宝イロイロ。

 幼稚園児が「うちのお宝は、おばあちゃんでしゅ」。ひょっとするとお世辞かもしれないが、うれしいじゃないか。宇都宮で44時間 立てこもった末、女性とピストル心中した暴力団員は「こいつはおれの宝物なんだ」とうそを言い続けた。

 「宝」って何だろう。

 ただ……日本国の宝は日本人。これだけは、小泉さんに忘れてもらいたくない。

(毎日新聞東京版6月1日夕刊掲載)


仮想の限界

 新緑。薫風。緑のじゅうたんを敷き詰めた新潟競馬場の名物「直線1000メートルの芝コース」には、 どこから迷い込んだのか、くり色の子リスが気持ち良さそうに駆け回っている。

 その芝コースで、JRA史上最高配当155万円馬券が飛び出したのは5月15日のメーンレースだった。 4番人気の馬が勝って、単勝の配当は1000円。「大穴」というほどではないが、16番人気、 14番人気の馬が2着、3着に入り、1着2着3着の3頭を着順と関係なく当てる「3連複」では 155万5450円。上を下への大騒ぎになった。

 100円玉が一瞬にして155万円。1000円で1555万円を手にした人も登場した。中古ならマンションも買える。

 「3連単」ならいくらになるんだ?

 今年の夏からJRAは1着2着3着を着順通りに当てる「3連単」という新馬券を発売する。 もし、その3連単だったら……ここだけの話だが、単勝、3連複の売り上げから、 3連単の的中仮想配当金を計算する方程式が存在する。E=Q1×W1/(W1+W2+W3)…… 物すご〜く長〜い方程式の説明は省くが、この方程式で計算すれば、このレースの3連単配当は664万5760円。 100円玉が664万円だ。

 もし1着2着3着が入れ替わった場合は……ひぇ〜!

 2億4576万130円。億ションが2軒も買える。

 しかし、である。この数字は意味がない。方程式は2億円馬券は1枚しか売れない、 と答えているが、実際には、オッズを見ながら「超夢馬券」を必ず、1枚だけ買うファンがいる。 もし、もう1人買ったら配当は1億2238万円になる。もう2人、買ったら……仮想はしょせん“仮想”なのだ。

 参院選まで1カ月半。各政党は昨年11月の衆院選の得票数などを基に仮想得票を計算している。 邪推すれば、小泉さんは「拉致被害者の家族帰国」も方程式に入れて、計算しているかもしれない。 でも、有権者の多くが「外交を選挙に利用した」と思ったら、方程式の答えは……勝負はげたを履くまで……。

 そうそう、5月最後の日曜日30日は東京競馬場でダービーだ。
(毎日新聞東京版5月25日夕刊掲載)


待った!と言える人

 毎日新聞社も大組織だ、と痛感することがある。例えば……同僚が亡くなる。職場の掲示板に訃報(ふほう)が張り出される。 「エッ、あの人が……」と絶句することもあるが、面識のない人物の死が圧倒的に多い。

 「56歳? 若いなあ。広告局連絡部? どんな仕事をしていたんだろう。敗血症? きっと忙しかったんだ。でも、穏やかな顔だな ぁ」と顔写真を見て、勝手な想像を巡らして合掌する。ここだけの話だが、一度も声を掛け合うこともない社員同士が、こんなふうに別 れる。

 ところが、今回は違っていた。亡くなった東京本社広告連絡部のOさんが「待った!の達人」だった、と教えられたからである。

 1985年、被害者3万人、被害総額2000億円の豊田商事事件。この詐欺師集団は社名を変えては、新聞に広告を出そうと暗躍 した。アタッシェケースに札束を詰め込み、新聞社にやって来る。広告の事前審査一筋のOさんは、それらしい広告が持ち込まれると、 謄本をはじめ、ありとあらゆる書類を照査して「怪しい広告」を焙(あぶ)り出す。

 その広告、待った!

 周囲から「厳しすぎるのでは……」という声が上がっても、彼は頑として掲載を拒絶する。同僚が集めてきた広告を情け容赦なく掲載 拒否。恨まれたかもしれないが、この地道な調査活動がなかったら、我が社は読者の信頼をなくしていただろう。彼の一生は悪徳商法と の戦いだった。

 新聞社だけでない。大きな組織を守るためには「待った!」と言える「黒衣」が必要なのだ。

 単なる思い違い、過失なのに、まるで鬼の首を取ったように追及する年金未納騒動。子供でもしない戦争ゴッコを繰り返す政党に 「待った!」という黒衣がいないのか。

 「未納3兄弟!」と居丈高に攻撃した民主党は党首の未納発覚で真っ青。前もって未納リストを入手していた自民党は先手を打ったが 「総理大臣も怪しい」と言われギャフン。揚げ句の果て「拉致事件解決で再訪朝」という切り札を切らざるを得ない。

 待った! 外交を内政に利するな!と言える黒衣は、今の日本にはいないらしい。

(毎日新聞東京版5月18日夕刊掲載)


第1章は「天皇」

 “拝謁(はいえつ)”とでも言うのだろうか。以前、一度だけ、天皇陛下とお話しする機会を得た。

 何を話してよいものなのか……迷った末、たわいのない趣味の話題を選んだ。当方の質問に陛下はほほ笑んで「ここだけの話」を披露さ れた。へぇー、そうなんだ! 僕も笑った。

 短いやり取りが終わった直後、宮内庁の方がやって来た。「ご存じでしょうが、陛下とのお話は他言できません」。そこで、たわいのな いやり取りは封印された。

 書きたいことが書けない。ストレスがたまる。が、そんな些細(ささい)なことで不満を言っては申し訳ない。天皇陛下は日々、ストレス を隠し、公務に専念されている。例えば……“好き嫌い”を一切、口になさらない。お好きなケーキを話したら、そのケーキの広告塔にな ってしまう……なんてこともあるかもしれない。しかし“好き嫌い”が言えないだけでも、人間はストレスがたまるだろう。

 昭和天皇が、自ら神格性を否定して「人間天皇」を宣言された1946年1月1日。その宣言を前提に日本国憲法は翌年、施行された。

 「第1章 天皇 第1条 天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づ く」で始まる条文は、読めば読むほど「天皇」に“神業”を要求している。

 皇位は世襲。国事行為は内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う。国政に関する機能を有しない……「天皇」は、この世 で一番「自由を持たない人間」なのだ。

 2004年の憲法記念日。新聞各紙は「憲法9条」に関する社説を掲載した。が、ほとんど天皇制には言及しなかった。国民の多くが 「これがベスト」と思っているからなのか。

 実に僭越(せんえつ)極まりない“物言い”ではあるが、日本は天皇ご一家の限りない犠牲の下で「安定」を享受している、と思う。 それは「最小の犠牲」で「最大の幸福」を得ようとする現憲法の知恵なのだろう。

 「象徴天皇制」と「戦争放棄」はリンクする。が、なぜか、今、人々は「第9条」だけを俎上(そじょう)に載せる。天皇陛下はどう 考えていらっしゃるのか……それにつけても、雅子さまのご病状……心配でならない。

(毎日新聞東京版5月11日夕刊掲載)



出世払い

 相談相手の弁護士さんは、酔いが回ると「外交官になるつもりだったんだが、それが三百代言になっちゃった!」と愉快そうに話す。

 ここだけの話だが、弁護士さんの親友は現・駐米大使。2人で切磋琢磨(せっさたくま)して外交官試験を目指したが、彼は途中で 司法試験にくら替えした。何となく、後ろめたさがある半面、親友の国際的活躍が誇らしい。そこで自分が選んだ職業を「三百代言」 と卑下する。シャイなんだろう。

 「三百代言」の語源には諸説ある。代言業は一事件三百文が相場だったという説。按摩(あんま)の治療代が三百文。按摩も代言業も 「さすったりもんだりする」から……という珍妙な説。「三」には「程度が低い」という意味があって「三文文士」と同じ類(たぐい)。 「こじつけの議論をする安代言」という意味らしい。弁護士稼業も当初は必ずしももうかる仕事ではなかった。

 ところが、である。今や「三百代言」はこの不安定な世の中で、涎(よだれ)の出そうな人気職業になっている。

 4月、法科大学院がスタートした。合格率3%の狭き門・司法試験の門戸を少し広げる試みで、全国68校に総出願数約7万件。 併願があるので、実際には約3万人が受験した。大変な人気である。

 特に目立つのは、医師、公認会計士、薬剤師、教師など、既に資格を持った社会人の受験。11人の医者が合格した法科大学院も ある。法曹は「究極の資格」なのだ。

 早くも“特権”が生まれた。法科大学院の学費は国立大学法人の場合(標準)78万円、私立150万〜200万円。カネが掛かる。 そこで「法科大学院ローン」が登場した。これまでの教育ローンは親権者が融資を受けるが、こちらは学生本人。無担保、無保証人で 借りられる。

 一例を取れば、学費専用型は上限600万円、生活費も借りる生活対応型は上限1300万円。猛烈に勉強するのでアルバイトが出来 ないから生活費も貸す。年利9%(保証人がいれば4%)。司法試験に受かれば5%(保証人がいれば3%)に軽減される。返済は進路 が決まってから。いわば“法科大学院合格”が担保。しかも、出世払い!

 新しい職業差別!と文句を言う弁護士さんはいないようだ。

(毎日新聞東京版4月20日夕刊掲載)



「抜てき」にも陰謀?

 ここだけの話だが、某銀行の「人材評価シート」なるものを“入手”した……と書けば大げさだが、所属長に抜てきされた? 知人が、何度もタメ息をつきながら「外部に見せてはいけないんだけれど……」と差し出したマル秘文書である。

 業務実績の評価。期間収益拡大に貢献したか、金利、手数料、取引状況の改善に努力したか、経費の節減に熱心だったか…… 等々とチェックポイントが書かれている。(注・ニュースソース保護のため、内容は以下ワザと一部を変えて書く)

 「法人新規(融資取引)……目標○○社」「××収益○○百万円」「××比率……○○%→○○%」と目標が数字になっている。

 何しろチェックポイントが多すぎる。「心身・健康状態」はもちろん「生活態度に対する所属長意見」というところもある。 金銭面、賭け事、異性問題……まるで探偵のようにチェックしなければならない。

 「悪友(実は僕のこと)の誘いで一度、競馬場に行ったこともあるよな。あれもマイナスかなあ」と彼は苦笑いした。

 「性格分類シート」なるものがある。粘り強い、粘りがない、慎重、軽率、堅実、そこつ、派手、地味、多弁、寡黙……という 性格コードが60以上。所属長は部下の「特徴的なもの」をその中から選ぶらしい。

 「自分が多弁なのか、寡黙なのか分からない。気が弱いことは事実だが、ともかく自分の性格も分からないのに……他人の 性格評価なんて……」

 「いいかげんにやれば良いじゃないか」と言うと、「そうもいかないんだ。評価の悪い社員の○%がリストラの対象になるという噂 (うわさ)もある」

 「何でも言える自己申請制」を取っていると言うが、要するに厳しい成果主義が跋扈(ばっこ)している。

 「おれには合わない。自分が会社を辞めたい気分」と彼。

 社員100人以上の企業で部長になるのはわずか3・6%だという(旧労働省99年調べ)。彼、やっと部長になったのに…… 僕の大胆な推理。上司が彼を「気が弱い」と性格チェックした。そこで……今回の抜てき人事は「自己退社に追い込む陰謀」だった…… なんて考え過ぎか。
(毎日新聞東京版4月13日夕刊掲載)



勘違い

 2週続けて「ここだけの話」を休載した。「あの事と関係あるんですか?」と読者に質問された。

 「エッ? 何のことですか?」

 「週刊文春が田中真紀子さんの長女の私生活を書いて、出版差し止めになったでしょう。牧さんのコラムも、ちょっと 過激なので、自己規制したのでは……と思って……」

 確かに「政治家の人相が悪い」なんて平気で書いているから、その筋のブラックリストに載っているかもしれない。が、 これは大いなる勘違い。選抜高校野球で、夕刊の紙面が足らず、休載しただけである。

 「勘違いですよ」と大笑いしたが、それにしても、週刊文春の出版差し止め騒動の周辺は「勘違い」のオンパレードだった。

 例えば、問題の記事を読まない知人は「長女に出生の秘密でもあったのか」と勘違いしている。大体「独占スクープ」なんて 銘打ったのが勘違い。「誰でも知っている人の、誰も知らない重大事」が独占スクープ。今回は……長女の××話(プライバシー 侵害と言われると困るので伏せ字)。どこにでも転がっているから世間がアッと驚くことでもない。「独占スクープ」は過大広告の 類(たぐい)だ。

 長女は傷ついた、とは思う。が、この記事で回復困難な損害を受けたとなると……東京高裁は「差し止め」を取り消し、長女側も 不服の抗告をしない。文春側は「表現の自由の崩壊が瀬戸際で守られた!」と仰々しくコメントしたが、文春は勝った、というのは 勘違い。高裁は「プライバシーを侵害し、公共性も公益もない」と判断したから“完敗”である。

 政治家は公人、家族は私人だから……と解説する新聞。でも、その大新聞が閣僚の靖国神社参拝の度に「公人ですか、私人ですか」 と質問する。これはもう、恒常的な勘違い?

 「長女は政治家になる可能性があるから公人」という文春側の言い訳は、負けると知りつつ「勘違い」を偽装していると疑いたく なる。

 公人か私人か、の問題ではない。田中真紀子という影響力抜群の政治家を全人的に評価をするために、家族の私生活が「社会の 正当な関心事」になり得るかどうか、である。

 情報を独占する政・官に対峙(たいじ)する民の「知る権利」の問題なのだ。

(毎日新聞東京版4月6日夕刊掲載)



キサスキサスキサス

 「販売店に行ってもらう」と後輩の、でも今や上司の重役さんに言われた。新入社員研修で販売店に寝泊りした ことはあるが‥‥不安だ。

 販売店主は「1日10部、契約を取れ!」と命令した。

 エッ! これ、人事異動なのか。ここだけの話だが、30数年前の新入社員研修で、お屋敷町の「猛犬に注意」の 張り紙を選んで、呼び鈴を押した。猛犬に吼えられ、中からすまなそうに現れた奥さんに「新入社員です。お願いします」 と頭を下げて1日に36部も拡張した。優秀だった。記者より販売の方が合っているかな、と思ったが、今さら‥‥。

 周りを見回すと‥‥他社の記者もいる。有名人もいる。久米さんも筑紫さんも‥‥心配そうに「出来ないとクビだそうです」。 無理だ。困った。頭を掻き毟る‥‥そこで目が醒めた。

 ヘンな夢を見たのは、あの友人に会ったからだろう。

 「まず、実績のある仕事を奪うことから始める。絶対成功するはずがない仕事に換える。真綿で首をしめるように希望退職に 追い込む」

 外資系の会社に勤める友人は約一年間、リストラ担当を勤めたが、嫌気がさして自ら希望退職した。「自分で作った希望 退職制度でガッポリ退職金を貰ってネ」と皮肉っぽく笑った。その夜、夢を見た。

 成果主義導入で、成績の悪い10%がリストラされるところもある。見せ掛けの景気回復のために「負け組サラリーマン」 から雇用を奪う。高知競馬のスーパー連敗馬・ハルウララが国民的スターになったのは「負け組」の共感があったからだろう。 負けても、負けても、走り続けるウララと“リストラ寸前の亭主”をダブらして応援する主婦もいる。ところが、うれしいことに リストラされて強くなった馬が現れた。旧三井三池炭鉱の町・九州・荒尾競馬場のキサスキサスキサス。6歳(人間なら30歳 ぐらい)の牝馬は中央競馬で5戦全敗。リストラされて、荒尾に移籍した途端、向かうところ敵なし。現在24連勝。日本新記録の 29連勝に迫っている。

 「いたるところ青山あり」と思いたいのだが、彼女は“走る専門職”。場所が変わっても専門が変わらないから「リストラの星」 になれた。

(毎日新聞東京版3月16日夕刊掲載)



家族が秘書なら

 77年春、突然タレントの八代英太さんから電話がかかってきた。

 「相談がある」。その夜、さほど親しくもない八代さんを訪問したのは、彼がステージから転落して 車椅子生活になっていたからである。

 「参院選に出たい。応援してくれ!」。唐突だった。「他に応援してくれる人がいるんですか?」と 尋ねた。「います」。別室に2人の人物が控えていた。1人は彼の高校の同級生。もう1人は大石良蔵さん。  工務店を経営していた大石さんも原因不明の奇病で車椅子になっていた。黛ジュンのヒット曲「雲にのりたい」を 作詞した人物である。

 「障害者の議員を作る」と大石さんは力説した。床擦れのお尻を見せてくれた。骨がはみ出していた。僕は 「車椅子党」とネーミングして、立候補会見をセットした。

 カネがなかった。大石さんは元気なころの愛人(ここだけの話だが、5人もいた)にまで応援を頼み、 車椅子で獅子奮迅。泡まつ候補と言われていた八代さんが当選したのは本人の頑張りと、車椅子の仲間の団結が あったからだろう。清貧の戦い。八代さんは彼に「秘書になって」と頼んだ。

 ところが……しばらくして、車椅子の仲間から「奥さんが第1秘書。大石さんが第2秘書はおかしい」という声が 上がった。公設秘書給与に格差。「家族が秘書」に仲間は不満だった。でも八代さんにもカネはない。

 次の選挙で再選を果たした八代さんは「政策を実現するため」に自民党に移り、大石さんは秘書を辞めた。 秘書給与に仲たがいの火種だった。

 佐藤観樹善衆院議員のさもしい秘書給与詐欺事件。「家族が秘書」は廃止すると民主党の菅さんは宣言したが……。 議員が勝手に選び、勝手に首を切る「公設秘書」に、国が給与を支払う。どこかおかしい。弱小貧乏議員はこれまで「家族が秘書」 で資金を稼いできた。そして今、永田町で……貧乏議員、殺すにゃ、刃物は要らぬ、秘書リストを見ればよい……。

 殺される!と気づいた貧乏議員は政権党並みの企業献金集めに精を出すだろう。ワイロ性の高いカネを 集めるのが「秘書のお仕事」と信ずるプロ中のプロ秘書?にも、国は給料を支払う。秘書制度って妙だ。

(毎日新聞東京版3月9日夕刊掲載)



趣味は「新聞記者」

 自民党幹事長だった故二階堂進氏は「趣味は角栄」と言い続けた。

 人間・田中角栄が好きで、角栄的政治手法が好きで、それに命を掛けたい。好きで、好きで たまらないものがある人はうらやましい。

 テレもせず「趣味は女房」と胸を張る友人もいる。女房の尻に敷かれるのも、趣味と言えば趣味? ‥‥それに比べ、俺は無趣味人間、と恥じ入った頃、あの麻原彰晃教祖サマに「君の趣味は競馬」と 励まされた?

 1989年秋、サンデー毎日編集長の僕は「オウム真理教の狂気」というキャンペーンを開始 していた。宗教の仮面を被ったペテン師が悪さを繰り返していた。放置出来ない。

 ある日、本屋の店頭に「牧太郎の狂気」というヘンな本が並んだ。僕の悪口のオンパレード。 言われなき中傷ばかりだが「真実」らしいことが一つあった。<牧は競馬好き>。 メチャクチャ好き、 という訳ではないが、競馬場には通っていた。そこで、教祖サマは<趣味は競馬→競馬好きは最低な人間 →最低な人間が宗教弾圧をしている>と理論展開する。いかにもオウム流短絡。

 「ギャンブルは悪」と言うのは儒教の教え。多くの権力者が民衆支配に儒教を利用したが、人間という 動物が最初に覚えた遊びはモノを賭けること。好き嫌いは当然だが「賭け」は人間の本能の一つで、歴史 からなくなることはない。王族は民衆に隠れてカード遊びをした。

 昨年10月29日付けの毎日新聞朝刊「記者の目」欄で、僕は競馬ファンの主張を取り上げた。 「寺銭を下げろ!あこぎな国の商法に反対する」。競馬法を改正して、寺銭30%の新しい馬券を発売する 国家の策謀? に気づいたからである。

 寺銭はギャンブルの値段。価格破壊が進む中で、何故、馬券だけが値上がりするのか。履歴書に堂々と 「趣味は競馬」と書かない民衆の弱さに乗じる悪代官商法。許せない。

 二月中旬、多くの政治家が農水省案にOKして、国会に提出される寸前だった。僕の「記者の目」を 読んだキーマンが30%に猛反対した。ここだけの話でも、その人物の名前は言えない。が「30%案」 は消えた。小さな記事が法案を変えた。

 教祖サマに申し上げる。僕の趣味は新聞記者なのかも知れない。

(毎日新聞東京版2月24日夕刊掲載)



千里の夢

 編集局の机には「予定稿」なるものが隠されている。締切りギリギリの情報を紙面に突っ込む ために、あらかじめ「予定されるニュース」を原稿にして置く。これが予定稿。

 ここだけの話だが、有名人の死亡予定稿は山になっている。

 他人の死を予定するなんて不謹慎極まりないが、これがブンヤ稼業の辛いところ。もっとも「俺の 死亡予定稿を見せろ!」なんて言う政界の大物? もいるから、人間は面白い。 勿論、予定稿は 「死亡」だけではない。小雪がちらつく朝、茨城県美浦の“競馬村”に出張した。36歳の女性が 調教師試験に挑戦した。毎年100人以上受けて合格者が2、3人の狭き門。ことしは、19人の 二次試験合格者に残った。JRA初の女性調教師誕生?!

 こんな時、取材先は「合格してからにして」と言うものだが宇野千里さんは喜んで取材に応じて くれた。

 午前7時から始まった調教が一段落した昼下がり、宇野さんはお化粧気のないトレーニング姿で 現れた。

 「父が北海道浦河の獣医で、6歳の時、父に内緒で種牡馬にまたがったら馬が驚いて立ち上がった んです。でも、ちっとも怖くなかった」

 成城大学から馬術部のあるNTTに就職したが「どうしても本格的に馬に携わる仕事をしたい」。 親の反対を押し切って単身ニュージーランドに飛び、馬の育成を二年間学んだ。「これが全ての転機 でした」。女性と男性を対等に扱う国だった。

 帰国後、年齢制限ギリギリの28歳で競馬学校厩務員過程に入学した。いま、JRAに騎手、調教助手、 調教厩務員、厩務員あわせて女性は56人。全体の2%。女性の調教師はいない。「女性らしい、きめ 細かい経営をしたい」と6回目の挑戦だった。

 「結婚? 今は一人です」。「座右の銘は『鶏頭となるも牛後となるなかれ』」「千里? 父親がテスコ ボーイの英国遠征に同行した時、生まれたんで、祖父が『千里は離れている』と付けた名前です」とニコッ。

 翌日、合格発表。残念ながら「宇野千里」の名前はなかった。

 今、受験列島。誰もが夢を叶えるばかりではない。道は遠い‥‥でも‥‥僕は用意した原稿に「千里の夢」 と書いて、予定稿袋に入れた。

(毎日新聞東京版2月17日夕刊掲載)



お笑いマニュアル

 「悪がき」を先頭に小学生の一団がファミリーレストランに現れた。男の子が4人、女の子が2人。 4年生か、5年生か。もちろん、あどけなさが残っている。

 大柄のウェイトレスが大きなメニューを手に一団の前に立ちはだかった‥‥かのように見えた。 小学生なら学校帰りにゲームセンターに寄り道するが、ファミレスに現れのは珍しい。

 ウエートレスは「お金、あるの?」とでも聞くつもりなんだろう、と客席から眺めていた。

 立ちはだかったウェイトレスが無感動にこうのたまわった。「禁煙席ですか、喫煙席ですか?」

 「うッ‥‥きんえん‥‥きつえん‥‥?」。うろたえる「悪ガキ」。後ろの女の子が「吸いません。 禁煙席で〜す!」を大声を上げ、大柄のウエートレスは「畏まりました」と深々と頭を下げた。

 なんだかおかしい。なんだか妙だ。10歳前後の子供に「喫煙席?」と聞く。どうもおかしい。

 ハンバーガーを20コ注文して「お持ち帰りですか、お召し上がりですか」と聞かれたような戸惑い。 マニュアルはここまで来たのか。

 しかし「マニュアル人間」というパーソナリティは、ここ十数年来のものではない。戦後一貫して、 官僚国家ニッポンに蔓延している「病気」のようなものである。偏差値の高い学校を出て、徹底した管理教育 を受け、国会で質問されれば「前向きに検討したい」と答え、実は何もしない官僚たちが、ここだけの話だが、 恵まれた老後を迎える。失敗を恐れ、何もしないことを善とする哲学。これが日本を堕落させた。

 自民・社会の55年体制はその典型。マニュアル通りの「国会猿芝居」を演じて、何もしなかった、 と指摘する学者もいる。

 自民・民主の04年体制にも「お笑いマニュアル」が登場している。間抜けな前民主党議員が「学歴詐称」 で躓くと、国会マニュアルに「学歴追及」が追加された、と思ったのだろう。「自民党幹事長の米国留学は 2年でなく1年3ヶ月」と疑惑追及する民主党国対委員長殿。

 さて、話をファミレスに戻そう。しょげかえっていた「悪がき」は元気を取り戻し、意味のないことを 質問したウエイトレスに、小さな声で「バ〜カ!」とベロを出した。

(毎日新聞東京版2月10日夕刊掲載)



卒業と中退、派遣と派兵

 同僚記者が苦戦していた。東京下町の事件取材。関係者を探し出すのが四苦八苦。 底辺で生活する人々を追って、同僚記者は川沿いの青いテントを歩き回った。

 「新聞社? 俺、新聞は大嫌い」。ホームレスは誰も彼も拒否反応である。

 「どこの新聞だ?」と聞く中年男がいた。「毎日です」と答えると「牧を知ってるか? 奴とは同級生なんだ。奴は級長、俺は番長だった」と真っ黒い顔がニヤッと笑った。

 同僚の報告によれば「ご学友」と冗談を言った男、事情があって青いテントに逃げ込んでいる。

 番長?誰だろう。ここだけの話だが、僕は中学・高校時代、中1の1学期を除いて、いつも 級長だった。学業を重視しないヘンな学校で、僕は不良仲間に妙に人気があった。

 僕の売れない著書を「買ってやった」と言ったそうだから、確かに「ご学友」なのだろう。 誰だろう。

 これをきっかけに番長?は同僚記者と親しくなり取材に協力してくれた。誰かが「輝かしい 学歴がモノを言ったな」とからかったので、大笑いになった。

 「学歴」なんて役に立たない、というのが東京下町の気風である。勉強は自分のため。他人の ためではないから「学歴」を自慢したら赤っ恥。要は学歴よりは学生生活である。

 変態風?の自民党副総裁を破って当選した議員さんの「学歴詐称」の件でも、下町の反応は 「新聞の正義」とは若干、違う。

 「学歴」を自慢したうそは情けないが、外国の大学に4年もいただけで、凄いじゃないか。 卒業していない? 中退だって良いじゃないか。大学3年で外交官試験に合格した秀才は東大を中退する。 早稲田大学文学部は中退組の方が何故か有名だ。

 「4年在籍」で友達が出来て、視野が広くなったら、それで良い。

 第一、彼の「学歴詐欺」で、選挙民はどれほど被害を受けたのか。犯罪は常に「被害の程度」 が問われる。小さな嘘じゃないか。

 「小さな嘘」を追及する側に「大きな嘘」がある。イラク「派兵」を「派遣」と詐称する権力の 手練手管。この方が「大きな被害」を生む危険性が高いのだが‥‥「本当の嘘」を見破るのは 「学歴バカ」にはやはり荷がおもいか。

(毎日新聞東京版2月3日夕刊掲載)



「差し色」だらけ

 30年近く前、勤めていた信用金庫を辞めて一念発起。趣味のお洒落? でメシを喰お うと、注目され始めたイタリアものを仕入れ、成功したアパレル屋。彼に「差し色」と いう言葉を教えてもらった。

 「オーソドックスなネクタイの列に、こんな風にだな、橙色のブランドものをソッと 挟んで置くんだ。お客さんは『斬新だ!』と一度は手にするが、まず買わない。その隣 の渋い色柄を選んで買って行く。あのお客さんもそうするぞ」

 眺めていると確かにその通りだ。

 「売れそうにないものを仕入れておく。それが差し(込み)色。差し色のお陰で正統 派が一段と輝く。こんな裏技も覚えたよ」

 なるほど。鮮やか過ぎる「差し色」が正統派タイを引き立てる。

 「言ってみれば、人気の高見盛は差し色なんだ」と話は飛んだ。大相撲初場所の最中 だった。

 ユーモラスな動作で人気の高見盛は、本来の相撲ファンには正統派に映らない。だっ たら、正統派人気力士って誰?

 これが、難しい。朝青龍は強い。でも、勝っても勝っても人気は今一。あの勝ち誇っ た喧嘩顔で、一人横綱が「差し色」になっている。

 ここだけの話だが、横綱審議会の面々も目立ち過ぎる。朝青龍が故郷・モンゴルでア ントニオ猪木とスーツ姿で握手しているのに腹を立てた。現役の力士は和服を着用する のが常識、というのだが、ちょっと待ってくれ。サマにはならないが、オフの故郷を好 きなスーツで過ごしたって、相撲道に傷が付くというものでもあるまい。浴衣姿で風邪 を引いたら大変だ。

 日本人の精神年齢は実年齢の7掛け、という説がある。実年齢20歳が精神年齢では 14歳。だから、成人式が悪ガキの式典になる。

 23歳の、つまり日本人なら精神年齢16・1歳の横綱が異文化に戸惑っている。フ ァンは「叱られてばかりの横綱」なんて見たくない。

 横審さんが“相撲”を取って何になる。今回が一転して全勝優勝を激賞したようだが 、小言もほどほどにしないと、相撲界は「差し色」ばかり。

 「差し色を間違えると、すべて売れなくなるんだ」と言ったアパレル屋の言葉。さに あらん。横審の「学識」で興行が打てるほど、渡る世間は甘くない。

(毎日新聞東京版1月27日夕刊掲載)



1904年

「陥落」という言葉が流行った時代がある。「陥落」は、城や都市が攻め落とされる ことだが、この年の「陥落」は酒に酔いつぶれ、遊郭に泊まることを意味していた。

 流行語は「時代」を表す。軟弱な風潮が充満していた、と思いがちだが、この年はむ しろ「硬派」が肩で風切る時代だった。

 この年、1904年(明治37年)2月8日、日本は旅順港のロシア海軍基地を急襲 、日露戦争が始まった。乃木大将の旅順総攻撃は港が見える二百三高地に焦点を絞って から一進一退。ついに12月5日、旅順は陥落した。この戦いに約13万人の兵士が動 員され、死傷者は約6万人に上った。

 「陥落」はこの旅順陥落から出た言葉である。「陥落」はロシアの敗北を表す言葉。 酒に酔いつぶれ、遊郭に泊まる人を「非国民!」と指弾する意図がこの言葉に込められ た。しかし、である。言葉を選ぶ人間の心情はそれほど単純ではない。「反戦」とま では言わないが、この時、人々の本音は「嫌戦」。陥落した輩を演出することで、指導 部に盾をついた。気分の嫌戦運動だった。

 ああ、弟よ、君を泣く、君死にたもうことなかれ……。

 与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」は、この年「明星」9月号に発表された。 家を継いだ弟が出征すれば年老いた母はどうなるのか。この詩も「反戦」というより生 活者の実感として「嫌戦」だった。

 文壇の重鎮・大町桂月が「自分も平和を求めているが、この世に悪がある限り、ただ 平和をひたすら求めるのは非現実主義だ」と主張して、一大論争に発展するが、反戦・ 嫌戦のうねりは弾圧される運命だった。

 それから、ちょうど100年。「テロに屈するわけには行かない!」という正義のス ローガンが聞こえる。正義の自衛隊派遣。しかし「正義の戦い」で平和が取り戻せると 考える方がむしろ非現実的ではないのか。

 限りなく日米同盟を強化しようとする指導者は、生活者の実感から生まれる「嫌戦」 にトンと無頓着だ。

 ここだけの話だが、総理大臣、官房長官、防衛庁長官も、自民党幹事長も、恵まれた 青春を送った二世たち。彼は生活者の実感、恐怖が分からないのだ。

(毎日新聞東京版1月19日夕刊掲載)



本職の堕落

 正月休みで、久しぶりに再会した友人が「衆院議員が2人とも買収で逮捕されるなんて理解出来ないナ」と 言い出した。皮肉っぽく「そんなドジが2人もいるのか? 定数480人分の2の確立だぜ」。

 衆院選の間抜けな選挙違反。「おれの記憶にもないな」とあいまいに応えると“皮肉野郎”は 「犯罪検挙率20%というんだろ。選挙違反捜査だけは上手なんだ? それとも政治家におばかさんが 多いの? それとも隠れた違反はもっと多いの?」

 どうも、友人は「国会議員」をばかにしている。「Kという元自民党幹事長が政治献金で 豪邸マンションに住んでいたんだろう。それがおとがめなし。ドジな小物は選挙違反で次々に捕まる。 議員という職業はカネをもらっても逮捕されず、自分のカネを配ると逮捕される。妙な職業だな」 といった調子である。

 少々、正月の酒が回っている。

 しかし、彼と同様に政治家を尊敬出来ないでいる人は何人もいる。「職業」としてさげすんでいる。 「政治家は汚い!」と平気で言う。

 長引く不況が「国家の衰退期」を感じさせ、イライラした民衆は平気で「職業の貴賎」を あげつらうようになった。教育現場では、戦後一貫して「職業に貴賎なし」と教えていると いうのだが、どうも怪しい。

 こんな評論を読んだ。「××の息子はタレント。××の息子は自衛隊。2人の政治家の違いを 表している」

 読みようによっては、タレントと自衛隊の職業に「貴賎」を感じさせる文章とも取れる。「芸人は 河原乞食」と言われた嫌な昔を思い出した。

 自衛隊のイラク派遣で、今度は「死の貴賎」まで話題になっている。自衛隊員が万一、イラクで なくなった場合「特別公務死」といった枠組みが必要だ、という持論である。訓練や災害派遣での 殉職と「イラクの死」を区別すべきだという意見。その根底には「犬死にはご免だ」という思いがある。

 小泉さんは相変わらず「人道支援」と繰り返すが、自衛隊は戦闘を覚悟し「貴い死」を意識している。  ここだけの話だが「貴」とおだて、若者を戦地に送る者があるとすれば、これこそ「賎」……と僕は思う。
(毎日新聞東京版1月13日夕刊掲載)



本職の堕落

 読経とは「声を出して経文を読むこと」。必ずしも、経文の意味を理解しなくても、 読むことは出来る。

 「そこがツケメなんだ」と親しい坊さんが苦々しげに言った。「ここだけの話だが、 最近は資格を持たない僧侶が平気でお経を読む。営業妨害だ」。確かに、あの浪々とし た“音階”を収得すれば、誰でも立派な坊さんになれる。本職より“お経の節回し”が 上手なアマチュアがいてもおかしくない。

 檀家寺(自家の帰依する寺)を持たない人に取って「僧侶の資格」はあまり気になら ないのだろう。

 それにしても、何故、こんなことが起こるのか。

 多くの僧侶が布教活動に不熱心で、単なる“葬式産業”に成り下がったあたりに原因 がある。宗派宗派に厳然とした「僧侶の資格」が存在し、厳しい修行が行われているが 、その「資格」は布教活動のためではなく、高額のお布施を取るための「名義料」のよ うなもの……と世間は疑っている。格安の葬儀が求められれば、アマチュア坊主の需要 が増える。僧侶の堕落? がスキを生んだ。

 数年前、有名なカリスマ美容師が「資格を取っていない」と叩かれた。しかし、僕は 「資格がなくても、技術が優れている方が良い」と断言した。「資格がない」と「技術 が劣っている」は必ずしも一致しない。

 新聞記者の世界はどうだろう。「資格」はない。22歳の大学生が新聞社の入社試験 に合格しただけで新聞記者になる。昨日まで広告を集めていた営業社員が人事異動で記 者職に移ることもある。せめて名刺に「記者見習い」と書くべきだ、とは思うが、とも かく、気がつけば記者。新聞社の看板が「資格」と言えば「資格」である。

 新聞社所属、記者クラブ所属というだけで、優先取材権を手に入れる記者さん。結構 なご身分だが、その分だけ油断すると簡単に堕落する。

 巧みな権力の情報操作に乗って「自衛隊派遣・武器使用拡大」をまるで“既定の路線 ”のように報道する記者さん。“大本営発表”を見破る力量と気概がなければ、我々は 「名義だけの記者」になってしまう。

 2004年。新聞記者にとって、正念場の年だ。

(毎日新聞東京版1月6日夕刊掲載)



「正義」の出来心

 ここだけの話だが、有名な競馬評論家のHさんが「オレオレ詐欺」に遭った。と、言 っても彼にセガレはいない。すぐバレた。

 年の瀬、三流のオレオレ詐欺師は、むちゃくちゃに電話を掛けまくっている。ご用心 、ご用心!

 これを聞いていた某社の競馬記者が「騙されたフリをして、奴らをおびき出し、警察 に捕まえて貰えばいいのに。Hさんのお手柄が新聞に載れば、オレオレ詐欺も少しはな くなる」と言う。そうかも、知れない。

 犯人逮捕に協力するのは間違いなく「正義」……だが、待てよ。

 タチの悪い犯人だったら、出所後、Hさんに「お礼参り」にやってくることだってあ る。何しろ、米泥棒が出没する昨今。リストラに会って、僅かな蓄えを切り崩している 友人が「泥棒でもしろ!と言われているようなものだ」と嘆く。誰もが犯罪者になって 、おかしくないご時世。

 犯罪検挙率が20%程度の治安状態で、警察が「協力者の安全」を守ってくれるか… …深追いしないのが知恵というもの。世の中「正義」が最善とは限らない。

 イラク自衛隊派遣問題で国論が二分された。派遣は「正義」なのか。「不正義」なの か。フセイン元大統領が拘束されて「イラクの治安」は回復するのか。

 1993(平成5)年5月4日、PKO協力法でカンボジアに派遣された文民警察官 ・高田警部補が襲撃され、死亡した。7日の閣議で、当時の小泉郵政相は「国会の議論 では血を流してまで、派遣するということではなかった。自民党の中には、この程度の 犠牲は当然、という考えがあるが、とんでもないことだ。撤収する場面では勇気を持っ て撤退すべきだ」と強く主張した。

 それから10年。「一国平和主義は誤っている」と憲法前文を朗読して自衛隊派遣を 決断した小泉首相。

 「正義」は豹変するらしい。

 きのう勤王、明日は佐幕 その日その日の出来心……の幕末ではないが、この先々「 正義」と付き合うには、それなりの知恵がいる。

 来週火曜日は休日で、夕刊がお休み。従って「ここだけの話」は今回が今年最後。読 者の皆さん、自由と平和が守られる、良いお年を!

(毎日新聞東京版12月16日夕刊掲載)



牛乳は誤解されて?

 「批判するなら正々堂々と本名を名乗れ!」というご指摘を受けた。

 意見を異にする読者から“お叱り”を受けるのはやむを得ないが、これは誤解だ。「 牧太郎」は本名。ペンネームでも、芸名でもない。

 つい最近、知人の北大教授が「北海道にもいるゾ」と地元紙の切り抜きを送ってくれ た。小樽市生まれの「まき太郎」は熊本県人吉市の「のりもの文化・ひとよし大集合」 に参加する、という記事。戦前戦後、ガソリンが枯渇した頃、代用燃料バスとして活躍 した薪バスを1993年、北海道中央バスが復元した。愛称「まき太郎」。

 四国にもいた。こちらは、牛乳から脂肪分を取り除き濃縮した無脂肪乳「牧太郎」。 社長さんが「牧場の太郎」という意味で名付けた。

 僕の本名は芸名向きなのだろう。

 ここだけの話だが、これも奇縁、と四国まで同姓同名の牛乳を飲みに行った。うまか った。それからと言うもの、銘柄に関係なく、僕は牛乳ファンになった。

 11月29日、東京・品川で「牛乳・乳製品中の乳糖の機能と栄養学的役割」という 国際学術フォーラムが開かれた。牛乳ファンとして勉強に行かなくてはならない。

 気になる研究があった。土屋文安・中京短大名誉教授の「栄養評価の新基準『栄養素 密度』」。

 「日本人の摂取エネルギーは1975年から下がる一方で、2001年には戦後とあ まり変わらないレベルなっている。15歳から19歳の、肥満でも痩せてもない普通の 女性の6割が『自分は肥満』と思い込んでいる」と土屋さんは分析する。

 空前のダイエットブームの背景に「痩せている」という若い女性の“勘違い”がある 。「栄養価が高い→カロリーが高い→飲むと太る」というイメージで牛乳は敬遠される 。その結果、若い女性の骨はカルシュウム不足で発育不足になり、中年太りの頃には、 骨粗鬆症に苦しむ。

 「1日に1000mlを飲めば確かに体重が増えたが、600ml以下では変化がない 」と同教授は言う。

 牛乳に対する誤解……スーパーで“自然な水”のお値段が牛乳より高いのも、もしか して「誤解」の結果なのか……。

 乳牛はモオー、我慢できない。

(毎日新聞東京版12月9日夕刊掲載)



「宝くじ」しかない?

 12月になると、おもちゃ問屋が並ぶ東京・浅草橋界隈は一段と活気づく。真っ赤な サンタの衣装、電飾ツリー……五月人形の老舗には歌舞伎絵の羽子板が登場する。

 去年も今じぶん、店先を覗くと、東南アジア系の女性を二人連れた、テレビでお馴染 みのデビ夫人が「これ、60個いただけません」と独特の抑揚で銀色の鐘を注文してい た。カラフルな街に有名人も出没する。

 ところが“異変”が起こった。

 浅草から日本橋に通じる江戸通りに面するJR浅草橋駅東口に長い列が出来るのだ。

 そう、宝くじ売場である。

 ここ3年続けて、この売場から年末ジャンボ宝くじの1等前後賞含3億円か、2等1 億円が飛び出した。

 ここだけの話だが、3つある売場のうち、1等3億円が出たのは真ん中の売場。列が 一番、長い。

 クリスマス用品を見る訳でも、近くの横山町衣料問屋に行く訳でもなく、ただ「宝く じ」のためにやって来る人々。去年、売場の人が帰宅途中、後をつけてきた強盗に売上 金を盗まれる事件が起こった。「宝くじ」が街の様相を変える。

 戦後1945年10月「宝くじ」は誕生した。当時、最高当選額は1等10万円だっ たが、その2年後に100万円。忍び寄るインフレを背景に、51年8月に110万円 という半端な当選金になったが、その翌月には一気に400万円になった。

 「宝くじ」は貨幣の価値を反映する。ハズだったが、バブル経済に陰りが出来た92 年に1億2000万円に値上がりし、その後も、デフレが指摘されながら「宝くじ」の 最高当選額は上り続けた。

 今では1等は前後賞併せて3億円。発売数も7億2千万本(2160億円)。「宝く じ」だけはバブル?

 総選挙が終われば、予想通りに、株価低迷、金融危機、イラク不安。

 「そうなりゃ、宝くじしかないじゃないか」という中小企業の下町の思いが列を作る 。だから、厳しい顔つきも黙々と並ぶ。

 今年は1万円のラッキー賞が288万本用意されが、1等3億円は全国で、たった7 2本である。

 「宝くじ」で儲けるのは?……後は言うまい。

(毎日新聞東京版12月2日夕刊掲載)



墓場に持っていく人

 多分、来年は「道路公団汚職」の年になるだろう。記者のカンだ。

 首を切られた藤井治芳・前道路公団総裁が東京地検の内偵に協力している。石原国交 相は藤井さんから「明るみに出れば、死人まで出る」と脅された。疑獄に「自殺」は付 きものなのだ。

 1979年1月31日、ダグラス・グラマン疑惑で6回目の事情聴取を受けた日商岩 井の島田三敬常務は「ある会合」の後、2月1日未明、赤坂のビルから飛び降り自殺し た。「私たちの勤務は20年か30年でも、会社の生命は永遠です」という遺書が残 されていた。

 事件記者だった僕は「ある会合」を追った。島田さんと密談していたのは、疑惑の中 心人物・海部八郎副社長、彼の友人・戸川猪佐武さんだった。戸川さんを直撃取材した 。「どうしても話せない。その代わり、今後、君の取材には協力する」。彼は初対面の 僕に約束した。節目節目の取材で彼は僕の味方だった。赤坂の料亭に自民党の実力者を 呼び出して「この記者に何でも話してやってくれ」と言ってくれたこともある。

 時間をかけて「真相」を聞こう、と決めた。狙いはもう一つ。週刊誌「女性自身」が 「角栄と女」を取り上げようとした時、戸川さんは盟友・田中角栄のために、もみ消し に走り、1970年11月25日赤坂の料亭「千代新」で“手打ち”をした。その事実 を確かめたかった。

 ところが……1983年3月19日、戸川さんは急死した。ここだけの話だが、彼の 葬儀で田中角栄元首相が読んだ弔辞は僕が書いた。

 最近、出版された「無念は力 伝説のルポライター児玉隆也の38年」(坂上遼著) を興味深く読んだ。角栄失脚の引き金になった「文藝春秋」の「田中角栄研究 その金 脈と人脈 淋しい越山会の女王」は「女性自身」で一度は筆を折った児玉さんが「無念 」を力にして書き上げた、と書かれている。そうかもしれない。そうでないかも知れな い。渾身の「淋しき……」を書いた直後、児玉さんはガンに死ぬ。

 書いて死ぬライターと「真相」を墓場まで持っていく評論家。そして、無言で死を選 ぶ渦中の人……歴史はいつも哀しい。

(毎日新聞東京版11月25日夕刊掲載)



アヘンと「能力」

 アヘンを見た。上質のアヘン? をタダ同然で手に入れる姿を見た。

 アヘン・・・この場合、アヘンは自民党にとって公明党(票)である。

 今回の衆院選で、自民党は公明党に助けられた。与党同士だから当然、と言う人 もいるだろう。

 しかし、自由民主主義の自民党、宗教民主主義の公明党。自由競争の思想と「神仏 の前での平等」の思想とでは大分違う。大体「自由と平等」は微妙に食い違う価値観 なのだ。

 極端な事をいえば、公明党が「創価学会の教えを日本国の宗教にする」と考えたら どうだろう。

 僕の親しい友人にも創価学会の熱心な信者がいる。教えに忠実で幸せな毎日を送って いる。結構である。

 彼は「創価学会の教えが絶対」と考える。宗教とはそういうものだ。「この教えで日本 国を統治すべきだ」と考えても不思議ではない。

 しかし、そうなったら、自民党の「自由」は崩壊するかもしれない。

 それなのに・・・自民党は公明党票で下駄を履くことを覚えた。公明党票(=下駄)+ 自民党票+個人票で楽に当選する。これはアヘンだ。

 福岡2区で苦戦を強いられた自民党副総裁は今回、元々の指示者に向かって「比例区 では公明党を!」とお願いしたらしい。自民党に対する裏切り? アヘンが欲しいから 何でもする。これは中毒症状である。

 ここだけの話だが、東京下町の自民党地区責任者が「おれもそうしたから怒れないよ」 と、吐き捨てた。

 アヘンと知りつつ、公明党に下駄を履かせてもらって、小泉自民党は9議席減(追加 公認の3議席を除く)。その凋落ぶりは社民党並?

 先週、この蘭で「オウム弁護団の知的基礎体力」を指摘したら、読者から「『知的基 礎体力』はよい表現だが、長すぎて見出しにならないでしょう」と言われた。その通りだ。

 これからは「能力」という言葉を使いたい。明治の奇才・南方熊楠(1867〜1941) が使った言葉。26歳でロンドンに渡り、大英博物館で民俗学や博物学52冊1万800ページ を黙々と書き続けた人物は、自分で考え抜く力を「能力」と言った。

 どんな良薬でも副作用があることを知るのが「能力」と言うものだ。

(毎日新聞東京版11月18日夕刊掲載)

最終弁論の知的基礎体力

 オウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)被告に初めて会ったのは1989年10月 2日である。サンデー毎日が「オウム真理教の狂気」というキャンペーンを始めた直後、 弟子を数人つれて編集部へやって来た。

 「宗教弾圧だ!」と言う。こう言えば、マスコミはビビるもの、と思っていたのだ ろう。居丈高だった。

 それにしても、彼は異常に太っていた。信者は動物性たんぱく質に無縁な「オウム食」 を食べていたから、やせ細っていたが、彼だけは隠れてステーキを食べていた。

 この「肥満」が詐欺師の証拠。教祖がたらふく食べ、信者がやせ細る宗教がどこにある。 こんなに簡単に見破られるニセ宗教はなかった。

 麻原裁判は10月31日、結審。彼が沈黙した事もあって、初公判から7年半もの歳月 が流れていた。

 最終弁論で弁護団は「被告の沈黙は法廷だけでなく、6年以上もの拘置所生活で24時間 続けられてきたが、強烈な宗教的契機と精神力がない限り実行できない。沈黙自体が、 強い意思表示であった」と切り出した。賛美しているかのようにである。

 被告は立派な宗教人で、未熟な弟子たちが教義を誤解して無差別テロに及んだ、という 理論構成。開いた口がふさがらない。

 知り合いの弁護士に「裁判ってこんなものなの?」と聞いてみた。帰ってきた言葉は「冗談 じゃない。新聞こそ、なぜこの弁護活動を批判しないんだ」。彼らも怒っている。

 一人は「毎日毎日、接見を続け麻原の口を開かせるべきだった」と主張した。もう一人は 「沈黙を続けたので真実は分からなかったと正直に弁論すべきだ」と言った。「それほど大事 な裁判なら、弁護士が専従して連日開廷の集中審理をすべきだった」「ここだけの話だが、 国選で費用が保証されるから長引かせた、という見当だってある」

 当時、僕は、若者が次々にオウムにだまされた原因を「知的基礎体力の欠如」と分析した。 でも・・・まさかオウム弁護団に「知的基礎体力の欠如」を指摘しなければならないなんて ・・・昔と違うのは、麻原被告が飯を食わないのか、やせ細っているだけ・・・オウム事件は 風化している。

(毎日新聞東京版11月11日夕刊掲載)

結婚する結婚詐欺

 「結婚する結婚詐欺」という事犯?があるらしい。

 結婚詐欺は「結婚する」と相手をその気にさせ、金品を巻き上げドロンする。念のた め、金品を取らなかったら、「結婚しよう」と体を弄び、結婚しないのは結婚詐欺には 当たらない。

 いずれにしても「寸借詐欺」も「駕籠抜け詐欺」も「取り込み詐欺」も……詐欺師の 大半はドロンする。

 しかし「結婚する結婚詐欺」は決してドロンしない。「愛しています。尊敬していま す」と無理矢理、結婚してもロクにベットを共にしない。専業主婦で仕事はないのに、 食事は作らない。家事はしない。亭主の給料を独り占めして、小遣いは渡さない。ブラ ンド指向。宝石を身にまとい豪遊三昧。結婚した当初から「本当の恋愛がしたい」と思 っているから、気が向けば堂々と不倫する……悪事に限りを尽くしながら決してドロン せず、亭主に多額の生命保険金を掛け「その日」をジッと待つ。

 これが「結婚する結婚詐欺」。結婚詐欺の方がよっぽど軽微だ。

 ニセ有栖川宮殿下事件の登場人物はドロンしなかった。「お妃役」を演じた松本晴美 容疑者はテレビに出演して「被害者がいるのか?」と開き直って見せた。

 確かに「被害者」はいないような気もする。大体、面識がない殿下から「結婚式の招 待」が来るハズがないから、パーティ好き、イベント好きの御仁が酔狂で、暇つぶし に覗いただけだろう。食べ物も引き出物も出た。良心的ではないか。

 ホテル業界は「宿泊」では儲からない。ここだけの話だが、某高級ホテルではベット メーキングやタオル、ガウンといった経費に一人一泊6000円。「宿泊」では儲けが 出ないから、政治家のパーティも「詐欺的雰囲気」に満ち満ちているが、引き受けざる を得ない。有栖川宮披露宴も「良い客」だったのだろう。

 それほど有名でもない芸能人などは有栖川宮披露宴に出ただけで、テレビに何度も登 場した。「俺は見破っていた」と名乗り出た御仁もご満悦。被害者なんているのかしら 。

 テレビのワイドショーに熱中して「悪い奴ネ」なんて情報交換する天下太平の女性軍 。実は、彼女たちこそ、被害甚大の「結婚する結婚詐欺」の犯人なのかもしれない。

(毎日新聞東京版11月4日夕刊掲載)



身上がり金

 昔、吉原遊郭には「身上がり」という言葉があった。

 娼婦は報酬を目的に不特定多数の相手と関係を持つが、自分から惚れてしまうことも ある。「男日照りでもないだろうに?」と考えがちだが、恋愛はまた別。良家のお嬢さ んだって、恋愛すれば結婚したくなり、結婚すれば別の恋愛をしたくなる(ことだって ある)。娼婦に恋ロマンがあって、何ら不思議ではない。

 しかし、得てして「色男、金と力はなかりけり」。吉原に登楼したくても、男性に“ 軍資金”がない。そこで「恋する娼婦」は、好きな男性が支払うべき遊興費を立て替え て支払う。これを「身上がり」と言った。

 ここだけの話だが、娼婦は愛人のために「金持ち」に哀れっぽい嘘を並べて“情けの 金”を搾り取った。

 「身上がり」なんて言葉、もはや死語と思っていた。が、ブッシュ米大統領を迎える 小泉さんを見ていたら、この言葉を思い出してしまった。

 一夜限りの逢瀬。大統領専用機の給油のために立ち寄った会談は約40分。その後の 夕食会では、和牛の鉄板焼きを掘り炬燵で楽しむ。ネクタイを外して、肩を抱く二人に つい「恋愛」を感じてしまった。

 イラク復興の名目で15億ドルも用意した小泉さんに「日本の貢献策を評価する」と ブッシュさんは笑顔で応える。

 イラクのため? そうだろうか。「ブッシュ命」の15億ドルではないのか。「日米 同盟だから協力するのは当然だ」と言い張る小泉さんだが、もし “恋愛関係”になけ れば「日本は総選挙を行っている。次の政権が献策を決定するだろう」と応じるのが、 外交の駆け引きというものだろうに………マスコミも、高い支持率の美形?小泉さんに 恐れをなし、誰も批判しようとしない。

 国民に「痛みに耐えろ!」と言いながら「15億ドル+自衛隊派遣」を約束する日米 同盟という奇妙な恋愛関係。米政府高官が「大統領は日本を単なるATM(現金自動支 払機)としか考えていない」と言ったそうだが、一晩の逢瀬が15億円……史上最大の 身上り金?

   それにも関わらず「ドル安カード」をチラつかせる愛人。

 変な男に引っかからなければ良いのだが……。

(毎日新聞東京版10月21日夕刊掲載)



無痛無汗症の会

 毒と知りつつ「毒まんじゅう」を口にする政治家サンは論外だが、人間は「五感の情報」で 危険を知る。

 視覚、聴覚、臭覚、味覚、触った感じや痛みを感じる触覚……中でも「温痛感」はもっとも重要な感覚なのだろう。 皮膚の表面から内臓までいたるところに分布して「痛い」「熱い」で生体の危機を知らせる。「毒まんじゅう」の 政治家サンも、腹が痛くなれば、病院にすっ飛んでいく。

 冗談を言っている場合ではない。深刻な話をしなければならない。

 実は、この「痛い」や「熱い」「冷たい」の感覚がなく(鈍く)、汗が出ない(少ない)病気が存在する。 「先天性無痛無汗症」

 この病気の子供は「痛み」を感じないので、歯が生え始めると、舌や指をかみ切ってしまう。けが、やけど、 虫歯、骨折……頭を床にぶつけ、額はいつも腫れあがっている。

 1951年、その存在が分かるまで、医者は「痛みを取り除くのが医療」と信じていた。

 国立成育医療センター神経内科医長の二瓶健次さんらの後押しで、93年、3家族が「無痛無汗症の会・トゥモロウ」 を結成した。当時は「世界に数例しかない病気」だった。

 しかし、予想以上に患者は多かった。現在、会員は70人。その3倍の患者がいる。責任遺伝子が発見され、 外国にも症例があることが分かったが、治療法にはほど遠い。

 10年目の今年、東京で初の「無痛無汗症国際シンポジウム」が開かれる(11月23日、24日国立成育医療センター)。 ところが、外国患者を招待する費用がないのだ。

 資金集めのため10月27日夜、東京・大田区民プラザ大ホールでチャリティー・コンサートが開かれる (問い合せ=神奈川県立こども医療センター歯科・池田正一さん 電話045−711−2351)

 入場券4000円が難病克服の道につながる。応援したい。

 なぜ? ここだけの話だが、脳卒中後遺症の僕は、まひした右足に冷たい水がかかると「熱い!」と全く逆に 反応する。広い意味で、彼らは僕の「患者仲間」なのだ。

 お願いします。難病克服に力を貸して下さい。

(毎日新聞東京版10月14日夕刊掲載)



「新宿」の列島化

 日本列島、どこでも、突然「無法地帯」に変貌する。強盗、殺人、強姦……こんな静 かな町で起こるハズがない凶悪犯罪が、平然と起こる。

 埼玉県熊谷市で親戚の結婚式。控室の世間話は、元ヤクザと少年少女が「やっちゃお う!」で2人をメッタ刺した事件で持ち切りだった。

 「びっくりしたナ。新宿あたりで起こるなら解るけど……」。

 親戚のお年寄りは東京・新宿を「怖いところ」と心得ている。でも、この地でも、深 夜、駅前に茶髪の少女たちがたむろしているし、風俗店に新宿と同じようにパスポー トを持たない外国人が働いている。

 「新宿」の列島化だろうか。

 10年以上前、サンデー毎日に関西支局を作った。続いて新宿に支局を作ろうと計画 した。ここだけの話だが、週刊誌の支局は前代未聞だ。

 「霞ヶ関が発表する事実なんて本物じゃない。新宿の街に隠されている事実の方が本 物だ」という編集長の僕。若い仲間が賛成してくれた。

 新宿で起こったことが列島に広がる。だから、歴史をデッサンするために「新宿」に 棲む。

 支局の場所探しをしている間に、僕は病に倒れ、計画はとん挫した。無念だった。一 緒に働いた契約記者も何人か退社した。「新宿支局の担当に」と思った奴も退社した。

 先週、500ページの分厚い写真集が送られてきた。「新宿情話」(バジリコ刊)。 新宿に棲むヤクザ、路上本屋、オカマ、ストリッパー、ホルモン焼き……国籍も雑多な 50人の生き様を写真とインタビューでねっちりと描いている。

 著者・須田慎太郎さんは「ロス疑惑・一美さん意識不明の病床写真」をスクープした カメラマンだが、面識はない。出版社は始めて聞いた名前だ。誰が送ってくれたのか?

 「あとがき」を読んだ。筆者の須田さんが「叱咤激励した編集者××氏に……」と書 いている。××氏? 奴だ!

 サンデー毎日を辞め、某H系雑誌の副編集長、闇金融の取り立て屋……と苦労した奴 の初めての新宿もの。

 この写真集を読むと、犯罪スレスレのところに「情けの連帯」があることに気づく。 無政府状態だけど「大きな声では言えない「新宿情話」……これも列島化しつつある。

(毎日新聞東京版10月7日夕刊掲載)



 安全地帯の詐欺師?

 遠縁の女性に、みょうちくりんな電話がかかった。

 「○○さんですか。僕です。お元気ですか?」

 電話の主が誰か、分からない。

 「ご仏壇に、お参りしたいんですが、昔のところですか?」

 しきりに住所を教えろ、と言う。

 「失礼ですが、どなた様?」

 「……△郎ですよ」

 △郎? 確か、太郎ちゃんの倅が△郎。彼女、僕の事を思い出した。

 「太郎さんのお子さん?」

 「そうです」。法事で会ったことはあるが……でも、おかしい。

 行き来のない太郎ちゃん。その倅が彼岸にやって来るハズがはない。彼女、機転を利 かせた。

 「△郎ちゃん、お子さん、大きくなったでしょう?」

 「えぇ……小学校に入りまして」

 これで分かった。△郎の子供は3歳である。どうやら「おれおれ詐欺」のバリエーシ ョン。何か悪事を企んでいるのだろう。危なかった。

 「おれおれ詐欺」は1月〜8月末、都内で約600件に達している。

 電話を使った詐欺は今、始まった訳ではない。ここだけの話だが、電話帳の「二字名 前の女性」が狙われる。ハル、千代、やす……二字名前には高齢者が多い。

 「お袋に『昨日、錦糸町であった者です』と電話が掛かってきた。お袋、十年来、寝 たきりなのに」といった笑い話が転がっていたが、昨今の急増ぶりは異常な気もする。

 原因は被害者の高齢と孤独。それに加害者のレベルダウン?もある。

 電話を使う詐欺は身元が分からないからバレて元々。誰でも詐欺師になれるし「安全 地帯」で仕事が出来る。低レベルの「安全地帯の詐欺師」。

 別に、一国の首相を詐欺師呼ばわりするつもりはないが、小泉さんの低レベルも気に かかる。構造改革の中身を訴えることより「安倍晋三」という人気者を幹事長に据え「 第二の真紀子フィーバー」を狙う魂胆。「自分の時代は消費税を上げない!」なんて” 安全地帯”を意識している。

 「俺だよ!構造改革の俺」と胸を張る人物の正体。機転を利かせれば、一目瞭然なの だが……野党の捜査能力もまた低レベルのようだ。

(毎日新聞東京版9月30日夕刊掲載)

「上中並」の安心感

 こんなはがきをいただいた。

 「毎日新聞に『牧太郎のここだけの話』がなかったら、私は購読をやめます。火曜日の 夕刊が待ちどおしいのです」

 記者冥利に尽きるではないか。

 喜び勇んで、続きを読んだ。「けして『デイケアに行こうか』なんて優しいことは言わない90歳の 母親のトイレの回数を数え(中略)外出出来ない私の唯一の楽しみ」。差出欄に「××子73歳」とあった。

 息をのんだ。73歳の娘が「自分の人生」をほっぽり投げて90歳の母の介護をする……いてもたってもいられない 思いになってしまった。

 それで、よいのか?

青臭いことを言うようだが、はがきの主に、己に、世間に、そう問いかけたい 衝動に駆られた。が、どこにでも、転がっていることでもある。

 1970年に60歳以上が総人口の7%を超えた。高齢化社会の到来だった。それが今や65歳以上が15%になり、 2030年には28%になる。

 痴呆症グループホームの草分け「つむぎの家」(青森県八戸市)の施設長・澤向裕子さんは高齢化社会を 誰よりも痛感している一人だ。

 重症心身障害児の病棟に11年間勤務した彼女は「人形を抱くお年寄り」を見つけた。

 「暗くて長い病院のソファに痴呆症のお年寄りがお人形さんを抱いているんです。心身障害児と同じ境遇なのに 痴呆性老人には行く場がない。精神病院に入院するか、鍵をかけられた部屋に閉じ込められるか。介護をする 家族は行政の助けもなく、疲れ切っている」

 86年、澤向さんは日本で初の痴呆老人援助施設を造った。日本には約150万人の痴呆性高齢者がいる。 4分の3が在宅看護である。

 痴呆症に限らず、高齢者の在宅ケアは24時間、365日。「点では駄目。痴呆症はプロの線的ケアに任せる ことで、家族は思いっきり自己表現する人生を獲得できるんです」と断言する。

 だが、行政の手助けは?

 政局の秋。競馬の予想のような政治記者はあふれるが、高齢化社会に目を向ける知恵は忘れられている。

 いやいや「高齢化社会」ではない。日本はもはや「超高齢社会」なのだ。

(毎日新聞東京版9月9日夕刊掲載)



「上中並」の安心感

 はじめて「上下関係」を教えくれたのは、町内の鰻屋である。

 好物の鰻が食べたいと駄々をこねると、母は「小学生の癖に」と言いながら出前を注 文する。「子供が食べるんですから並で結構です」。「並」って何だろう。

 鰻重に並、中、上、特上があった。「中」は幾分、大ぶりだが、味は全く変わらない 。そばのように「大もり」と言えば良いのに。何故「並、中、上、特上」なのだ。

 日本酒はもっと複雑だった。実家が料亭なので、小学校から帰ると「お燗番」をさせ られる。2級、1級、特級。分量には変わりない。味に違いがあるらしいが「あのお客 さんは必ず2級だよ!」というケースもある。「×正宗は2級が一番」と頑なに信じて いる人もいる。

 上中並? 特級1級2級? この上下関係は何だろう。母は「値段をつり上げる方法 よ」と笑っていた。

 「上中並」は、どこへ行っても付いて回った。早い話が、社長、部長、課長、ヒラ… …日本人は上中並のピラミットでモノを考え、行動する。作家・渡辺淳一さんはコラム で、これを「縦系列」と書いている。

 投票率史上ワースト3の埼玉県知事選。どんな人が立っているのか。テレビの政見放 送を見て驚いた。当選した上田さんをはじめ、誰も彼も用意した紙を読んでいる。公約 は五十歩百歩。ここだけの話だが「埼玉に総合病院を!」と訴えた泡沫扱いの人だけが 自分の言葉で話している。

 無所属、諸派だけが戦う選挙。人々は何を基準に選ぶのか。

 肩書きを見る。元衆院議員、元参院議員、元事務次官、元局長、前県議、元市議…… 何となく「上下関係」が分かるような職業が並ぶ。不動産鑑定士、警備会社役員は不利 である。不動産鑑定士ってどんな職業? 警備会社って一流なの?と人々は不安がる。 「上中並」が分からないから不安がる。

 リストラにあった友人が、再就職の面接で「今まで何をされていましたか?」と聞か れ「××会社で部長をしていました」と答えてしまった。「質問の意図が分からなくて ……」と心配していたが合格した。「特上ではないが、中ぐらいのサラりーマンと思っ たんだろう」と笑う友人。日本人は「上中並」が大好きだ。

(毎日新聞東京版9月2日夕刊掲載)



「ガンの疑い」と言われたら

 ガン細胞はブドウ糖が大好きだ。

 そのガンの性質を利用するのが、話題のガン診断装置「PET(ポジトロン・エミッ ション・トモグラフィ)検査」である。

 ブドウ糖を注射する。ガン細胞は猛烈な勢いでブドウ糖を吸収する。ただ、この注射 に秘密がある。ブドウ糖に放射性同位元素「フッ素18」が付けてあって、ガンマ線カ メラで体内を撮影すると、ブドウ糖を吸収した細胞が黒く浮かび上がる。

 ガン細胞、発見!

 指紋で犯人を探すような装置。1センチほどの腫瘍でも発見できる。

 ただ、カネが掛かる。保険が利かないので約16万円。それでも人気で、お金持ち向 けの「PET検診ツアー」を企画する代理店もある。

 2年前、僕も経験した。「高い」と思ったが、ガン治療の鉄則は早期発見。金に糸目 はつけられない。

 その時、ガン細胞は発見されなかった。喜んだ。だが、ここだけの話だが、何か、損 したような気分になった。根が貧乏人だからだろう。

 ところが、今回は違っていた。「胃壁に集積が認められます。H.ピロリIgG抗体 :陽性の場合や胃痛や胸焼け等の症状がある場合は胃内視鏡検査を考慮下さい」。

 ガンの疑い?

   結果から言おう。H.ピロリIgG抗体はマイナス。内視鏡検査は「異常なし」。胃 ガンの疑いは晴れた。「良かった!」と胸を撫で下ろしたのだが、恥ずかながら、また しても、貧乏人は損をした気分になった。

 胃ガンの場合、最新鋭のPETは”決め手”にならず、内視鏡の力を借りなければな らないことは、十分理解していた。が、内視鏡の費用は3割負担で約3500円。PE Tと内視鏡の料金が違い過ぎる。

 「損をした気分」の原因は……。

 PETは万能ではないが、ほとんどの臓器でガン細胞が発見され、何人もが命拾いし ている。保険適用されれば、大腸ガン、乳ガンなどの早期発見で、手術が避けられ、医 療費も大幅に節約出来る。

 PETは保険適用すべきだ(限定的に適用されている部分もある)。

 貧乏人はカネの心配なく、ガンになりたい。

 断っておくが、ガンは美容整形とは違うんだ。

(毎日新聞東京版8月26日夕刊掲載)

今さら聞けない

 「この疑問」は地下鉄大江戸線が開通してからさらに大きくなった。

 東京の地下鉄はJR、私鉄と乗り入れて、一度は地上に顔を出す。しかし、全長41 キロの大江戸線だけは全ての線路が地下に潜っている。

 車両はどこから地下に入るのか?

 おのが人生「この疑問」が解決しないと、どうもスッキリしない。

 この疑問を提起したのは、夫婦漫才の春日三球・照代さんである。1978年にフィ ーバーした「地下鉄漫才」。オチは必ず「地下鉄はどこから……?」。大笑いした。

 お客さんは、車両が地下に潜り込む方法を知っているような、知らないような、ちょ っぴり複雑な顔で、ともかく爆笑する。

 三球さんは、その昔「クリトモ一球・三球」というコンビを組んでいた。その相棒の 一球さんが三河島列車事故で亡くなり、照代さんと結婚して新コンビを結成した。ある いは三河島事件がキッカケで、彼が「車両」に興味を持ったのか、とも思った。「地下 鉄ネタの周辺」を勉強したが「この疑問」を質す勇気はなかった。何を今さら……であ る。

 ところが、先週、意外なところで永遠の謎?を解明してしまった。

 消防士と家族が読む「東京消防8月号」という雑誌がある。「Tokyoの深層・大 江戸線の巻」というページを見て小躍りした。

 ここだけの話だが、東京・深川消防署前の木場公園の地下に、東京ドームの約1・5 倍の広さの「大江戸線木場検修場」なるものがある。30本の電車が保管されていると 、同誌はレポートする。

 「車両搬出入口」の写真。羊羹のような形の穴?が写っている。

 山口県と愛知県にある専門工場で製造された車両は海上輸送され、トレーラーに乗せ 替えられ木場検修場に着く。そして……一両がまるまる入る大型地下ピット(穴)にク レーン車を使って、吊り下げられる。

 そうだったのか!

 別に驚くことでもない。が、飛び上がらんばかりの喜びだった。

 世の中、分かったようで、分からないことが幾つもある。「今さら聞けないこと」が 沢山ある。

 さて、今度は、今さら聞けない「小泉構造改革って、どこから入るの?」に取りかか るか。

(毎日新聞東京版8月19日夕刊掲載)



ウンチに手を合わせる

 ここだけの話だが、旧盆の季節、このコラムの読者は極端に少なくなる。職場で「毎 日」を読んでいる人も、自宅で読んでいる人も帰郷する。故郷の実家も毎日ファン、と いう有り難いお客さんはいるが、このコラムは近畿、中国、四国の新聞には掲載されて いない。

 お盆の季節、やるせなくなる。「視聴率」があれば最悪である。

 ことしはテレビ放送開始50年。この間、ラジオは、僕と同じように「雀の涙」ほど の聴取率に泣かされて続けてきた、と思っていた。

 「いや、ラジオだって20%の聴取率の番組があった」

 東京のラジオ局で聴取率調査を担当していた知人が教えてくれた。文化放送の「午後 2時の男」。巨人の宮田征典投手が午後8時半になるとマウンドに上がり、敵の攻撃を ピッタリと押せえる。

 「8時半の男」が流行言葉になった1965年頃、人気絶頂の落語家・月の家円鏡( 現橘家円蔵)が、午後2時になると商店街に現れ、地元の人たちを相手に、それほど巧 いとは言いかねる小噺を披露する。これがバカ受けで最高20%を越えた。

 「今でも聴取率でテレビ番組を抜く番組は存在するんだ。例えばKBS京都の『早川 一光のばんざい人間』。最高で10%を越えた」

 本当? 番組のテープを送って貰った。

 土曜日の午前6時15分から1時間45分。75歳の早川一光さんがスタジオで立っ たままパーソナリティをつとめる。早川さんの本職は京都・西陣で往診カバンを抱えた 「わらじばきの医療」の内科医である。

 早朝のスタジオにシニアが何人もやって来る。全員、番組に参加する。届いたテープ は7月26日分。「朝の童謡」「ボケない音頭」とスタジオ参加者とリスナーが一緒に 歌うコーナーが続く。電話、手紙、FAX、Eメールの向こうに必ずシルバーがいる。

 そして、売り物の「よろず医療相談室」。「便秘が治って、ウンチ、小便に手を合わ せています」と言ったリスナーの飾りのない言葉が続く。診療の延長上にラジオがある 。

 番組開始16年。医師とシルバー世代の連帯が「ラジオの可能性」を広げる。たまに は、故郷のラジオも良いものだ。

(毎日新聞東京版8月12日夕刊掲載)



「私の8月15日」

 やっと「暑い8月」がやって来た。連日、30℃を越える。

 某日、汗を拭き拭き、近くで呉服商を営む吉田幸雄さんが「遅刻坂」を持って、我が 家にやって来た。75歳。初対面の人である。

 吉田さんは名門・東京府立一中(現日比谷高校)の卒業。“出ると負け”の野球部を 東京大会でベスト4にした監督だった人物である。

 「学校の前の坂道を『遅刻坂』と呼びました。名前はそれから」と取り出した「遅刻 坂・特集私の八月十五日」という小冊子。

 吉田さんたちの「東京府立一中六十七期」は戦争に翻弄された。昭和20年春、早い 卒業を迎えた。ある者は陸軍へ、ある者は海軍へ、ある者は軍事工場へ、散り散りバラ バラ。多感な18歳は、それぞれの場所で終戦を迎えた。

 「あの日のことを回想する必要がある、と思って『遅刻坂』に特集を組んだんです。 そこには61人の「その日」が綴られていた。

 「三千の兵隊に銃剣は僅か20丁だった」と書いた者もいる。「一切の批判を捨て、 上官の命令を忠実に実行することだけを考えよ!と言われた。反射的に一高の黒板に大 書された『人間とはゾル(兵士)に非ざる者なり』を思い出していた」と書いた者もい る。

 ここだけの話だが、府立一中は戦争中も軍部に隠れて英語の授業を続けていた。それ ほどリベラルな学舎から、彼らは非力な前線に向かった。

 こんな一文もあった。「終戦当日の午前、私は母と共に東京芝増上寺で、前年ビルマ で戦死した父の遺骨を受領した。応召前は外科医。白木の箱の紙片には『故陸軍軍医少 佐』」と一階級昇進した位階で父の姓名が墨書してある。その場で開けると思いがけな く、一応の分量の遺骨が収めてあり、母と顔を見合わせうなずき合った。

 箱を白布で胸に吊って寺を出た頃はもう正午に近く、敗戦の放送は田村町交差点あた りの店屋で聴いた。よりによってこんな日に無言の帰還をした父が可哀想でならなかっ た」 愚かな戦争が何人、犠牲者を生んだのか。あの日と同じカンカン照りの8月。一 部の指導者たちは「戦争」を忘れている。

(毎日新聞東京版8月5日夕刊掲載)



蟹の横這い

 いま、日本は「ヘンタイ列島」だ。

 知りたくもない、伝えたくもない性犯罪の数々。我が母校・早稲田大学の学生が集団 レイプをしでかす。これを聞いた政治家が「レイプをするのは元気な証拠」と平気で言 う。「元気」と「ヘンタイ」はどう考えても無関係だ。

 ある女性が某党幹事長の「ヘンタイ疑惑」を告発した。ベッドインの写真まで公表し ての追及。どんな経緯があったのか、知りたくもない。が、何人かの政治家が「でも、 この女性は金を貰っているんだろ」としきりに幹事長殿を味方した。これには腹が立っ た。

 男女関係の本質は金を払った、払わない、の問題では断じてない。

 東京・柳橋で料亭を営んでいた母親は「芸者衆と交際するのも自由。お妾さんを囲う のも自由。でも乱暴狼藉は許さない。女をモノ扱いするのは許さない」と言うのが口癖 だった。

 「だからイナダイは座敷に入れない!」。

 イナダイは「田舎代議士」の略。誤解されては困るが、この言葉は「地方出身の政治 家」という意味ではない。「金と権力で女性を自由にする品の悪い政治家」のことであ る。

 この言葉には「ワイロで手に入れた金で遊ぶ政治家」に対する侮蔑が込められて いる。お金だけで、女性を自由にすることは出来ない。色事の「基本」が理解できなけ れば、天下の幹事長と言えども「ヘンタイ」と言われても仕方ない。

 評判の「江戸大博覧会・モノづくり日本」(東京上野公園国立科学博物館・8月31 日まで)を見学して「蟹の盃台」なるものを発見した。

 純銀製の蟹の甲羅に、酒を満たした盃を乗せる。すると左右4本づつ足が動き出し、 横歩きしながら盃を客に運ぶ。人形や道具を魔法のように操る「からくり」である。

 「蟹の盃台」は吉野太夫(1606〜43年)の所有。教養と美貌を併せ持った京都 島原の名妓は、世界最古?の金属製ロボット「蟹の盃台」を愛用した。多分、嫌いなお 客のお酌は“ロボット任せ”で済ませたのか……。

 人間とモノは違う。

 この「基本」が分からないと「ヘンタイ列島現象」はまだまだ進む。

(毎日新聞東京版7月29日夕刊掲載)



テレビに媚びても

 南伊豆の老舗旅館の従業員が「テレビの旅番組で紹介されたら、放送中にだよ、予約 の電話が鳴りぱなしだった」と話してくれた。予約電話が鳴り止まない、なんって…… 。

 「だから、番組のスタッフには1泊1万円の格安料金で泊まって貰った。でも、ここ だけの話だが、スタッフを目一杯、接待する旅館やホテルもあるらしい」

 テレビの「威力」ってもの凄い。

 地方都市のJR駅前で、こんな経験をした。若者がハンドマイクで「××党衆院選候 補○○です。『ビートたけしの××』にゲスト出演します。官僚批判をします」と大声 で怒鳴っている。実にうるさい。

 政策を訴える訳でもなく、ただひたすら「テレビに出ます!」。テレビに媚びて、番 組の宣伝マンを買って出ているのか。

 政治家の「朝立ち」は意味がある。が、何か勘違いしてはいないか。

 「具体的に政策は訴えないのですか?」と聞いてみた。彼は怪訝そうに「今日はテレ ビに出ることを知らせるのが目的ですからネ」と言う。

 配っているビラには「テレビ出演決定!」の大見出し。その下に「ニッポンのために 人生を賭けます!」。東大卒、米国ミシガン大学大学院留学、大蔵省(現財務省)11 年間勤務……と履歴が書いてある。

 東大、大蔵省の「権威」を後ろ盾に生きて来た若者が、今度はテレビの「威力」を利 用するつもりか。

 その番組を見た。「官僚国家ニッポンいまだ懲りず!」というテーマ。番組の狙いは 的確だが、バラエティ番組の宿命?で「笑い」を取らなければならない。あの衆院選候 補は「君たち出世街道の落ちこぼれじゃなかったの」とオチョくられた。

 ロクな時間も与えられず、彼の「官僚批判」も消化不良?に見えた。

 東大や大蔵省は、彼の味方だったのだろう。しかし、テレビは、それほど甘っちょろ くない。この番組の準レギュラーの参院議員は「厄介になったプロデューサーがいるので ……あの番組に出ても得にもならない」

 それでも、35歳の衆院候補者クンは、テレビに出たいのか。

 「テレビの効果なんて、精々一ヶ月。予約状況は元に戻った。そんなものサ」と話す 旅館従業員の卓見を、君にプレゼントしたい気持ちだ。

(毎日新聞東京版7月22日夕刊掲載)



イラク競馬の運命は?

 我が愛する「競馬」はスポーツ・レジャー面だけのネタではない。

 例えば「2億円ゲットおじさん」。ご存じない方のために、騒ぎの顛末を説明すると ……。

 6月28日午前10時半頃、WINS新橋の高額払い戻し窓口に「風采の上がらない 50歳前後のサラリーマン」が現れた。「安田記念」の的中馬券130万円分を差し出 す。払戻金はなんと1222万円。

 それだけではない。あろうことか「おじさん」はその全額を「宝塚記念」の「ヒシミ ラクルの単勝」にぶち込んだ。その模様は監視カメラに映っている。

 そして……奇跡が起こった。「おじさん」は今度も的中したのだ。1億9918万6 000円ゲット!

 「おじさん」はどこの何奴だ?

 翌日から、払い戻しにやって来る”ミラクルおじさん”をキャッチしようとWINS 新橋にカメラマンが殺到した。社会面のネタである。

 しかし「おじさん」は換金に現れない(ことになっている?)

 何故か。これは経済面のお話。払戻金は税制上、一時所得である。「おじさん」の1 年間の所得が2億円だけだとしても、約3450万円の所得税が掛かる。だから、彼は 身分を隠す。同じレースのハズれ馬券を2億円分持ってこなければ、過去にいくら負け た、と主張しても必要経費は認められない。

 しかし、である。馬券を買う時点で、ファンは10%以上の国庫納付金を払っている 。二重課税ではないのか。しかも、過去に誰も”的中”を申告した例はない。宝くじは 非課税だ。「これは不公平な税制だ」と主張するのは社説の仕事? 競馬は新聞ネタの 宝庫だ。

 でも、競馬は政治面に不似合い?

 嫌々、ありますぞ。

 ここだけの話だが、戦後イラクで競馬が6月再開された。フセイン政権下で7年間禁 止されていた競馬は、息子ウダイ氏の強い要望で1997年に復活していた。ところが イラク戦争。4月2日以降、再び中止。

 それがイラク競走馬生産者協会と占領軍の同意でバグダッド・アムリヤ地区で再開さ れていた。

 もっとも、アメリカ統治が終わり、賭事禁止のイスラム教保守派が政権につくと…… 競馬の運命は?

 競馬は宗教哲学の範疇でもある。

(毎日新聞東京版7月15日夕刊掲載)



赤い靴

 7月7日で、個人WEB「牧太郎の二代目日本魁新聞社」が創刊3年周年を迎えた。

 1日のアクセス件数は約1600。小さな小さなメディアだが「ここだけの話」の愛 読者も、僕のWEB日記を読みにやって来てくれる。

 「創刊3周年、おめでとう。あの『赤い靴』の話は印象的でした」と女性読者からメ ールをいただいた。

 赤い靴? 何だっけ? 3年分の日記を読み返してみた。あったあった。「2000年 10月11日の日記・『赤い靴』のきみちゃん」

 東京・麻布十番のパティオ十番広場に「きみちゃん」の小さな銅像が建っている。そ の銅像にまつわる悲しい物語を日記に書いた。

 岩崎きみちゃんは明治35年7月15日、静岡県旧不二見村(現静岡市)生まれた。 お母さんの「かよさん」は未婚の母。北海道羊蹄山の開拓農場に入る時、きみちゃんを アメリカ人宣教師の養女にした。

 きみちゃんはアメリカで幸せになると、かよさんは信じた。

 しかし、開拓の夢は破れ、彼女は小樽に移り住み新聞社に勤める男性と結婚する。そ こで、彼女は、夫の同僚記者・野口雨情に娘を養女に出した切ない思いを話した。童謡 「赤い靴」はこうして生まれた。

 赤い靴 はいてた おんなの子

 異人さんにつれられて行っちゃった

 きみちゃんは横浜の波止場から、船に乗ってアメリカへ行ったはずだった……がアメ リカに行くことはなかった。きみちゃんは結核を煩い、長旅が出来なかった。アメリカ 人宣教師は「必ず迎えに来る」と行って麻布十番の孤児院に預け帰国。きみちゃんは明 治44年9月15日、ひとり寂しく、この孤児院で9歳の短い生涯を閉じた。かよさん も、雨情も知らない事実ーー近くの病院に長期入院したことのある僕は看護婦さんから、 この話を聞いた。

「あの話、知らない人もいると思います。WEBだけでなく毎日新聞にも書いて下さ い」とメールの女性は言ってくれた。これには困った。ここだけの話だが、ことし1月 30日付け朝日新聞夕刊が「きみちゃんの像」を詳しく書いている。

 抜いたような、抜かれたような。

 新聞とWEBの関係は、さらに微妙になる。

(毎日新聞東京版7月8日夕刊掲載)



「セクハラ」の迷彩服?

 「いよッ、おんな泣かせ!」と言われると、満更でもない。

 妙齢なご婦人が、こころ密かに君に想いを寄せている。モテるじゃないかーーと言わ れると「冗談じゃない」と否定するが、顔は笑っている。分別もある女性なら、ラブア フェアに発展することもないから、心配する事態ではない。東京下町で「おんな泣かせ 」は誉め言葉だ。

 「いよッ、おんなたらし!」と言われると、抗議しなければならない。甘言を弄して 、女性と関係を結び、精神的、物質的な被害を与えたという「非難」が込めれている。

 「冗談は顔だけにしてくれ!」と強く否定する。しかし、「おんなたらし」の行為は “合意”が前提だから、まず刑事責任は問われない。

 ところが、である。「いよッ、セクハラ野郎!」なんて言われたら、大変である。「 セクハラ」と認定されれば、名誉は吹っ飛ぶ。仕事はなくなり、家族は悲嘆に暮れる。 我が子がいじめにあう。「セクハラ野郎」のニックネームを放置したら一大事だ。

 やっかいなことに「セクハラ」は極めて広範囲だ。顔や体つきのことを品評された 、ブラウスから下着を覗かれた、カラオケのデュエットを強要された……全部「セクハ ラ」として訴えることが出来る。

 部下の女性を「たまには息抜きに」とカラオケに誘ったら、その翌日「セクハラ」と 訴えられ、依願退職した、なんてケースもある。今日もリストラ、明日もリストラ…… のご時世。「はめられた!」と気づいても、「おんなたらし」より罪が軽いと言っても 、詮無きことである。

 日本共産党のエース議員が酒席のセクハラを理由に議員辞職をした。

 酒の上?と言うが、本当だろうか。ここだけの話だが、永田町の住人の多くが党の発 表を疑っている。

 何者かに、はめられた!のか。

 あるいは「セクハラ」という言葉を使って、もっと悪質な犯罪行為を隠したのか。本 人はなぜか完黙だ。

 真相を隠蔽するのは、人権無視、秘密主義、と野暮なことは言わない。でも、どのく らいのことをすると、国会議員は辞職させられるのか?

 後学のために、世の男どもは聞いておきたい。

 セクハラ野郎よ、事実を話せ!

(毎日新聞東京版7月1日夕刊掲載)



恐怖の「質」

 最近、二つの社会派博物館?を見学した。

 一つは、神戸市にある「人と防災センター」である。

 1995年1月17日午前5時46分。グオーッ、グオーッと闇の地響き。地面が大 きくうねり、電線という電線がショートして、赤い炎が闇を引き裂く。デパートが、駅 舎が、高速道路が……まるで踊りを踊るように舞い上がっては、人々の頭の上に崩れ落 ちる。人々は次々に生き埋め……そんな無惨な映像で始まるのが「1・17シアター」 である。全て再現ビデオ。床を震わせる「仕掛け」があるのだろう、見学者は阪神・ 淡路大震災の真っただ中にいる錯覚に陥る。怖かった。

 地元の知人に「あんな感じだったの?」と無邪気に聞いてしまった。

 「実は……怖くて、あの映像をまだ見ていない」と答えが返ってきた。

 彼の胸に残ったままの傷を忘れて……無神経だった。が、恐怖と面と向かって生きな ければ……という決意をこの企画には感じる。

 もう一つ見学は「工作船」だった。

 2001年12月22日、鹿児島県・奄美大島沖の東シナ海で、海上保安本部の巡視 船は、不審な北朝鮮工作船を追跡。ロケットランチャーで攻撃する工作船と銃撃戦にな った。戦後はじめて経験する銃撃の恐怖。「謎の工作船」は自爆沈没した。

 工作船は今、東京・お台場の「船の科学館」で一般公開され、日に1万人を越す見学 者が集まる。(9月30日まで、無料)

 大がかりな北の工作の事実を1032点の証拠品が淡々と語りかけてくる。見極めて おきたい。

 毎日のように、バスでやって来る修学旅行生が列を作っている。ここだけの話だが、 無邪気に「どの展示に見学者の列が出来ますか?」とガードマンに聞いてみた。「一番 の人気は金日成のバッチですね。それに日本製の携帯電話、携帯型ミサイル……ですか 」と無邪気な答えが返ってきた。「日本海海戦で日本が勝ったのはこれで2回目」と誇 らしげに話す老人にも会った。

 戦利品でも見るような視線……主催者の狙いとは別のところで「戦果」を歓迎する雰 囲気もある。

 「恐怖の質」は微妙なものだ。

(毎日新聞東京版6月24日夕刊掲載)



小泉さんの「ねずみ灯台」

 火の発見で、人類は「食」と「あかり」を同時に獲得した。

 火山の噴火、落雷、それに樹木の摩擦で起る火災が、たいまつ、かがりび、蝋燭、ラ ンプ……へと変遷、電気の「あかり」に受け継がれた。

 神戸らんぷミュージアム(神戸市中央区京町80 クリエイト神戸2F・3F)には 、ランプ収集家、赤木清士さんが情熱と財力で集めた、膨大な灯火具が展示さている。

 時代、時代の「生活の知恵」が系統的に整理されて、世界から注目されているが、そ の展示品にユーモラスな小型灯台を見つけた。

 江戸時代の日本製「ねずみ短檠」。別名「ねずみ灯台」。

 高さ約50から110センチ。灯台の一番上に「ねずみ」をかたどった油容器があっ て、その15センチぐらい下のところに火皿がある。

 「ねずみ」が火皿の油を盗もうと狙っているように見えるのだが、実は、火皿の油が なくなると「ねずみ」の口から、たら〜り、たら〜りと油が垂れ、火皿に溜まる。灯台 の心棒の中の空気圧の仕掛けで、常に油が補充され「あかり」は切れない。

 1820年代の和書には「ねずみ灯台」のあかりを頼りに、手紙を読む女性の姿が描 かれている。

 その計算された「ねずみ灯台」のカラクリを見て、何故か、小泉さんのことを思い出 した。

 一日に一度、テレビカメラの前に現れ、威勢良くコメントする。小泉政権になって始 めて登場した「新ぶらさがり方式」。やりとりは視聴率の高い時間帯のテレビニュース で流される。矛盾だらけのコメントだが、意地悪な質問もなく、小泉さんの一方的な美 辞麗句が踊る。

 「ねずみ灯台」の油補給を連想させる世論操作……失政と言わざるを得ない小泉政治 が高い支持率を維持する「秘密」が、そこにある。

 小泉を批判する者=抵抗勢力。抵抗勢力=悪……の連立方程式を作って、何も言えな くなった反対勢力を尻目に、彼は「明日のあかりを信じろ!」と言い続ける。

 ただし、灯台、もと暗し。

 「ねずみ灯台」の足元に隠された”闇の現実”の数々……これに気づかないと……小 泉マジックは、もしかして「抵抗勢力=非国民」の油を補充しようとしているかも知れ ない。
(毎日新聞東京版6月17日夕刊掲載)



「敗戦」を漏らした記者

 「事実」が書けない。日本には、そんな過去があった。

 敗戦の日、毎日新聞西部本社・高杉孝二郎編集局長は「その日まで戦争をおう歌し、 扇動した大新聞の責任は最高の形式で国民に謝罪しなければならない」と”廃刊”を主 張し、自ら辞表とともに意見書を社長に提出した。

 検閲に縛られた新聞の戦争責任をどう取るのか。新聞人は悩んだ。

 しかし、戦時中でも「事実」を伝えた記者は存在した。身の危険を省みず「真実」を 漏らした記者はいる。

 ソ満国境虎林重砲兵連隊第11大隊の幹部候補生・新井悟楼さんは当時20歳。大隊 に従軍した記者から「ここだけの話だが、日本はもうじき負ける」と聞かせれた。

 本当か。新聞は「大日本帝国の連戦連勝」を報じていた。「極秘情報では、内地防衛 が始まる。ここで将校に出世しようなんて思うな」

 将校になる勉強はサボった。将校になった仲間はソ満国境に残留し、次々に戦死した 。内地組の新井さんは生きて敗戦を迎えた。

 戦後、新井さんは迷わず新聞記者になった。「事実」が人を救う、と確信したからだ 。埼玉新聞社の県政担当でスクープを連発した。毎日新聞浦和支局から引き抜かれた 。「赤伝」と呼ばれる契約記者が振り出しで、埼玉県下の所沢、秩父、川越……と転々 。地方記者一筋で80年定年を迎えた。

 彼が、輝いて見えたのは、その後である。

 83年、埼玉県を流れる不老川がBOD(生物化学的酸素要求量)100PPMを越 え、全国で一番汚い川になった。オートバイ、畳、犬、猫、豚の死体まで捨てられた川 。この環境破壊を放置した記者生活が恥ずかしいかった。

 彼はゴム長靴で川に入って、動物の遺骸を拾って歩いた。85年「不老川をきれいに する会」を作った。

 それから18年。不老川は見事に緋鯉が泳ぐ川に変貌した。

 先月「日本の水をきれいにする会」から個人表彰された78歳の新井先輩は、この日 、はじめて、後輩の僕に「敗戦を教えてくれた従軍記者」のことを話してくれた。「事 実だから書いても良いよ」と笑いながら。

(毎日新聞東京版6月10日夕刊掲載)

相撲はナイターで!

 新聞記者にも、流儀がある。

 例えば事件記者。警察官僚に可愛がられ、スクープする「上取り」、粘りに粘って、 デカさんから秘密を聞き出す「下取り」。流儀が違う。

 25年ほど前、社会面に「芸能界ウラのウラのウラ」という小さな企画を連載した。 大スターを追いかけるのも悪くはないが、手間を掛けて「虚飾」を剥がすのが、僕の流 儀。売れない女性歌手に密着して、テレビが儲ける「レコード出版権」の仕組みを書い た。この仕組みに翻弄され、一枚でも多くレコードを買って貰うと自衛隊の食堂で歌う 彼女。売れ残ったレコードを買い占めてくれた「××組若頭」……そこには、飛びきり の「真実」が転がっていた。

 必死で、もがいている若い歌手、北見恭子さんを生意気盛りの僕は失礼にも「鈍行歌 手」と命名した。スターへの道はあまりに厳しかった。

 その北見さんから突然、手紙が来た。「デビュー30周年なんです」

 懐かしかった。すぐ会いに行った。太っていた。「あの時は胃潰瘍で42キロだった 」。それが57キロ。ビールも飲めるようになった。

 「変わったこと? 家かなあ。最初は高円寺の6畳一間のアパート、家賃3万円。次 が家賃6万円の東中野の1DK。次が目黒の9万円のマンション。始めて風呂付きでし た。次が大田区の一軒家。この時が一番苦しくて7万8000円の家賃を六ヶ月滞納し た。今は三田の2DKのマンション。ローンは残っていますが、自分のものです」

 ここだけの話だが「君がNHKの紅白歌合戦に出たら、銀座4丁目の交差点を逆立ち してやる」とメッチャクチャな激励をしたことがある。

 僕にピンチが2回あった。「浪速夢あかり」が全日本有線放送大賞特別賞を取った時 、「紅の舟唄」が50万枚のロングセラーになった時。もうちょっとで、逆立ちしなけ ればならなかったが……夢は先に延びた。

 「収入は?」と聞く。「まだ月給30万円ですよ。一度は結婚しようと……でも結局 、唄を取りました」

 新曲「おんな山唄」を披露する「デビュー30周年コンサート」は今夜(6月3日) 東京・池袋「東京芸術劇場中ホール」。いつものように、彼女はオリジナル曲「鈍行夢 列車」でフィナーレを迎える。

 北見さん、30年の流儀だ。

(毎日新聞東京版6月3日夕刊掲載)


相撲はナイターで!

 大相撲は国技である。と、同時に大相撲は”接待産業”である。

 東京・両国の野見宿禰(のみのすくね)神社に証拠がある。

 野見宿禰は日本書紀に登場する出雲の勇士。天皇の命を受け当麻蹴速(たいまのけは や)と相撲を取って圧勝した。新しい横綱が誕生すると、この神殿で土俵入りが行われ る。神社の周囲を囲む玉垣に奉納した人物の名前が刻まれている。昭和27年11月 に建造された玉垣の名前の大半は、親方、相撲茶屋、それに料亭、芸者、芸人……なの だ。

 江戸の旦那衆は相撲が終わると「大事な接待客」を連れ、花柳界に繰り出した。芸者 が呼び、取り組みを終えた力士と親方を呼ぶ。

 この玉垣に僕の実家「柳橋・深川亭」の名前も刻まれているが、昭和30年代後半ま で、僕は旦那衆から小遣いを貰って「ごっぁつんです」と応える親方、力士の姿を見て 育った。ここだけの話だが、料亭はその祝儀を立て替えために、かなりの現金を用意し ていたが、その立て替え料は大きな収入になって戻って来た。

 国技・相撲界と花柳界は持ちつ持たれつの”接待産業”だった。

 花柳界は姿を消した。しかし、バブル期、国技館は”上等な接待場所”として繁盛し た。

 ところが、である。

 5月場所の10日目、僕は久ぶりに両国国技館に入って驚かされた。嫌に寒々として いる。

 午前9時開門。序の口から幕下までの取り組みはガラガラで良いのだが、午後3時近 くの十両土俵入りになっても、お客さんが入ってこない。午後4時、横綱土俵入り。や っと空席が埋まり始めたが、最後までマス席は7割、二階イス席は3割の入り。これで は興行も”土俵際”だ。

 スター不在、大味な技……と不人気の理由は幾つもある。が、最大の原因は接待無用 のご時世だろう。

 べらぼうに高い入場料、それにお土産を用意して、取引先を接待する余裕は今の企業 にはない。昼日中、堂々と接待を受ける大物もザラにはいない。

 料金は下げるべきかも知れない。ウイークデーはナイター興行にしたらどうだろう。 仕事を終えたサラリーマンがナイター相撲を楽しむ。庶民を”接待”するのも、大相撲 の細かい技。技能賞ものだ。

(毎日新聞東京版5月27日夕刊掲載)



博士とアップル君

 古い人間なのだろうか。消費者金融が威勢よくテレビCMを流していると違和感を感じる。 法定金利と言っても……利用して助かった人もいるが、借金地獄に喘ぐ人もいる。

 ここだけの話だがサラ金から闇金融へ、というケースを何度も目撃した。

 ところが、そんな僕がこれだけは見たいCMが現れた。愛らしいチワワに魅せられた中年男に 「どうする、ア○○ル」と話しかける、あのCMである。リストラ男?はチワワをほっておけない。

 世知辛い世の中だからこそ、人々は小さなものを愛玩する。ペットブームの秘密なのだろう。

 話は変わる。今年3月28日、米ロサンゼルスから東京・府中の東京農工大学馬術部に、 体高60センチの小さな馬が贈られてきた。アメリカンミニホースのクイック・アップル・シダー君。 91年6月26日生まれの牡馬である。

 とても可愛い。体重500キロのサラブレッドの間に入ると、まるで孫のようだが、もう人間の年にすると 40〜50歳。毎日、馬車を引く調教をしている。

 アップル君は、なぜ、はるばる海を越えてやって来たのか。馬術部顧問の田谷一善教授に聞いてみた。

 同大卒の遺伝生物学者・大野乾博士は遺伝子重複説やHY抗原の解明で世界的に知られた人物。デンマーク王立 アカデミー基礎科学賞の第1回受賞者である。

 カイゼル髭。自慢のパイプをくゆらせ、ロシア人とウォッカ勝負をしても負けない。酒豪である。

 「一創造百盗作」というのが博士の持論。「外国の研究を模倣した、枠にはめられたプロジェクト研究からは 何も生まれない」。“百盗作”の面々が聞いたら、どんな顔をするのか。ともかく豪放磊落。 夢を食う巨人のような人物だった。

 その博士が2000年1月71歳で亡くなった。そして、奥さんの元に残された「一番大切なもの」、 それが、小さなアップル君。足の不自由な奥さんの馬車を引いていた。

 ほとんど異国に住んでいた博士の“日本の青春”は自ら首相を務めた東京農工大馬術部。

 奥さんは思い切って、愛馬を博士の母校に贈った。

 アップル君が府中の子供たちの人気者になるのはもうすぐだ。

(毎日新聞東京版5月20日夕刊掲載)



タマちゃんが笑っています

 「たまちゃん」は親友である。と言っても、彼はアザラシではない。

 僕の「たまちゃん」は競馬好きの中年男。麻雀も大好きで、点数を数える時、普通な ら「ドンドン」というところで、彼だけは「タマタマ」と言ってしまう。いつの間にか 「たまちゃん」が、彼のニックネームになってしまった。

 スポーツニッポン紙に連載している僕の競馬エッセイには毎回、この「たまちゃん」 が登場する。が、読者は「たまちゃんは女の子」と思っているらしい。まさか、この愛 らしい名前の「たまちゃん」が醜く腹が突き出た中年男とは思わない。

 アザラシ君は多摩川で発見されたから「タマちゃん」と命名された。はじめに帷子川 に出ていればカタちゃん? 中川で発見されたらナカちゃん? 荒川ならアラちゃん?  「アラちゃん」だったら、これほど人気者になっていたか、疑問である。ネーミング は運命を変える。

 「パナウェーブ研究所」と名乗る白装束集団の千乃裕子さんは、ことのほか小猫を可 愛がっていた。「たまちゃん」は昔から猫ちゃんの愛称。これは当方の勝手な推理だが 、この名前に妄想教祖は過剰反応した。

 彼女が「タマちゃんを助けろ!」と言ったことから、タマちゃん救出部隊が結成され 、その正体をマスコミが追いかけているうちに、奇妙な白装束が明るみに出た。そして 喜ぶべきことか、悲しむべきことか、日本人は毎夜、テレビで「今日の白装束」を見な ければならなくなった。

 ここだけの話だが、ニューヨークタイムズから「白装束とオウムの類似点を教えて欲 しい」と取材を受けた。もちろん「分かりません」とつれなく断った。

 冗談じゃあない。日本人があの程度の妄想集団に右往左往している、なんて書かれた ら甚だ迷惑だ。

 犯罪検挙率最悪の警察が、罪滅ぼしに?“白装束”の交通整理に汗を流し、行政はタ マちゃん対策会議を開いて「目の上の針をどうするか」で議論を繰り返す。権力のマス コミ規制に反対する冷静な文化人?が「危ない白装束」をレポートする。危険なのは「 権力」のハズだったのに……。

 もっともっと大事なことがあるのに……タマちゃんが笑っている。

(毎日新聞東京版5月13日夕刊掲載)



曽我さんの歌

 友人のA氏は、こんな書き出しで手紙を書いた。

 「昭和23年1月26日生まれの55歳(年より若く見られます)。現在は東京のラ ジオ局に務めておりますが、3月を以て退社し、もう一度、ゼロから人生をスタートさ せようと考えております。”夢”を作り直そう、そんな風に考えての退社です。その夢 の一つが”歌”……」

 お見合いのような書き出しだ。誰宛に書いた手紙なんだろう。

 それより、友人が”第二の人生”を考え出したとは知らなかった。

 長い長い手紙の書いた相手を聞いて驚いた。曽我ひとみさんである。

 ある日、彼はテレビで曽我さんが自ら作詞した歌を歌うのを見た。「詩に、歌に、笑 顔に、心が打ち震える感じがしたんだ。この素朴な、素直な表現を日本人は忘れている」

 今、私は

 夢をみているようです

 人々の心、山、川、谷

 みんな温く 美しく見えます

 空も 土地も 木もささやく

 お帰りなさい……

 曽我さん帰国直後の作詞である。

 友人は、もう一度、この歌を聞きたい。広めたい、と思った。

 ビートルズ愛好の仲間、柴田智子さんに相談した。東京とニューヨークを拠点にする ソプラノアーティスト。英語版オペラ「夕鶴」のつう役で、ニューヨークタイムズに激 賞された世界的な歌手である。

 彼女は2001年9月11日、同時多発テロに遭遇し、人生観が変わった。あれから、ア メリカは戦争への道を突っ走る。歌で何が出来るか。悩んでいた。

 曽我さんの”歌”には、あふれ出る「何か」がある。歌いたい。

 A氏は曽我さんに「歌わせて欲しい」と長い長い手紙を書いた。3月5日、返事がき た。ここだけの話だが、曽我さんの実筆はまるで小学生のような可愛い字だった。「私 も小学校の頃、合唱部で、へたですけれどソプラノでした」

 封筒に曽我ひとみ作詞・大森和良作曲「かえってきました ありがとう」の音符が入 っていた。

 6月5日、東京・紀尾井町ホール「こころの花歌」の舞台で、曽我さんの詩を柴田さん が歌う。

 これがラジオ局退社後、友人の初夢仕事だ。

(毎日新聞東京版5月6日夕刊掲載)



 勧工場(かんこうば)

 100円ショップ。何から何まで定価は100円。災害に備える大型マッチなどは1 00円ショップにしか見あたらない。便利である。

 しかし、粗悪品とは言わないが、中には「100円だったら買うハズ」と勘違いした 商品も目立つ。仕入れ原価、人件費、家賃……ギリギリの経営努力だろうが「100円 でも不要なものは買わない」が昨今の消費者だろう。

 明治の末期「勧工場(かんこうば)もの」という言葉が流行った。

 「勧工場」の第1号は1878(明治11)年に生まれた「辰の口第一勧工場内物品 陳列所」(千代田区丸の内)。当初は内国勧業博覧会の“売れ残り”を販売したが、そ のうちに間口奥行き6尺(約1・8メートル)のスペースを家賃で貸す商売を始めた。 日本初のテナントビル?

 当時の店舗は客の要望で店の奥から商品を持ち出し、畳の上に並べて販売する「座売 り」。ところが「勧工場」は土足で店内を歩き回り、品定めが出来る。

 亡くなった祖母は浅草観音の帰りに必ず「梅園」というお汁粉屋に行き「この辺りに 勧工場があった」と幼い頃の記憶を話していた。大きな時計台の「浅草仲見世勧工場・ 梅園館」。それは地域の顔だった。

 下町風俗資料館号外(平成15年3月15日)「勧工場ーー近代的商売の先駆け」( 鈴木由美専門員)は貴重な研究で、これを読むと、最盛期、東京市に27ヶ所の勧工場 が存在したという。

 ところが、である。同じ商品を同じ場所で売る商人は、必ず安売りを始める。勧工場 は次第に「毎日が大安売り」になって、粗悪品が混じり「勧工場もの」は質の悪いもの の代名詞になってしまった。

 その隙を狙って日本橋三越など大手呉服屋が高級イメージな陳列販売「百貨店」を開 業する。「勧工場」は大正末期、姿を消してしまった。

 100円ショップに限らず、ここだけの話だが、いま東京の問屋街では「血も涙もな い値下げ交渉」の毎日である。外国のブランド店が東京の一等地を占領して、高級品が 飛ぶように売れるのとは大違い。

 「相応しい品質、相応しい価格」に目覚めないと……日本は「勧工場」の二の舞にな ってしまう。

(毎日新聞東京版4月22日夕刊掲載)



忘八屋(くつわや)

 最近よく見かける光景だが、電車の中で女子高校生が座席にデンと座って一心不乱に お化粧している。

 もし、自分の娘だったら「お化粧は化けること。他人の前でするな」と叱りつける。 が、まあ、それも趣味の問題?だから良いだろう。

 次の駅で80歳ぐらいのおばあちゃんが乗って来た。娘の前に立った。両手に荷物。 咽がゼイゼイしている。娘はおばちゃんをチラッと見たが平然としてお化粧を続けてい る。「譲ってやれよ」と思わず、声を掛けてしまった。

 「何だよ、おじさん。あたしだって、カネ払っているんだからネ」

 それにはビックリした。「お前の定期は学割だろう」と言いたくなったが、隣の紳士 が、おばあちゃんに席を譲ってくれたので押し黙った。

 妙な時代になったものだ。

 「ここだけの話だが、教え子がどうやら売春をしているらしい」と打ち明けた友人の 大学教授が「売春婦が曲がりなりにも勉強している美談、と考えることにした」と冗談 を言った。

 江戸時代、セックス産業は「忘八屋(くつわや)」と呼ばれた。仁義礼智忠信孝悌の “八つの徳”を忘れた人間。彼女たちも学割定期で通学しているのか。妙な時代になっ た。知人から、こんなニュースを聞いた。自宅でお茶の先生をして主婦の元へ、今ど き、珍しい慎ましい女性がやって来た。

 「10代から看護婦の仕事に夢中になって、勉強らしい勉強をしていない。せめてお茶 の素養でも身につけたいと思いまして」。40近い女性は「○○大学病院看護婦」と書 かれた名刺を出した。

 お茶の先生は看板こそ出しているが、知人の紹介以外は生徒を取らない。どうしたも のかと思案したが、あまりに一途な物言いに「優しい方なのね」と教授を引き受けた。

 週に1回、女性は真面目に通って来た。熱心だった。2ヶ月後のことである。お月謝 の日、生徒が持ってきた授業料が入った「引き出し」から十数万円がなくなった。その 次の週から「慎ましい女性」は全く姿を見せなくなった。

 名刺はデタラメ。警察に届けると「新手のお目見え泥棒ですよ」。

 忘八の輩はあちこちにいる。

(毎日新聞東京版4月15日夕刊掲載)



ブッシュさん命

 もうじき、一世を風靡した”恫喝王”鈴木宗男さんが拘置所から出て来る、と聞いて も「ああ、あのムネオさんネ」と世間は冷たい。

 ある時はムネオハウス、ある時は真紀子・宗男バトル、またある時は……ムネオをし ゃぶり尽くした?テレビも「もう一年たったのか」と言うだけである。

 人の噂も何んとやら……高視聴率を誇るイラク戦争もいずれ「過去」になってしまう 。ムネオ追及は単なる「お祭り騒ぎ」だったのか。その後も小型ムネオ現象は続いた 。坂井隆憲衆院議員が政治資金規制法違反で逮捕されると、自民党は大急ぎで辞職勧告 決議案を可決した。ムネオの時は「憲法上の疑義がある」と抵抗したのに、今度は「我 らは清廉潔白」とばかりに坂井さんを生け贄にする。

 この種の違反は永田町にゴロゴロ転がっているのに……多分、選挙が近いからだろう 。カネに汚い政界の体質は全く変わらない。

 全閣僚に「靖国神社に参拝しますか?」と質問を浴びせる新聞が、記者会見で「イラ ク戦争に賛成ですか。反対なら大臣を辞めますか?」と詰め寄った、という話はトンと 聞かない。イギリスでは参戦反対の閣僚が次々に辞任したのに……。

 にわか仕立ての軍事評論家(失礼?)の戦況予想がテレビを独占する。悲惨な映像に 慣れて、人々は深く考えようとしない。ピンポイント作戦で株が上がり、長期戦と報じ られると株価は下がる。これを「CNN効果相場」と言うそうだが、人々は深く考えな い。思考停止状態の「お祭り」。

 パンがなくても構造改革!の掛け声だけは勇ましい”小泉祭り”は果たしてどこに行 くのやら。

 ここだけの話だが、4月5日聞き慣れない名前の学会が誕生した。「日本臨床政治学 会」。明治大学元学長・岡野加稲留さんらが「日本の政治は病気だ。その治療法を見つ けなければ……」と立ち上がった。政治学の方法論にも、マスコミにも妙な「お祭りウ イルス」が蔓延している。だから「臨床」。

 「お祭り騒ぎ」を続ける度に、日本は目に見えて衰弱している。

(毎日新聞東京版4月8日夕刊掲載)



ブッシュさん命

 好きに〜なったら〜離れられない……ドドンパ、ドドンパ……といった流行歌がその 昔、大流行した。

 イラク開戦2日目。小泉首相はブッシュ大統領と電話で話した。「昨日も国会で深夜 まで米国への支持を求めた。これが自分の責務だと思っている」と小泉さん。大統領は 「本当に君は私の友人だ」と答えた。まるで恋人同士?

 開戦直後の会見で「日本が攻撃されたら、それを自分たちへの攻撃と見なすと言って くれたのは、アメリカだけです」。周囲に「二人の仲」を認めて貰おうとするドドンパ 娘。恋に落ちたとしても、一国の総理大臣の口から「ブッシュさん命」が突然、飛び出 すとは思わなかった。

 大洋を漂流する孤島の村長が大国の大統領に「助けてくれるのは貴方だけ」と言うの は理解できる。が、日本はれっきとした主権国家である。

 小泉さんは自ら勇んで「仲良くしようよ」と出かけた北朝鮮から、逆に脅され「頼り になるのはアメリカだけ」と秋波を送っているのかしら。

 加藤尚武・鳥取環境大学学長は著書「戦争倫理学」の中で、主権国家の立場を絶対的 平和主義、戦争限定主義、無差別主義の3つに分類している。絶対的平和主義は自衛権 を放棄して、いかなる軍事行動を行わない立場である。アメリカが日本に与えた平和憲 法は絶対的平和主義に極めて近い。崇高だが、理想に過ぎる。

 戦争限定主義は、すでに起こっている戦火を収める軍事行動だけを認める立場。無差 別主義は「戦争は主権国家の固有の権利で規制すべきものはない」という立場である。

 これまで世界大戦は無差別主義に支配された。惨禍の反省から戦争限定主義の「国連 憲章」が実現した。

 その大事な流れが俄に変わろうとしている。日米同盟は元々、戦争限定主義が前提で はなかったのか。

 ここだけの話だが、自民党の一部に「ブッシュは夏には北朝鮮問題に決着をつける」 という観測が流れている。「北の脅威」に怯える日本人にイラク戦争でピンポイントの 威力を見せつけて「安心しろ!」と言う……このままドドンパ娘は「離れられない交際 」に突入していいのか。

 家族も町内も固唾を飲んでいる。

(毎日新聞東京版3月25日夕刊掲載)



ミス発見ビジネス?

 ことし、大学の入試ミスが異常に目立った。問題文に誤記があったり、答えがなかっ たり……入試ミスは数え切れない。

 国公立も、私立も厳選した出題委員が一年がかりで試験問題を作成する。ミスはない ハズだが……。

 取材する内に「入試ミス発見ビジネス」が存在することに気づいた。

 数年前、山形大学、富山大学の入試ミスが大きな社会問題になった。その頃から「ミ ス開示」の流れが定着した。ミスを犯すより、ミスを隠したことの方がダメージは大き い。隠した大学職員が処分された。

 幾つかの大学が予備校に「入試問題のチェック」を依頼した。予備校は受験のプロ。 問題を作成する力は多分、大学より一枚上だろう。事実、これまで問題になったミス発 覚はほとんどが予備校の指摘だった。

 大学が予備校に金を出して、合格発表前にミスを発見してもらう。後日、発覚すると 処分騒ぎになるから何よりも「発表前」が肝要である。

 大学から依頼を受けた予備校は一教科に1講師を張り付かせ、問題を検証して解答を 作成する。早くて3日。一つの総合大学が30〜50本も依頼するから膨大な作業で、 チームを組んで解析することもある。

 その間、大学は冷や冷やしながら結果を待つ。予備校も重箱の隅を突っついて必死で ミスを探す。それが、ミス続発の「秘密」である。

 大学の依頼は急増した。大手予備校、河合塾教育情報部の神戸悟さんは「有料だが、 消して高額ではないし、2月は入試繁忙期で……ことしは、お断りしたケースも出た」 と話す。A予備校に断られるとB予備校へ、そこも駄目なら受験出版のC社へ……ミス 発見の“たらい回し”。

 そんな馬鹿げた話だ。

 「大学センター試験だけにすれば良いのに」と言うと、私大関係者の友人は「入学し ない受験生の入学金。アレは返納する方向なんだ。ここだけの話だが、受験料3万50 00円が今や大学の最大にして最後の稼ぎなんだ」。

 「それなら予備校に問題を作らせれば良いのに」と言えば「頼んでる大学もあるけど 、予備校だって入試ミスはしたくないだろう」

 「……?」

 人間サマがする入試に、ミスは付き物。だったら、人間、試験に落ちて当然ーーと考 えるべきだった。

(毎日新聞東京版3月18日夕刊掲載)



新聞の「おまけ」

 誕生以来、コトあるごとに、新聞は「附録」をつけて販売していた。

 例えば、創刊○○年記念の明治天皇肖像画、大事件の図版、双六、歌留多……知恵を 絞った附録が次々に登場して、明治、大正、昭和と「附録」は新聞の付加価値だった。

 今、日本新聞博物館(横浜市中区日本大通り11)が、選りすぐった新聞附録約27 0点を展示する「新聞附録万華鏡」を開催している。(3月1日〜6月2日)。

 これが傑作なのだ。日頃、非戦を標榜する新聞社が「日露戦争双六」を「おまけ」に したり、お堅い政論新聞が美人画を配ったりしている。

 思わず苦笑してしまったのは、明治26年6月1日読売新聞附録第5702号の「新 聞の行衛(いくえ)」。風刺画で新聞発行の”裏側”を描いたユニークな附録。「はい たつ」「美人の手にわたる」「警保局」「売捌所」……などとタイトルがついて、その 項ごとに「新聞」と名乗る者が登場する。

 例えば「警保局」の項。警官に「新聞」がお願いする。「お役人様へ申し上げます。 昨日の雑報へも朱点をおつけになりましたのでございますから、今日の社説も少々過激 でも、特別の御詮議をもちまして寛大な御沙汰……」と”甘い検閲”を嘆願する。ニュ ースの事実関係にまで赤字を入れる役人に、精一杯の皮肉。賄賂を要求しかねない役人 の顔つきがまた秀逸だ。

 「車の上」の項。人力車に乗った高利貸しの慾兵衛が新聞を熟読する。情報をカネに 変えるのが世の常?そして「売子」の項。「新聞」は売子に「これ小僧や、そんなに 押売をするなよ……」と戒めている。ここだけの話だが、明治の昔から、新聞の押売は 存在した。

 戦後、検閲はなくなり、言論の自由は保証された。が、その反面、新聞の販売合戦は 激しさを増した。

 「取ってくれれば、洗剤をつけます」「いやいや、○○戦の入場券をプレゼントしま す」。附録は新聞の付加価値ではなく、実質的な安売りの手段になった。時に一部の読 者は紙面の質より「おまけ」の中身で新聞を選ぶ。

 附録を産んだ新聞が「おまけ」を要求する消費者に負ける因果応報。

 確かに「おまけ」を漢字で書けば「御負け」である。


 おまけ(お負け)
(1)昇任のねだんを特別に安くすること。ねびき(2)商品に景品や付録などをつけ ること。

(毎日新聞東京版3月11日夕刊掲載)



取り立て屋

 出版会社に就職していた後輩が、2年前、失業した。35歳だった。

 女房と子供2人。職探しに必死になったが、このご時世、簡単に「納得できる仕事」 なんて見つからない。

 「アイツなら……」と彼の頭に浮かんだのが、大銀行に就職した大学時代の同級生。 頭脳明晰で男気もあるアイツなら、再就職を世話してくれるかもしれない。

 久しぶりに再会して驚いた。同級生も銀行を退職して、東京・池袋で小口金融を開い ていた。

 「リストラじゃないんだ。自分の意志で金貸しを始めた。銀行がカネを貸さなくて、 誰が貸すんだ……仕事がないのなら、ウチの取り立てを手伝えば良い」

 貸金業に免許はいらない。住民票と43000円の登録料を用意すれば、誰でも、明 日からでも、金貸しになれる。しかし、出資法の上限金利(年利29・2%以内)を守 る業者は少数である。ヤミ金融はトイチ(10日で1割の金利)トサン(10日で3割 )アケイチ。アケイチは夜が明けたら1割。1日1割。

 それほど阿漕ではないが、法に触れるかどうか微妙な仕事だが、覚悟して食べるため に「納得できない仕事」についた。戦後、違法なヤミ米を食べず栄養失調で死んだ人も いる。生きるために食べなければならぬ。

 翌日から「朝駆け」を始めた。出勤前のサラリーマンを訪ね、最寄りの駅まで同道し て返済を求める。「勘弁して下さいよ」と頼み込む債務者に「私のように穏やかな人間 が来るうちに1万円でも返しておいた方が良いですよ」と諭す。それでも返さないとプ ロの怖いお兄さんが登場する手はずだ。

 「大手のローン会社がい多重債務者をヤミ金に紹介する。だから繁盛。債務者?キャ バクラ狂いが多かった。ここだけの話ですが、立派な銀行の社宅に取り立てに行った時 には、日本はどうかしてるいると思いました。貸し渋り、貸し剥がしをしている銀行員 が、ヤミ金から金を借り、キャバクラ通いですよ」

 彼は6ヶ月で取り立て屋を辞め、約1年後「納得の生業」についた。

 この春、大卒者内定率76%(1月16日現在)。仕方なく若者がヤミ金に就職する 。指導者が国民に「痛み」を強要するうちに「日本の道徳」は地に墜ちる。

    
(毎日新聞東京版3月4日夕刊掲載)



「センセイ」

 ここだけの話だが、たまに顔を出す東京・浅草のスナックで「センセイ!」と呼ばれ ることがある。

 冗談じゃない。「先生」とは先に生まれた人。要するに「年寄り」である。「先(ま ず)」という字には「とりあえず」という意味があるから「とりあえず生きてきた人」 ?

 「先生」と言われるほどの馬鹿じゃない。ママに強く抗議した。

 「そう?うちのお客さんはみんな社長か、先生なのよ。お金持ちに見える人は社長、 そうでもなさそうな人はセンセイ。みんな喜んでいるんだから、いいじゃない」

 浅草の下町は中小零細企業と職人の街だから「みんな社長さん」で問題はないが、ビ ジネス街ではそうも行かない。お客さんを社長、部長、課長と「肩書き」で呼んでいた ら、突然、部長が専務を乗り越えて社長になったり、課長がヒラになったり……年功序 列がなくなり、過酷なリストラ、それに合併。昨今、人々の「肩書き」がクルクル変わ る。

 新聞記事なら「元部長」と書けばいいが、これまで「部長」と呼んでいた人を「課長 」とは呼びづらい。つい最近も、銀座のホステスさんから「○○会社は理事が上なの 、取締役が偉いの?」と聞かれた。みんな「肩書き」に苦労している。

 苦肉の策で、政界の一部では退陣した首相も「総理」と呼ぶ風習?があった。三木「 元首相」と大平「現首相」が会談した。会談後、三木さんが記者団と懇談して、話の中 身を披露した。駆け出しの記者だった僕が「そう話されたのは総理の方ですか?」と念 を押したら、三木さんは「いやいや、そう言ったのは大平君だよ」トンだ笑い話だ。

 「顔は分かるんだけど……名前がどうしても思い出せない。仕方ないから肩書きで呼 んでしまう」と言う友人もいる。中高年なら誰でも経験する「名前健忘症」。小さい時 から「ミスター××」と呼ぶアメリカ人は、幾つになっても名前を忘れないらしい。

 「だから、ママ、名前で呼ぶのが正しいんだ。先生と呼ばれると、からかわれた、と 思う人もいる」

 「分かりました。直します。エーッと……エーッと……牧野さん」

 「……」

(毎日新聞東京版2月25日夕刊掲載)



「湯島の白梅」は今

 湯島天神(東京・文京区)の白梅が見頃になった。

 樹齢70〜80年。約300本のうち、はじめは「冬至梅」という早咲きが開き、続 いて約9割の「白加賀」が開く。青白い「青軸」薄ピンクの「豊後梅」……「思いのま ま」という一本の木から紅白の花が咲く珍種も後に続く。

 9世紀後半の学者・菅原道真を祀る天満宮天神は全国に1万500社。泉鏡花の「婦 系図」の舞台になった湯島天神はつとに有名で、受験シーズンと梅の季節が重なると境 内はごった返す。

 大学受験の絵馬を書きに来た十代の頃、この辺りは、ちょっと気恥ずかしいところだ った。境内を囲むように10数件のラブホテルが林立している。そこから男女が出てく ると、あらぬことを想像して顔が火照った。

 学問の神様の隣がラブホテル。妙な取り合わせではないか。

 しかし、この天神さまは「欲望」に寛容だった。江戸時代には富籤興業で神社仏閣の 修繕費を稼ぎ、落語の人情噺「富久」の舞台になった。

 濱本高明著「東京風俗三十帖」(演劇出版社出版事業部)には戦後一時期、境内に通 じる男坂を下ったところに、ひっそりとした「陰間茶屋」があり、作家・三島由紀夫と おぼしき人物が足繁く通っていた、とある。

 まだ舞台に出ない少年俳優を「男娼」として弄ぶ。転じて男色を業とする少年を江戸 の昔から「陰間」と言った。かつて湯島はその道では知らぬもものがない場所だった。

 学問も、賭事も、SEXも、梅の儚さも、一緒くたにする天神さま。

 白梅を鑑賞して、甘酒を飲み、仲坂の急な勾配を歩いて仰天した。大きな空き地がポ ッカリと出現している。記憶が定かではないが、ここには大きな老舗ラブホテルがあっ た。ここだけの話だが、若い頃、何度か利用した記憶がある。思い出のホテルなのに… …。

 「建築計画のお知らせ」を見た。「特別養護老人ホームゆしま新築工事」。

 時代は変わり、天神さまも福祉に目覚めた。老後の「欲望」は健康、介護……要する に天神さまは「思いのまま」……湯島の「梅まつり」は3月9日まで。

     
(毎日新聞東京版2月18日夕刊掲載)



さくら、さくら

 知り合いに「さくら」を業にする人がいた。歌舞伎の客席で「音羽屋!」(尾上松緑 )「幡磨屋!」(中村吉右衛門)と声をかける。

 普段は相撲茶屋の出方をしているが、巡業を含めても、大相撲の開催日は1年の三分 の1以下。暇を利用して歌舞伎座に顔を出す。顔パスで入場料タダ。要所要所で渋い声 をかけると、ご祝儀が届けられる。

 桜を見るのに見物料は掛からない。転じて「役者に声をかけるように頼まれた無料の 見物人」を「さくら」。転じて「露天商と通謀し、客のふりををして、他の客をの購買 力をそそる者」を「さくら」と言う。回し者である。

 その昔(地方によっては未だに商売になっているが)道の真ん中で簡易テーブルを広 げ、三個のタバコに印を付けてから、ひっくり返す。すばやく動かして、印のついたヤ ツを当てさせる。お客の一人(実は「さくら」)が見事当てる。確率は三分の一。見て いた人が「俺も」と料金を払ってゲームに参加する。しかし絶対に当たらない。

 テキ屋の親分に聞いたところでは「もやしがえし」という手口。水栽培のような、彼 らにすれば簡単なマジックなのだという。

 夕暮れ、東京駅八重洲口の路上で「さくら」の一団を見た。高価なライター?を並べ た露天商。「本当に○○円?」と女性客。露天商は特別な事情があって投げ売りしてい ると説明する。

 お客全員が「さくら」。つい世間知らずが顔を突っ込むとマジックに引っかかる。今 時、こんな古典的な「さくら」がいるなんて……懐かしかった。

 その翌日、テレビから「テキ屋の口上」のような声が聞こえてきた。「悲観論からは 新しい挑戦は生まれない!」。某国の総理大臣閣下の施政方針演説である。見上げたも んだよ、屋根屋の褌。楽観論などどこにもないのに……実に”見上げた口上”ではない か。

 「さくら」の面々が「立派だ」と褒めちぎっている。最近まで野党の論客だった人ま で「さくら」に加わって「今度は立派」。デフレ克服が「先送り」され、悲観論ばかり なのに……。

 「さくら」の業界も多様化した。ここだけの話だが、混浴露天風呂が売り物の旅館に は入浴美女の「さくら」までいるそうな。

  戦後の混乱期のように、人は騙し、騙され、さくら、さくら。

  
(毎日新聞東京版2月4日夕刊掲載)



「民営化」の安売り

 あいも変わらず、小泉さんが「改革なくして成長なし!」と叫ぶ。うんざりする。改 革はそれなりに前進しているのに……何故か、うんざりする。

 例えば大学改革である。先週末、八王子市で行われた大学職員セミナー「大学危機回 避 モラールとミッションの再構築」で就任直後の御手洗康・文部科学省次官が講演し た。誇り高い大学人が「危機回避」なんて言葉を使い、国会対策で多忙な次官が若手の 職員に「改革」を訴える。珍しいことだ、と思い見学した。そうした「緊張」は改革が 前進している証拠である。

 大学の需給アンバランス。一部の私立大学は倒産し、国立大学は2004年4月、法 人化する。国の財政だけを当てにすることは出来ない。御手洗次官は「社会人の受け入 れ、産学提携、地域貢献が今後の大学の生きる道」と話した。

 ほぼ僕と同世代の次官が東大生だった60年代後半、学生運動は「産学協同粉砕!」 だった。彼も学生運動に参加していた?と推察して、時代の変わり様に苦笑してしまっ た。独立行政法人になる「国立大学」は授業料を独自に決めることが出来る。”料金 ”が競争だ。ここだけの話だが”一律料金”は独占禁止法上の談合になのではーーと心 配している大学職員もいる。

 すべて「改革」は、時代の変化で実現する。小泉さんが担当大臣に「君は抵抗勢力な のか!」と詰め寄ったから実現したものでもない。

 小泉さんが無闇やたらに改革!改革!と言うので、浮き足立つている人々もいる。「 アレも民営化」「コレも民営化」と叫ばないと時代遅れと勘違いするのだろう。

 国立大学は利益追求の株式会社が良い、という意見がある。大不況で貧富の差は一段 と大きくなっている。利益追求の大学株式会社では、経済的な理由で教育が差別される 恐れがある。そんな民営化の安売りに、僕は国家理念の喪失を感じる。

 小泉さんは「僕の専売特許」と言わんばかりに「改革!」を連発する。しかし「改革 なくして……」と小泉節を聞く度に「また例の『昔の名前で出ています』ですか」と冷 ややかに笑う人が増えているのも事実である。

     
(毎日新聞東京版1月28日夕刊掲載)



綱引(Tug of War)の極意

 綱引は冬のスポーツである。

 「あれ、スポーツなんだ」と言う人もいるが、2月9日東京体育館で全日本綱引選手 権大会が行われる。

 小学生の頃、綱引は得意だった。走ることも下手くそ、踊ることも下手くそで、運動 会で喜んで出場する種目と言えば綱引ぐらいしかなかった。勝っても負けても、ヒーロ ーはいない。責任者?も出ない。

 ここだけの話だが、はじめは一生懸命に綱を引くが、すぐ力を抜いてしまう僕は“隠 れた敗因”だった。

 ところが、本当の綱引はそんな生やさしいものではないらしい。由緒ある、高度で知 的な、敗因も追及するスポーツなのだ。

 綱引は「Tug of War」(引く闘争)。紀元前2500年のエジプト・サッカラ古墳 の壁に綱引の模様が描かれている。ビルマ、インド、朝鮮、ハワイ、コンゴ……世界ど こにも、豊作を祈る神事、善と悪との戦い、天気の占い、領土争いの決着……として綱 引は存在した。日本にも秋田の「刈和野大綱引」など伝統行事が数多く残されている。

 厳密なルールがある。1チーム8人。試合はチームウエイトによりクラス別で行われ 、相手チームを4メートル引き込んだ方が勝ち。普通、数10秒から3分以内で勝負が 決まる。(ただし、ギネスには24分45秒の記録が残っている)

 道具は綱。日本はインドアが中心で専用マットの上で靴底が滑り憎い専用シューズを 使う。

 選手はプラーと呼ばれ、一番後ろの選手をアンカーマンと言う。アンカーマンは一回 だけロープを体に巻くことが出来る。

 掛け声は「オーエス」。「そーれ」とか「せぇーの」ではない。

 1900年から5回オリンピック競技になった。レッキとしたスポーツである。

 敗因の追及?

 それはビデオの普及によるものである。試合後の必ず開く?飲み会で、ビデオを見て 、彼らは和気あいあいと勝因を褒め称え、敗因を罵る。

 ちなみに練習なしのブッツケ本番の場合「空を見て引くこと!」が鉄則だそうだ。斜 め上を見れば自然に体軸が後傾になり体重がかかる。

 「空を見よ!」

 これ、俗世界の「綱引きごと」に共通する極意かも知れない。

(毎日新聞東京版1月21日夕刊掲載)



せめてカネを出せ!

 去年3月19日「ここだけの話だが拉致された人間は47人前後いる」という関係者 の発言を紹介した。

 読者から、同僚記者からも「まさか」と言われた。

 その頃、拉致被害者を支援する「救う会」は東京港区の三田会館で何度も集会を開い ていたが、顔を出す報道陣は数人だった。僕も2回参加しただけである。マスコミはど ちらかと言うと「救う会」に冷たかった。

 去年9月の日朝首脳会談以降、マスコミの反応は急変した。三田会館には200人を 越える報道陣が詰めかける。長いテレビ中継車の列。東京の新名所?になってしまった 。

 10日「救う会」が特定失踪者問題調査会を立ち上げ「政府の認定した10件15人 以外に、拉致の可能性を排除できない40人」を発表した。その時も大変な騒ぎだった 。

 押し合い、へし合いの会見場の隣に「特定失踪者」の顔写真が張り出された。写真の 多くがカラーではない。古びた白黒写真を若い記者が「携帯電話」で複写している。

 拉致被害者が20年も、30年も放置されている間に「電話が写真を写す時代」に変 貌していたのだ。

 その間、政府は一体、何をしていたのだ。

 例えば、である。2001年7月15日大阪の病院で一人のキーマンが病死した。T 氏。「洛東江」という暗号名で呼ばれる北朝鮮工作部隊のT氏は「北」個人崇拝に嫌気 がさし「北」を捨てた。彼の証言を積極的に調査すれば、拉致事犯の解明はさらに進ん だハズだが……そのうちに彼は死んだ。当局の捜査がどこまで進んだのか甚だ疑問だ。

 日本国内で拉致行為をサポートした「土台人」(朝鮮語で「縁の下の力持ち」という 意味)も、この世から亡くなっているかも知れない。

 真相究明は時間との闘いだ。

 「特定失踪者」を調査するのは政府の仕事ではないのか。

 民間の「調査」には限界がある。ボランティアには限界がある。

 調査には費用が掛かる。誰が費用を負担するのか。マスコミも世論も移り気だ。カン パにも限界がある。

 政府が出来ない「調査」だと言うなら、それこそ官房機密費・外交機密費を提供すべ きではないのか。

 重ねて言う。

 これは「時間との闘い」である。

(毎日新聞東京版1月14日夕刊掲載)



土俵のハングリー

 寒い朝。早稲田の志水廣典先輩に誘われ、両国の朝稽古を見学した。

 志水さんは、かつての捕鯨の雄「極洋」の社長を勤めた人物(現顧問)。小渕元首相 、森前首相をはじめとする“政界早大雄弁会人脈”に隠れた影響力を持つ経済人である 。

 眼力が鋭い。ちょっと近づき難い先輩だが「両国のタマちゃんを知っていますか」と 話した時は、愛嬌たっぷりの眼差しになっていた。

 「両国のタマちゃん」は東前頭12枚目・玉春日。今日1月7日に31歳の誕生日を 迎えた、正方形の顔?に細い目が可愛い、愛媛出身の力士である。「同郷のよしみで後 援会長なんです」と大正13年生まれの先輩は孫にでも会いに行く表情である。

 午前8時、墨田区石原の片男波部屋に到着。上がりかまちの中央に片男波大造親方( 元玉乃富士)がデンと座り、稽古の真最中。十数人の若者、誰も何も言わない。かち合 いの衝撃音。飛ばされた力士が羽目板にぶつかると、爆発音と共に稽古部屋全体が揺れ る。

 ハアッハア…息切れの音。体から湯気が立ち、真冬だというのにムンムンとしている 。

 稽古は午前5時から10時まで。親方は黙って見ているだけだった。

 「ここだけの話ですが、普段は竹刀でビシビシやるんですが、今日は見学者がいるの で……遠慮しました」と笑った。意外にも親方はこの荒稽古に不満気な顔付きである 。

 朝ちゃんこをごちそうになりながら「何故、相撲人気は上がらないでしょう」と意地 悪い質問をした。

 「不景気だ、と言っても食べるものがなんでもある。部屋では番付の上の方から飯を 食べる。昔は下の者の番になると鍋は空になっていた」

 女将さんが続けた。「ちゃんこに具があると思って、すくったら自分の目だった、な んて……」

 ランクがすべての世界。「五等床山」なんて言葉まで残っている。強くなければ飯が 食えない。しかし、現実には土俵は飽食の世界なのだ。

 日本人力士がハングリーな外国出身の若者に勝てない。公傷制度で休場が増え、人気 を低迷させる。

 国技相撲が日本低迷の縮図?

 あちこちで、ハングリー精神が求められる2003年春ーー。

(毎日新聞東京版1月7日夕刊掲載)



黒四ダムのロマン

 12月の温度は平年並・1〜2月は平年より高い…と気象庁は予報したが…そうでも ない。寒い。寒い。

 厳寒期に気温が1℃下がると、電力需要は60万kwも増える。

 過去に東京電力が記録した「冬の最大電力」は平成10年1月12日の5230万k w。ことし、初雪の12月10日、この最高記録に「あと10万kw」にまで迫った。

 問題は供給力である。例の東京電力の不祥事。保守点検と原子炉格納容器漏洩率検査 で、現在17基のうち、9基が停止している。年明けすぐに2基、1月末にまた1基、 2月にも1基が、さらに残る4基も3月以降にすべて停止する予定だから、4月末には 17基(1730kw)がすべて動かなくなる。

 そんなに、短時間に、集中的に検査する必要があるのだろうか。

 すべては「情報公開の原則」を軽視した迂闊さが原因で、東京電力に味方するつもり はサラサラない。しかし「自動車のバンパーに“ひびの兆候”が見つかったので、同機 種の自動車も運転を中止します」とでもいうような“過剰報道”“過剰反応”。理解出 来ない。

 仕方なく、他の電力会社から応援融通(最高90万kw)を頼み、品川1号系列など の試運転電力を活用することを考えているようだが、かなり深刻である。

 東京電力は12月19日、新聞各紙に恐る恐る?節電のお願いの一面広告を出した。 ここだけの話だが、東京電力はあの事件以降、新聞広告、テレビのスポンサーを自粛し ていた。その自粛解除の第1号が皮肉なことに、第一次オイルショック以来の「冬の節 電キャンペーン」広告になってしまった。

 電力は国策。全国の電力マンには国策を担う誇りを持って欲しい。こんなことで自信 をなくすな。

 ただ一つ、明るいニュースがやって来た。大晦日のNHK紅白歌合戦で、中島みゆき が雪に埋もれた黒四ダムで「地上の星」を歌う。

 電力マンよ、殉職者171人を出した、あの難工事を思い出そう。

 読者の皆さん、ことしは今回で終わり。ご愛読、ありがとうございました。自信に満 ちた新しい年を、お祈りいたします。

(毎日新聞東京版12月24日夕刊掲載)



改名の季節

 ここだけの話だが、ある瞬間、僕は「大郎」だった。

 脳卒中に倒れた後「姓名判断で占ってもらったら」と知人に勧められた。中小企業を 経営する知人は姓名占いで社名を「××実業」から「××ビルド」と変え大成功してい た。

 紹介された占いの大家は「名前には人格、天格、地格、外格、総格の5格がある 。総格は人の一生の全体的な運命を暗示し、特に中年期以降の運勢に強く現れる」と説 明した。どうやら僕は総画が悪いらしい。

 「後天的な運命をつかさどる名前を改めて良い方向に変えることが出来る」。本当だ ろうか。知人は大家に「改名をお願します」と深々と頭を下げた。

 そして数日後「命名書」が送られてきた。「牧太郎」と書いてある。変える必要はな かった…と思ったが…よ〜く見ると「牧大郎」なのだ。

 知人は「記事の後ろに筆者の名前を入れるだろう。それを『大郎』にしろ!」と主張 する。困った。

 翌日、原稿の最後にそっと「牧大郎」と書いた。整理記者が「誤植」と思ったのだろ う、当然ながら、紙面では「太郎」に直っていた。

 親が付けてくれた名前。変えるつもりもないが……どうしたものか。

 それまで「大郎」という名前に出会ったことがなかった。大家が無理矢理「3画の字 」を探して来たとしか思えない。そこで「『大郎』はどうも名前らしくない。一人でも 『大郎』という人に会ったら、必ず改名するから」と知人に“改名猶予”を申し出た。

 それから約8年たった12月12日、僕は「富士見大郎さん」に出会ってしまった。 大郎サンは「農村報知新聞社」という業界紙を発行する好青年。「本名ですか?」と聞 くと「中学の国語教師だった父がつけてくれました。いつも『太郎』と間違えられて… …大学の合格発表も『太郎』でした」

 「大郎」の名前は存在したのだ。あの約束をどうするのか。

 しかし……改名で「強運の男」に変身したはずの知人は悲しいことに「突然死」で、 すでにこの世にいないのだ。

 年の瀬。不運を嘆く芸人さんが一度は「芸名でも変えようか」と呟く季節がやって来 た。

(毎日新聞東京版12月17日夕刊掲載)



美容師の世界

 ここだけの話だが、僕は美容院で散髪してもらっている。

 お洒落、という訳ではない。10年ほど前、脳卒中で長期入院をした時、頭が痒くて 痒くて仕方なく、病院に近い美容院に飛び込み「髪を洗ってくれませんか」と頼んだ。 失語症の車椅子男が突然、やって来たので、男性美容師は仰天していた。

 洗って貰った。気持ちが良かった。それがきっかけで、退院後も東京・東麻布の店を 利用するようになったのだが……店は古いし、愛想が悪い。普通、客に住所・名前を書 かせ、何らかのサービスをするようだが、そんなことは全くしない。

 それでも客はいつも一杯で、弟子のような若者が3人いる。

 ある日、中年の女性客が長い髪を「アップに」と注文した。そこで見せた彼の手さば き。ふっくらと仕上がった明治の髪を見て惚れ惚れした。

 「うまいもんだなあ」と感嘆すると、ニヤッと笑った。「アップが出来るのは髪結い だからだ」。

 十年目で初めて、彼が生い立ちを話してくれた。

 「東京オリンピックの年、18歳で東京・大塚の美容院に住み込んだ。当時、男の美 容師なんていなかった。女の子は6畳の部屋に共同生活するが、男はボク一人。店に寝 袋を引いて寝るんだ。二階の先生が床を叩くと、飯が終わた合図で食器を片づけに行く 。髪結いの丁稚奉公だな」

 それを皮切りに、お店を転々。新宿の店に入った時、美容技術コンクールに出場した ら全国大会で優勝。「20から3年連続優勝したよ。今で言うカリスマ。でも4年目、 予選の段階で震えが止まらなくなった。追われる恐怖で震えるんだ」。コンクールの出演 は止めた。

 「頼まれて4つのヘア雑誌に新年、春、夏、秋の4シーズンごとの新作を発表した。 1年に16作。これはきつい。そのうちに買い取り屋が出てきた。上手でもない作品を 載せてくれれば雑誌を100冊、1000冊買う、という奴。そんな奴と同じように思 われたくなかった」

 有名な女優、モデルも手がけた。「でも女優は誰がやっても美しい。だから喜こばな いんだ。行き着いたところは普通の人に喜ばれる普通の美容院さ」。

 僕と同じ年格好の職人気質が笑った。

 年の瀬。髪結いは忙しくなる。

(毎日新聞東京版12月10日夕刊掲載)



男も女も…恋の詩(うた)

 10月初め。「予算獲得に上京する。メシでも食べないか」と知り合いの町長から電 話が掛かって来た。

 「異業種交流とでも思ってくれ。友人を2人連れて行くから」。

 翌日、町長の紹介で中年4人組の異業種交流会?が始まった。

 町長が小型テープレコーダーを取り出した。「聞いてくれ。『日本海の母』って言う んだ」。

 1963年日本海で行方不明になり、北朝鮮で発見された寺越武志さんが39年ぶり に帰国した前夜だった。歌は母親・友枝さんをモデルにしている。「岸壁の母」に似て いる。「ここだけの話だが、僕が作詞したんだ」。町長は息子の帰国をひたすら待つ友 枝さんの姿に胸を打たれ、この詞をプレゼントした。感激した友枝さんはプロの作曲家 に頼んで演歌に仕立て、プロ歌手がレコーデイングした。美談のような気もする。

 「ちょっと待てよ。拉致被害者8人死亡の情報もある。こんな時に演歌でもあるまい 」と諭すように言ったのは元石川県警本部長。「この歌で商売しようとする妙な奴らも 出るだろうしな…」と呟いたのは新聞記者。つまり僕である。

 「いやいや、発表するかどうかは作品出来に掛かっている」と主張したのは残りの一人。 「見せなさい」と彼が町長の作詞を添削し始めた。彼はプロの作詞家。次々に朱筆が入 り、どうやら「世に問うほどの作品」ではないらしい。これが決め手で、感動の演歌の 発表?は自粛することになった。

 その後は話題が作詞家に集中した。サラリーマンをリタイアしてから彼は作詞一筋。 「作詞だけでは食えないが、生金もある。刑務所のカラオケ大会の審査員というボラン ティアもある。幸せだ」

 その彼・木下龍太郎が作詞した水森かおりの「東尋坊」が、この秋、ヒットしている 。「男と女の夢違い……いい文句だろう」。確かに殺し文句が散りばめてある。

 「日本作詞大賞にノミネートされた」というので、発表の11月24日はテレビにか じりついて「異業種交流仲間」の受賞を心待ちにした。

 だが……大賞は阿久悠さんの「傘ん中」だった。こちらには「男も女も水浸し」の震 えるような文句があった。

 木々が丸裸になる初冬。「大人の恋」の季節だ。

(毎日新聞東京版12月2日夕刊掲載)



2002年11月18日

 ワイドショー、北朝鮮なしでは夜も日も明けぬ……毎日でございます。お元気でしょ うか。

 主人が職探しに出かけた後、テレビのワイドショーを楽しむのが、専業主婦の数少な い楽しみでございますが、北朝鮮って、あれほど恐ろしい国とは思いませんでした。思 わず涙を流してしまいました。

 でも、私って…変わり者なんでしょうか。あの洪水のような拉致情報の中で、実は… 一番衝撃を受けたニュースは「蓮池さん夫妻、パソコン講習開始」でした。

 蓮池さん夫妻は11月18日、パソコンと電子メールの研修を始めたそうです。記念 すべき初メールは兄の透さんからで「久しぶりに会えて元気そうな姿を見たうれしかっ た。それと、自分が来ると天気が悪くなるからやっぱり雨男だな」と書いてあったそう です。兄弟って良いですね。

 薫さんは「本当に便利ですね。早く習ってメールを送りたいんですけど、今の段階じ ゃあ、まず電話の方に手がいっちゃう」と言ったそですね。メールって電話みたいに便 利なんでしょうか。

 60歳を前にした私、これまで、パソコンは自分に関係ない、と思っておりました。 ここだけの話ですが、前の会社で役員だった主人は部下の方にパソコンを任せ切り。リ ストラに合い、職探しを始めてからパソコンに悪戦苦闘しております。

 柏崎ではパソコンが使えないと仕事がないのでしょうか。ショックでした。24年ぶり に帰国した蓮池さんが楽しそうにパソコンをやっている。これもショックでした。拉致 されてもいないのに、パソコンをしなかった…恥ずかしい。

 もっとショックだったのは90を越えた舅が「私もパソコンをやる」と言い出したこ とでございます。

 2002年2月20日は歴史を変えた日…私はこれが「最大の拉致ニュース」では、 と思うんです。

 なお、私、メールが打てるようになりました。もし、出来れば、返事はメールでお願 いします。十代のあの頃、文通をしたあの時を思い出して……メル友になりませんか。

 寒いですね。ご自愛下さい。お互い、若くないんですから。

 ーー何て手紙が舞い込みそうな……パソコンは“人間の条件”みたいだ。

(毎日新聞東京版11月26日夕刊掲載)



「賢い」と「ずる賢い」

 最近「賢いコメント」に出会う。

 例えば「私のような者…」が口癖のノーベル賞受賞者・田中耕一さん。日本外国特派 員協会の大舞台?で「日本人は皆、あなとのことを好きなようだが」と言われ「独身な ら良かった」と切り返した。他の人が言ったら嫌みになったかも知れないが、彼の実直 さに、一同大笑いした。

 例えば、巨人の松井秀喜外野手。FA宣言で「ファンに申し訳ない。今は何を言って も裏切り者と言われるかもしれない」と言い続けた。そう言われれば「馬鹿言っちゃあ 困るぜ。若いもんが世界に飛び出そうとするのに、誰が裏切り者なんて言うものか。裏 切り者なんて言う奴がいたら、こちとら懲らしめてやる」という気分になる。

 もし「大リーガー入りは権利」などと言われたら、ちょっぴり複雑な思いになったろ う。松井流は賢い。

 「賢い」と言うと「計算された緻密さ」と誤解する向きがあるが、断じて「ずる賢い 」とは違う。田中流も松井流も、律儀な、生真面目な人柄が言葉に滲み出ているだけだ 。

 それに引き替え……政治家のコメント、マスコミ人のコメントは凡庸極まりない。

 ここだけの話だが、相変わらず「表現の自由」を持ち出して、煙に巻くマスコミ人の 「ずる賢いコメント」に僕は辟易している。

 北朝鮮拉致事件の報道で「特ダネだ!」と胸を張ったハズのインタビュー記事が人々 から歓迎されなかった。「報道の自由なんて言うけれど、特ダネなんて、所詮、一企業 の利益以外の何物でもない」と多くの人が見破っている。

 その通りだ。特ダネはマスコミ各社の巧妙心である。

 しかし、特ダネがなければ歴史は正確にデッサン出来ない。功名心がなければ、権力 は腐敗する。

 司馬遼太郎先輩は「新聞記者は無償の功名心」と言った。カネ、名誉、出世と関係な い功名心である。

 ところが、いつの間にか僕らは「有償の功名心」に走った。視聴率に走った。部数に 走った。有償な功名心を満足させるために取材が暴走する。今、拉致被害者のプライバ シーは吹き飛ばされようとしている。

 ご同輩!

 「賢いコメント」に相応しい“無償の功名心”に戻ろうじゃないか。

(毎日新聞東京版11月19日夕刊掲載)



「非日常性」は売れる

 散歩の途中のコーヒーは180円と決めている。

 喫茶店のコーヒーは400円前後というのが今までの相場だったが、いつの間にか「 150円から220円」が常識になった。デフレは牛丼、バーガー、コーヒーに顕著で ある。

 だが……ここだけの話だが、その店の前を通るとついフラフラと入ってしまう店があ る。

 昼間は浅草観音の参拝客や修学旅行生で賑わう新仲見世通りとブロードウエー通りが 交差する辺り。近くに寄席、芝居小屋、ヌード劇場があるが、夜は閑散として午後7時 を過ぎると喫茶店は軒並み閉店。開いていても客はまずいない。

 ところが、この店だけは8時を過ぎても4、5組、お客がいる。

 コーヒーは550円。うまいけど高い。ケーキは600円。美味しいけれど高すぎる 。

 でも、入ってしまう。消費税を入れて1207円。本来なら「二度と来ない!」と 腹がたつ値段だが、何故か、入ってしまう。

 何故、こんな贅沢をしてしまうのか?

 次第に理由が分かってきた。

 ガラス窓が大きい。床から天井までが総ガラス。街の流れがすべて見えて、閉所恐怖 症の僕には好都合。

 天井がやたら高い。空調をはじめ様々な管(くだ)が剥き出しになっていて、劇場かテ レビ局のスタジオの空間である。照明に微妙な高低があって、柔らかで暖かい。

 この「環境」が非日常的なコーヒーの匂いを感じさせるのだろう。

 最近、不動産コンサルティングの達人・池添吉則さんの話を聞く機会があった。大変 な不動産不況で、一年間に建築される約9万戸のマンションのうち、今年は2万500 0戸売れ残るという。

 でも、必ず完売する物件はある。

 マンションが売れる3条件。1に立地。駅から7分以内。2に価格。安い方が良い。 そして3が商品性。広くてお洒落であれば、少々、立地、価格に条件が合わなくても売 れると彼は言うのだ。

 そのお洒落な商品性とは?

 「例えば、カフェ専門の店舗デザイナーが設計するのが売れる!」

 なるほど、なるほど。不況に打ち勝つ商品、それは「非日常性」と「環境」なのかし ら。

(毎日新聞東京版11月12日夕刊掲載)



「保身」は悪いことなのか。

 「保身」は悪いことなのか。

 例えば、ある日の毎日新聞社説。銀行トップがそろって竹中平蔵金融・経済財政担当 相の不良債権処理策に反発するのを評して「自らの保身か、と疑われるとすれば、銀行 経営者の不徳のいたすところである」と結んでいる。どうやら「保身」は蔑みの対象ら しい。

 この不良債権処理策のシナリオは資産の厳格査定→引当金の大幅積み増し→自 己資金の不足→公的資金の投入→経営者責任の追及(経営陣一掃・刑事的責任?)→国 有化……銀行トップの猛反発が理に適っているかどうか、はさて置き、責任を負わされ る彼らが「保身」に走るのはしごく当然である。

 「保身」とは自分の身の安全を守ること。動物の本能ではないか。

 ところが、実際に「保身」という言葉を使う時、人々は「他のことはどうでも、自分 の地位や名誉だけを守ろうとする行為」と蔑んでいる。

 しかし、そうだろうか。

 「俺、保身してるよな」と思うことがある。上役がどう考えても理不尽なことを部下 に命令している。「それは間違ってる!」と言うべきだが「まあ、黙っておこう」と無 関心を装う。君子、危うきに近寄らず。恥ずかしながら、保身している。

 ここだけの話だが「官僚の天下りは怪しからん」と立派な論説を書いている記者さん が「新聞社の関連会社に天下りする方法はないか」と目の色を変えていたりする。彼ら も、堂々と保身してる。

 「保身」は個人主義だ。「保身」を手助けする弁護士という商売があるぐらいだから 民主主義なのだ。

 「あなたは小泉路線に反対なのか?このことは(首相に)報告する」と竹中さんは開 き直ったようだが、まるで小学校の学級委員が「先生に言いつける!」と喚いているよ うで……理路整然も、清廉潔白も、度を過ぎると子供の独裁者遊びになってしまう。

 上手に保身するのが大人の世界。上手に保身させるのがリーダーの腕。所詮、この世 は保身と保身のぶつかり合い……ではないか。

 ここが机上の論理とは大分違うところで、この“勘所”を見失うと「改革」はとん挫 する…と書いてはみたが…時の権力に楯突くなんて…俺って保身が下手くそなんだよな 。

(毎日新聞東京版11月5日夕刊掲載)



「死亡確認書」の筆跡が……

 「間抜け」を「間抜け」と言ってどこが悪い。

 安倍副官房長官が北朝鮮の拉致事件解明に必ずしも熱心でなかった菅直人民主党前幹 事長、土井たか子社民党党首を「間抜け」と言った。父・晋太郎外務大臣の秘書官だっ た頃から「北朝鮮」を勉強した安倍さんは、本音でそう思ったろう。

 その発言が怪しからん、と言う上品な意見?が飛び出して、安倍さんはわざわざ衆院 議運委理事会に「不適当な発言であり、以後十分注意する」と釈明した。

 なんという間抜けな言論弾圧!

 「間抜け」と言われたら、公の席で「間抜けではない理由」をあげてと反論すればい いじゃないか。

 そんなことにエネルギーを使う永田町の住民に血税を使われるなんて……涙が出る。 まさか、日本の政治家は、金正日さんの息子がディズニーランドを見るためだけの目的で 、偽のパスポートで来日した、とでも思っているのか。

 「間抜け」も休み休みにしてくれ。

 拉致事件の解明は正念場である。

 北朝鮮から5人の拉致被害者が(一時)帰国してから、様々な情報が交錯している。 5人の動向を本国に連絡する「北」の人々。そうした人を尾行する人。表立ってはいな いが色々なツテを求めて警察当局は間接的ではあるが、被害者から事実上の事情聴取を 行っている。

 拉致事件は凄まじい情報合戦の渦中にある。お涙過剰の情報バラエティ番組が無神経 にテレビに流されている間に「幕引きのシナリオ」が着々と進んでいる。

 「間抜け」ではいられない。

 北から「死んだ」と発表された8人(「死亡」と書かず「生死不明者」と書くべきだ と思う)が歴史の闇に再び放置されようとしている。

 ここだけの話だが、警察当局は「8人の死亡確認書」のハングル文字を筆跡鑑定して 「うち7人は同一人物の筆跡」と判断した。「死んだ」とされる時間も場所も違う「死 亡確認書」が何故、同じ人物の筆跡で書かれているのか。

 8人の多数は生きている。と、考えた方が自然だ。

 「間抜け」な正常化協議は出来ない。

(毎日新聞東京版10月29日夕刊掲載)



セントウの不老体操

 ここだけの話だが、10月10日、ウン歳の誕生日を迎えた。

 20歳を迎えた日が東京オリンピック開会式。以来、僕の誕生日は「体育の日」だっ たが、いつの間にか「3連休で経済活性化!」の大合唱で、休日ではなくなった。残念 だ。

 皮肉にも“三連休効果”を期待した頃から日本の個人消費は冷え込む。小手先で 消費拡大は出来ない。

 「いいじゃないか。体育の日じゃなくても。10月10日は輝かしいセントウの日な んだから」と友人が笑う。先頭の日?

 戦闘の日?

 「銭湯! 公衆浴場の日だよ」

 知らなかった。でも、語呂合わせの「××の日」は形だけ。まして銭湯は消え行く文 化じゃないのか。

 「それは違う。『毎日が銭湯の日』『毎日が体育の日』という町もある」と友人が断 言する。そこで、評判の東京・武蔵野市を一日かけて、駆け回った。

 面積10・73キロ、人口13万。全国で2番目に人口密度が高い町。高齢者が2万 人を越えている。

 まず「ムーバス」。幅2・06m、全長6・99m、定員28人の小型バスがどんな 狭い道でも走っている。バス停の間隔が200m。料金100円。「近くて安い」で交 通空白ゾーンが無くなった。事業主体は市、運行は民間バス会社。嘱託運転手の採用で 人件費を削減、運行開始4年で黒字。儲けは市とバス会社が折半する。

 「レモンキャブ」というドア・ツー・ドアの福祉型軽自動車が7台。30分走って料 金800円。ボランティアの取り組みを市が制度化して、道路運送法の「有償運送」の 許可を取った。2種免許の必要ない。

 テンミリオンハウス。市が1000万円だけ出す、小規模なデイサービスの「家」。 500円で昼飯、おやつ。一日中、笑いが絶えない…。

 さて、この町で銭湯の役割は?

 不老(風呂)体操である。11カ所ある銭湯のどこかで、毎日午後2時から約1時間 、脱衣所で不老体操が行われる。僕が覗いた亀の湯では若い女性の指導員の音頭で「憧 れのハワイ航路」を歌いながら、70、80のお年寄りが、タオル体操ではしゃいでい た。入浴は無料。もう22年間も続いている。

 名よりも実。

 小泉さん、日本も捨てたもんじゃありませんよ。

(毎日新聞東京版10月22日夕刊掲載)



内閣の人相

 テレビで小泉改造内閣の大臣就任記者会見を見ていた同僚が思わず「人相が悪いなあ 」と呟いた。

 そう言えば…自分のことを棚に上げて失礼だとは思うが、一年前の内閣誕生の頃と比 べると「内閣の人相」が貧相になったような気がする。

 「相学」は形に現れたものから運命を読み取る学問。人相にその人の性格・性情・運 命などが現れる。

 寛永年間(1624〜1644年)に古活字版孤本「人相経」が出版された。そんな 昔に活字印刷があったことも驚きだが、その書き出しは「面有360相……」。人相は 活字本と同じ長い歴史を持っている。

 ごく簡単なものに「十字相法」なるものがある。顔の輪郭から人の性格や運命の概略 をつかむ方法。顔の輪郭を10の文字でイメージする。「王」は額、アゴが良く張って いる顔。長生きするが結婚運、金運に乏しい。「円」は丸顔。親との縁が薄い。行いが 良ければ晩年幸福……といった調子で目、用、風、由、甲、申、田、同の10の文字で 運勢を分類する。

 もう少し高度?になると鼻、眼、田宅(まゆげと目の間)、人中(鼻と口の間)の形 態から吉厄を占う。

 相学は科学ではない。経験の集積。いわば統計学で、特別、素養はなくても、人間は 自然と善人・悪人の区別、凶兆の予感が出来るようになっている。

 ここだけの話だが、宗教家だった養父は戦後「相学」を飯のタネにしていたことがあ り、いつも「人相は時が経てば変わる」と話していた。

 厳しい時の変遷で「内閣の人相」にも陰りが出ても仕方がない。

 「人相が良い、と言うのはどういう顔だ?」と逆に同僚に質問すると「女性にもてる 顔でしょう」と笑い飛ばしたが、人相学上、理想の顔は如来、菩薩である。(仏には「 三十二相八十種好」という分類がある。例えば、舌が大きく柔軟な仏は大舌相。嘘をつ かないという相)

 実は、菩薩のような人相に出会った。拉致家族のリーダー・横田めぐみさんのお父さ んである。悲劇に立ち向かい、笑顔を絶やさず、涙を隠さず、つねに誠実に話す。家族 の団結は、この人相に依るところが多いと思う。

 人相は「力量」の証でもある。

(毎日新聞東京版10月8日夕刊掲載)



Jungle law

 「英辞郎」をご存じだろうか。

 何でも載ってるWeb英和、和英辞書である。一般的な単語はもちろん、スラング、 イディオム、ビジネス用語、医学用語、固有名詞……ありとあらゆる言葉が100万語 以上も収録されている。「世界最大」と言われるOxford English Dictionaryが約62 万語というから、収録語の「数」では世界一?一日に60万を超すオンライン検索があるら しい。

 この「何でも引ける辞書」を考案したのは滋賀県草津市に住む翻訳家でコンピュータ ープログラマーの道端秀樹さん。1995年、バイクに乗っていた道端さんは自宅近く で交通事故に遭う。2トントラックが後方確認を怠ったのが原因で、外傷性クモ膜下出 血。死を意識した彼はこう思った。「死んでしまえば自分が生きてきたことの証は何も 残らない。何か残るものを作っておきたい」

 彼は保険で支払われた800万円を全額投入して「役に立つ辞典」づくりに全力投球 する。何人かの翻訳家、通訳者が編纂グループを作って協力。一大データーベースは完 成した。

 約100万語のWEB辞書はCDーROMをインストールすれば簡単に無料検索出来 るし、利用者が「この言葉を追加すれば」と言えば編纂グループの検討を経て収録され る。一ヶ月に約一万語のペースで「英辞郎」の言葉は増え続ける。

 ここだけの話だが、最近、暇なときは「英辞郎」と遊ぶ。

 テレビのトーク番組で司会者がしきりに「盛り上って」を連発する。「英辞郎」を引 くと「盛り上がる」はcut free(羽目を外す)。なるほど。

 「弱肉強食の世界ですから」と経済評論家が解説している。「弱肉強食なんて言葉、 英語にあるのかしら」とクリックすればjungle law、fisticuff law。fisticuffとは「 拳骨で一撃」という意味である。

 「心配するな。来れば分かる」が口癖の某国の高官が、やって来たお客さんに「五人 生存、八人死亡」と拳骨で一撃する。弱肉強食の国家ではこんなことは日常茶飯事?

 某国寄りの「大新聞」の分かりづらい社説より、スラングの表現の方がピッタリとい うこともある。

(毎日新聞東京版10月1日夕刊掲載)



生きている「理由」

 兵本達吉さん。64歳。日本共産党所属参院議員の元秘書。親しい友人の一人である 。ロッキード事件の最中、現職の判事補が当時の三木首相に「検事総長」の名前をか たってニセ電話をかけた。判事補は三木首相から「田中角栄を逮捕せよ!」という言質 を取り「三木は指揮権を発動した」とニセ情報を流すつもりだった。世論を錯乱させる 典型的な情報犯罪である。

 この事件を取材するうちに、僕は調査能力抜群の兵本さんと出会った。「共産主義こ そ正義」と信ずる彼は党の爆弾質問の「材料」を手に入れるために走り回っていた。

 その彼が98年、党から除名された。原因は「拉致事件」だった。

 以前から拉致事件を調査していた彼は、北朝鮮から亡命した工作員が「新潟で行方不 明になっている少女が北朝鮮にいる」と話しているのをキャッチした。めぐみさんのご 両親を探し出し「娘さんは生きています」を伝えたのは、兵本さんである。

 彼は真相解明にのめり込んだ。外務省、警察、韓国大使館に独自な人脈を築いて「真 相」に肉薄する。

 98年、彼は党の最高幹部から「調査はホドホドにしろ」と言われた。党は北朝鮮と 微妙な関係にあった。彼は命令を無視した。党より真相が大事だった。警察のスパイだ 、と査問され、彼は党を除名された。

 日朝首脳会談で「横田さんの死亡」が発表された翌日、彼に電話した。ここだけの話 だが、ジイージーと盗聴の音?が聞こえる電話口で「8人全員生きている」と彼は言っ た。「拉致された人たちは北朝鮮での任務が違うんだ。死んだと言われた8人は日本 語教師。8人から日本語を教えてもらった人間が工作員として日本に入り込んでいる。 もし8人が日本に帰国したら、公安当局が工作員の写真照合を頼むだろう。だから、北 は戦略的に死んでもらうしかないんだ」

 あくまでも彼の独特な推理である。

 8人は本当に死んだのか。本当に病死、災害死なのか。

 「歴史は動き、悲劇が残った」という言葉で政府・外務省の世論操作が進む。

 だが、誰かが「嘘」をついていたとしたら……歴史が動いたのは「錯覚」だった、な んてこともあり得る。

(毎日新聞東京版9月24日夕刊掲載)



内部告発恐怖症

 新聞記者なら一度か二度「書かないでくれ!」と頼まれることがある。

 例えば「暴力団と政治家の癒着」を取材したしよう。必ず政治家センセイが乗り込ん で来て「事実無根だ。告訴するぞ」と脅す。こんなことは日常茶飯事。それでも「書く 」と言い張ると「分かった。でも証拠の写真だけは勘弁してくれ」と強面のセンセイが 陳情する。

 別に「この記事に圧力が…」とは書かないが、ここだけの話、暴力団に「家族は何人 ?」と尋ねられたことは何度もある。スクープ記事には「生みの苦しみ」があるものだ 。

 ところが、昨今、特ダネ記事は内部告発から生まれる。告発に正確なデータがそろっ ているケースが多いので、記者の努力は半減される。

 そればかりではない。

 当事者が、本来、隠しておきたい事柄を自ら進んで発表する。

 例えば大学の試験ミス。不名誉この上ないことだから公にしたくないハズだが、昨今 の大学は毅然として発表する。何千人も何万人も受験する入学試験なら大事件かも知れ ない。が、受験者100人未満の小さな試験の些細なミス。関係者に事実を知らせ、陳 謝して、適切に対応すれば良いと思うのだが、大学は何故かマスコミを呼び、発表する 。

 無駄なことを?

 大学では「発表するか、しないか」で決まったように大激論になる。文部科学省にお 伺いを立てるが「独自に判断して下さい」。「こんな小さなミス、新聞だって載せない よ」という正論?も飛び出すが「もし内部告発されたらどうします。責任は誰が取るん ですか。発表した方が無難ですよ。透明性が大事な世の中ですから」という意見に押し 切られる。

 そこで、常々、学生に「田中長野知事の脱記者クラブ宣言は正しい」なんて講義して いる教官が「この辺りに記者クラブはないのか?」。

 事務職員が電話連絡に汗を流し、晴れて記者会見に漕ぎ着け、責任者が頭を下げる。 はた迷惑とは言わないが新聞も悩んで「出さない訳にも行かない」とお付き合いでベタ 記事にする。

 良くも悪くも“内部告発の時代”がまだまだ続く。内部告発恐怖症も、まだまだ続く 。

(毎日新聞東京版9月10日夕刊掲載)



妙だぞ!ニッポン

 妙だ!妙だぞ!

 考えるば考えるほど、妙だ。

 例えば、日本ハムの牛肉偽装問題。いつの間にか、事は創業者・大社義規会長が名誉 会長になるか、ならないか、に矮小化された。武部農水相が「名誉会長という肩書きは 理解できない」と居丈高になり、日本ハムは人事をやり直して「お上=農水省」の許し を乞うた。

 断って置くが、企業のトップを選ぶのは、取締役会、株主総会である。政治家が一企 業の人事に介入したら企業民主主義は壊れてしまう。

 日本ハムは確かに悪い。会長を名誉会長にするなんて……非常識だ。しかし、農水省 はもっと悪い。

 「国産牛買い上げ」はBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)対策で後手に回った 農水省が、畜産関係業者を救済する事業。農水省はズサンな検査で急場をしのいだ。

 これが「犯罪」を誘発した。小学校の教室に小銭をばらまいて、悪ガキどもに「盗ん で見ろ!」と言っているようなものである。

 農水省がそそのかした企業犯罪?で、罪のないサラリーマンが路頭に迷う。妙じゃな いか。

 強引に“買い上げ”を主張したのは、あの「宗男さんとその一派」である。畜産業者 から多額の献金を受けている族議員である。武部農水相は「その一派」ではない、と信 じたいが、かつて宗男さんから政治献金を受けている。

 農水省という役所は「アメと鞭」で畜産業者を牛耳ってきた。今も牛耳っている。「 日本ハム・ソーセージ工業協同組合が農水省の指導を無視した」と言っているが、とて も信じられない。この団体は専務理事が農水OB。ここだけの話だが、専務 理事は実直な人で、農水省と日本ハムの間に挟まって立ち往生している。「こそ泥」と まで罵倒されながら、日本ハムは農水OBの面倒を見ている。

 悪いのは雪印、悪いのは日本ハムーーの大合唱。妙じゃないか。

 下手くそな世論操作で責任の所在をウヤムヤにする大臣閣下。貴方こそ辞任すべきで はないのか。「天下りの宝庫」を守ろうする官僚こそ、路頭に迷うべきではないのか。

 昨今、わが日本国は、妙だ。

(毎日新聞東京版9月3日夕刊掲載)



聖子と「せいか」

 つい最近、東京・霞ヶ関に「子連れ公務員」のための保育園があることを 知った。文部科学省の隣。すべり台があるので、やっと気づいた。

 「かすみがせき保育園室」(TEL03・3580・7272)。昨年10月オープン。 文部科学賞共済組合の福祉事業で運営は民間に委託している。組合員の 乳幼児が対称だが、定員(常時保育20人、一時保育10人)の範囲内なら、 それ以外でも預かる。それまでこの辺には託児所はなかった。アジア諸国の 官庁街には、必ず保育園があるのに日本は遅れている。

 国会議員も利用した。2000年4月、娘を出産して1週間で“職場”に戻った 橋本聖子参議院議員である。「50年ぶり2人目」の現役国会議員出産。全国 の女性からは激励と共に「きちっと産休を取って、世の男性の認識を深めて もらいたい」という意見があった。その後、子育てはうまくいっているのか? 訪ねてみた。

 「“せいか”がハイハイするまでは、ここ(議員会館の事務所)にベビーラックを 置いて、2人で出勤して・・・・・・」と聖子さんは愉快そうに話し出した。「せいか」 ちゃんは「聖火」である。

 「ハイハイするようになると、これも無理。国会には託児所はない。で、結局、 知り合いの女性に預けることにしました。毎日、自動車を運転して赤坂の議員 宿舎を出発、7時45分に“せいか”を預け、8時に国会に入ります。普通は 午後8時ごろ、迎えに行く。知り合いに用事ができると、かすみがせき保育室で 一時保育です」

 宿直が多い機動隊勤務の夫は千葉の自宅に住み、平日は聖子さんがせいか ちゃんと議員宿舎に“単身赴任”。「でも、子供が出来てよかった」

 ここだけの話だが、オリンピックで外国人選手と戦うために聖子さんは体脂肪率 9%の男のような体に改造した。それが原因でホルモンのバランスが崩れ、ながい こと生理がなかった。

 「縁あって結婚、子供まで出来た。幸せです。当面、文部科学賞所管の幼稚園と 厚生労働省所管の保育園を上手に一元化するのが仕事です。両省のメンツが 絡むから、例えば総務省に子供局を作って一元化するとか・・・・・・」

 “子連れ議員”は奮闘中である。

(毎日新聞東京版8月27日夕刊掲載)



ハンバーガーの値段

 お盆休みで、久しぶりに会った友人たちが当方に質問する。古手の記者なら何でも知 っている、と誤解している。

 「松坂慶子は一ヶ月に7キロ痩せたそうだが、アレ、本当か?」

 「知らないよ」と答えると「それならば……」と“その道の権威”?が身を乗り出し て懇切丁寧に説明する。実に詳しい。ここだけの話だが、50歳の松坂慶子がヌードに なったのは知っていたが、涙ぐましい「7キロ減量」なんて知らなかった。

 そんな調子で次々に話題は変わり、新聞記者は何も知らないことが判明する。ちょっ と恥ずかしい。

 「これだけは分かるだろう。マクドナルドは大丈夫なのか?」と一人が聞いた。それ までとは違う“緊張感”のようなものが漂っている。

 日本マクドナルドは2000年2月に130円のハンバーガーを「平日65円」に事 実上、値下げした。「外食デフレ」の火付け役である。その後、値段を戻した場面もあ ったが、8月5日からハンバーガーを59円にした。清水の舞台から飛び降りたような 超安値である。

 「2000年2月は130円を65円に下げた。商品原価は39円で、130円で売 れば粗利91円。それが65円になると粗利は26円ということになる。91円÷26 円=約3・5。つまり、単純に考えれば以前より3・5倍売れれば同じ粗利が確保でき る」

 「それで果たして成功した?」と聞かれると何とも言えない。「今回は?」「値引き する体力があるのか」と聞かれると自信がない。

 59円では、ほとんど実益は出ないはず。例えば、ハンバーガー、チーズバーガー、 ポテト(s)ドリンク(s)をセットして360円。このセット価格で儲けを出すつも りだと思うが、その勝算は微妙だろう。 今のところ、牛丼チェーンが値下げに追随する気配はない。

 サービス業に関係ない友人までが真剣にハンバーガーの値段を気にするのは「デフレに 歯止めが掛かったのかどうか」を確かめたいからだろう。

 「安値競争は己の首を締めることにならないか?」と議論する友人たち。秋風が吹け ば答えが出る。

(毎日新聞東京版8月20日夕刊掲載)



自分の褌

 世の中には、他人の褌で相撲を取る“太てぇ野郎”がいるもんだ。

 例えばテレビ局。朝の情報バラエティー番組は、新聞全紙の朝刊を次々に朗読して、 簡単なコメントをつける。昼のワイドショーは夕刊紙の中身を紹介する。この番組を見 れば、主だった出来事が分かるという“仕掛け”である。

 「記事を紹介する」と言えば聞こえは良いが、有り体に言えば「新聞記事の借用」で ある。

 テレビ局は月に70000円程度の“使用料”を払っていると聞くが、新聞社が一つ の記事に投じている莫大なコストを考えれば、やはり「他人の褌」としか思えない。

 某スポーツ紙が、まだ亡くなってもいない「村田英雄さん死去」を誤報した。「他人 の褌」のテレビ局は記事をそのまま紹介して、麗々しく「ご冥福をお祈りいたします」 。そう言われても、病の格闘していた村田さん、どうして良いのか。腹が立ったろうに 。情報の裏を取るのは、報道の「いろは」じゃないか。

 しかし、テレビの報道番組がすべて安直なものか、と言えば、そうでもない。99年 、桶川女子大生ストーカー殺人事件で警察のずさんな捜査を暴いたテレビ朝日系報道番 組「ザ・スクープ」は事件の真相を地道に掘り起こす上質な番組だった。(ここだけの 話だが、キャスター・鳥越俊太郎氏は僕の親友だから「誉めすぎ」になったかもしれな いが…)その良心的番組が打ち切りになる。

 理由は色々ある。が、つまるところ「カネも手間が掛かるけど視聴率は低い」という のが最大の理由。

 冗談じゃない。カネも手間も掛けるから本物の報道じゃないか。

 今年3月、米国ABCは22年続いた報道番組「ナイトライン」を娯楽番組に変えよ うとして、世論の総攻撃を受けた。その結果、看板キャスターのテッド・コッペル氏の 更迭は見送られ、番組は存続した。

 今「ザ・スクープ存続を求める会」(代表・藤田謹也弁護士)に1000通を越える 視聴者の声が集まっている。編成権はテレビ局だけのものなのか?

 という疑問、怒り。

 テレビ屋さんよ!

 「他人の褌」で稼ぐのも結構だが「自分の褌」も大事にしなきゃあ、笑わらわれるぜ。

(毎日新聞東京版8月13日夕刊掲載)



グリーンマップ

 夏のはじめ、大学時代のゼミ仲間が亡くなった。「年賀状が来るのは、あなただけで すので……」と奥さんが携帯で知らせてくれた。

 卒業以来35年間、会うことはなかった。札幌は遠い。仕事があって、葬儀には行け なかった。

 無性に気になった。同じ頃、同じ大学で、青春を過ごした人間がどんな「環境」で一 生を終えたのか。

 8月になって、カーナビを頼りに、彼の「終の棲家」を探した。

 どんな家に住んでいたのか。ここだけの話だが、それを確認するのが、訃報を聞いた 友人の「つとめ」のような気がした。

 ナビは便利である。電話番号を入力するだけで、その場所を特定する。道筋と所用時 間、街の中心部か、外れか、全て分かる。

 札幌市手稲区の一角。新興住宅地なのか。サラリーマンの彼がローンを組んで手に入 れたのか。ナビは様々な「想像」を掻き立てた。

 その家は急勾配の中腹にあった。ナビでは急な坂道が分からなかった。

 確かに景色は良い。だが、あまりに急な坂で、お年寄りは上り下りに苦労する。ご両 親は健在なのか。思いをめぐらせた。

と、同時に「万能ナビ」に限界のようなものを感じた。地図は“平面的な役割”しか提 供しない。

 今、若い人の間に「グリーンマップ」が静かなブームになっている。

 地図の上に、世界共通の絵文字(アイコン)を張り付けていく作業である。「ここは 芸術的な場所だな」と思ったら、アートスポットのアイコンを貼る。「ゆったりしたと ころだ」と思ったら「安らぎの場」のアイコムを張り付ける。地図がみんなのアイコン で一杯になる。

 1992年のリオ・デジャネイロの「地球サミット」から生まれたグリーンマップ。 2002年1月の時点で、世界に97のグリーンマップが出来上がった。

 東京国際フォーラム5周年「TOKYO ART JUNGLE」で初めて東京のグ リーンマップが展示される(8月13日〜15日・TEL03−5532−8925) 。

 「人の感性」が生かされた地図はナビとは大分、違うのだろう。

 亡くなった友人の「人間グリーンマップ」を作ってみようかなぁーー何て思っていた ら、札幌は真っ赤な夕暮れになっていた。

    (毎日新聞東京版7月6日夕刊掲載)
(毎日新聞東京版8月6日夕刊掲載)



「戒名」を遠慮します

 昨夜、寝付かれず、ベットで「将来のこと」を考えてしまった。

 現在57歳。うまく行って、あと20年間、あわよくば30年間生きるとしよう。あ と7、8年ぐらいは働けると思うが、その後の無収入期間が13〜23年間。退職金は 以前に会社が提示してくれたから、その額は分かっている。まあまあ世間並み。キャリ ア官僚の友人の2分の1から3分の1ぐらいだが、これは、選んだ道が違うから仕方な い。

 年金は制度がなくならないと信じよう。しかし物価スライド制になると月20万円を 割り込むだろう。

 苦しい。またたく間に預貯金はゼロになる。

 生命保険は葬式の費用にしようと思っていたから解約出来ないし……と、そこまで考 えた時、突然「戒名」の二字が頭をよぎった。

 お袋の戒名、たしか立派なものをいただいたが、何と言ったっけ。ベットから起き出 して過去帳をみる。

 そうそう「寛徳院清華光耀大姉」。立派だ。通夜の前に僧侶に「どんなお方でしたか?」 と聞かれ「清廉潔白なお袋でした」と答えたら、こんな戒名がついた。

 それなりのお礼をした。ここだけの話だが、戒名は忘れたが、その時、用意したお金 の額は覚えている。

 しかし、この戒名、あの時以来、何か役に立ったか、と言うとそうでもない。近所の 人から「文さん、亡くなって何年?」と聞けれても、お袋が戒名で呼ばれたことはない 。

 「戒名」はもともと「仏教徒としての名前」である。お袋はどう思ったか定かではな いが、僕の場合は葬儀と法要に寺にいくだけで仏教徒であるかどうかは、甚だ微妙だ。

 僧侶にお金を包んで、事実上「戒名」を貰うのは僭越ではないか。

 2001年1月、全日本仏教会は「今後『戒名(法名)料』という表現・呼称は用い ない。仏教本来の考え方からすれば、僧侶・寺院が受け取るのは全てお布施(財施)で ある。従って、戒名(法名)は売買の対象ではないことを表明する」という決議をして いる。だから、買ってはいけないのだ。

 と言うことになると、僕は程良い頃に生命保険が解約出来ることになる。

 お盆が近くなった。

(毎日新聞東京版7月30日夕刊掲載)



「花火」の入場料?

 1732年(享保17年)江戸にコレラが大流行した。その上、日本各地で相次ぐ飢 饉。翌年、将軍・徳川吉宗は隅田川で花火を打ち上げ、犠牲者を鎮魂し、厄払いをした 。

 「両国の川開き」の起源である。

 当時は両国橋をはさんで上流は玉屋、下流が鍵屋。競い合う両家が毎年、新しい仕掛 け花火を考案しては江戸っ子の度肝を抜いた。

 江戸最大のイベントは幕末の動乱期、第二次世界大戦で2度中断。戦後すぐ再開され たが「交通渋滞」をを理由に、1961年(昭和36年)7月22日を最後に「両国の 川開き」は消滅した。最後の仕掛けは「日本の名城」だった。

 隅田田川沿いの柳橋で料亭を営んでいた義母は高校二年生の僕に「これで、やっと楽 になれる」と呟いた。分担金から解放されたのである。

 「両国の花火」は江戸の昔から船宿と料理茶屋がイベント費用を分担していた。花火 で商売をするから当然ではあった。戦後は主に浜町河岸の大企業と柳橋の花柳界が分担 した。

 ところが、経済高度成長で工場から汚染した水が隅田川に流れ出し、防潮提が出来る と、この色街は一気に衰退した。とても花火の分担金を払う余力などない。当日、雨で も降れば大変な借財ができる。これが「消滅」の本当の理由だった。

 1975年(昭和53年)上流に会場を移して新たに「隅田川花火大会」が始まった 。ところがである。ここだけの話だが、四半世紀を迎えて同じような悩みがこの花火大 会にも重くのしかかって来ているのだ。

 費用が約1億5000万円。不況と税収の落ち込みで、スポンサー企業も行政も「今 まで通りに分担することは無理だ」と言い出した。都3855万円、墨田・台東区25 00万円、中央区250万円、江東区100万円の分担が果たして妥当なのか、が議論 になった。

 そして、今年「歴史」を書きかえる「改革」が断行された。一口5000円の寄付し た人に特設観覧席で見て貰おうという“商法”である。誰でも見える花火に入場料?2 200席がアッという間に売り切れた。

 江戸花火のコストは一体、誰が払うべきなのかーーこんなこと考える隅田川花火大会 は27日夜である。

(毎日新聞東京版7月23日夕刊掲載)



慌てて捨てるな!

 亭主を捨てるな、女房を捨てるな、という話ではない。ちょっと心配なので「競馬は 別のページで書く」という掟を破って、書くことした。

 12日夜9時、携帯にスポーツ新聞の知り合いが「川崎競馬場で883万円馬券が出た!」

 びっくりした。100円が883万円になる。100円で中古マンションを手に入れ たようなものだ。

 地方競馬の3連単は1着、2着、3着の馬を着順通り当てる馬券。的中は極めて難し いがその分だけ配当金が高い。競馬不況から脱出を図る新種馬券だ。(ちなみにJRA 中央競馬は3連単がなく1着、2着、3着を着順に関係なく当てる三連複)

 大井競馬場で3連単がスタートした日。ここだけの話だが、某競馬雑誌が的中馬券の 写真を取ろう、と手分けして3連単の全通りを購入した。ところが幸運にも100万円 の大穴。編集部は飲めや歌えやの大騒ぎになった。初日から100万円馬券……100 0万円馬券だって出る、という予感がした。

 883万円のレースは一番人気と五番人気が落馬する大波乱。単勝(1着を当てる馬 券)でもDは3300円。それが三連単になると1320通り中、的中のDーJーKは 1241番人気。359075票のうち的中はたった3票だけだった。

 2000万円馬券の予感がする。この833万円馬券レースは12頭立てだった。1 6頭のフルゲートになると買い目は3360通り。もっともっと難しくなるから、従っ て配当はさらにさらに高くなる。

 そして心配なことが、近づいている。難しくなれば、的中者がないことだって十分、 予想できる。

 的中がない場合、競馬法は「勝馬投票券一枚(10円)に対して7円の払い戻しをする 」と規定している。100円券なら70円、1000円券なら700円戻ってくる。この「特配」と いう制度を知らないファンが大半だ。

 昭和46年の2回福島競馬アラブ3歳戦。1着になった7番のタマワイチの単勝が1枚 も売れていなかった。「特配」である。「馬券を破って捨てた」とファンが怒り出し騒 然とした。これは社会問題?

 奥様は、競馬ファンのご主人に、くれぐれも「馬券は慌て捨てるな!」とご注意下さ れば、幸甚である。

(毎日新聞東京版7月16日夕刊掲載)



「患者」という人質

 患者は入院している病院を批判しない。僕もそうだった。

 長期入院した時のことだ。国政選挙が近づくと看護婦さんがしきりに「不在者投票」 と勧める。

 ところが、その日、病室で候補の名前を書こうとすると、看護婦さんがこちらの手元 をじっと見つめている。これでは「投票の秘密」が保てない。昨夜「私は○○さん」と 彼女がつぶやのが、嫌に気にかかる。

 数日後、患者同士が集まった時、誰言うとなく不在者投票のことが話題になった。「 選挙違反のようなものだ」と誰かが断定したが「文句を言うべきだ」と言う患者は一人 もいない。「俺達は人質だからな」と誰かが言ったので、大笑いになった。

 退院して記者職に復帰してから、堂々と病院を批判したか、というとそうでもない。 病院のミスは書きたくない、と思っていた。長い病院生活で「死」におびえる人を何人 も見た。朝、新聞を開くとまず死亡欄を読む人がいる。縁もゆかりもない人の「死因と 年齢」を見て、深く深くため息をする。

 こんな人が「医療ミス」のニュースを読むと「自分は大丈夫か」と思うのか、落ち込 んで体調を崩す。病気は気から、である。

 1995年夏、手術して間もない友人が内視鏡検査を受け、患部から大量の出血で死 亡した。とても常識では理解できない処置である。家族は「医療ミスだ」と叫び、僕も 「訴えるべきだ」と主張した。今度だけは書かねばならなぬ、と思った。だが、家族は 告訴しなかった。知り合いに頼んで、この名門の医大を紹介してもらった経緯があった 。「人質意識」の変形みたいな告訴断念だった。

 12歳の少女が亡くなった東京女子医大のカルテ改ざん事件の発端は意外にも看護婦 さんの内部告発だった。多分、それがなかったら病院側は「医療過誤」を隠し通しただ ろう。職を賭した勇気に頭が下がる。

 ここだけの話だが、医療現場に詳しい某大名誉教授に叱られた。

 「記者は書かなきゃ駄目。訴えなきゃ駄目。医師は誰でも、一億円程度の医療過誤保 険を掛けなければならないようにさせなきゃ。日本人はもっとクールにならないと…… 何時までたっても人質は人質よ」

(毎日新聞東京版7月9日夕刊掲載)



大丈夫?野党第一党

 「官房長官を拝命いたしました岡田克也でございます。第3次鳩山内閣の名簿を発表 いたします。

 内閣総理大臣 鳩山由紀夫

 内閣副総理大臣 菅直人

 内閣府担当大臣(警察・防災・男女共同参画・人権・消費者・沖縄・北方・科学技術 担当) 枝野幸男

 行政改革・規制改革担当大臣 野田佳彦

 総務大臣 玄葉光一郎

 法務大臣 江田五月………」

 もちろん、これは架空記者会見である。が、もし与党と野党の議席数が逆転したら、 こんな情景になる。

 これは2002年2月5日、野党第一党の民主党が自信を持って?組閣した「第3次 鳩山ネクスト・キャビネット(NC)」。いつでも自公保の与党に取って変わる“強い 意志”を示している。

 しかし、である。この名簿を知っている国民が何人いるのか。知っていても、NC大 臣の知名度が低すぎて「この人、誰?」。スターを育てるのが苦手な政党なのだ。

 細かいことを言うようだが、何故「副総理」が必要なのか。派閥の親分の顔を立てた 自民党的な臭いがプンプンとする。

 ここだけの話だが、これは「お遊び」である。と言うより、民主党が「お遊びの政党 」なのだ。(失礼)

 今、真剣に政権奪取を考えれば、自ら先頭に立って「野党4党連立キャビネット」を 作る方がより現実的である。多少なりともインパクトのある顔ぶりになる。

 「小泉政権の化けの皮が剥げて支持率が低下」とはしゃいでいるが、民主党の支持率は もっともっと低迷している。時事通信が毎月行う世論調査で6月の支持率は小泉内閣3 4・0%(3・6ポイント減)自民党支20・6%(0・1減)民主党4・5%(1・ 6減)である。

 旧「さきがけ」系の若手議員が「鳩山さんも、菅さんも賞味期限が過ぎた」と言い出 しているそうだが、賞味期限が過ぎているのは「主義主張が違う寄り合い所帯の限界」 を感じさせる野党第一党そのものではないのか。

 解党すべきは民主党……とは言わないが、疑惑追及だけ飯が食えると世間を甘く見て もらっては困る。

 解散は忘れた時にやって来る。

(毎日新聞東京版7月2日夕刊掲載)

「国策捜査」の危うさ

 一ヶ月ほど前、小社のエコノミスト編集部から「田中角栄邸書生日記」(片岡憲男著。 日経BP企画発行)の書評を頼まれた。

 大学生だった著者が73年から77年3月まで東京・目白の田中角栄邸で書生として過ごした 日記である。激動の時代を生き抜く総理大臣とその家族が生き生きと描写されている。著者はその後、 新聞記者として活躍するが、この本の原稿を校了した2週間後、がんで他界している。

 ロッキード事件に遭遇した著者は東京地検の検事から「榎本敏夫秘書からダンボール箱を 受け取ったハズだ」と再三再四、事情聴取される。著者にはまったく覚えがない。 「我々の供述を無理やり、検察が描いたシナリオに合わせようとしている」と著者は 強く感じる。

 このくだりは、歴史を正確にデッサンするためにぜひ残しておきたい部分である。もちろん、 ロッキード事件の「構図」がすべて崩れるというわけでもないだろうが、疑獄容疑は誰もが 納得する「真実」で組み立てられている、とは言い難いのだ。

 鈴木宗男衆議院議員が「あっせん収賄容疑」で逮捕された時「これでよいのか?」と 思わずつぶやいてしまった。マスコミは「検察の正義」が実を結んだという報道ぶりだが、 いかにも捜査の「筋」が悪すぎる。

 「やまりん事件」は4年前に社会問題化をし、鈴木議員は問題のカネを返す。 ひそかに釧路地検が捜査したが立件を見送った。今になって贈賄側に「あなたは時効だから」と 捜査協力を求めたようだが、この「協力者の供述」で公判維持できるのか。  疑惑だらけの鈴木議員が検察の力不足で無罪になったら・・・・・。

 それより、もっと恐ろしいことがある。知り合いの役人が言う。「ここだけの話だが、 自民党でなくても『○○に便宜を図ってくれないか』と言ってくる議員は何人もいるんだ。 あの程度で逮捕するなら、誰でも逮捕されちゃうな。」

 「国策捜査」という言葉が独り歩きしている。誰か刑事責任を負う者をつくらないと 国民が納得しない。だから「国策にのっとった捜査」が必要だと言う。これは危うい。 実に危うい。遠くに、検察ファッショの足音が聞こえてくるようだ。

(毎日新聞東京版6月25日夕刊掲載)



不妊と少子化

 戦勝ムードに酔いしれて、10年後には、日本はサッカー王国になるーーなんて思っ たりする。

 でも、それは無理かも知れない。

 浦和スタジアムで対ベルギー戦を観戦した時の印象ーー20代、30代は「ニッポン !ニッポン!」と大声を張り上げていたが、小、中学生の子供達は数えるほどしかいな い。

 チケットが手に入らない、という事情もあったが、それにしても「サッカーで熱 狂しているのは大人だけ」という感じがしないでもない。

 サッカーに限らず、どこへ行っても「子供」がいない。子供の絶対数が少なければ、 サッカーに限らず、どの分野でも「天下」は取れない。

 アメリカの大学がアジアの提携校を日本から他の国に変えようとしている。理工系大 学の格付けで、日本の一流大学は韓国、中国、インドに遅れを取った。大学の知的水準 が低下しているのも、少子化に原因がある。幸か不幸か、日本で大学は無試験状態にな っているのだ。

 一人の女性が一生に産む子供の数を表す日本の「合計特殊出生率」は1・36人(2 000年調査)。アメリカは2・08人である。

 知人が不妊治療を受けている。子供がどうしても欲しい。対外受精、顕微受精の技術 は格段に進歩している。だが、費用がかかる。一本1万円の注射を月に何回も打つ。こ の治療に保険は利かないのだ。

 「不妊」は病気でない、という判断だろうが「高額な医療費がなければ子供を持つこ とは出来ないのか」と患者はホームページで「保険適用」を強く訴えている。

 「少子化社会を考える懇親会」は少子化の要因として結婚観、価値観の変化、子育て と仕事の両立……など社会構造的な側面を取り上げるが、何故か「不妊」には目を向けな い。

 坂口力厚生労働大臣は「残業を減らし、職員が早く帰宅すれば子供が生まれる」 と胸を張った。(ここだけの話だが、これは少子化対策担当スタッフから出たアイデア ではない。まともなスタッフなら、こんな愚かなこと考えない)

 坂口さん、早期退庁の省内にも不妊症に悩む人がいることを御存知か。「不妊」に悩 む人々、いま、全国で約200万カップル。

 坂口さん、本気で、赤ちゃんをつくろうよ!

(毎日新聞東京版6月18日夕刊掲載)



革命か、それとも賭か

 「なりちゅう原稿」を好む記者さんがいる。必ず原稿の最後に「成り行きが注目され る」と書く。

 注目されるからニュースじゃねえか。この種の常用語は嫌だ。だから「革命」なんて 言葉、使いたくないが、どうにも、これは革命なのだ。

 6月1日、東京都渋谷区本町3−53−3に8階建ての「初台リハビリテーション病 院」がオープンした。

 回復期のリハビリを行う専門病院は東京にはほとんどない。リハビリ病院といえば人 里離れた温泉地が通り相場。ここだけの話だが、10年前、脳卒中に倒れた時、かつぎ 込まれた病院から「回復期のリハビリのために」と伊豆の山奥に転院を勧められた。自 然はたっぷりあるが……

 ところが、この病院は山手通り沿い。前は新宿新都心の超高層ビル群、裏は住宅地で 晴れた時は富士山も見える。大都会の一等地。これがまず革命的なのだ。

 109のベットに対してスタッフ166人。普通の病院は患者1に対してスタッフが 0・8前後というから贅沢過ぎる。療法士が各フロアーに常駐して、訓練だけでなく、 朝夕の生活をサポートする。

 家具は暖かみを感じるように木製、食器は磁器。広いデイコーナー。別荘にいるような 雰囲気の食堂。食事メニューは選択自由。ベットサイドに液晶TV。個室には電話のほ かにインターネット接続設備があり、ラウンジではピアノ演奏……。

 権威を感じさせる「センセイ」という言葉は厳禁。すべて「○○さん」。白衣を脱ぎ 捨て、ファッショナブルなお揃いのシャツ。白衣を見ると血圧が上がるなんてことはな い。

 先進県・高知でリハビリ医療のシステム化に成功した石川誠院長が目指す「患者 主体の究極の病院」……が、これで健全経営が出来るのか。

 もちろん差額ベット代がいらない4人部屋もあるが、個室は差額料が2万5000円 から〜5万5000円。何と一泊15万円の特別室もある。これも革命的な「値づけ」 ?

 不景気の真っ直中、この「革命」をどう評価すべきなのか。

 ウ〜ム、こんな時には恥ずかしながら「成り行きが注目される」と書くしかない。

(毎日新聞東京版6月11日夕刊掲載)



「首脳」って誰なの?

「君のことを社の幹部が批判しておったぞ」と同僚が囁いた。

 どんな批判なのか。気になる。

 批判の中身は同僚が懇切丁寧に説明してくれたので、すぐ分かったが「社の幹部」っ て一体誰だろう。「善意の同僚」は教えてくれない。

 直属の上司なのか。ひょっとすると社長かも知れない。

 言い訳をしたい……このままでは人事異動で飛ばされる。「社の幹部」って誰だろう 。ああイライラする……なんて事、サラリーマンなら1度か2度、経験するものだ。

 だが、ちょっと待てよ。

 新聞読者は「誰が言っているのか分からない」と恒常的にイライラしているのではな いか。

 ワールドカップ開会式を報じた新聞に、こんな記事が載っていた。

 「政府首脳は(5月)31日、非核三原則について『国際緊張が高まれば、国民が持 つべきではないか、となるかもしれない』と述べた」

 非核三原則は核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」の政府基本政策。この見 直しを示唆する発言である。「政府首脳」って誰だ?

 「首脳」とは「集団、組織の中心。また、その中心に立つ人」。政府首脳とは? 総 理大臣か。官房長官か。そのほかに「政府首脳」は存在するのか? 分からない。

 別の記事には小泉首相、福田官房長官、「政府首脳」が揃って登場している。さらに 分かり難い。

 政治記者の取材手法に「懇談」というものがある。「懇談」で話された内容は「首脳 発言」として報道するーーという約束事がある。外務省首脳、自民党首脳……誰だか分 からない「首脳」がいっぱいいる。僕はかつて「外務省首脳は××、また別の外務省首 脳は××」なんて恥ずかしい記事を平気で書いていた。

 記者は権力者の本音を知るために「懇談」し、政治家はアドバルーンを上げるために 「懇談」を利用する。そして永田町の住人は記者の“通報”で「福田があんなことを言 ってる」といち早く知る。だが、一般の読者(有料購読者)は「首脳の正体」を知らさ れず、イライラする。

 そんな約束事、やめちゃえ!

 ああ、そうそう「伝統を尊重しない嫌な奴」と僕を批判していた「社の幹部」の正体 が分かった。何と、その正体は「善意の同僚」だったのだ。

(毎日新聞東京版6月4日夕刊掲載)



チョコパイだって赤面

 16年前のこと、一度だけ「大使の食事」を経験した。

 パリで開かれたOECD閣僚会議。当時の外務大臣に同行し、会議の翌日、報道陣を 雲に巻き、パリの郊外で大臣とゴルフを楽しんだ。

 一週間前にワシントンで日米首脳会談。その後、パリに“転戦”した大臣は疲れも見 せず、好スコアにはしゃいで見せた。

 ここだけの話だが、同行の理由は、旅先で総理大臣から「衆院同時選挙に賛成してく れ。俺の次はキミ」と頼まれたかどうかーこれを確かめるためである。ゴルフ場なら「 本音」が聞ける。

 仕事のような、遊びのようなゴルフを終えて、OECD政府代表部特命全権大使の公 邸で昼飯になった。

 ビックリするほど旨かった。日本でも、なかなか食べられない日本料理。毎日、日本 から食材を空輸している。確かな調理人がいる。

 「君たちはいつも、こんなうまいものを食べているのか」と大臣が冗談を飛ばした。 大使は、これを皮肉とも思わず「恐れ入ります」と誇らしげだった。

 昔から、外務キャリアは自分の仕事を「1に接遇、2に会議、3が公電。調査と会計 はノンキャリ任せ」と心得ている。

 北朝鮮人一家連行事件に「おいしいチョコレートパイ」が登場した。

 キムさん一家がやっと仁川国際空港に到着すると、駐韓国大使は「日本政府として中 国から出国できるよう最大限の努力をしてきました。これは韓国で一番おいしいチョコ レートパイです」と差し出した。

 この事件では、何から何まで恥ずかしいことばかりの日本外交だったが、最後の最後 に「もっと恥ずかしいこと」をやってしまった。

 命からがら韓国にたどり着いた、疲労が極限に達している五人に「おいしいチョコレ ートパイ」を手渡す“接遇感覚”。報道陣に「キムさんはありがとう、と笑顔を見せて いた」とレクッチャーする“イベント感覚”。ああ、情けない。

 省をあげてワインの味、レストランの等級で競い合っている外務省に出来ることと言 えば「おいしいチョコレートパイ」なのか。

 外交は「社交」ではない。チョコパイまで赤面している。

(毎日新聞東京版5月28日夕刊掲載)



加藤、セーフ!は誤審だ

 糸山英太郎氏は2001年の億万長者番付で67位だった。納税額3億4334万円 。「政治家の資産公開」が義務付けられ、それに嫌気が差して衆院議員を辞めた人物。 一段と「金儲け」に磨きかかったようだ。

 その糸山さんが「月刊経営塾」という雑誌に「金儲け塾」という連載を始めた。6月 号の「政治家へのカネの渡し方」は実に面白い。その要点は……

 @保険のつもりで、政治家にカネを渡し、まさかの時に元を取ろうなどと思っちゃい けない。国会議員はカネをを貰って当たり前。それで感謝したり、何かをしてやろうな って、これっぽちも考えない人間なのだ。

 A後援会の会費を法律で認められた政治献金だからといって会社の経費で落とそうと してはいけない。相手の政治家が何かでひっ掛かった時、当局に帳簿まで持っていかれ る。

 B脱税で挙げられそうになった時は自ら進んで供述し、払うものは払っちまうこ と。議員の秘書なんかに頼むと当局を刺激してしまうーーetc

 自民党元幹事長・加藤紘一氏の秘書に脱税のもみ消しを頼んだ芸能プロのケースを念 頭にアドバイスしている。

 1974年「史上最年少当選だが史上最大選挙違反」と騒がれた糸山さん。政治家の やり口も、取り締まり当局の手口もご存知なのだろう。

 ここだけの話だが、当時、彼を追いかけて、寝る暇もなかったが、捕まえると、いつ も本音で喋る人物だった。その彼が言うんだから、政治家に献金するなんて馬鹿らしい ことなのだろう。

 さて政治献金で豪邸に住んでいた加藤紘一さん。糸山流なら自ら進んで供述しなけれ ばならないのに「知らぬ、存ぜぬ」で押し通し、どうにもならなくなって修正申告を申 し出た。これでは当局を刺激して脱税で立件される、と思っていたが、東京地検は「立 件せず」。妙である。

 立件の目安の金額より脱税額が少ない、という理屈をつけてはいるが、もっと少ない 脱税額で起訴されたケースは幾つもある。いかにも妙である。

 糸山さんでも、ご存知ないカラクリがあるのか。議員辞職が「情状酌量」なのか。東 大法卒が「情状酌量」なのか。それとも天下党の幹事長が「助けてやれ!」という表情 をすれば……時の総理大臣が……。

 「加藤、セーフ!」の誤審は、打撃に立った時から決まっていた!?

(毎日新聞東京版5月21日夕刊掲載)



香港の「新聞自由」

 ゴールデンウイークは香港に遊んだ。連日、摂氏30〜31度。真夏の暑さだった。

 海風が欲しくてフェリー乗り場に行く。“香港風露天キオスク”が並んでいる。一般 誌、英字紙、普通の新聞の大きさの競馬予想紙、芸能グラビア誌……新聞、雑誌の数は 日本より多いかも知れない。

 表紙に「新聞自由不容践踏!」と大書した雑誌を発見した。月刊誌「争鳴」の五月号 。有力誌である。

 新聞自由不容践踏!

 ニュースの自由を踏みにじるな!(日本で言う「新聞」は香港では「報紙」。ここで 「新聞」と言うのは「ニュース」のことである)

 フロントページに記者が手錠を掛けられている写真が載っている。何が起こったのか 。日本に帰ってから同僚の網谷利一郎元北京特派員に記事を翻訳してもらった。

 「4月25日、香港永住権を取ろうとしたグループの集会で、正常な取材活動をして いた記者に対し、警察が妨害した。記者2人が警官に腕をねじ上げられ取材は封じられ た」

 香港特別行政区の永住権騒ぎ。今、香港人を親に持ちながら居住権裁判で香港永 住権が認められなかった中国本土出身の約3000人が「強制送還」に抗議して、座り 込みを続けている。その抗議行動を取材した記者が突然、拘束された。

 同誌は社説で「五四の時には、民主主義は極めて少なかった。だから民衆は民主主義 を闘い取った。しかし、天安門広場は、六四以降、デモするスペースもない。もし老婆 が気功をやろうものなら、すぐ警官が車で連れ去る。一党独裁の中国大陸は五四の理想 からますます遠くなっている」と書いた。

 ここだけの話だが「五四」と「六四」を知らなかった。「五四」とは1919年5月 4日の帝国主義と封建主義と闘った愛国運動。「六四」は1989年6月4日の天安門 事件である。五四で生まれた「自由の理想」が六四の弾圧で粉々になっしまった、と言 うのか。

 “香港キオスク”の脇で、若者が中国本土で起こっていると伝えられる「法輪功メン バー虐殺の真相」を訴えている。

 果たして、マスコミ規制三法の日本にも「自由のない日」がやって来るのか。

 日本もまた瀬戸際にいる。

(毎日新聞東京版5月14日夕刊掲載)



山崎クンの権力乱用?

 昨今は、叶わぬ恋を清算して心中するーーなんて、あまり聞かない。

 親に猛反対されても堂々と二人で生活すれば良い。「不倫」と文句を言われたら離婚 すれば良い。

 しかし、社会通念が不倫を許さない時代、心中だけが二人に残された最後の道だった 。

 心中とは「相手の気持ちを深く守り通すこと」である。心中立てして死ぬことを「 心中死」と言った。

 江戸の権力、8代将軍・吉宗は「心中という字は『忠(義)』に通じる。道に外れた 死を美化して『心中死』などと言うのは言語道断。この言葉は使ってはならない」と表 現の統制を行った。「相対死(あいたいじに)」という言葉が使われたが、近松の「心 中天の綱島」のように文学は「心中」という言葉に拘った。

 「心中立て」するのは、いつの時代も「権力側」ではなく、社会的に虐げられた人た ち方だ。

 ここだけの話だが、売春防止法が成立する前の東京・吉原の郭。遊女は客を送り出し た朝、やっと一眠りするのだが、その時「心中立て」する。吉原では男衆(男性従業員 )と遊女の情事がご法度だったが、この時、隠れて好きな男衆と逢い引きをする。

 毎夜毎夜「仕事」として春をひさぐ女性が、わずかな時間を割いて好きな男と情を交 わす。彼女たちは心好きな「真夫(まぶ)」と同じ時間を持ちたいのだ。

 吉原では、朝から遊びに来る客を「朝参り」と言い、真夫が密かに来るのを「朝込み 」と区別した。商売と心中立てのセックスを区別した。

 週刊文春が暴いた「山崎幹事長の女性問題」。とても読むに耐えない内容が全国的に 広まってしまった。

 売春は不特定多数の客を相手にセックスをする行為。山崎クンと愛情関係を持った女 性は「売春行為」をしたとは思っていなかったのだろう。「愛」がある、と思った。思 いたかった。その「心中立て」した相手に山崎クンが求めたものは…セックスの権力乱 用。人間のやることか。

 週刊誌を名誉毀損で訴えたようだが、あんな決定的な写真(自分の写真と認めている )があるのに……司法当局に国費で捜査させ、疑惑の鎮静を狙うなんて…。

 薄汚い。

(毎日新聞東京版5月7日夕刊掲載)


舛添と慎太郎の「相性」

 ここだけの話だが、参院議員の舛添要一さんと僕は競馬仲間である。 何度か、大井 競馬場のスタンドで並んで彼の馬を応援した。僕が馬券を買うと、一番人気の彼の馬は 何故か凡走し当方は損する。どうも、彼の馬とは相性が悪いようだ。

 去年、参院選に立候補すると聞いて「出走取消!」と言いたかった。

 「自民党の人寄せパンダになるだけ。当選したって下積みの苦労が待っているだけ」 と言うのが、政治記者を経験した僕の意見。評論家・舛添要一の方が影響力が大きい。

 当選後は疎遠になった。彼は持ち馬の大半を処分した。好きな乗馬も出来ず、彼は醜 く(失礼)太った。

 最近は「小泉さんたっての要望で立候補したのに…」と愚痴っぽい発言も目立つ。 「だから言ったじゃないか」とからかいに行こうと、彼の日程を見てびっくり。分刻み だ。

 所属する委員会が「外交防衛」「国家基本政策」「国際問題」「憲法調査」。役 職は参院自民党幹事会幹事、国対委員。自民党財政金融副部会長、外務省改革委員…… ザッと数えたところでも24の役職がある。

 これじゃあ、テレビで競馬も見ることも出来ないだろう。

 久しぶりに会うと「午前5時に起き、誰よりも早く党本部に入る。守衛さんに『一番 早く出勤している』と言われるのが、仲間から信頼されるんだ。雑巾掛け?頼まれれば 、講演も選挙応援もする。政策を実現する同志をつくるんだ。派閥なんていらない。金 で人は動かない」

 何故、そんなに頑張るのか?

 本音を聞いた。キーワードはやはり「石原慎太郎」だった。

 前回の都知事選。一時は「舛添知事誕生」とまで予想されたが、土壇場で石原さんが 立候補。彼はあえなく落選した。

 冗談めかして「去年、不人気の森内閣が続けば、多分、石原新党が出来た。そうした ら都知事選に出ようかと思っていたよ」と笑らう。

 「この秋、石原新党が出来る。でも、何で25年間も国会にいて、何も改革出来なか った人物が必要なんだ。マスコミは常々世代交代と言いながら70歳の慎太郎さんを担 ぐ。俺たちでゴールデンチーム(新党?内閣?)は出来るのに」

 舛添VS慎太郎の「相性」は甚だ微妙だ。

(毎日新聞東京版4月30日夕刊掲載)


蛇の道はヘビ

 サッカーにあまり興味がない。人のいないところにボールを蹴るなんて……何となく 卑怯な感じがする。

 野球もそうだ。打ちづらい球を投げて、誰もいないところへ打ち返す。何となく男ら しくない。

 「そんなことを言ったら、球技はみんな卑怯なスポーツになるじゃないか。だったら 、お前、どんなスポーツが好きなんだ?」と友人が笑いながら質問する。

 「例えば……マラソンとか、ボクシングとか……プロレス?

 あれは3人で決闘するから大嫌いだ」

 「分かった。お前は単に個人競技が好きなだけだ。古いタイプの人間に多いんだよな 」

 なるほど。そう言えば1対1のPK戦は悲壮感が溢れ好きなんだ。

 「サッカーほど興奮するスポーツはない」と友人が言うので「ワールドカップだけは 見に行こうか」と思い立った。が、肝心の切符がない。

 個人のチケット申し込みは終わっている。街の金券ショップに行けば……と思ってい たが、どこの店も「取り扱いしていません」の張り紙。

 何故だ?

 ダフ屋を封じ込めるため、今回は入場券に当選者の名前が記入されいる。プレミアムを 払っても入れない。

 サッカー見物はフェア……それだけで、サッカーが好きになった。

 ところが、である。ここだけの話だが、友人の一人の元に、とてつもない話が飛び込 んで来た。

 「決勝戦の一番良い席が200枚ある。一枚35万円で買わないか」。正価8万40 00円(これだけでも目の飛び出す値段だが)を35万円。本当なのか。名前が記入さ れていて「不正」が出来ないハズだが。

 「そこは蛇の道は蛇。最近は参加国に海外で配分された切符が日本に入って来ている 」と友人が解説する。確かにYahoo!オークションには「ワールドカップの決勝ラ ンド16のチケット大量にあります!名前は未記入でOKの」という出品がある。希望 落札価格16万円。

 「で、どうしたんだ」と友人を問いつめると「各国の政府機関に人脈があるの国会議 員ルートのようだったが……胡散臭いので断った」

 甘い密に群がる卑怯な人々がまだいる。

 「イエローカード!」。

 僕も少しはサッカーのルールが分かるようになった。

(毎日新聞東京版4月23日夕刊掲載)


「片マヒ」ゴルファー

 ちょっと早い薫風の季節。一年で一番良い季節だが「ある人たち」に取っては荊のト ンネルである。

 元自民党幹事長の加藤さんのことでも、ムネオさんのことでもない。不幸にも、この 冬、脳卒中で倒れた人々に「過酷な退院」がやって来るのだ。

 この病気は、どちらかと言うと、寒い頃に発症して、医療保険の関係もあり、大体、 発症3ヶ月から6ヶ月の間に退院する。

 ところが、病が完治して退院とするのとは大分違う。程度の差はあるが、手足が麻痺 したまま退院する。左の頭をやられると右半身マヒ、右の頭をやられると左半身マヒ。 この後遺症を「片マヒ」と呼ぶ。

 果たして「片マヒ」で、まともな生活が出来るのか?

 不安で不安で「もう少し病院にいたい」と思う。

 ここだけの話だが、脳卒中で一級身障者になった僕は退院を前に「自殺するしかない 」と思い詰めていた。事実、同じ病院に入院していた弁護士は退院を前に自ら死を選ん だ。

 鬱病状態の患者には、まるで退院が死刑宣告のように思える。薫風は「最悪の季 節」なのだ。

 しかし、これは大きな誤解だった。10年も経ったら、つくづく「俺は良い時代に倒 れたものだ」と痛感する。例えば、自動ドア。これは助かる。公衆電話を使うのが難儀 だが、携帯があれば鬼に金棒。JRのSuicaイオカード。切符を買い、改札口を通 るのがやっかいだったが、所用時間は今や5分の1。もちろん、パソコンも電動車椅子 もある。

 現代の技術が「片マヒ」を応援して、健常人と同じとは行かないけれど、結 構、我々は自立できる。

 そうなると「片マヒ」は積極的になる。今月22日、栃木県で「日本片マヒ障害オー プンゴルフ選手権大会」が開かれる。今年で二回目。全世界で「片マヒ」と命名したゴ ルフ大会はない。(問い合わせは日本障害者ゴルフ連盟03−3315−5607)

 「ゴルフが出来ないないくらいなら、死んだ方が良い」と言っていた片マヒの人が左 手だけで250ヤードを飛ばす。

 全国170万人の「片マヒ」の仲間。再び輝ける日々が必ず、我々を待っている。

(毎日新聞東京版4月16日夕刊掲載)


橘大五郎の世界

 東京は浅草六区・ブロードウェー通り。中ほどに30年来使われていない地上7階地 下2階、周囲が高い鉄板に覆われた幽霊ビルがあった。

 大勝館。昭和40年代まで松竹系封切り館だったが、映画不況で閉鎖。苔むした「無 人の館」になっていた。

 昨年の暮れ、突然この鉄板が取り外された。そして、夜な夜な絶世の美女が現れる… と聞き忍び込んだ。

 美しい。水も滴る。肌が透けているようだ。花魁の衣装。10キロ以上もありそうな 打ち掛けと帯がチョウチョのように舞う。お化けかな?

 暗闇に閃光。誰かがフラッシュを焚いた。続けざまにフラッシュ、フラッシュ。誰だ ?と閃光の元を確かめると、その主は阿部幸太郎さん。競馬ファンにはお馴染みの穴党 の評論家・アベコーである。競馬以外に趣味がないと評判の彼が……頭がこんがらがっ ているうちに、パッと客席が明かるくなった。

 謎解きをしよう。昨年の大晦日から「大勝館」は大衆演劇の常打ち館に生まれ変わっ た。4月は橘菊太郎一座の一ヶ月公演。桟敷席(指定席1800円)のアベコー氏に声 を掛けると「大五郎、凄いでしょ。美しい。昨日も来たんですよ」を連発する。興奮の 極致である。

 大五郎は一座の若座長。何と15才。中学を卒業したばかりの男性と聞かされた外国 人客は「ワオー!」と言っただけで絶句した。(彼の写真は本人が作った ホームページで)

 大五郎は玉三郎のようなスターになるかも知れない。

 が、僕が書きたいのは、大勝館を大手建設会社から借りて受けて、全国に約200と 言われる「旅回り」の常打ち館をオープンした齋藤智恵子さんの心意気である。「色々 なジャンルの実験劇場を並べたい」と話す彼女は75才。隣のヌード劇場「ロック座」 の経営者でもある。

 ここだけの話だが、29年前、彼女が一座を組んでパリでストリップ公演すると聞き 、ロック座の楽屋で素っ裸の踊り子さんに囲まれて、汗だくで取材したことがある。

 「今度も成功しますか?」と尋ねると「私は裸一貫でスタートだから……」と静かに 笑った。

 裸一貫…元自民党幹事長に聞かせたい「至高の言葉」だった。

(毎日新聞東京版4月9日夕刊掲載)


週刊誌は「仙人」だ

 大阪のへ奉公に来た権助は口入れ屋に「私は仙人になりたい」と頼んで、ごうつくば りの女房のいる医者を紹介した。

 医者の女房は「二十年、ただ働きすれば仙人になる術を教えてやる」と嘘をつく。権 助は働き続け、とうとう二十年経った。約束の日、女房は「庭の松の木のてっぺんまで 登って飛んでみろ!」と言う。彼女は権助が墜落死すると思っていたのだが、枝から手 を離した途端、権助の体はフワッと浮き、青空の中へぐんぐん昇っていったーー

 このお伽噺「仙人」が載ったサンデー毎日創刊号が発売されたのは大正11年4月2 日。ちょうど80年前。多分?日本で初の週刊誌だと思う。

 「多分」と言うのは訳がある。週刊朝日さんも「こちらが一番古い」と主張している らしい。

 ここだけの話だが「週刊誌」という概念を考えたのは明治36年から昭和7年までト ップの座に君臨した大阪毎日新聞5代目社長本山彦一である。「アメリカのサンデーペ ーパーのような肩の凝らない雑誌を出せ!取材費をかけながら、紙面に載らずじまいの ニュースがあるじゃないか」と当時の薄田泣菫学芸部長に命じた。 泣菫は島崎藤村の 後を継いだ詩壇の大スターだったが、ワンマンには頭が上がらない。

 「毎日が何か新しい雑誌を出すらしい」と知った朝日は一足早く3月に「旬刊朝日」 を発刊する。当時は「10日ごと」が生活のサイクルだった。が、毎日が目指したのは 週単位。サンデー毎日が出ると、朝日は「旬刊」を「週刊」に変えた。だからどちらが 古いか、は微妙だ。

 しかし「古さ」を競うのは意味がない。問題はメディアの影響力である。

 この一年間、テレビのワイドショーを利用すれば世論の支持が得られる、と政治家た ちは信じた。が、あに図らんや、週刊新潮の「鈴木宗男研究」「辻元清美の正体」が政 局を一変させた。そして、今週は「参院議長政策秘書の裏金疑惑」。ワイドショーの「 正義ぶった評論」より、週刊誌の地道な地道な、権助のような調査報道が、ある日、突 然「仙人の力」として登場し、時代を変える。週刊誌って凄いじゃないか。

 忘れてしまった。お伽噺「仙人」を書いたのは毎日新聞“社友記者”芥川龍之介 だった。海軍教官という仕事に魅力を感じなくなった芥川は、大正8年、毎日新聞に入 社、日本最初の週刊誌誕生に関わったのである。

(毎日新聞東京版4月2日夕刊掲載)


ピンハネ率48・2%

 歌謡ショーの司会をしていたAさんは誤って「舞台の奈落」に落ち、半身付随になっ た。元の身体には戻れない。悩みに悩んだ末、ある決意をした。

 「国会議員になって福祉のために働くんだ」

 彼から相談された僕は「車椅子党と名乗って闘ったら」とアドバイスした。彼は仲間を集めた。

 20年以上も前のことである。

 軍資金がない。車椅子の仲間、Bさんは自らの身障者年金をこの選挙に注ぎ込み、出 納責任者を勤めた。ここだけの話、Bさんの方がAさんより人間のスケールが大きいと 評判で「彼の方が議員向きだ」と言う人も多かった。

 「週刊新潮」に泡沫候補と書かれたが、タレントの知名度、車椅子の仲間の結束でA さんは見事当選し、Bさんは彼の公設秘書になった。

 ところが、である。しばらくして二人に波風が立った。政策的な意見の相違もあった が、Bさんが「何故、自分が第二秘書で、Aさんの奥さんが第一秘書なのか」と疑問を 持ったからだ。

 家にいる議員夫人が第一秘書?Bさんは「議員給与詐取」だと思った。

 でも、Aさんは「金のない議員が政治活動費を絞り出す知恵だ」と説明する。二人は 袂を分かち、作詞家でもあったBさんはカラオケの先生になり、Aさんは自民党に入党 し、大臣の座を手に入れた。現在も活躍中である。

 Cさんは昭和48年、日本共産党の議員秘書になった。この党のイデオロギーに共鳴 したからである。ところが、参議院から支給される給与はこの党のしきたりで「党の財 務委員」が代理で受け取り、秘書にはその金額も教えられず「本部勤務員の給与体系」 で支払われる。Cさんは「これは法律違反だ」と思いながら我慢していた。

 数年前、彼は党から「警察の人間と接触するスパイ」だと言われた。北朝鮮拉致事件 の徹底的調査を主張した彼と党の方針と対立した。彼は査問を受け、除名された。

 腹が立った。離党した前年、彼が国から支給された年収は1178万円だったが、彼 が実際貰っていたのは610万円。ピンハネ率48・2%。

 党は「個人の自発的寄付」と主張するが、彼はとても理解できない。

 彼は政治資金規正法違反で党を東京地検に訴えた。でも、何故か、事件は不起訴だっ た。

 「辻元事件」の行く末を見守りながら、今、Cさんは「不服申し立て」を検討してい る。

(毎日新聞東京版3月26日夕刊掲載)


拉致が問う「外交の力量」

 それは機密費流用で始まった。

 外務省に乗り込んだ真紀子さんは機密費流用は“省ぐるみの犯罪”と突き止めた が「伏魔殿」との闘いに敗れ、更迭される。その伏魔殿の張本人・宗男さんは今ごろに なって悪事が次々に発覚“沈没”する。

 このところの新聞のスクープは「加害者は宗男、被害者は外務官僚」のオンパ レード。何か妙だ。「宗男・自民党・外務省共犯の事件」が発覚しても良いじゃないか… そればかりか、外務省は国会議員の発言メモを公表する「武器」を手に入れた。

 宗男さんの「くやし涙会見」の夜「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための 全国協議会」の佐藤勝巳会長を尋ねた。

 拉致疑惑は、今回「よど号」事件実行犯の元妻・八尾恵さんが「有本恵子さんを 拉致した」と告白したことで急転した。解決に向かっているのか?それを聞きたかっ た。

 佐藤さんの話はドラマチックだった。北朝鮮から亡命した工作員の話から「横田 めぐみさんが北朝鮮で生きている」と報道した放送プロデュサー、拉致事件を徹底追及 しよとして除名された元共産党員、「実名を公表して戦う」と決意しためぐみさんのご 両親、そして今回、娘の人生を台無しにした八尾さんを「北朝鮮で生きていることが 判ったのは貴方のおかげ。救いの神」と言った有本さんのお父さん……家族の苦悩、の闇 の深さに絶句した。そして、善意の努力に頭が下がった。

 しかし、である。佐藤さんの口から「外務省に対する感謝」は一つも出なかっ た。北朝鮮にコメ支援するという話が出た時、めぐみさんの母・横田早紀江さんは「こん なことをいくらやっても拉致は解決できません。北朝鮮に制裁を課すべきです」と話し た。相手が弱いと見れば侮る北朝鮮の体質。でも外務省はこの声を無視した。

 「票にならないので議員連盟も開店休業。でも三人の国会議員が必死で頑張って いる。が、外務省の方は…」と佐藤さんは言葉を濁した。

 もう一人の関係者を尋ねた。彼は「ここだけの話だが、拉致された人間は47人 前後いる」と漏らした。

 組織温存も良いけれど、外務省よ、本来の外交に知恵を絞ってくれ!
(毎日新聞東京版3月19日夕刊掲載)


少数意見で御座いますが…

 偽装時代である。

 ××産の鶏が○○産だったり、△△産のトマトが□□産だりする。その度に新聞は大 騒ぎする。テレビの美人コメンテーターは「我々は何を信じれば良いのでしょうか!」 と顔を真っ赤にしてお怒りになる。

 それほどの大事件なのか。

 別に「牛」を「豚」だと偽って売ったんじゃない。食品は安全が第一。安全なら牛や 豚のブランドなんてどうでも良いような気もする。「キミ、何と言ってもトンカツは黒 豚が一番だなあ」と威張っていた食通が見事に騙されたという笑い話。

 何億人かの人々が飢え泣いているのに、飽食の日本人は食品ブランドに走って見事に 騙された。いっそのこと「無印牛」とか「無印豚」というブランドを作れば良い……と 茶化して書けば、お叱りを受けそうだ。

 これはあくまでも僕の少数意見。民主主義は少数意見を尊重するが「原則」だから、 是非ともご容赦願いたい。

 同僚記者が真紀子さんに批判的な意見を述べたら「正義の多数意見」が大挙してやっ て来て、少数意見を押しつぶすような騒ぎ。だから、あらかじめ「ご容赦を!」と書く 方が気楽だ。

 さて、本題の鈴木宗男さん問題。ここだけの話だが、証人喚問が終わった霞ヶ関では 「ノーブランド・宗男さんは大悪党」が多数意見で「実は宗男さんを利用したブランド 官僚こそ大悪党」は少数意見になっている。

 看板(学歴・知名度)がない男が「頭は良いが、気弱なブランド官僚」を恫喝して利 権をもぎり取り、カバン(集金)を胸に出世街道を掛け上った。故金丸信・元自民党副 総裁に泥がかからないように、水たまりに自分の背広を敷った逸話は「計算された悪の 演出」という風に映っている。

 ところが、少数意見は違う。「叩き上げが演じる切ない努力」と好意的に捕らえる。 彼の恫喝に負けたブランド官僚こそ「被害者」ぶっているが、本当は彼らこそ「利権追 求型」。小さい時から薄々「東大卒は最大の利権」と知り、受験技術を身に付け、キャ リア試験に合格すれば保身また保身。あとは高給の天下りを待つだけ……

 キャリアというブランドにしがみついた奴こそ恩義を忘れた大悪人ーー宗男さんの歯 軋りが聞こえてくるようだ。

(毎日新聞東京版3月12日夕刊掲載)


角さんと宗さん

 ここだけの話だが、田中角栄元首相の“代筆”をしたことがある。

 1984年春「小説吉田学校」の筆者、政治評論家の戸川猪佐武さんが急死した。角 さんと戸川さんは特別親しい間柄で「俺が弔辞を読む」と言い出したのだが“闇将軍” に弔辞を書く暇はない。本来なら読売新聞政治部時代、戸川さんと首相官邸キャップ、 サブキャップのコンビを組んだ渡辺恒雄さん(現・読売新聞社社長)が“代筆”すべき だったのだが、彼はすでに他の大物から“弔辞の代筆”を頼まれていた。

 そこで若輩の僕にお鉢が回ってきた。戸川さんは生前、僕を弟子のように可愛がって くれた。

 角さんなら、どんな言葉で友を送るのだろうか。一晩中、考えた。角さんと戸川さん の間柄を短的に表する文句が必要だ。僕はこう書いた。

 「福田赴夫君と総裁選を争った時、君(つまり戸川さん)は、ジャーナリストの立場 にありながら、僕(つまり角さん)を応援してくれた」

 一介の政治評論家の力を借り、天下を取った、とも取られ兼ねないクダリ。角さんは 「下書き」通りに読むだろうか。興味津々だった。

 東京・青山斎場の告別式。角さんは一字一句間違えずに「下書き」を読み進んだ。と ころが、あのクダリに来た時、一段と高い調子で“台本”にないセリフを加えた。

 「君は、汗紛れになったワイシャツ姿の僕の背中を抱くようにして、懸命に僕を応援 してくれた」

 うまい!

 角福戦争の激闘が目に浮かぶ。この一言で角さんの弔辞は「真筆」になった。

 持って生まれた感性なのだろう。今生のお別れで見せたセリフに関係者は感涙した。

 「情と利」で人間を動かす角さん流。良くも悪くも、彼は「一流の金権」だった。

 いま話題の鈴木宗男さんは「生い立ちといい、頭の回転の早さといい、強引さいい、 角さんとそっくり」と言われている。集金能力は確かに角さん以上だ。

 が、証人喚問を前に宗さんから味方が一人去り、二人去って行く。

 彼は「情」の代わりに「恫喝」で利を求めた。そこが角さんとは違う。「二流の金権 」に哀しい限界がーー

(毎日新聞東京版3月5日夕刊掲載)


人の良い人、悪い人

 僕の個人WEBの「掲示板」にこんな「書き込み」があった。(2月20日21時4 6分)。題して「なかなかできない」。筆者は「諸事情により匿名」である。

 よく世間で聞く「リストラ」。よく出来た嫁は「あんたの好きなことをして。私はあ んたについて行くから」と言うらしい。

 実はうちの旦那。リストラとまではいかないが、部署が縮小されるらしい。先日、旦 那が深夜「このままではいけない。営業に異動の希望をだそうと思っている」と打ち明 けて来ました。よく出来た嫁を演じようとしたけど、ダメでした。

 「あんた、営業を甘く見ちゃだめさ。あんたにゃむりだ」

 気がつくと言い切っていました。

 ごめん。悪気はないの。だけどね、あんたは人が良すぎるの。私にひっかかったくら いだかさ。あんたの苦しむ姿は見たくないの。すいません。酔っぱらいのぐちです。

 僕も、少々、酔っぱらっていたので、これを読んでついグジュッと涙ぐんでしまった 。落語の人情噺を聞いた気分だった。

 筆者は男性か、女性か、分からない。女のフリをした「WEBおかま」ということも ある。が、まあ、これはどうでも良い。

 ちょっと前まで「人の良い人」も十分、飯が食えた。しかし、この一年間「人の良い 人」が明確に損をしている。だから「人の良い人」も、無意識に「悪い人」に変わる。

 ここだけの話だが、親しい友人が○○省(「宗男省」と囁かれる某省とは違う。念の ため)のノンキャリアから昼飯をおごって貰った。東京・赤坂の地下一階のスケーキ屋 。1500円の定食。お役人さん、レジで「ツケ」にした。友人が「ごちそうさま」と 頭を下げると「なあに、鈴木事務所に回せば良いのだから」と平然としている。ツケ回し 。むしろ宗男さんから「ツケ回し」を許されていることを誇っている様子だ。

 周囲を見れば、お役人然とした人物が何人もいる。良い人?宗男さんの「面倒見の良 い場面」に遭遇した友人は…瞬時、迷った。でも、憤然として「俺が払う!」とは言え なかった。子供じみたことは出来ない。

 「聞いてくれよ。世の中、おかしいよ」と僕を誘った友人は痛飲した。痛飲費用ウン 万円、彼が払った。

 これが浮き世…か……ああ、酔っぱらって、ごめん!

(毎日新聞東京版2月26日夕刊掲載)


小さな小さな外交

 大人の言うことは良く分からない。

 国会で小泉さんが「これからは鈴木さんの影響力は格段に小さくなる」と答弁した1 日夜、その鈴木宗男さんが料理屋で前総理の森さんとロシアのイワノフ外務大臣と会っ ていた。

 鈴木さんは外務省に圧力をかけたという理由で、衆院議院運営委員長を辞めた。「影 響力がなくなるってどういうこと?」と聞いたら、お父さんは「偉くなくなったんだな 」と言ったけれど、鈴木さんはニコニコしていたよ。

 仲の悪い真紀子さんも「三方一両損」とかいう“やり方”で、外務大臣を辞め、新し い大臣が生まれたけれど、その大臣より早く、ロシアの偉い人に会うんだから、鈴木さ んは偉いんだ。

 去年の1月26日夜、JR新大久保駅で誤って線路に転落した人を助けようとした韓 国人留学生のイ・スヒョン(李秀賢)さんとカメラマンの関根史郎さんが亡くなった。 その一周忌の慰霊祭に、いっぱい報道陣が集まってザワザワしていた。喧嘩している鈴 木さんと真紀子さんがここでハチ合わせすると思ったんだろう。「鈴木さんは来ない」 と知るとサッサといなくなってしまった。記者って偉い人のお尻ばっかり追いかけてい るみたい。変な人たち?

 でも、僕らにはニュースがあったんだ。吉川良さんがファンタジックで可愛いらしい 絵本を紹介してくれた。

 「いのちの音 かけ橋になったスヒョン」(PHP研究所)。

 亡くなったスヒョンさんの物語だ。前から、どういう人だったか知りたかったから、 すぐ読んだ。

 スヒョンさんは生まれた時は4000グラム。大きかった。魚の目玉が怖くって苦手 だったなんて僕に似ている。ワールドカップを手伝うのが夢だったんだけど……死んじ ゃった。

 この絵本は、三度も芥川賞候補になった作家の吉川さんが物語を、「赤い鳥さし絵賞 」受賞の味戸ケイコさんが絵を書いた。夢を見ているよう絵だよ。

 吉川さんは「同時テロ以来、人が簡単に大量に死ぬ。まるでテレビゲームのようだ。 でも、人の命って大切なんだ。だから、君達にスヒョンさんの一生を通じて命の尊さを 伝えたいかった」と話していた。

 スヒョンさんの韓国の友達、日本の友達はみんな喜んでいたよ。

 嘘のうまい、偉い人でなくても「外交」って出来るんだ、と僕は思った。

(毎日新聞東京版2月5日夕刊掲載)


オオタカか、競馬か

 見晴らしの良い木陰に止まり、獲物を見つけると一直線に襲いかかるオオタカ。猛禽 類のこの鳥は低山帯の森林に棲んでいるが、相次ぐ開発で絶滅の危機に瀕死ている。( レッドデータブックでは「絶滅危惧2類・危急種」)

 そのオオタカの巣が栃木県湯津上村で5つ発見された。吉報である。

 ところが、やっかいなことが起こった。JRA(日本中央競馬会)が、手狭になった 千葉県白井町の競馬学校の移転さきが、このあたり。JRAは1999年4月、村に開 発概要書を提出した。62万平米にトレーニング用走路、体育館、校舎、180頭分の 厩舎などを建設する。費用は土地代16億円を含め総額300億円。巨額なカネがこの 村に落ちる予定だった。

 営巣林は建設予定地の西に1つ、北に1つ、南に3つ見つかった。特に「南1営巣林 」と呼ばれる場所は建設用地から50メートルしか離れていない。

 さあ、大変! 愛知万博の会場予定地「海上の森」でオオタカが発見され、計画が大 幅に変更されたばかりである。押し迫った昨年12月27日、JRAは栃木県、環境庁 と協議して「競馬学校自然環境問題検討委」を設置。専門家の意見を求めることになっ た。

 オオタカか、競馬学校か。

 村当局は複雑である。競馬施設が出来れば固定資産税などの税収が期待できる。吉成 義雄村長は「自然保護は当然だし、ことはJRAが決めることだが……競馬学校建設は 計り切れない経済効果があるので、JRAに誘致の陳情に行くつもり」と話す。

 陳情されるJRAも複雑である。競馬の国際競争に勝つには、施設の充実は不可欠だ が、このところの売り上げ低迷。ここだけの話だが、歳入欠陥に苦しむ小泉政権の要求 で、2002年度、JRAは特別納付金50億円を負担することになっている。

 この不景気に学校建設なんて!という慎重派が徐々に増えている。

 「オオタカが生きて、村が死んでいいのか」という地元の建設強行派の気持ちも分か らないではない。

 しかし、獲物を見つけると一直線に襲いかかった「開発」という名の猛禽。これを許 したばっかりに、自然ばかりか、日本は経済自体を破壊したのではなかったのか。

 競馬ファンは「自然を守るロマン派」の誇りを持っている。

(毎日新聞東京版1月29日夕刊掲載)


地域貨幣が登場したら

 3年ほど前までは、散歩の途中に400円のコーヒーを飲んでいた。それが230円 になり、180円になった。

 「180円コーヒー」の店が見つからず、仕方なく400円のコーヒーを飲むと損を したような気分になる。最近は150円コーヒーを探すようになり「散歩のコーヒー」 を止め、自宅でゆっくり飲もう、と思ったりする。

 内なるデフレスパイラル。ここだけの話だが、無意識に、無意識に「余計な金は使わ ないゾ!」と思う“嫌な男”になってしまった。

 カネは本来「物々交換」の手段だった。それがいつの間にか資産、財産、投機のツー ルになった。投機に使われる通貨が、物々交換の実体経済で使われる通貨の100倍に も膨れ上がっている。

 そして「内なるデフレ」。カネの退蔵で日本経済は立ち往生している。

 1929年の大恐慌の後、ヨーロッパ、アメリカで地域通貨が流通した。「地域通貨 」とは国が発行する円、ドル、ユーロなどの「法定通貨」とは違い、コミュニティが独 自に発行し、物やサービスを特定の地域やグループの中だけで循環させるツールである 。通貨不足に陥ったコミュニティは地域経済を活性化させるために「スタンプ貨幣」を 考え出した。

 スタンプ貨幣には日付のスタンプが押され、早く使わないと貨幣の価値が減少する仕 組み。マイナスの利子“が付くので、貨幣が退蔵することを防いだ。

 今、世界で約2000の「地域貨幣」が動いている。無利子、法定通貨と併用可能な アメリカ・ニューヨーク州イサカで1991年導入された「イサカアワーズ」は、世界 から見学者が後を絶たない。

 日本でも20を越えるコミュニティが「地域貨幣」を発行したり、研究したりしてい る。

 法定貨幣「日銀券」の歴史は浅い。1899年、日銀券に強制通用力が与えられた以 前、日本では複数の貨幣が並立していた。

 もし、変わり者(知恵者?)の都道府県の首長が「地域通貨宣言」をしたら、どんな ことが起こるか。

 忍び寄る金融不安は、様々な憶測を引き起こしている。

(毎日新聞東京版1月22日夕刊掲載)


ペイオフが来たら!

 ビル管理会社に勤める友人が「週末、まったく休めないんだ」とぼやいている。この 日曜日、彼が担当する3つのマンションが一斉に管理組合の総会を開いた。午前、午後 、夜、3カ所掛け持ち。次の日曜日も、そのまた次の日曜日も“かけ持ち”が続く。神 経を磨り減らすだろう。気の毒に。

 ここだけの話だが、僕は自分の住むマンションの管理組合総会には、出来るだけ欠席 するようにしている。商売柄「休み」が決まっていないので役員に選ばれると迷惑をか ける。だから選ばれないように欠席する。狡いのだ。(でも、倅が役員をしてくれたり したので、まあまあ許されている)

 「今回は出席した方が良いぞ」とその友人が言う。エッ!何故?」

 「ペイオフが始まるんだから……」

 管理組合の管理費、修理積立金をどこの金融機関に預けるか。コレが突如、日本中の マンションが抱える大問題になった。

 この4月、ペイオフが実施されると、預金の払戻保証額は「元本1000万円と利子 」になる。万一、預け入れ先の金融機関が破綻したら、1000万円以上の預金は消え てしまう。

 個人として1000万円の預金を持つ人はそうザラにはいない(と、思う)が、マン ションの管理組合は“金持ち”だ。5000万円、6000万円の修理積立金を持つマ ンションは幾つもある。

 世間はちょっと前まで「大手銀行に預けていれば大丈夫」と高をくくっていた。が、 そうでもないらしい。

 金融相は「大手銀行の自己資金比率は10%を維持する」と話しているが、日銀総裁 は「実質5%だ。公的資金を入れる必要がある」と全く違った見解である。

 2002年3月期の大手行の不良債権処理額は6兆円規模に膨れ上がっているから、 日銀総裁の心配もあながち否定できない。どちらが本当なのか。

 一つの銀行に修繕積立金全額を預けていいのか。もし、万一のことが起こったら…… 。1000万円づつ銀行を変えるのが良いのか。金利の良い金融商品にすればいいのか 、普通預金がいいのか。

 万一のことが起こったら、責任は誰にあるのか。管理組合総会の責任?理事長の責任 、会計役員の責任、ビル管理会社の責任?

 ヘンな悩みが一足早くやって来た。

(毎日新聞東京版1月日15夕刊掲載)


合併症がやって来る

 新年、僕はホームページで「2002年大予想」を始めた。

 「2002年の大晦日、小泉純一郎は総理大臣である。YESか、NOか」「今年、 イチロー選手は再び3割を打つ。YESか、NOか」ーーといった10項目の設問に答 えてもらう。一年後の大晦日に“予想成績”を発表。全問的中者、全問外した人に賞品 を贈る。

 この「お遊び」、結構難しい。考えれば考えるほど「予測出来ない時代」を痛感して しまう。(締切りは1月15日。誰でも参加できます)

 不透明な2002年。だが、かなりの確率で「国民の痛み」は広がりそうな気配であ る。

 例えば「税」だ。あちこちで増税競争が始っている。僕の住む東京・台東区は去年、 7つの税目を検討した。

 【ごみ環境税】納税義務者はごみを排出する者。

 【屋外自動販売機設置税】納税義務者は販売機の占有者。

 【放置自転車対策税】納税義務者は放置自転車を誘発した者。

 【昼間区民税】納税義務者は区外在住、区内在勤者。それに、複雑な【住民税均等割 超過課税】。

 以上5つは引き続き「検討課題」になっているが【性風俗営業税】は見送り。【勝馬 投票券発売税】は、先鞭をつけた横浜市と国の協議結果を待つことにしている。

 実に幅広い検討ぶりである。たまたま台東区を例に取ったが、日本列島、すべての自 治体が今、増税に汗をかいている。

 不景気で歳入欠陥が生じたから致し方ない、と説明するが、増税すれば納税者の可処 分所得は減る。そうなれば、さらに不景気は進む。

 ここだけの話だが、指導者は「不景気の原因」がよく分かっていない。やれITバブ ル崩壊、やれ同時テロだ、と分析するが、根本的な原因は「一人の女性が生む子供の数 (出生率)1・36人」にある。小子化が子供産業、教育、出版、レジャー…すべての 面で個人消費を押さえ、医療、年金、介護…で様々な矛盾を引き起こしている。

 働きながら、子供を安心して産める「環境」をまず作らないと、日本の不景気は永遠 に続くだろう。

 思いつきの増税で良いのか。「痛み」どころか、血が通わない「行政の合併症」にな ってしまう。

(毎日新聞東京版1月8日夕刊掲載)


悪口の言い納め

 口癖という訳でもないのだろうが、A君と話していると、決まって「Bは悪い人間で はないんだけれど……」というセルフが飛び出す。

 Bは良い男だ。だから批判するつもりはない。しかし、このことだけは言っておきた いーーと言う気持ち?

 B君を批判しなければならない「苦渋」のようなモノを感じる。

 が、そのセリフの後から出てくるのは、悪口雑言に次ぐ悪口雑言。全人格を否定する かのような言葉の数々。どこが「悪い人間ではないんだけれど…」だ。「人間やめろ! 」と言っているようなものだ。

 ある日、僕は意を決してA君に聞いた。「君の言う『悪い人間でない人』というのは 実は『心底、悪い人間』なんだろう?」

 A君はキョトンとした顔つきだったが、しばらくして「ああ、アレ……悪口を言うエチ ケットみたいなもんだよ」と苦笑いしている。

 なるほど、悪口にもエチケットがあるんだ。

 悪口を言う前に、A君は自らに「Bは悪い人間ではないだ」と言い聞かせる。「悪い 人間」ではないB君と今後も付き合いを続けるのだから、少しは悪口を自己規制しなけ ればならない。(自己規制して、あの悪口雑言。自己規制しなければどんな悪口になる か……ああ、恐ろしい)

 だが、同時に「Bは親しい仲間。どんな悪口を言っても構わない」という立場を堅持 する。

 「悪い人間ではないけれど…」の前置きはエチケットであると同時に「悪口を楽しむ 知恵」。悪口上手、喧嘩上手は無意識に、この高等戦術を持ち合わせている。

 2001年は余すところ一週間。世の中、ことしも悪口と喧嘩の一年だった。情報戦 争の一年だった。

 それにつけても、外務省高官は悪い人間ではないけれど、その悪口下手、喧嘩下手に は驚かされた。真紀子さんイジメに明け暮れ、田中外相の首は取れず、その間に田中外 相の評判と共に外務省のイメージは地に落ち、株価があれば額面割れ?

 ここだけの話だが「大体、外務省の人間は外交が下手だから」と思わず漏らすOBも いる。

 悪口を言い納め。お許しあれ。

 皆さん、良いお年を!

(毎日新聞東京版12月25日夕刊掲載)


トイレ先進国宣言?

 前回「手すりのない悲しさ」を書いた。読者の皆さんから沢山のお手紙をいただいた 。同じような悲しい経験を持つ方が何人もいる。

 今回は、夕食時で申し訳ないが「無慈悲なトイレ」について書きたい。バランス上「 手すり」のことを書いて、トイレを“放置”するわけにはいかないのだ。

 旅に出る前に、僕は必ず旅館に電話をする。「部屋は2階?階段に手すりはあります か?」と聞く。「トイレは和式ですか、洋式ですか?」と聞く。半身麻痺は和式トイレ が使えない。

 国際観光ホテルなんて触れ込みの旅館でも、たまに「和室オンリー」なんてところも ある。旅館を変えざるを得ない。

 階段に「手すり」がなくても、他人の肩を借りれば何とかなるケースもある。が、ト イレはそうは行かない。なにしろ、トイレはこの世で一番プライベートな場所。他人の 力を借りる訳にはいかない。トイレは基本的人権にかかわる大問題なのだ。

 人間の外出は「誰でも利用できるトイレ」が街にあるから保証される。

 医師は「健康に良いから外に出なさい」と指導するが「誰でも利用できるトイレ」が ないと障害者、高齢者はビクビクして、外出なんて出来ない。ここだけの話だが、患者 は「ハイ、分かりました」と答えながら「この医師はバリアフリーの現状を知らない藪 医者だ」と軽蔑する。

 カーナビで「トイレ案内」を始めようした民間会社が9月末にまとめた公衆トイレ数 は全国に18280。まだまだ少ない。障害者用に至ってはその内4445。無慈悲で ある。

 数だけの問題ではない。広いスペースの多機能トイレも登場したのはうれしいが「こ れでも不十分だ」という人もいる。例えば、目の不自由な人には水を流すボタンの操作 が分からない。全国に9万人いる人工膀胱、人工肛門の患者に対応する施設がまるで無 い。

 トイレに「知恵と金」を掛けよう。清潔な、誰でも利用できるトイレを作る。この仕 事は新しい公共事業になり得る。道路よりトイレだ。

 健常者もいつか歳を取る。高齢者大国・日本はトイレ先進国になろう。トイレは文化 だ。

(毎日新聞東京版12月18日夕刊掲載)


なぜ「手すり」がないんだ

 12月4日、脳卒中で倒れて10年経った。大病を患うと、人の世の温かさ、冷たさがよく分かる。

ここだけの話だが、人生の「奥行き」が分かる。倒れてよかった。しかし、である。 右半身不随は何かと不便だ。

 1週間ほど前のこと。忘年会に呼ばれ、JR東京駅近くの地下1階のレストランに出かけた。 その夜、エレベーターは地下1階に止まらなかった。経費削減なのだろう。地下1階に通じる階段には 「手すり」がなかった。悲しいかな「手すり」がないと上り下りができない。

 店側と交渉して資材運搬専用の「隠しエレベーター」で地下1階に降りることにした。

 忘年会が佳境に入ったころ、従業員が突如「火が出ました。閉店にします」と宣言した。

 何だ何だ。きな臭いではないか。

 「逃げろ!」と誰かが言った。

 困った。あの「隠しエレベーター」は動いているのか。動いていても、途中で止まるのではないか。 女子従業員が「大丈夫だと思います」と言うのだが、自身なげだ。どうしよう。でも階段は上れない。

 「行きましょう」の声に促されエレベーターに乗った時、けたたましくサイレンが鳴った。やばい!

 1階についた。安堵した。ところがドアが開くと煙がもうもうとしている。火も見えた。薄暗い 駐車場に煙が充満して喉が痛い。エレベーターに戻り、もう一度地下1階に降りようか。 体を縮めれば煙を吸わないで済むが、そんな芸当はできない。

 ままよ、僕は煙の中を突進した。走った。周囲から見れば、ゆっくりと歩いたように見えたと思うが、 僕は間違いなく走った。

 間一髪・・・助かった。

 舗道に出た僕は、いつものように「なぜ、階段に手すりがないんだ!」と嘆いていた。

 アメリカにはADA法(American with Disability Act 1990年制定)がある。障害者の環境・ 製品・サービスの利用権を保障している。日本だって・・・法律があれば「手すり」なんてすぐできる。 人々の「温かさ」を形にする法律が欲しい、と僕は10年間、いつも願っているのだ。

(毎日新聞東京版12月11日夕刊掲載)


落とすための試験?

 これほど酷な話はない。

 腹が立つ。腹が立っているうちに「これは社会問題だ!」と思うようになった。だか ら競馬欄ではなく、この欄で書かせてもらう。

 「アンカツ」をご存じだろうか。笠松競馬場の安藤勝己騎手。略してアンカツ。ニッ クネームが付くぐらいだから「中央の武豊」と同じような人気者。知名度が全国区にな らないのは、地方のジョッキーだからだろう。

 数年前から中央・地方の交流競走が多くなった。彼も中央の晴れ舞台で騎乗する。天 才だから、どこで走っても実績を出す。今年は中央だけで42勝。地方所属の騎手とし ては抜群の成績である。

 その彼が「中央の騎手免許を取ろう」と決意した。中央の賞金は高い。ハイレベルの 戦いをしたい。

 競馬関係者の大半は喜んだ。武豊がフランスを拠点にして、信頼できる騎手が少なく なった。短期免許で来日しているペリエ騎手が3週連続G1を制覇してしまうほどであ る。中央で通算146勝のアンカツが毎週、中央競馬で乗る。JRAも喜んだハズだっ た。

 そして、誰もが待ちわびた11月30日新規騎手合格者発表。何と10人の1次試験 合格者の中にアンカツの名前はなかった。

 どうしたんだ?

 JRAの説明は「実技は問題ないが(1)国語、数学、英語(2)馬学の筆記試験( 3)口頭試問で合格ライン【100点満点でおおむね60点】に達しなかった」。

 馬鹿を言っては困る。41歳の男が10代の競馬学校生徒と競って国語、数学、英語 で合格点を取れ!というのか。現役の新聞記者が改めて入社試験を受けたら、間違いな く不合格だろう。学歴不問の時代なのに。

 ここだけの話だが、筆記、実技試験は免除され、人物考査だけで結論が出ると思って いた。

 融通が効かない。何故、実績重視の優遇処置が作れなかったのか。実績のない中央の 騎手を守るためのイジメ?

 人気者がいなくなる「笠松」に気を使ったのか。

 お聞きしますが、JRA幹部が関係会社に“天下り”する時にも、筆記試験をするん でしょうネ。

(毎日新聞東京版12月4日夕刊掲載)


不信解消には「投手交代」

 なぜ、引責辞任しないのか、不思議でならない。田中真紀子外相のことではない。 狂牛病(BSE)の武部勤農相のことである。

 諸外国の担当大臣が辞任している「前例」で、彼に辞任を求めているのではない。ここまで充満した 国民の不信感を解消するためには「投手交代」しかない、と思うからだ。

 彼がテレビに出てくると「当分、牛は食べられないワ」とつぶやく奥さん群。これは理屈ではない。

 テレビの前で、おいしそうに焼肉を食べ「もう大丈夫!」と話したあたりから雲行きが怪しくなった。 本当なのか?生産者側に立った無理なパフォーマンスではないのか?

 国民をなめている。「大臣が食べれば大丈夫」なんて思うほど、幼稚ではない。責任を取ってほしい!

 瞬間湯沸かし器的な性格(失礼)な武部さんのことだから「理屈なしで辞任させるのか!」とお怒りになるだろう。 それなら、少し理屈っぽいことを言わせてもらう。

 武部さんは「クライシス・コミュニケーション(危機管理)能力」に欠けている。某牛乳メーカーの社長さんが 汚染牛乳騒ぎの最中、報道陣に「おれだって寝ていないんだ」と言ったばっかりに、企業は大赤字会社に転落した。 あれと同じような致命的な欠陥である。

 「リーダーの危機管理」の講演でひっぱりだこの電通パブリックリレーションズ、田中正博顧問は「組織を 危うくする社会環境の変化」として3点を挙げている。

(1)「筋論クレーマー」(訴訟に発展する苦情主)の登場

(2)内部告発が不可避

(3)「前例主義」「業界の慣例」「先送り」が通用しない・・・そんな時代に「業界の通例」 で事態を甘く処理し、原因解明は「先送り」、「前例」にのっとって大臣が食べてみせる・・・なんて危機管理能力ゼロ。

 武部さんに隠れたベストセラーを紹介しよう。東京商工会議所編集の「図解・企業を危機から守るクライシス・ コミュニケーションが見る見るわかる」(サンマーク出版)。ここだけの話だが、これは記者が嫌がる本。 「告発型、感情型、キャンペーン型、マスコミ主導型報道」への対処法も載っている。
(毎日新聞東京版11月27日夕刊掲載)


牛丼屋さんの奮闘

 「昔は、女房に浮気を隠したけれど、今は、すき焼きを隠す」と友人が冗談を言う。 奥さん、家を出る彼に「牛肉は食べないでネ」と念を押す。

 折しも、という訳でもないのだろうが狂牛病被害者?牛丼の大手・吉野家ディー・ア ンド・シーの安部修仁社長が東京・浅草法人会、上野法人会共催の「文化講演会」で講 演した。ここだけの話だが、行政に対する批判が飛び出すのでは……と会場に潜り込ん だ。

 意外だった。52歳の若い社長は「安全だから徐々に客は戻ってくる」と狂牛病なん て歯牙にもかけない様子で「牛丼の価値観」について力説した。

 彼が高校を出て吉野家に入社した1972年。吉野家は破竹の勢いだった。76年に 50店舗だったチェーン店舗が翌年には100店舗、そのまた翌年には200店舗。そ して300店舗に膨れ上がった1980年、吉野家は会社更正法を申請して倒産した。

 「一直線の無謀急速成長が原因でした」。無理な出店計画。店舗に相応しくない場所 にまで店が出来た。300店舗にまで膨れたので、皮肉にも牛肉の相場が上がる。従業 員の粗製濫造。味が落ちた。

 「成長には“踊り場”が必要なんですね」。30歳を越えたばかりの営業部長・安部 さんは再建の先頭に立った。

 吉野家は築地の魚河岸の中で生まれた。「忙しい食物のプロ」を相手にするには「う まい、早い」の価値観でなければ商売にならない。客のひとりひとりの好みを覚えてお いて、客が注文する前に商品を作る。そのスピードが「一時間に一席10回転」を可能 にし、儲けが出た。

 倒産後の価値観は「うまい」。「日本中、どこに言っても同じ味。商品は飽きられる 。だから飽きられないように変えていくーー、という商売の常識とは正反対のことをし ました」

 92年、40歳で社長になり、昨年、吉野家は東証第一部に上場するまでになった。 「うまい」の勝利だった。

 ところが2001年。吉野家は変わった。価値観が「安い、うまい、早い」の順番に なった。「280円の牛丼」の先鞭をつけた。味を落とせずにこれまで通りの収益をあ げるには一店舗700人の客を900人にしなければならない。

 彼が格闘しているのは狂牛病ではなくてデフレ?

 いつの間にか、下町の聴衆は必死でメモを取っていた。

(毎日新聞東京版11月20日夕刊掲載)


ウィークリー熱海?

 リハビリ仲間から「一週間、熱海で温泉三昧しないか?」と誘われた。

 「でも…俺、金ないよ」

 「俺だって、ないよ」と言う彼、脳卒中で倒れた時は会社を経営していたのだが、今 は無職。障害者年金と「女房の稼ぎ」で生活している。

 「熱海で素泊まり2人6泊7日39000円。安いだろう。自炊も出来る」 確かに 安い。彼は何度か利用している、というのだが、古びた旅館の狭い部屋、ではないのか 。

 「3年前に新築したホテル。あのホテル×××の前にあるんだ」

 森内閣時代、外交の舞台にもなったホテル×××。一度、泊まって見たいと料金を聞 いてみたら「一泊二食で45000円」。とても無理だと諦めていた。そのホテル×× ×の前にある「2人で6泊7日39000円のホテル」。俄然、興味が沸いた。

 “取材”に出かけた。新幹線で熱海へ。そこからはバスで約10分(伊東線来宮駅か ら徒歩5、6分)

 「かんぽの宿 熱海・本館」 (熱海市水口町2−12−3 TEL0557ー81 −5382)は9階建て。ホテル×××に負けない豪華な建物だった。

 小泉さんが「民営」を主張する例の簡易保険関連の施設。保険加入者以外でも利用で きる公共の宿である。景色が抜群。熱海恒例の冬の花火では“一等席”になる。

 このホテル、実は半数以上のお客が「6泊以上30泊以内の長逗留(中期滞在型利用 )」である。部屋はマンションタイプで40平米以上。バス、トイレ、食卓リビングセ ット、ミニキッチン、食器、電子レンジ、炊飯器まで付いている。図書室、マージャン 室、健康増進室…泊まるというより生活するホテルである。

 老人ホームとして利用するお年寄り。東京へ通勤する人もいる。流行のウイークリーマ ンションの温泉版?

 推測するに、湯の町・熱海の人出は閑散。温泉旅館の倒産が続いている。そこで、高 級ホテル?も苦肉の策で“長逗留”を考え出したのだろう。まして特殊法人や財団が経 営する宿泊施設は必死で「生き残り策」を探している。

 不況の嵐の中で、日本列島はいま紅葉の見ごろ。皆さん、格安レジャーを楽しんで、 個人消費拡大に人肌脱ごうではありませんか。

(毎日新聞東京版11月6日夕刊掲載)


有責離婚か、破綻離婚か

 友人の弁護士が「ことしの秋は自己破産と離婚。3ヶ月で離婚訴訟を6件も引き受け た」と話している。

 未曾有の大不況。首が回らない人が予納金(資産がない場合2万円)を用意して「破 産申し立て」をする。ない袖は振れない。特別なことがなければ、裁判官は破産宣告す る。

 本来なら管財人を選出するのだが、あまりに件数が多いので「破産宣告・同時廃 止」と言われる処置で、手続きなしで「免責の申し立て→免責決定」。借金はチャラに なる。

 1998年以降、自己破産は年に10万件を超え、官報に載せるスペースがなくなっ て、裁判所は四苦八苦である。(もっとも1998年のデータでアメリカの自己破産は 139万8000件。日本は少ない)

 大不況は離婚理由にも現れている。

 日本の離婚は「有責主義」。別れたい相手に「決定的な失点」がなければ別れられな い。不倫、悪意の遺棄、強度の精神病で回復の見込みがない、生死不明状態7年以上ー ーこれは、まず別れられる。

 「その他、婚姻を継続し難い重大な事由」が微妙である。ホモ、レズ、SM、DV( 夫婦間暴力)……これとて、どこまでが「重大な事由」になるか。弁護士の腕が問われ る。

 そして、困ったのが不景気ゆえ?の「社会人からの脱落」である。「夫が仕事を 探すこともせずブラブラしている。今すぐ別れたい」。これは、ほとんどの女性からの 訴えだ。

 失業者の夫は「仕事がないのは俺の責任ではない。政府の責任」と主張する 。「有責主義」に則れば、そう簡単には別れられない。

 そろそろ「破綻主義」に代えたらどうだろう。「破綻」と認定したら別れさせる。「 性格不一致で8年以上別居、未青年の子がいなくて、相手に相応の財産を分与する」と いう条件が整えば、離婚が認められるようになった。破綻主義の前進?

 人間、一度や二度は離婚を考える。ここだけの邪推だが、裁判官も同じだろう。だか ら「俺も我慢しているんだぞ。お前だけに離婚させてたまるか」と思うのだろう。

 しかし、である。「破綻主義」を認めない日本はいつか「見せ掛けの人生」を強要す る国になってしまう。

(毎日新聞東京版10月30日夕刊掲載)


金儲けの神髄

 一年半前、83歳で他界した億万長者・大塚正士さんは「ボンカレー」で有名な大塚 グループの指揮官。戦後、社員17人の町工場を23000人の大企業に急成長させた 。

 値引きは絶対にしない。社員の首は切らない。代わりに重役の給料を下げる。社長は 何でもやる。コピーライターに任せず、自分で付けた商品名「ゴキブリホイホイ」は不 朽の名作である。「わが実証人生 金儲けの秘訣」という定価10万円の本を出し「上 下巻で重さ6キロ。334話で2072ページ」と豪語した。

 彼が1975年、モスクワ郊外のフルシチョフの墓を詣でた時である。飾られた写真 が死後6ヶ月しか経っていないのに色あせている。ビニールで覆ってあるので、雨は避 けるが、太陽の紫外線は避けられない。

 陶板に焼き付ければ変色しない、と大塚さんは直感した。

 江戸時代、日本の有田焼を積んだオランダの商船がヨーロッパに帰る途中、嵐でイン ド洋に沈没した。何百年か経って荷を引き上げたら陶磁器は昔の色と姿で残っていた。

 これだ! 彼は故郷の鳴門の砂から大型美術タイルを作り、苦労して開発した3万色 以上の釉薬で「名作」を保存するのに成功した。10年がかりで、西洋の名画という名 画をすべて陶板に写す。ミケランジェロ、モネ、ゴヤからピカソ、ミロ、ダリ……教科 書に載っている西洋の名画1074作品が陶板になった。

 420億円を使って完成した「大塚国際美術館」(徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字福 地65−1、TEL088−687−3737)を見学して、度肝を抜かれた。

 ギリシャの壷絵、ボンペイの壁画……まるで紀元前の空間にいるようだ。すべて見る 終わるのに約5時間。ここだけの話だが、入る前まで入場料3150円(税込み)は高 いと思っていたが、値上げしても良いぐらいだ。

 陶板なら名画は2000年はまったく変色しないで保存出来る。すでに1074の作 品のうち3作品は“本物”が火災で焼失してしまっている。

 「破壊の日常化」を恐れぬ世界の指導者に、今こそ、この「金儲けの真髄」を見せて やりたい。

(毎日新聞東京版10月23日夕刊掲載)


子規、15歳の集合写真

 「……日本新聞社員タリ 明治三十□年□月□日没ス 享年三十□ 月給四十圓」

 正岡子規が亡くなる四年前、自ら書き残した墓碑銘である。「……」の部分には本名 、ペンネーム、父母のことが書いてある。そして最後に「日本新聞社員云々」と彼は書 いた。(実際には明治35年9月19日に永眠。35歳だった)

 文学者と言わず新聞社員と断ったところが、僕には何となくうれしい。

 そして、最後の最後に「月給四十圓」。ニクイではないか。「四十圓」はユーモアな のか、本気なのか、実際に貰っていたのか、要求なのかーー研究家の何人かは「四十圓 が彼の目標だった」と言う。僕は違うと思う。升(のぼる・子規の名前)がやるベース ボールだから「のぼーる=野球」と命名したのと同じ彼一流のサービス精神が書かせた と思う。

 その愉快な人は「自分が死んで100年経ったら俳句はなくなる」と予言し た。俳句革新の旗手が話した「俳句の寿命」。「俳句は575の組み合わせ。順列組み 合わせで作品の数には限界が来る」。愉快な人はパソコン的な発想だった。

 そして、今年は没100年。俳句は彼の予想に反して盛況である。

 ここだけの話だが、先週、仕事をさぼって「子規100年祭in松山」の松山市立子 規記念博物館(松山市道後公園1−30、TEL089ー931ー5566)に出かけ た。

 そこで、奇妙な集合写真を見つけた。明治16年、松山の青年たちが「閉塞する 故郷」から上京する時の“上京記念写真”である。十数人の青年の中に15歳の子規も いた。

 ところが、若者たちの顔は思い思いの方向を見ている。何か妙だ。

 案内してくれた学芸員・森正経さんが教えてくれた。「ちっとも珍しくないんです。 思いは同じでも見る、向かうところが違う。その意志表示ですよ。当時は、前を向いて 写真を写す風習はなかった」

 日本の青年が直立不動でまっすぐ前を見て写真を取るようになったのは明治20年に 入ってからである。

 日清戦争の前夜。軍国化が若者の個性を殺す時代が徐々にやって来る。

 そっぽを向く個性だから「給料四十圓」と書く天才になれたのだろう。

(毎日新聞東京版10月16日夕刊掲載)


「豊かさ」の分配

 アメリカは豊かな国だ。

 たらふく食っているだけではない。広い家屋敷に住んでいるだけでもない。もっとも っと「奥深い豊かさ」を持っている。

 例えば、アメリカでは聾者が障害を乗り越えて、大学教授になり、弁護士になり、医 師になっている。

 ギャローデッド大とアメリカ国立聾工科大という2つの聴覚障害者向け高等教育機関 がある。ギャローデット大の設立は1960年代の南北戦争の最中にまで遡るから、こ の国では「奴隷解放の戦い」を進めながら、ASL(アメリカ手話)を使って高等教育 を始めていたことになる。そんな国柄だから「聾者の弁護士」はごくごく普通なのだ。

 1995年、この大学は「キャンバス内では音声言語や英語対応手話を使わず、AS Lだけで意思を通じ合う」と決めた。(ASLと英語対応手話とはまるで違う)

 独自の「聾文化」の環境作り。手話に、聾者に誇りを持つ人々がいる。「豊かさ」の 証明ではないか。

 筑波技術短期大はアメリカ国立聾工科大をモデルに1987年10月、世界で3番目 の聴覚障害者向けの大学として誕生した。「豊かさ」で日本はアメリカに続いた“証拠 ”続いてタイ、ロシア、中国にも、この種の大学が生また。

 2001年1月、世界の6つの大学は「聴覚障害者のための国際大学連合」を作った 。国を越えた手話教育の連携が是非とも必要なのだ。

 これには金が掛かる。

 ここだけの話だが、彼らを応援したのが日本のギャンブラーだった。

 競艇の「寺銭」をファンに代わって運用する日本財団は、以前からアメリカの2大学 に留学生支援に200万ドルの基金を提供していた。今回も競艇の胴元?は金を出した 。

 10月1日午前8時半、国際連合の初仕事、筑波技術短期大とアメリカ国立聾工科大 の間にテレビ会議システムがオープン。日米の学生が手話で作った俳句を披露した。字 数に制限がないが、短い短い自己表現。これは聾文化の「21世紀の夜明け」かも知れ ない。

 アメリカに次ぐ、豊かな、でも武器を持たない、この国には「戦いの分配」よ り「豊かさの分配」が性に合っている。

(毎日新聞東京版10月2日夕刊掲載)


「酒鬼薔薇」は少年A」?

 約一ヶ月前、この欄で「『神経質に過ぎるゾ』と思いながら“テロの不安”を感じる 」と書いた。それなのに、同時テロが現実になった先週「ばかばかしいお笑いで…」と 落語家の“ギネス挑戦”を書いた。

 数人の読者から「何故、テロ事件に触れないのか」というお叱りを受けた。戦場に行 くより落語を楽しんだ方が良いーーと言わんばかりの調子に「不謹慎」と思われたのだ ろう。

 しかし、である。新聞が「明日にも核戦争が起こる」かのように隅から隅まで同時テ ロ関連記事で埋めるのは、どうだろうか。それでなくても、超大事件の陰に隠れて「か なり大事なこと」が霧散している。特殊法人見直しも、外務省の巨悪追及……一人ぐら いは「超大事件」以外のことを書いたって良いじゃないか。

 後藤昌次郎弁護士が「諸君10月号」に「少年Aは推定無罪!」という一文を寄せて いる。

 1997年神戸・須磨区で起こった酒鬼薔薇事件。何者かが、小学生六年生の児童を 絞殺し、切断し、頭部を中学校の正門前に置いた。それこそ、当時はこの事件以外に報 道するものがないような大騒ぎだった。

 当時14歳の少年Aが容疑者として逮捕された。現在、関東医療少年院に収容されて いる。本人の自白もあり、日本中が少年Aの仕業と思っているのだが、後藤弁護士は「 本当に彼が犯人か?」と疑問を投げかけている。後藤弁護士はご存じ、松川事件、八海 事件、青梅事件、菅生事件、日石・土田邸爆破事件で冤罪を勝ち取った敏腕弁護士であ る。

 もっとも証拠価値が高い「犯人の声明文」と少年Aの筆跡を鑑定した兵庫県警科学捜 査研究所は「同一人物のものかどうか判断するのは困難である」と結論を出した。にも 関わらず、警察は「筆跡が同一だった」と少年Aに嘘を言い、自暴自棄になった少年A は自白した。この事件、自白だけが唯一の証拠なのだ、と後藤弁護士は主張する。冤罪 を疑がわせる点はこれ以外にもある。

 個人ホームページで後藤弁護士の主張を紹介したら掲示板に反応があった。「法曹界 では冤罪という認識が強い」という“書き込み”もある。

 もし冤罪だったら。過去の大事件にも「報じられる権利」がある。

(毎日新聞東京版9月25日夕刊掲載)


馬鹿馬鹿しいお笑いで…

「熊さん、大変な覚悟だそうだな」
「てぇへんな覚悟よ。何たって一昼夜、寝ねぇんだ。ロートルさんよ」
「何だい、そのロートルってのは」
「編集委員っていうのは、古手の記者ってこった。だからロートル」
「まあ良い。それで、熊さん、寝ないで何をするんだい?」
「しゃべりまくるんだ」
「あんたが?」
「俺じゃあねえ。噺家の立川ワシントン改め快楽亭ブラック」
「物騒な名前だな」
「立川セックス、マーガレット、立川平成…と名前を19回も変えた」
「外国人かい?」
「レッキとした江戸っ子よ。ポルノのシナリオも書く。3歳で映画を見た変わり者で邦 画の生き字引。ところで『生き字引』って何だい?」
「どんなことでも、聞けばすぐに答えが返ってくる物知りのことだな」
「ハハーン、ロートルのことか」
「……お世辞を言わなくても良い」
「奴は昭和28年生まれ。この世界では中堅かねえ。そいつが『血を吐くほど話まくっ て、ギネスに挑戦する』って言うだ」
「ギネスに挑戦?」
「浅草フランス座、知ってるだろう。あの渥美清も出たヌード劇場が東洋館に変わった (台東区浅草、TEL03−3841ー6631)」
「漫才の定席になっている小屋?」
「そう、その東洋館でブラックが9月22日(土)午後6時から翌日午後6時まで24 時間、話しまくる」
「そりゃあ、ギネスものだ」
「こちとらも大変よ。寝ないで付き合うだから覚悟がいる。飯?出前、弁当あり。外出 、仮眠しなければプレゼントが貰える」
「お前さん、欲と道ずれか」
「大家は『物騒なご時世に』と言うけれど、ロートル、どう思う」
「そうさなあ、落語家は戦争が始まった昭和16年、涙を飲んで浅草寿町の本法寺に『 はなし塚』を建て非国民的落語を葬った。『事変酒』『防空演習』なんて無粋な出し物 が幅を利かせたらしい。今のうちに日本文化をたっぷり楽しんだ方がいい」
「お前さんも行くかい?」
「ここだけの話だが……報復攻撃が気になって…こちとら24時間びくびくテレビよ」

(毎日新聞東京版9月18日夕刊掲載)


メール夜回り

 新聞記者の取材方法に「夜回り」というのがある。

 夜、取材対象の自宅を訪問して「本当のこと」を聞き出す。相手が出勤する前に訪ね ることもあるので「夜討ち朝駆け」とも言われる。

 守秘義務がある公務員は役所では「本当のこと」が言いづらい。家に帰ればつい本音 を漏らすこともある。警視庁担当の事件記者は一年中、夜打ち朝駆けしてスクープを探 す。

 しかし、そう簡単にネタは取れない。

 昨日の殺しはどうでしょうか
 あいつがホシではないでしょうか
 すがる思いで聞いたのに
 切ない言葉で夜が更ける
 馬鹿だな馬鹿だな、また騙された
 夜が冷たい 一課の夜回り

 これは藤圭子が歌った「新宿の女」の替え歌。「一課」というのは警視庁捜査一課。 記者さんが哀愁を込めて歌う“不朽の名曲”である。

 事件記者は孤独である。

 だから?夜回りには「相棒」がいる。ハイヤーの運転手さんである。

 一日に数時間しか眠れない記者が後部座席で居眠りをする。その間にもの凄いスピー ドで刑事さんの家に向かう。何処をどう抜けたら一番早く“現場”に着くか、を熟知す る名人芸が是非とも必要なのだ。

 「夜回り運転手40数年」のKさんが引退するというので、先週、昔の記者仲間が慰 労会を開いた。

 Kさんに助けられた奴は何人もいる。携帯がない時代。彼がピンク電話の在処を知って いたので、他社を出し抜いて原稿を送ったこともある。

 口の堅いKさん。「先輩記者の夜回りのやり方を教えてくれよ」と頼まれて「ここだ けの話だよ」とボソボソと逸話を話してくれた。

 「Aさんは警視庁から武蔵小杉の飲み屋に直行。刑事さんと夜遅くまで飲む。それが 毎晩だった。Bさんは眠っている刑事さんを必ずたたき起こして取材した。Cさんは「 スッポンの健」と言われた凄腕だが、親友のDさんは浅草のお好み焼き屋で遊んでばか りいたetc。(夜回り落第のDさんとは僕のことである)

 Kさんの「ここだけの話」を後輩の記者に話したら「僕は信頼関係が出来るとメール で夜回りしているんです」

 そうか、メールが夜回りの「相棒」になっているのだ。

(毎日新聞東京版9月11日夕刊掲載)


三宅島特別競馬の夢

 「あの世って、どんな所?」と聞いたら、亡き母は「誰も帰って来ないから、良いと ころなんじゃない」と笑った。そうかも知れない。

 太陽が輝き、バラが一面に咲き乱れ、鳥たちが澄んだ青空で舞っている天国。恐い怪 物が人間を虐めている地獄。この「天国と地獄の絵巻」はどうも怪しい。誰も「あの世 」から戻って来て、レポートした訳ではないから「真実」とは言いかねる。

 地獄絵を手に「これは悪いことだゾ。地獄に堕ちるゾ」と権力者が民衆を脅す。笑い 話で母は「地獄絵で統治する権力者」を皮肉った。

 大好きな競馬も権力者によって長い間「地獄に堕ちるほどの悪」に仕立て上げられた 。儒教の教えである。

 しかし、人間に「賭けることをやめろ!」というのは無理である。「遊ぶこと」を発 見する以前に人間はモノを賭けることを知っていた。

 それなのに競馬は法的に「悪」。 お上の主催するギャンブルだけが「刑法の特例」と認められる。

 その矛盾に満ちた現状に、降って沸いたように「特殊法人の見直し」論議がやって来 た。JRAは特殊法人。当然、廃止か、民営化か、と思いきや、カヤの外らしい。

 何故だろう。儲けているからだろうか。妙だ。

 それでなくても、ギャンブルは迫害を受けている。売上げの10%以上の国庫納付金 を払い、競馬場や場外馬券売場のある自治体には環境整備費を払う。それなのに横浜市 は新税を取ろうと言い出す。(ちなみに横浜市は年間1億2000万円の環境整備費を 受け取っている)

 それだけではない。がんじがらめの法規制がある。ここだけの話だが、JRAは三 宅島復旧対策特別競馬を計画した。寺銭を三宅島のために使う特別競馬。しかし、法規制 と過去の前例がネックになり、実現出来なかった。

 8月30日、東京競馬場でJRA主催の花火大会が行われ、東京に避難している三宅 島の人々153人が招待された。笑顔が戻った。

 ささやかな善意が実ったのはうれしいが、権力の「ギャンブル支配」が大きな善意を 闇に葬りさる。僕はこの「構造」が我慢出来ない。

(毎日新聞東京版9月4日夕刊掲載)


飯を喰わないラジオ?

 “見出し”は新聞の命なのだろう。

 それほど真剣に取材活動をしているとも思えない某夕刊紙が「何べんやっても世論調 査の高視聴率はビクともしないこの政治家の異常な人気」なんて見出しをつける。うま いじゃないか。 「ビクともしない」なんてセルフ、なかなか出てこない。この新聞“見出し職人の腕 ”で飯を喰っている。

 確かに、小泉さんも真紀子さんもビクともしない。一年前まで、日本には「総理大臣 の名前を知らない人」がいた。「森」という苗字は知っているが名前となると自信がな い、と言った人が大半だった。

 「小泉純一郎」はどうだろう。子供でも知っている。史上最高の知名度?「テレビを 最大限に利用するゾ」と純ちゃんが決意した時、小泉内閣の人気はビクともしなくなっ た。

 視聴率で飯を喰うテレビの職人とそのコツを知った総理大臣の二人三脚?が歴史 を変えた。

 これに引き替え“ラジオの職人”は気の毒である。

 先週、民間放送連盟賞ラジオ報道部門の審査なるものに参加した。全国で放送された 報道番組から「一番」を選ぶ。ことしは特に優秀な作品が最終審査に残った。

 「愛知県犬山市の新しい成人式」(東海ラジオ放送)「平成の超派閥学」(エフエム 東京)「ジレンマに沈む諫早湾の漁師」(九州朝日放送)「母親に迷惑が掛かるとバッ ト殺人に走った17歳」(山陽放送)「外国人入浴お断りの波紋」(北海道放送)「ジ ェーン台風から50年」(朝日放送)「長寿村レポート」(山梨放送)ーー正直言って 、軽薄テレビより数段、ユニークで出来の良い作品ばかりだ。

 ところが、である。ここだけの話だが、そのほとんどが「提供広告主なし」「放送時 間深夜」なのである。

 放送局の親しい友人に聞くと「ラジオは午前6時から野球のナイターまでが商売にな る時間帯。それ以外は、飯が喰えない」。

 奥行きのある番組を作れば作るほど、喰えなくなるラジオ。総理大臣というタレント ?で飯をたらふく喰うテレビ(失礼?)。このアンバランス。

 「だから、地方のラジオ局は青息吐息。でも商売気抜きで番組を作るのも良心という ものよ」と彼らは空元気。

 「喰わない職人」がいるから、日本国は辛うじてバランスを取っている。

(毎日新聞東京版8月28日夕刊掲載)


赤報隊の時代

 「神経質に過ぎるゾ」と思いながらも“テロの不安”を感じている。

 中曽根首相が靖国神社を公式参拝した1985年から「あの事件」が起こる87年ま での“時代背景”に、ここ数ヶ月が酷似しているのだ。

 第二次大戦のA級戦犯が78年に合祀されて以来はじめて、中曽根「首相」は85年 8月15日、靖国神社を公式参拝した。

 翌86年夏、教科書問題が起こる。検定に事実上合格していた高校日本史教科書が中 国や韓国の批判を浴び、中曽根さんは異例の再修正で、外交的決着をつける。そして、この年 、中曽根さんは靖国公式参拝を見送った。

 翌87年。「朝日新聞襲撃事件」(警察庁指定116号)が起こった。

 1月24日、朝日新聞東京本社に散弾が2発打ち込まれ、5月3日、朝日新聞阪神支 局に目出し帽をかぶった男が押し入り、散弾銃を発砲して、記者2人が殺傷された。そ の後も朝日新聞に対する攻撃は続き、166号に指定された事件は計8件。それぞれの 事件の直後に「赤報隊」と名乗る者から「内外の反日分子を一掃せよ」という趣旨の犯 行声明がマスコミに送られた。

 朝日の論調に反発する勢力の犯行ーーと推理されたが(他に某宗教団体の関与を推理 する向きもある)延べ47万人の捜査員を投入した兵庫県警の捜査は、事件後14年以 上経っても犯人の正体を追いつめることが出来ない。

 時効まであと一年。ここだけの話だが、先週「事件の時代背景」を取材する朝日新聞 記者の来訪を受けた。阪神支局襲撃の日、僕は日米首脳会談同行取材で中曽根さんと同 じ飛行機で帰国する途中、事件を知った。

 あの頃、政権5年目を迎えた「行政改革の中曽根政治」は難問を幾つも抱えていた。

 阪神支局襲撃より前の87年2月27日「赤報隊」は「座禅中の全生庵で中曽根さ んを狙った」と脅迫状で明らかにしている。

 靖国公式参拝を断念した小泉首相に反発する向きも、ないではない。

 朝日の取材に僕は「あの頃と今は時代背景が酷似している」と答えてしまった。神経 質になることはないが、人々が「閉息感」から逃れようと全体主義に走ると、日本は危 うい。

(毎日新聞東京版8月21日夕刊掲載)


幾つもあるから「正義」

 「痛み」という言葉は、妙にロマンチックである。

 「痛い!」と絶叫するより、小声で「痛みを感じているの」と言った方が上品に聞こ える。痛みに耐えるーー何と日本人的表現ではないか。

 しかし、今、民に求められる「痛み」は、それほど上品ではない。「銀行の不良債権 を処分してリストラを断行する」ことで、試算では19万人ほどの失業者が生まれる。

 実は「リストラ」という言葉にもマジックがある。「横文字の魔法」とでも言えばい いのだろうか、横文字は概ねソフトだ。「リストラ」の代わりに「首切り」のいう言葉 を使うと、状況は一変するだろう。

 新聞に「リストラが進んでいない」と記事が度々登場する。どうやらリストラという 「正義」が達成されていない、と嘆いている様子である。テレビで評論家が「徹底した リストラをしなければならない」と力説する。彼らは「リストラ=正義」の立場に立つ 。

 しかし、である。新聞は決して「首切りが進んでいない」とは書かない。評論家は「 徹底した首切りを……」とは決して言わない。

 「首切り=正義」とは言いづらいのだろう。それどころか「首切り=不正義」と言う 人もいるし、そうとは言わないが「首切り=不人情」と思っている人は多い。

 だから指導者は「首切り」→「リストラ」→「痛み」と次々に表現を変えることで「 痛みに耐える=正義」の図式を作りあげようとしている。

 狡い、とは言わない。

 これは指導者の手練手管だから、そのくらいの知恵は許されるだろう。

 しかし、気になるのは「正義の図式」を演出した指導者が「正義は一つ」と思い詰め た時である。かつて「正義のために、欲しがりません勝つまでは」と言い出した時、日 本は狂気に突っ走った。

 靖国問題では「正義」が幾つも登場した。「正義」が幾つもあるから歴史なのだろう 。

 「正義は一つ」を旗印にする政治哲学は決してハッピーな結末を迎えない。ここだ けの話だが、全体主義は巧みなスローガンを見つけた時“狂気”に突っ走る。

(毎日新聞東京版8月13日夕刊掲載)


「おかえりの詩」のその後

 去年の暮れ、この欄で「おかえりの詩」の話を書いた。

 秋、日本海に注ぐ手取川に2万匹の鮭が帰って来る石川県美川町。古くは北前船の港 町で、長い船旅を終えた若い衆を「おかえり」と迎えた。その町が「日本一心のこもっ た、おかえり短文」を募集した。

 2000を越す作品。どれもこれも心に沁みる詩ばかりだった。応募作を読んだ作詞 家の星野哲郎さんが応募作を題材に「おかえりの詩」という演歌を作った(新井利昌さ ん作曲)という話である。

 今回は「その後」である。

 この曲をもらった歌手・白川桔梗さんは応募作を何度も何度も読み返した。「おかえ り」の情景を胸に焼き付けて歌う。そして、ある作品の前で立ち止まった。

 「遊び金欲しさにガソリンスタンドの事務所の忍び込み、警官に見つかった。父は激 怒、母はオロオロ。少年鑑別所送りになった。毎朝四時に起き夜八時まで働きづめの母 は、仕事の合間をを見つけては差し入れの面会に来る。心労だろう。母の背中は小さく 、小さくなった。

 数ヶ月ぶりに青空に立った時、母は『おかえり』と私を抱きすくめ、わんわんと人目 を構わず泣いた。もう40数年前のことだが、あの時の『おかえり』の強い一言があっ たお陰で今の私がある」(神戸市・58歳・自営業・ふたりしずかさんの「小さくなっ た母の背中」)

 白川さんはこの作品に泣いた。

 3月、受刑者が作った作品を展示・発売する全国矯正展にゲストで招かれ、彼女は思 わず、この作品を紹介して「おかえりの詩」を歌った。

 たまたま居合わせた栃木女子刑務所の女性所長が「受刑者の前で歌ってくれないか」 と声を掛けた。

 連休の5月3日、彼女は女性だけの受刑者の前で歌った。

 これがきっかけで6月に千葉刑務所、7月には盛岡少年刑務所。彼女は少年受刑者の ためにKiroroの「未来へ」を歌った。少年たちはポスターを作って“慰問歌手” を歓迎した。

 10月は福島刑務所である。

 もうすぐ旧盆。ことしも「おかえり」の季節がやって来た。

 ここだけの話だが、帰るところがあるのは幸せである。

    
(毎日新聞東京版8月8日夕刊掲載)


真紀子さん「あなたは?」

 僕、ここだけの話だが「世論調査らしきもの」をやってみた。

 2週前のこの欄。マスコミは決まったように当落予想のため世論調査を実施するが「 ナマ数値」は公表しない。しかし、紙面で公表しない「ナマ数値」が特定の人の知ると ころになる。おかしいじゃないか。そのくらいなら「ナマ数値」を出した方がいいじゃ ないか!と主張した。

 が、待てよ。世論調査なんて別にマスコミでなくても、調査会社でなくても、誰でも 簡単に出来るじゃないか。WEBでやれば良い。

 そこで、決然として、僕は自分の個人ホームページで「参議院選挙で貴方はどうする ?」という“世論調査らしきもの”を実施した。

 「決然として」と言うのは、それ相応にソフトの費用を覚悟しなければならない。も ちろんボランティアの協力もいるから「決然」である。

 「世論調査らしきもの」と言うのは厳密に言えばアンケート調査。しかし、僕のHP に集まって来る人々をすべて対象にしているから「その世界の空気」を捕らえる点では 、世論調査? だから「らしきもの」である。

 僕のHPには1日に600から1000ぐらいのアクセスがある。当方の呼びかけに 応じてくれた人は20代から70代の171人だった。

 そこで、おもしろいことが起こった。支持政党が第1位民主党、第2位自由党、第3 位自民党ーーと出たのである。これは“好み”なのだろう。

 そして、これは一度聞いてみたかった質問事項。「人気者・田中真紀子さんは貴方に とってどんな『存在』がふさわしいですか?」

 その集計結果を発表します。

 「井戸端会議の議長」42人、「友人」24人、「革命の同志」11人、「上司」9 人、「同僚」8人。。「愛人」と答えた人も3人「使用人」と答えたも人も1人。

 でも、一番多かったのは「無関係の人50人」。人間の好みは千差万別である。

(毎日新聞東京版夕刊7月31日掲載)


世論調査の不思議

 新聞社、あるいは新聞記者は極めて矛盾に満ちた職業である。

 大義名分(職業的倫理)と本音(個人的功名心)が相反する職業である。

 例えば、取材先に「国民には知る権利がある。僕の質問に答えろ!」と要求する。も ちろん、こんな“言い回し”で要求することはまずない。手を変え、品を変え、ある時 はソフトに、ある時は居丈高に説得する。「国民の知る権利」に応えるのが新聞社の職 業的倫理である。

 しかし、ここに「功名心」という妙な意識が介在する。国民が知るべき事柄はまず新 聞記者Aの知る得るところとなり、然るべき後、その新聞読者の知るところになり、や がて全国民も知るべきであるーーという前提。彼は情報の質、早さに関して独走したい のだ。

 取材先から「分かりました。これは発表しましょう」と言われるとAはガック リする。大義は達成されても、功名心は満足されない。

 だから「情報開示が当然」と主張しながらAは「何でも公開されたら我々の存在価値 はなくなる」と密かに悩んでいる。

 ところが、である。

 まったく違ったタイプの新聞記者Bも存在する。Bは倫理観と功名心が見事一致する 幸せな存在である。

 選挙戦が始まるとマスコミ各社は世論調査を行う(公職選挙法138条の3項が禁止 する「人気投票」に当たらない、と判断している)。

 その調査結果は新聞が行う当落予測のために行われているので「ナマ数値」は発表さ れない。Bが活躍するのは、この時だ。

 彼は「特定の人々の知る権利に応えるのが倫理=巧妙心」と考えている。

 選挙の度に、知らないハズのマスコミ各社世論調査の「ナマ数値」が流れる。ここだ けの話、ではない。これは隠れた「選挙の常識」である。

 Aは「情報は読者全員に公平に公開されるものだ」と信じているから、A対Bの角逐 が生まれる。

 僕はAか、Bか?想像に任せるが、調査をすれば必ず「ナマ数値」は流れる。であれ ば公開すべきではないか。

 世論調査が探り出す「時代の気分」。その数値を知る権利は誰にもある。

 
(毎日新聞東京版7月17日夕刊掲載)


日本人たちの一生

 須田政美さんは明治45年1月27日、北海道余市郡余市町湯内(現・余市市豊浜) で生まれた。

 母親が彼を体内に宿した頃、父親が急逝、母子家庭の暮らしに行き詰り、母親は樺太 に新天地を求めた。

 彼は秀才だった。地元の電話交換手のアルバイトをしながら中学校に進み4年生(今 で言う高校2年生)で北海道帝国大学予科に入学した。

 野球部に入った。予科1年の冬、寮歌作詞募集に応募して「黒潮鳴る」で当選した。

 黒潮鳴れる滄海(わたつみ)越えて……北大の寮歌は「都ぞ弥生」が有名だが、彼の 寮歌も愛唱された。

 札幌に遠友夜学校があった。5000円札に肖像が載る新渡戸稲造が考え出した「貧し くて昼間学校へ行けない向学心に燃える子弟を集めて、北大生がボランティアで教える システム」。彼はここで先生役を勤める。

 昼間は大学病院の給仕を勤め、夜、中学部1年に通う無口な女生徒がいた。高橋秀。 気だての良い女性だった。

 冬になって、彼女が姿を見せなくなる。いつの間にか、退学してしまった。事情があ ったのだろう。

 気になった。彼は気になって仕方がなかった。

 「英語の辞書のmissの訳語に『居ないのを寂しく思う』があるけれど……」と彼 は“思い”を親友に打ち明け、親友のアドバイスで結婚に漕ぎつける……。

 この辺りから「父・須田政美の軌跡ーーその一生と私たち」は、佳境に入る。

 彼は大学を出て、樺太庁に就職、中央山脈の植民地「大豊」というところで「たった 一人の移民指導員」になる。戦火の満州、戦後は東北、北海道で彼は一貫して「辺境農 業」に携わった。

 実は、この本、友人が「家族のために親父のことを記録した」と送ってくれたのだ。 自費出版である。

 正直言って、並のドラマより感動的だった。日本人が忘れかけたものが、ここにあっ た。

 ちょっと前まで日本人は誰も、ひたむきに、ドラマチックに生きた。

(毎日新聞東京版7月10日夕刊掲載)


「御大」だから北島は……

 東京・新宿コマ劇場。楽屋口を道路一つ隔てた喫茶店「アマンド」で、この6月 「御大」という言葉を何度も聞いた。

 「御大」なんて言葉、ついど聞かない。広辞苑を開くと「一団体の首領」。時代劇 全盛の昭和30年代、京都・太秦の撮影所では超大物スターをこう呼んだが、今は死語?

 いま「御大」は歌手・北島三郎である。コマで一ヶ月「歌手生活40周年記念公演」 。「アマンド」に楽屋に入り切れぬ客が詰めかける。

 所属レコード会社の社長さんが「御大に会いたい」とやって来る。常識的に考えれ ば「御大」は社長のハズだが、現実は違う。老舗レコード会社が外資の軍門に下る昨今。 レコード関連株に「サブちゃんの去就」が微妙に影響する。一枚看板が「移籍します」 なんて言い出したら、それこそ業界の経済異変である。

 息子さんから「何しろ大変な入り」と聞かされたが、正直言って、演歌不況と聞い ていたから「それほどでもないだろう」と高を括っていた。ところが、切符が取れない。 観光バスで押し掛ける客2000人。補助席も、立ち見も一杯で「取材ですので」と 頼んで楽屋裏の「監事室」で「北島ファミリー、大いに唄う」を見せて貰った。

 圧巻は「北の漁場」。セットの漁船が荒波を激しく上下左右に揺れ回転する。疾 走する船の上で、ウン歳のサブちゃんは歌い、舞台の隅から隅まで走り、疲れを見せない。

 凄ぇ〜なあ……が実感だった。

 楽屋でインタビュー。「40年間も歌い続けたエネルギーの源泉は?」と聞くと 「未完成」と答えた。「芸が未完成だから夢がある」と言う。

 人気のキーワードはファミリーだろう。歌手の山本譲二以下のファミリーが全員集 合。家庭崩壊にやるせない思いを抱く人々は共感する。

 「去る者は追わず、来る者は拒まず」で、公演に関わりのある人は500人、いや 1000人?

   「御大」は倒れる訳にはいかない。

 ここだけの話だが「選挙に出ないの?」と聞くつもりだったが「俺は、そんなに柔 ではない」と言われそうで、質問出来なかった。

 一流は選挙に出ないものだ。

(毎日新聞東京版7月3日夕刊掲載)


“買春”を世話する外交官

 ここだけの話だが、読者の投書は気になる。「馬鹿野郎!死んでしまえ」なんて奴は 気にならない。が、熱心な読者から、突然のお叱りを受けると、やはり気になる。

 今月始め、こんなことを書いた。

 「キャリア外務官僚が19世紀的差別を温存しよ うと“真紀子降ろし”を繰り広げている。僕は、あえてフレー、フレー!真紀子だ」

 真紀子支持を明らかにしたかった。しかし、同時に、こうも書いた。

 「多数の有能で勤勉な外交官(どちらかと言うと若手、ノンキャリア)は想像を絶す るぐらい良く働く」

 たちまち抗議が来た。

 「外務省職員のことを誉めてもらっては困る。徹夜するのは新聞記者も同じじゃない ですか」と言うのだ。いつも「おもしろいので欠かさず読んでいます」と便りをくれる 女性の厳しい指摘。淋しかった。

 確かに、そんな見方もあるだろうが、これじゃあ、世の中、あまりにトゲトゲしいじ ゃないか。

 「投書」は時代を写す鏡。鬱積した国民の怒りが、とてつもないところまで膨らんで いるのかも知らない。真紀子人気に不気味なものを感じて、しばらく「真紀子VS外務 官僚」には触れない、と自重した。

 だが、待てよ。

 もし、異常な雰囲気に恐れをなし、何も言わないでいるとアレもコレも「19世紀的 差別の外務官僚」の手で封印されてしまう。それでなくても真紀子人気とは裏腹に、真 紀子更迭の筋書きが進んでいる。

 女性大臣の感性に期待出来るうちに言うべきことは言って置きたい。

 まず書きたいのは「在外公館職員の屈辱的な仕事」についてである。彼らは恒常的に 日本からやって来る客を案内する。国会議員、地方議員の見学ツアー、政治家が紹介し た人物……想像を絶するのだが、そこに「女性を世話する仕事」が生まれる。「俺の仕 事は女衒か」と吐き捨てた在外公館の職員もいる。

 天皇陛下から任命された「特命全権大使」の下で、行われる奇妙にして恥じるべき仕 事。それは買春。

 真紀子外相に「女性の感性」があるのなら「買春厳禁」を命じて欲しい。外務省の心 ある人々は、密かに改革を望んでいるのだから。

(毎日新聞東京版6月26日夕刊掲載)


ひばりと特ダネ記者

 古い話で恐縮だが、美空ひばりが小林旭と離婚したのは1964年6月だった。(昨今 「美空ひばり」を知らない若者がいる。小林旭? 石原裕次郎のライバル。エッ、裕次 郎を知らない? 都知事の弟、と説明しなければならないほど古〜い話だ)

 ひばりが体調を崩し、入院したまま別居。そのまま別れた。田岡一雄・山口組長が間 に入って「理解離婚」と説明した奇妙な離別。それ以来、二人は会うことはなかった。 任侠の人が間に立ったのだ。同じ芸能界で生きても、顔を合わせることはない。古い時 代、古い世界だった。

 それが、である。12年後、二人は密かに再会、その写真がスポニチにすっぱ抜かれ た。当時、駆け出しの僕は記事を読んで身震いした。逆立ちしたって取れないネタであ る。

 何があったのか。

 6月24日はひばりの13回忌。出版された「美空ひばり『涙の河』を越えて」(小 西良太郎著、光文社刊)が「秘密」を明かしてくれた。

 1976年8月9日、ひばりは九州・飯塚音楽祭に出演。終わってから母・喜美枝さ ん、付き人数人と博多・西鉄グランドホテルで食事をした。トイレから戻ったひばりが 「妙な人と会っちゃったよ、おふくろ」。その後にテレ臭そうに肩をすくめた小林旭。 再会は全くの偶然だった。

 だが、その場にスポニチの記者・小西さんが立っていた。彼はひばりの九州行きに同 行した記者兼付き人的存在だった。彼は記者クラブで発表モノを書く記者ではない。対 象に深く深く食い込み、書く男だった。

 ところが、彼にもドジがある。カメラを持っていないなかったのだ。記事は書けても 、写真は撮れない。

 「お母さん、今日は実にめでたい夜だ。でももう時間も時間だ。あす、東京でこの続 きをやりましょうよ」と彼は唐突に提案した。そこにいた人々がどんな思いで、その提 案を聞いたか分からない。しかし、翌日、東京・六本木の小料理屋で「再会の宴」が写 真に収められた。

 それは「クラブ無用の記者」が放った時代の特ダネだった。

 ここだけの話だが、この写真を手にしたひばりは一応、目を通したあと無言で引き裂 いた。彼女に去来した激情…これだけは「謎」である。

(毎日新聞東京版6月19日夕刊掲載)


「いつ辞めても良いんだ」

 親しい外務官僚と意見が合わず閉口した。例の外交機密費である。

 税金の使い道はすべて納税者に知らされる。外交に関する金も当然である。しかし 、機密費の性格上、使った翌年に開示するわけにも行くまい。そこで20年とか30年 とか、一定の時間を経て開示する。外交文書と同じ扱いをすればいい」というのが、 僕の意見である。

 キャリア氏は「それは素人の考えだ」と言う。20年、30年たっても金銭授受が明 らかになれば、協力者の名誉を毀損する。この種の金が公開されると日本国に協力す る人物はいなくなるゾ」

 多分、スパイに払う金のことをいうのだろう。彼は具体的に「人命に関わる国際事件 を金で解決した事例」をあげ、秘匿の必要を強調した。

 某国の皇太子が赤坂でドンチャン騒ぎ。挙げ句の果てに、料金を踏み倒して帰国して しまった。帰国後「払え」「払わない」のトラブルになり、結局、外交機密費で片を付 けた。「こんなことでも、20年後に公開されたら国際紛争の火種になる」と玄人は冗 談めかして話した。

 本当だろうか。ここだけの話だが素人の僕には「こじつけ」としか思えなかった。

 間もなく、彼の言い分は理論的に破綻した。真紀子VS外務官僚のバトルで頭脳明晰 な彼らのオツムが正常に働かなくなったのだろう。外務官僚が外相会談の中身を次々に リークした。

 「田中外相の非常識」をアピールするためだろう。新聞に「真紀子のドジ」が報じら れると、外務官僚が「報道は事実。これ、この通り」と外相会談議事録を記者に提示す る。

 会談の中身は高度の機密事項ではないのか。相手国に対する「機密保持」の約束 など、微塵もない。

 「機密」を勝手に漏らして「やった、やった」とはしゃぐ外務官僚。彼らが守るとい う我が国に「機密費を使うほどの機密」なんて、実は存在しないのではないのか。

 喧嘩に素人(失礼?)な外務次官は「俺はいつ辞めても良い」と開き直っているよう だが、彼が言うべきは「外交機密費なんて、いつ辞めてもいい」ーーではないのかなぁ ?

(毎日新聞東京版6月12日夕刊掲載)


「伏魔殿」のお殿様

 10日前、親しいキャリア外務官僚と夕食を共にした時である。

 「これほど外務省が国民に嫌われているとは思わなかった」。不毛な田中外相VS 外務省につくづく嫌気がさした、という顔つきだった。

 外相は「伏魔殿」という言葉を使って、外務省のイメージをこてんぱんにダウンさ せた。気の毒に、と思った。圧倒的多数の「有能で勤勉な外交官(どちらかと言うと若 手、ノンキャリア)」に対して心底、気の毒に思う。これは「外交の現場」の人間にとっ て、やるせない表現だろう。

 彼らは想像を絶するぐらい良く働く。時差の関係で仕事は深夜に及ぶ。昼間は難し い国内調整が待っている。海外にも、国内にもカウンターパートがいる。彼らは精一杯 だ。

 外相の言葉は酷である。

 だからと言って「伏魔殿」的な現状が存在しないかと言えば、そうでもない。「伏 魔殿」を許す身分差別が外務省に根強く巣くっている。

 友人が南アジア某国の日本人学校の教師に赴任した。そこで見た日本人社会。「ま るでお殿さま、お姫さまと家来だ」。日本人学校の教師まで大使夫人の私用にこき使わ れた。

 ここだけの話だが、車内小ギャルも真っ青の光景を目にしてしまった。日米首 脳会談が終わった翌日、首相同行のメンバーが「ご苦労様」のパーティを開いた。メイ ンテーブルに首相夫妻、駐米大使夫妻、同行記者団は隣のテーブルだった。

 大使夫人が食事の最中、突如、ハンドバックから化粧品を取り出し、入念にお化粧 を始めた。首相夫妻の前である。

 キャリア外務官僚(あくまでも一部だと思いたいが)は「首相より、駐米大使が格 上」と思っている。だからこんな立ち振る舞いが出来る。

 外交官試験に早々と合格し、東大中退で外務省に入った人間は他の人間とは頭が違 う、と自惚れている。僕に言わせれば、単に試験技術に長け、運が良かっただけだ。そ れが証拠に語学はノンキャリアの方が上手との噂がもっぱらだ。

 田中外相の「十把一絡け」の外務官僚悪者論には異を唱えたい。が、一部のキャリ ア外務官僚がこの「19世紀的差別」を温存しようと必死に“真紀子降ろし”の世論操 作を繰り広げている。

 あえてフレー、フレー!真紀子だ。せめて大使クラスに常識のある民間人が登用さ れる「その日」まで。

(毎日新聞東京版6月5日夕刊掲載)


殿下がニヤリと笑った

 1982年9月4日だったと思う。

 この日「この男」は箱根にいた。昼、堺屋太一や三遊亭円楽の講演を聞いた後、夜 は懇談会。記憶があいまいで出席者の数ははっきりしないが、ただ会場で「この男」を 探すのに苦労するほど混雑していた。

 秘書から「番記者の皆さん、記念写真を取ります」と言われ、僕も「この男」の後 ろに立った。あとは酒、カラオケ。駐車場に「この男」のベンツが留まっているのを確 認し、僕も酒を飲んだ。

 記念写真は手の込んだアリバイ工作だった。記念写真が終わると、彼は誰にも気づ かれず、秘書も連れずタクシーで箱根の山を下った。

 御殿場には明治29年11月13日生まれの「昭和の妖怪」岸信介が彼を待ってい た。「鈴木(善幸首相)クンでは日米が閉息状態になってしまう。君しかいない」と口 説いた。「この男」河本敏夫が「天下盗り」を決意した瞬間だった。闇将軍・田中角栄 はこの時、まだ鈴木再選を支持していた。

 一ヶ月後、僕は一人で広島グランドホテルで河本さんがやって来るのを待っていた。 政局の焦点は彼の去就に集まっていた。「立ちますか?」と聞くと「君がそう思うの なら、書けばいい」と無表情で漏らした。いつもの「笑わん殿下」だった。

 翌朝、毎日新聞朝刊に「河本氏、出馬固める」というスクープ記事が載ると、集まっ た記者に「牧君がそう思ったのだろう」とだけ話した。

 総裁予備選が実現し、中曽根VS河本の戦いになった頃、僕は彼の隠れた一面を書 いた。当時、彼は一日一升、牛乳を飲んでいた。それは他の記者でも書いただろう。

 しかし、僕はそれには「秘密」がある、と睨んだ。若い頃、彼は大酒飲みだった。 代議士になって上京した時、彼は酔った勢いでタクシーの運転手を殴り、築地警察署に 逮捕された。以来、酒は牛乳に変わった。

 この記事が出た朝、経済企画庁長官室の前で「いらぬことを書いて!」と怒鳴った。 珍しいことだったが「まあ、いいか。バランスだからな。君は中曽根君の悪口も書い てるからな」とニヤッと笑った。

 ここだけの話だが、今月24日、89歳でなくなった河本敏夫さんが笑ったのを見 たのは、この時だけである。

(毎日新聞東京版5月30日夕刊掲載)


塩爺と真紀子

 遅ればせながら、話題のWEB「史上最高のなごみ系癒し系大臣・FORZA!塩爺!」(がんばれ!塩川正十郎財務相)を読んだ。

 凄い。これほど賛美された爺さんに出会ったことはない。

 例えば「まろ味と深さであれよの間に注目された塩爺さん『ご奉公させていただく』の発言に思わず背筋を伸ばしてしまいました」

 「今の日本で忘れられている美点。いろいろ発見しますよね?下手な教育改革より一人の塩爺」

 「花咲爺さんも、裏の畑のポチの爺さんも皆正直爺さんでした。日本に花を咲かせてほしい」

 79歳の大臣に若者から微笑ましいメッセージが殺到している。

 「テレビの塩爺」を観察すると、彼の魅力が分かる。相手の話を良〜く聞く。時間をかけて良〜く聞く。

 「伸介さんが、おっしゃる通り」という台詞が自然に出る。この番組で「センセイがおっしゃる通り」と ゲストの学者先生にゴマをする政治家はいたけれど、司会のお笑いタレント・伸介さんの存在は政治家に無視されていた。

 塩爺は伸介さんに話しかけた。これはたまらない魅力だ。

 こんな人柄だから、過去の言動に関しても「忘れてしまいましたぁ」で世間が許す。単なる「歳の功」を越えたキャラクターだ。

 応援メッセージの中に「『田中さん』のアクセントが一瞬、外相のことを忘れさせますね」というのがあった。

 今、小泉内閣の看板娘・田中真紀子外相は塩爺と“対極点”に位置している。好々爺とじゃじゃ馬? その真紀子さんに話題が移ると「困った娘だけれど……わしゃ、責任持って真相を聞いておきますワ」といった “決意とゆとり”をアクセントににじませる。名料理人の和み味?

 人柄最悪、外交素人、嘘つきーー彼女に対する集中砲火は外務官僚のリークで激しさを増す。 ここだけの話だが、外交官試験に通れば一生保証された、と勘違いしている外務官僚を少なからず目撃した。 彼らを一掃するには「真紀子の初志貫徹」しかないーーとなれば、この内閣に“塩爺の隠し味”は欠かせない。

(毎日新聞東京版5月22日夕刊掲載)


「しりとり俳句」をしよう!

 「メル友殺人」が立て続けに起っている。「理解出来ない」と言った調子でテレビ のワイドショーが報じるが、これ、別に不思議ではない。

 メールは現代の「相聞歌」だから仕方がない。

 万葉の昔、宮廷の女性は恋いこがれる男性に和歌を送って、想いを打ち明けた。男 にその気がなければ無視すればいい。その気がある男は返歌をしたため男女関係が生ま れる。57577は「相聞歌」。「あいぎこえ」と呼ばれたラブレターだった。

 多分、メールは「あいぎこえ」。思い詰めれば人情沙汰が起きる。

 しかし、一途な和歌ばかりでは、人間、息が詰まる。そもそも恋心なんて縁のない 人もいる。

 そこで和歌を恋歌ではなく、57577の“言葉遊び”にしようとする動きが生ま れた。「575」を一人が作り、他の人が「77」を続ける。連歌(れんが)である。 室町、鎌倉時代、連歌は大流行した。

 江戸に入って連歌の変形が生まれる。「575」の最後の5文字を取って“しりと り”をする。

 「古池や 蛙飛び込む 水の音」なら「水の音 ××××××× ×××××」と“ しりとり”をする。「しりとり俳句」である。

 芭蕉、一茶、蕪村の学究的な俳句に対して、遊び心の人は「しりとり俳句」を好ん だーーとここまで教えてくれたのは友人の俳人・石寒太。小社の雑誌「俳句αあるふぁ」 の編集長である。本名・石倉昌治。お師匠の加藤楸邨さんに「とても倉が建つとも思 えないから石だけにしておけ」と命名された人物である。

 二人で話しているうちに「余裕の言葉遊びをWEBでやって見よう」と意見が一致 した。牧太郎のホームページに「石寒太のしりとり俳句塾」のページを作った。

 誰でも、楽しめる“メール俳句遊び”に参加してくれ。日本語を大事にする訓練に もなると思う。参加費なし。優秀な作品は「俳句αあるふぁ」に掲載される。

 詳しくは同誌122 ページ。スタート句は「葉桜や 家族で歩く 土手長し」。 ここだけの話だが、恥ずかしながら、ひねりにひねった僕の作品である。

(毎日新聞東京版5月15日夕刊掲載)


「○○一筋」の朝日は……

 春は勲章の季節。NHKニュースでアナウンサーが「この道一筋に贈られる春の褒章。 今年は……」と放送している。

 この道一筋。美しい言葉だが、人間、それほど「一筋」になれるのか。

 「本当かなあ?」と友人に話すと「天下のNHKがそう言っているのだから、そうなん だろう。お世辞のつもりで言っている冠言葉だろう」。

 しかし、今時「一筋」は“お世辞”にもなっていない。「人生二毛作」と言う人もい る。「職業より趣味」という人もいる。第一、知り合いの受賞者が「一筋と言われると 柔軟性がない人間のように誤解されて、いい気持ちじゃぁない」と言っている。

 「お上の言う通り我慢した一生」と受け取られたら受賞者に気の毒ではないか。民 放はすでに「一筋云々」の表現は使っていない。

 昔ながらの慣用句を平気で使う「天下のNHK」って古い。

 「天下の○○」はどうにも古い。

 同業他社にケチを付ける。ここだけの話、天下の朝日はもっと古い。

 小泉内閣誕生の翌日の社会面。「靖国神社公式参拝についての閣僚の意見」なる表を 掲載している。

 16閣僚が「公式参拝するか?」という質問に答えている。×が「しない」。□が「 私人として参拝」。△が「その他」。記事を読むと16閣僚うち「公式参拝する」と答 えたのはゼロである、という。

 この種の靖国アンケート、朝日はことのほか大好きで、ことある度に実施する。閣僚 の方は「しない」「慎重に検討したい」と判を押したように答える。

 本音とかなり違うから意味がない答えだが、朝日は「靖国報道一筋の記事」と心得て いるのだろう。

 記事の内容も古臭いが、それより「取材のやり方」が端迷惑である。

 就任記者会見で朝日の記者がすべての閣僚に「公式参拝するか?」と次から次へと質 問する。国民がメディアを通じて知りたいことが他に沢山あるのに、朝日の「一筋の質 問」に時間を取られ、気がつけば質問時間がなくなる。それほど、やりたければ独自に 取材すればいいのに。

 頑固者の「天下の朝日」は21世紀に似合わない存在である。

(毎日新聞東京版5月8日夕刊掲載)


浅草を「荷風」と歩く

 休みが続くと「無料」の“ありがたさ”がよ〜く分かる。

 壮大なレジャー計画があれば、連休は強い味方だが、そうでもないと休日を持ち余 す。

 第一、カネがかかる。旅行に行けば、それ相応に。外食すれば、それ相応に。音 楽会、サッカー、野球、歌舞伎、寄席、競馬、競輪…カネがかかる。

 何が安上がりか? かなり真剣に考えた末「歩く」しかない、という結論に達した。 健康に良い。負担と言えば靴の底が減るぐらいだ。そして「無料」を利用するのだ。

 某日、歩く先輩・永井荷風の浅草・下町写真展が開かれている、と聞いて覗いてみ た。
(東京都台東区西浅草2、テプコ浅草館・6月3日まで。連絡先03−4463ー 8422)。自宅から約2キロ。もちろん無料である。

 日記文学の最高峰「断腸亭日乗」の永井荷風(1879〜1959)は、下駄履き で、買い物篭をぶら下げて、町を歩く「元祖・変人」。

 写真展で、おもしろいものを幾つか発見した。彼の臍の緒。袋にアルファベットが 書いてある。入場料・大人55円と書かれた映画「踊子」のポスター。時代ものだが図 柄が斬新。入り浸ったストリップ小屋「ロック座」の楽屋。荷風先生、うれしそうだ。

 毎日通った洋食屋、どじょう屋、そば屋の「証言」数々。彼の好物。タンシチュー とグラタン、かしわ南蛮、銚子1本。「踊り子を連れて来たが、男には絶対、おごらな かった」

 ここテプコ浅草館には浅草、上野の地図もあり便利。もちろん無料。

 その帰り、仲見世通りの裏道で、スキンヘッドの紳士に声をかけられた。

 三つ揃いの背広。大柄な男である。

 「怪我でもしたのかい?」「脳卒中の後遺症さ」「そうかい。残念だね。でも歩く のは良い。俺、この通り」と、全く面識のない男はポケットから万歩計を取り出した。  14076歩。

 「凄い」と僕は唸った。彼は太い眉をピクピクさせて自慢げに笑顔を見せる。どこ かで、見たような気がするのだが、誰だったか、分からない。

 「太っているのに、良く歩くネ」と質問すると、もう彼は友達になった気分で「8 2キロ。昔は110キロだった」「それじゃ、相撲取りじゃないか」「ウン、昔、相撲 やってたんだ。栃若の時代。吉葉山もいたネ」

 そこまで聞いて、僕はこの人物の四股名を思い出した。

 「俺、今日、72歳になったんだ。誰かに、そう言いたくて、声をかけた。元気で な」と去っていく小兵・鶴ヶ嶺。彼も「歩く荷風」だった。

(毎日新聞東京版5月1日夕刊掲載)


日本はいい(加減な)国だ

 雑誌の一頁広告。白地に「日本はいい国だ」というキャッチコピーが踊っている。

 ひょっとして「天下党のコピーかな?」と思って見ると、小さく「自慢の銘柄米、こ しひかり。名水百選、白水村の湧き水。米の国、水の国。日本はいい国だ」とある。

 なーんだ。米焼酎の広告。お酒を造るには「いい国」。特定の分野では、確かに日本 は「いい国」なのだろう。

 だが、待てよ。

 日本は「いい(加減な)国」でもある。特定な人々に取って「いい国」だが、全体と しては極めて「いい加減な国」に成り下がっている。

 例えば公的資金。昨年末までに銀行に投入した公的資金は26兆円強。銀行はこの” 血税”で生き延びている。

 取り付け騒ぎがない日本国は「いい国」であるが、疑問は数々、ござる。

 銀行に公的資金を投入すべきか、否か、は判断の分かれるところだ。だから、その議 論は脇に置く。しかし、明らかに「いい加減」なことがある。

 銀行員の給与である。“大昔の話”になるが1990年春、サンデー毎日の編集長だ った僕は「銀行員の給料は高すぎる」というキャンペーンを展開した。ここだけの話だ が、毎日新聞社のメインバンクの幹部から「偏った報道だ。そんなことを書けば出世出 来ないゾ」とさんざん批判された。 が、一般の読者からは「高すぎます」という“応 援の手紙”が殺到した。

 この頃の記憶では、大手都銀の大卒30歳が1000万円、35歳で1500万円だ った。親しくなったメインバンクの幹部に「こんな高給を払っていたら銀行は潰れるぞ 」と話したのを覚えている。

 10年以上たった。未曾有の大不況。かなりの銀行が破産状態で公的資金で生き延び ている。当然、銀行員の給与体系は大幅にダウンしたハズである。

 しかし、そうでもないらしい。銀行に勤める友人は「給料も下がったし、リストラも 激しい」とぼやいているが、一部の金融ジャーナリストは「相変わらずの高給」と批判 している。どちらが本当なのか?

 昨年度、1万9千件の倒産。路頭に迷う人々が増え続けているのに、銀行員の給料が 公的資金で守られている。

 銀行員の給料は高いのか。国民には知る権利がある。公的資金を受け取っている銀行 の給与体系を金融監督庁は情報開示すべきだ。

 この夕刊が、お手元に届く頃には、多分「いい国」を目指す自民党新総裁が誕生して いる。彼にまず「不平等でない国」を期待したいのだが…。

(毎日新聞東京版4月24日夕刊掲載)

キャスティングボート

 麻生太郎さんは当選しそうもないのに、何故、自民党総裁選に立候補したのか?

 それは彼の“公約”だからだ。

 彼が初めて衆院議員に立候補した1979年、福岡県飯塚市に2週間、滞在して「吉 田茂の孫」の代議士誕生を取材をした時、麻生さんは僕に漫画本「ゴルゴ13」が山積 みになった書斎で「21世紀には総理大臣になる。これは俺の公約だ」と話した。

 “公約”を実行するのは結構なことだ。

 亀井静香さんは“勝つ可能性”が薄いのに、何故、立候補したのか?

 中曽根さんが強く出馬を勧めたことに動かされたかも知れない。が、推測すれば、彼 の場合、casting voteを握りたい、と思ったからだろう。

 casting voteとは「議案の採決に当たって賛成と反対が同数になった時 、議長が行使する決定投票」のことである。二大勢力が伯仲した場合、第三の小数派が 可否を左右する。その“決定権”を亀井さんは握りたいので立候補した。

 分かりやすく言えば、亀井さんはキャスティングボートを握ることで「幹事長」のポス トをもぎ取りたい。彼の思惑が成功すれば「総裁」は誰になるか、いまだ判然としない が「幹事長」はすでに決まっている(ということにもなる)。

 キャスティングボートとは、そういうものだ。

 自民党にキャスティングボートがあるように、日本の政治そのものに、キャスティン グボートが存在する。

 僕の見るところ、その“決定投票権”は公明党にある。「森さんでは困る」と言って 、自民党総裁選をやらせたたのは公明党である。このところ、自民党はいつも「公明党 の顔色」をうかがっている。その公明党は「宗教法人・創価学会」が実質的なスポンサ ーだから、日本のキャスティングボートを握るのは「創価学会の池田さんではないか」 と短絡的に思う人もあるいはいるかも知れない。

 総裁選が始まったら、各候補は自民・保守・公明の与党体制を維持するべきか、その 一点で、激論が展開されるものと思っていた。連立与党は目指すところが一致している のか。まるで違うのか。

 国会中での「数」を補うために、連立相手の術中?にはまっていいいのか。総裁選で は特に「公明党との距離間」が大きな争点になると思ったのだが、4候補はこれに触れ ようとしない。

 メディアも候補者に質問しようともしない。何故だ!

 断じて「経済再生」だけが、総裁選の論点ではない。

(毎日新聞東京版4月17日夕刊掲載)


不景気だから離婚

 【問題】人間、長生きすれば□多き。□のところに適当な言葉を入れよーーと、まあ、こんな問題があったとしよう。(お暇だったら、皆さんも、読み進む前に、問題に答えてはいかが)

 さて、僕の周辺の答えは?

 ・恥。これは格言にもある。一番、多い答えだった。

   ・欲。これも「恥」と同じような発想から浮かぶのだろう。あの人も、この人も「欲」で晩節を汚した。

   ・病。まったく新しい病気が次々に登場するから、これも理解できる。

   ・夢。長生きすることはそれだけで「可能性」があると言うことだから、これも喜ばしい答である。

 ・貯え。こう答えてくれた人は「年を取ると、信頼出来るのは金だけ。まして、デフレになればこの傾向は強くなる」と解説した。なるほど。

 ・涙。これは人によるが、医学的にも「脳卒中後遺症は涙もろい」が証明されている。

 ・怒り。昨今の無責任には、日本人、誰でもが腹を立ている。

 ・離婚。この答には、頭をひねった。長生きすれば、離婚多しーー果たして、そうなのだろうか。

 僕は国会に“離婚の権威”円より子さんを尋ねた。1979年「ニコニコ離婚講座」を開設した彼女は細川元首相に勧められ、93年から参議院議員になっている。(“離婚の権威”と書いたが、予算委員会での質問ぶりは、もはや財政・経済の専門家でもある)

 「平均年齢が伸び、人生80年時代になると、生涯時間は70万時間。成人後の53万時間のうち単純計算すると17万時間が自由時間になる」。

 平均的なライフサイクル表を示して彼女が説明する自由時間とは、子育て後の「夫婦の時間」。この時間に互いに生きる意味合いを失った夫婦が増える。自由時間の増大は人生をやり直すキッカケになる、と言うのが彼女の見方だ。

 でも、この不景気。経済的に離婚したくても離婚できないのでは?」と質問すると「景気と関係なく、2000年、26万2000組が離婚しています。史上最高ですよ」

 ただ、バブル時期の「離婚を考える理由」と不景気時の理由は大分、違う。

 ここだけの話、バブル時は「価値感、人生目標が違う」「相性が悪い」といった抽象的な理由で離婚に走った。それこそ、子供が進学する中学校を私立にするか、公立にするかで離婚になった。

 不景気になると、離婚理由が極めて具体的になる。「夫の経済力のなさ」「夫の不貞」「夫の暴力」。

 嗚々、長生きすれば、不景気離婚多し。(ちなみに「ニコニコ離婚講座」の連絡は 03-3261-1835)

 
(毎日新聞東京版4月10日夕刊掲載)


「インターネット病」

 ここだけの話だが、新聞記者が「新聞の悪口」を書くのには覚悟がいる。まして 所属する新聞社の悪口を書く時は、家族に「お前ら、路頭に迷うかもしれないぞ」と冗 談めかして話す。

 悪口を書かれた仲間から「この野郎!何も分からない癖に」と怨まれる。「良く 指摘してくれた」なんて、器の大きいところを見せる上司でさえ、内心「何も会社を傷 つけることを書かなくても……協調性に欠けるんだな」。「人事異動が楽しみだ」と舌 舐めずりする奴だっているかも知れない。

 だが、考えてみると、新聞が「他人の悪口」を書かない日はない。記者によって は「内部告発をして下さい」と“扇動”している奴もいる。ともかく新聞記者は「悪口 の名手」だ。

 ところが、である。ひとたび「自分たちの悪口」を書かれると烈火のごとく怒 る。新聞社って勝手だ。

 だから、これから書くのは毎日新聞の悪口ではない。断じてない。世間一般にあ りがちな事を書くのだ。(すでに新聞の悪口を散々書いているような気もするが……ま あ、いいや)

 その「悪口ではないけれど、改善した方がいいのでは…」と僕が思ったのは…… 先月28日、厚生労働省が「非加熱製剤を使った病院803機関」を公表した時の“対 応”である。この医療機関で1972年から88年まで、新生児出血症や出産時の大量 出血などで止血剤として非加熱製剤を投与された人に、厚生労働省は肝炎検査の受診を 呼びかけるーーという記事である。

 記事が載った直後、僕のホームページに「不親切です」という書き込みがあっ た。毎日新聞には全国の医療機関のうち、この読者の住む地区の新聞では「東京の病院」 しか載っていない。手術後、他県に移り住んだ人もいるのに「あとはインターネットで 見てください」という記事である。

 これは「不親切」である。僕には新聞購読の契約をしている人に対する義務違反 のように思えて仕方ないのだ。

 確かに全国の名前を掲載したら新聞の1ページ分。他の情報を大幅に削らなけれ ばならない。しかし、これは命に関わる情報だ。載せるべきだ。

 これが悪口でない理由を述べよう。

 世の中に「インターネット万能病」が蔓延している。 インターネットに載せれば、それで良し、と、世の中が勘違いしている。

 このメディアには「格差」がある。パソコンが買えない、使えない。プロバイ ダーと契約する費用がない。通信料が高すぎる。だからインターネットと無縁な人は沢山 いる。

 毎日新聞は「インターネット万能病」にかかりそうになっただけだ。偶然だと は、思うが、この原稿を出稿した後、毎日新聞3日朝刊に全施設の名前が載った。毎日 新聞は回復に向かった。

(毎日新聞東京版4月3日夕刊掲載)

「議場のメール論争」裏の裏

 語るに落ちた、と言うのは失礼になるかも知れない。が、国会のメール騒ぎ。あれは 語るに落ちた。

 3月23日の衆議院議会運営委員会。民主党の伊藤忠治理事が「最近、本会議で携帯 電話でメールのやり取りをしている議員がいる。テレビに映ったりして見苦しい」と発 言した。

 いるいる。最前列のメール議員。議席の下で携帯電話を使ってメールを送受信。イン ターネットでニュースを見たりしている。まるで高校生のようだ。

 さすがにゲームに興じている人はいないようだが、まあ長時間、議場に“軟禁”され ている議員センセイが時間の有効利用に(あるいはストレス解消に)メールを使うのは 極めて人間的、という見方だって出来る。

 しかし、正式な議論になれば捨て置く訳にもいかない。委員長は「秩序が乱れ、緊張 感が無くなる」とおっしゃり、各党に自粛要請と相成った。

 昨年7月、臨時国会の開会式で天皇陛下がお言葉を述べている最中に着メロが鳴りだ したハプニング。その時も携帯電話使用禁止を確認した。まあ、常識で考えればいいこ とではあるが……。

 ところが、若干、今回は違う。「メールぐらいいいじゃないか。事務所と緊急連絡す るのには秘書のメモより、便利だ」と言う意見が出てきた。挙句の果てに「本会議で、 いつも居眠りをしている先輩もいる。緊張感がないのは向こうの方だ」という本音も漏 れ聞こえてきた。

 「俺の居眠りは健康維持だ」と開き直りたい御仁もいたというが、この騒動、語るに 落ちた。

 今の国会、緊張感は皆無である。

 内閣不信任決議案を堂々と否決、森首相を信任した直後に「信任した訳ではない」と 森さんに辞任を迫る。そのまた直後の問責決議案採決では知らない顔で、また堂々の信 任をする。国会の空洞化はとどまるところを知らない。居眠りしたって、メールをしたっ て、それこそ、ゲームをしたって、誰からも文句が出ないハズである。

 ここだけの話だが、小選挙区制が始まってから、議員センセイの勤務先は国会ではな く選挙区になった。首都圏の議員は朝、委員会に顔を出し、途中から選挙区に取って返し 選挙運動。夕方、委員会に戻って来る。これを「中抜き登院」と言う。

 複数の当選者が出る中選挙区制では党の公認を取れば幾分、戦況は有利になる。少し は余裕のある議員生活が保証されるが、一人しか当選できない小選挙区制ではそうもい かない。

 365日、朝から深夜まで選挙運動。勘繰ると、議場から送受信されるメールは、幅 広い選挙運動なのかもしれない。

(毎日新聞東京版3月27日夕刊掲載)


「二代目」ばかりで

 時々だが、安倍晋三官房副長官のホームページを読んでいる。お父さんの故晋太郎さ んと取材上のお付き合いがあったので、彼には親近感がある。

 神戸製鋼所のサラリーマンから外務大臣秘書官になった頃、何度か食事をしたことも ある。

 その彼が去年夏、森内閣の官房副長官になった。ホームページで「官邸からも言わせ てほしい!」というコラムを始めた。発言する官邸。期待した。

 ところが2月1日からHPの更新がスットプした。えひめ丸事件が起こり“森降ろし ”の大合唱。HPのコラムを書く時間なんてないのだろう。「加藤の乱」のドジでHP からファンが逃げた加藤紘一さんでも、更新は続けているから、猛烈に忙しいのだろう 。

 その晋三さんの最後の「官邸にも言わせてほしい!」のテーマは、年明けの首相アフ リカ・ギリシャ訪問。同行した新聞記者の記事が「意図的に森さんをおとしめている」 と彼は憤激する。「“森さんは棒読み”と書いているが、そんなことはない。事実関係 が間違っているばかりか、ほとんど作り話だ」とコテンパン。

 彼は何度もマスコミ(主に首相番記者)との不仲、誤解、誤報を取り上げている。

 森さんが事実上の退陣を表明した翌11日朝、テレビに出演した彼は「森さんが追い 込まれたのはマスコミが(退陣決意を)先走って報道したのが原因」と彼は話した。

 情けないじゃ、ないか。

 まるでイジメに合っている子供が先生に「悪いのは、あの子です」と言いつけている ような光景だ。

 ここだけの話だが、今の国会は「イジメの世界」。衆院の予算委員会はゴルフ不祥事 の話ばかり。「誤れ!」「辞めろ!」。ゴルフ不祥事の本質は始から分かり切っている から、これ以上追及しても時間の無駄なのだが、次から次に挑発する。新聞を読む限り 、予算案の本質的な議論はまるでない。

 内閣不信任案を否決する前に「これは信任ではない」とヌケヌケと断り、その後で、 自分の選挙のために「不人気な森」を降ろす。イジメの後は私利私欲の談合。どうしよ もない理不尽な奴らが国会(の機能)を殺した。

 森内閣は「二代目官邸」だった。森さんは町長の倅。福田康夫官房長官は総理大臣の 倅。安倍晋三さんは外務大臣の倅。崩壊の原因の一つ(あくまでも一つだが)は、スピ ードが遅い、民意が分からない、イジメに弱い「お殿様の弱さ」だった。

 そして、森さんを引きずり降ろしてホッとしている陣営も二代目ばかり。政治を「家 業」と心得る人たちが「日本の落日」を呆然と見送るだけ……なんてことのないように お願いしたい。

(毎日新聞東京版3月13日夕刊掲載)


「生理」は汚らわしいのか

 「つばなれ」は寄席芸人の隠語。数が十以上のことである。

 物を数える時、一つ、二つと九までは「つ」が付くが、十以上は「つ」が付かない。 芸人が客席を覗いて、指を折る。「一つ、二つ、三つ……今日も、つばなれない」と タメ息をつく。

 先週末“つばなれない現場”に遭遇した。

 東京のJR中野駅北口にある「中野武蔵野ホール」。寄席ではなく、ここは映画館 である。出しものはドキュメンタリー「夢は時をこえてーー津田梅子が紡いだ絆」(入 場料1000円、3月23日まで)である。

 津田塾大の創始者・津田梅子の足跡を記録した「2000年度キネマ旬報文化映画 部門第一位」の作品。先輩から「男女問題を勉強するのに見ておいて損はない」と言わ れ足を運んだ。

 初日の第2回目の上映。つばなれない。73席に客は僕のほかに一人。これでは映 画技師とモギリの女性の給料もままならない。

 映画は1984年冬、大学の屋根裏部屋から数百通の手紙が発見されたところから 始まる。梅子がアメリカの育ての親にあてた手紙である。

 1864年、江戸に生まれた梅子は6歳の時、明治政府から女子留学生としてアメ リカに派遣された。6歳の少女が両親と別れて二ヶ月の船旅。アメリカ人の家庭に預け られる。

 日本への憧れを胸に18歳の時、彼女は帰国する。が、たちまち「憧れ」は裏切ら れた。礼儀知らずの男たち。女性の地位の低さ。無責任な官僚主義。家と家の結婚。ア メリカでは考えられなかった事ばかりーー彼女は「女子高等教育」に目覚める。手紙に は、その熱い思いが記されている。

 正直言って「教科書のような作品」で、客を呼べる作品では断じてない。

 しかし、待てよ!と思った。商業主義に背を向け、採算度外視で上映する興行主の 意図が少しだが分かった。

 女性は強くなった、と言うけれど、果たしてそうだろうか。例えば皇室。

 ここだけの話だが、僕は最近、ある皇室ジャーナリストから、こんな事を聞かされ た。「春分の日に皇居で春季皇霊祭が行われる。ご先祖祭だ。雅子さまの体調をチェッ クする大切な日になるんだ。女性は生理を迎えると皇霊殿に入ることが出来ない」

 驚いた。皇室には男女差別を残すことがいろいろとあるが、この場合の問題は「生 理は汚らわしい」と発想である。

 「日本の伝統文化」で片付けるつもりだろうが、19世紀の女性蔑視を持ち続ける と言われても仕方ない。

 一方で「おめでた報道」に無分別なメディア。

 「教科書的な民主主義」を学ばねばならないのは、彼らではないか。

(毎日新聞東京版3月6日夕刊掲載)


み節 to stretch

 ここだけの話だが、今日の「ここだけの話」は新聞を横にしたり、縦にしたりして読 んでいただく。乞うご協力。何しろ不得意なEnglishを書くので当方、緊張している。

 ホームページを始めてから7ヵ月経った。やっと定期読者も出来て、web日記を書 くのにも励みが出る。

 今、世界でホームページは40億。日記サイトは日本列島に約50万。日々の出来事 を綴り、感じたことを訴える「個人発ジャーナリズム」は人気で、他人の日常をのぞき たいという多くの人の「潜在意識」にも応えている。

 僕の場合は新聞・雑誌業界の仲間も見てくれているようで、当方が日記に書いた事柄 が週刊誌に「似たような話」として登場したりする。

 そうなると欲が出る。海外に在住する日本人に読んでもらいたい。(「ここだけの話 」のバックナンバーも載っているので、海外にいるご親戚、ご友人にぜひ宣伝して欲し い)

 次の欲は「外国人に読んでもらいたい」である。英字新聞の記者をやっているア メリカ人青年に「ボランティアで翻訳してくれないか」と頼むと「いや、ホームページ を翻訳するソフトがありますよ」。

 エッ、本当か?

 そこで必死に検索すると「日本語に翻訳するサイト」は存在した。

 Exciteのウェブページ翻訳サービスは、ホームページを瞬時に翻訳すると聞き、試し てみると、半年間の日記や掲示板の書き込みの全てを5秒も待たないうちに翻訳する。 驚いた。

 問題は「翻訳の精度」である。

 日記の一節を例にとると……

 「若い頃、大好きだった『はるみ節』を口ずさみながら帰宅。誕生日の都はるみは多 分××歳」。

 これが「It goes home,humming "み節 to stretch" which was favorite, when young. るみ is xx age probably in the capital of a birthday」と訳されている。

 こりゃ、何だ。

 どうやら、訳すことが出来ない部分は日本語のままになるようだが"み節to stretch "とは、なんじゃ。しばらくしてstretchは「網を張る」という意味と判明。要するに 「張るみ」とサイトは認識したのだ。都はるみが「るみin the capital(都)」は、良く分 かる。

 気まぐれな我が文章の英訳に悪戦苦闘するロボット君。やるせないほど健気なパソコ ンを思わず撫でてやった。

 ちなみに「ここだけの話だが」は although it is the talk here と訳された。僕の ニュアンスでは just between you and me という感じなのだが、まあ、いいか。

(毎日新聞東京版2月27日夕刊掲載)


デフレの大失政

 管理人が若くなった。中小貸しビルの管理人のことである。

 少し前まで、管理人は定年を迎えたサラリーマンが小遣い稼ぎにやっている。そんな 色彩が強かった。それが、である。今や「40代」が主流になっている。

 ビル管理会社の友人は「この業界、ガラリと変わった」とため息を漏らす。

 5年前まで「管理人にでもなるか」と決意する人は、ほとんどが「毎日が日曜日」組 。3K職場で賃金も安い。でも、年金と合算しても所得税がかかるかかからない格好な 仕事。給料も月額20万円程度だった。

 リストラの嵐が吹き荒れてから事情が一変する。

 管理人に「空き」が出ると、新聞の求人広告で募集するのだが、以前は3、4人集ま れば良い方だった。が、いまや3、40人の列が出来る。しかも主流は40代、50代 。グッと若返っている。

 そうなると需要供給のバランスが微妙に崩れ、条件は徐々にダウンする。

 いま管理人の月収は16万円前後。

 「ここだけの話だが、この間、募集したら英語と中国語がしゃべれる元商社マンがい たのにビックリしました」。

 仕事がない。何でも良いから仕事をくれ。収入に贅沢は言えないーーと言う悲鳴が聞 こえてくる。

 給料のデフレ。年金のない40代が、この収入では食べるのがやっとだ。

 当然ながら50代、60代の就職はより険しい。

 「昼飯のデフレ」が始まった。最寄り駅の前で「290円の牛丼」が登場した。「本 当に牛なのか?」と冗談を言う人もいるが、見ているとカウンターは満員である。

 ライバルのレストランは非常に困っている。「俺のところも人件費を削って激安戦争 だ!」ということになると、また失業者が出る。

 完全失業率は4.7%。その集計には疑義がある。例えば出版業界で稼いでいるフリ ーのライター、デザイナーはほとんど仕事がなくなっても、失業保険に入っていないの で、カウントされない。列島に「隠れた失業者」が何人いるか、分からない。

 深刻なデフレである。「経済」はちぢこまり、躍動感のない毎日が続く。

 月例経済報告は「景気の改善は、そのテンポがより緩やかになっている」と言い訳じ みた表現を使った。これは嘘だ。デフレだ、と何故、言わない。

 KSD、機密費疑惑、株価低迷、危機管理、会員券タダ借り……5Kで沈没寸前の森 内閣は「失政はない」と開き直るが、デフレが「最大の失政」じゃないか。嘘つきは泥 棒の始まりだ。

(毎日新聞東京版2月20日夕刊掲載)


身内と"身内意識"

 ここだけの話だが「公務員の秘守義務違反」という言葉が新聞・テレビに登場すると 、内心ビクッとする。「お前も共犯者じゃないか」と誰かが、あざ笑っているようでビ クッとする。

 新聞記者は「そそのかしの罪」を負ってる。公務員でしか知らない事実を報道するに は、秘守義務違反をそそのかすしか道がない。僕は信念を持って、そそのかす。

 かつて国鉄、3公社の民営化を審議した臨時行政調査会の議事録を、公の大金庫の中 から持ち出し、翌日の新聞で全文をすっぱ抜いたことがある。一部から「秘守義務違反 」と批判されたが、誰が取材協力したのか分からず済んだが、一つ間違えると「犯罪人 」を作ってしまうところだった。

 しかし、である。「審議会の発言が公開されない方が誤りである」という僕の主張は やがて世間の流れになり、いまやインターネットで公開されるようになった。だから、 秘守義務違反がすべて「悪」とは言えない。

 事件記者の頃は捜査の秘密を教えてもらうために「人情」に訴えた。刑事さんの息子 の無料家庭教師を買って出て、その代償という訳でもないが刑事さんから「Y社の奴が 何かつかんだらしいよ」と教えてもらったこともある。Y社の特ダネ記者の武器は「巨 人戦のキップ」。刑事さんはプロ野球のキップより家庭教師の方にこころ動かされたの だろう。「ありがとうございます。助かりました」と頭を下げる僕に「あんたとは身内 だもんな」と刑事さんは笑った。

 福岡事件次席検事の捜査情報漏れ。高裁判事に「あなたの奥さんが無言電話やいたず ら電話をかけている。告訴状が出ているから、やめさせて下さい」と知らせた次席検事 は「身内をかばった」と集中砲火を浴びている。

 情報漏れの"常習確信共犯"の僕としては「人情がなせるワザ」と同情すべきなのだ が、何か」、違う。同情できない「何か」がある。

 分析して分かった。次席検事は「身内の人」ではないのだ。「身内意識(を代表する )人」なのだ。

 親子、兄弟の「身内」なら情報漏れは許される。法律上も「親族」は特別扱いだ。僕 だったら「奥さんは人を殺すかもしれない。病院に行け」とアドバイスするだろう。身 内の愛情はストレート。人々は許す。

 彼の「身内意識」は愛情ではない。愛情に見えるが、本当のところは「組織を守る意 識」なのだ。

 「身内意識」と言うと、いかにも浪花節的なものを考えるが、それは人情の仮面を被 った「組織防御本能」なのだ。

 司法試験に合格した法曹界のプライドを守ろうとする組織防御本能。テレビで次席検 事の慇懃な応答を見た人々は「身内」なんて冗談じゃない、と思ったのだろう。

(毎日新聞東京版2月13日夕刊掲載)


冤罪・キレイな総括

 まず試写会は見ない。お金を払わないと「映画の味」が分からない。お金を払った 人 たちと一緒に見ないと、観客の顔色というか、息づかいというか、ともかく“観客席” が見えてこない。試写会派の映画評論家が「素晴らしい!」と激賞したのに“小屋” は閑古鳥、なんてことがあるのは当然だ。

 日活作品「日本の黒い夏[冤罪]」を試写会で見たのは「早く見ないといけない」 という義務感に似たものを感じたからである。

 この映画は1994年6月27日夜、長野県松本市で起こった「松本サリン事件」 を題材にした作品である。7人が死亡、約600人が重軽症を負った事件は、後にオウ ム真理教の犯罪と判るが、当初、警察の見込み捜査で第一発見者・河野義行さんに嫌疑 がかかった。事件の翌日、河野さん方は被疑者不明で家宅捜索される。この日を境に、 マスコミの理不尽な報道が続き、彼は報道を信じる市民から再三迫害を受ける。悪夢の 冤罪だった。

 警察の捜査がいかにズサンで、マスコミの報道がいかに無責任か。マス コミの存在価値は、それこそ風前の灯火だった。

 僕といえば、記者稼業が一層、恐くなった。

 同僚は「見込み報道は断じてしていない」と言うかも知れない。だから「僕の認識」 と断るが「見切り報道」はある。僕は本当に運良く重大な誤報を犯さなくて済んでい るが「裏」を取り切れない情報を「エイ!見切り発車だ」とばかりに書いた過去がある。

 冤罪予備軍?

 恐い。

 何故「見切り発車」で他紙より早く(あるいは他社と同じように)書くのか。その 理由は自分でも良く分からない。

 あれから6年。この映画は「冤罪(報道)の構図」を描いた。1964年、名作 「帝銀事件・死刑囚」を世に出した巨匠・熊井啓監督のメガホンである。

 試写会は一時間前に整理券を配るほどの人気だった。

 結論を言えば、この映画、見られた方がいいと思う。ある程度、冤罪が起こる原因が分かる。 しかし、である。

 僕は歯がゆいものを感じた。刑事が、最前線記者が組織の中で悩み、葛藤し、結果 的に冤罪を作った、という筋書きでは納得できない。マスコミ人に遠慮してか、嫌に善 人ばかり登場する。

 そうだろうか。「組織の罪」では説明できない何かがある。冤罪の底には、人間が 持つ「ドロドロとした欲望」がある。旧石器を捏造してしまった「人間の業」がある。 その「業」を描いたか。

 ともかく、お金を出して、もう一度、見てみよう。

(毎日新聞東京版2月6日夕刊掲載)


昭和東北大凶作

 雨まじりの風が吹く、人影もまばらな東京駅前の広場で、若い娘の死体を抱した老人 がさまよっていたーーといっても昨日、今日のことではない。

 1933年(昭和8年)5月3日。かなり昔のことだ。

 翌日の国民新聞の記事を見るとーー

 ○○村の桶屋職人の老人が、兵庫県西宮の遊郭に勤める病弱な長女を故郷に連れて帰 る途中、数年ぶりに会った我が子は息を引き取った。丸の内署に保護された老人は、ぼ くとつと話し出した。

 老人の家は代々の桶屋。木槌一つで稼ぎ出す金で一家を養っていた。ところが、農村 不況になってからは日に2円50銭の収入が5、60銭になる。妻との間には3男4女 。これではとても食べていけない。北海道に渡っていた長男を連れ返そうと旅に出たが 、やっと探し出した息子はどうしても帰りたくないと言い張る。むなしく帰宅すると「 亭主は旅先で死んだ」と聞かされていた妻が「毎借1500円」で長女を長野県松本の 遊郭に身売りしてしまった。何故か、妻が受け取ったのはたった33円だった。

 その前年、日本で初めてダービーの馬券は20円。パーマネントが10円、もりそ ば8銭だった。

 馬券2枚分にもみたないお金で長女は遊郭に売られたことになる。残りの1467円 は、驚くなかれ、間に入った人間の「中間搾取」である。

 西宮の遊郭に移ってから、彼女は病の床につき、痩せ細り、余命いくばくもない。遊 郭の主人は電報で父を呼び出し「早く、連れて帰れ」。老人は娘を抱き列車に乗った。

だが、彼女は故郷を見ることなく品川辺りで、こと絶えたーー最近、涙もろくなってい るのか、ここまで読んでグズッと来た。鼻風邪を引いていたから、顔がグチャグチャに なった。

 世界恐慌が深刻化した1931(昭和6)年夏、東北地方を冷害が襲う。そ して「満州事変」勃発。打ちのめされた農民。満足に食べることが出来ない子供、そし て身売りされる娘。

 これが昭和初期の日本の現実だった。

 岩手県三陸町に住む山下文男さんが書いた「昭和東北大凶作・娘身売りと欠食児童」 (無明舎出版刊 TEL018−832−5680)には、こんな哀しい話が、冷徹な データ、数字と共に収録されている。出版不況の最中、この種の本を出そうとするとこ ろも少なく「秋田の本屋」の尽力で1月20日、やっと世に出た。

 東京に大雪。隅田川沿いのホームレスが凍ている姿を見ながら、この本を読んでいる と、涙を忘れ「脳天気野郎」に怒りを感じる。私利私欲の権化に腹が立つ。このままで は、日本は昭和初期に逆戻りするかも知れない。

(毎日新聞東京版1月30日夕刊掲載)


報償費の「卑しさ」

 母親から「タダで動くのは地震だけだよ」と教えられた。タダとは「無償」という意 味である。

 「無償の愛」の存在は認める。が、それは例外で、人間は「何か」を期待して行動す る。愛、健康、情報、お金、ポスト、お褒めの言葉、誇り、賞品、自己満足、食事、お 酒……密かに「何か」を期待するから動く。

 親の言いなりになれば"お駄賃"がもらえる、と知った子供たちがやがて大人になる のだから、当然と言えば、当然である。

 だから外務省のお役人が個人的に流用した「報償費(官房機密費、外交機密費)」な るもの存在を、一概に否定しようとは思わない。が、システムとして「有償の卑しさ」 を感じるのだ。

 「報償費」とは何か。

 定義らしいものは予算編成作業の参考書「予算事務提要」にある。「国の事務または 事業に関し、功労のあったものに対し、特にその労苦に報い、更にそのような寄与を奨 励することを適当と認める場合において使用する経費。また部外者に対して謝礼的また は代償的な意味において使用する経費」。

 分かり辛い。分かり辛い時には得てして「卑しさ」が隠されている。

 戦前の陸軍、内務省などにあった機密費、つまりスパイ活動経費である。

 戦後GHQが「予算品目として機密費は認めない」と主張したので、苦し紛れに大蔵 省が「人間はタダで動かない原則」を持ち出して「報償費」という品目を獲得した。

 「交際費」は料亭から花屋まで領収書が必要だが、まさかスパイから領収書を取るこ とは出来ないというので、支出官が誰に渡したか、を示すサインを出せば良いことにな っている。事実上の検査除外。これが「有償の卑しさ」に通じるのだ。

 問題のお役人と親しい外務省幹部にその辺の事情を聞く。「交際費が微々たるものだ から、ここだけの話だが、報償費で賄っているんだ。キミが総理同行取材で日米首脳会 談後のパーティーに出席したじゃないか。あれも報償費だ」

 まるで当方も「その恩恵に浴した」と言わんばかりだが、報償費は政治家、外務官僚 の交際費になっているのだ。

 「平和ボケで在外公館はパーティーばかり。情報活動なんてやっていない」と話す外 務省OBが何人もいる。

 11日夜、ケニア日本大使館の「森首相と在留邦人懇親会」で、ベロベロに酔っぱら った大使さまの行状が、今、霞ヶ関の隠れた話題になっている。

 この国辱的パーティーまで報償費で賄うのか。

 報償費流用は個人の犯罪ではない。原因は構造的な「卑しさ」にある。

 国家機密を盾に報償費の情報公開を渋る「卑しい権力」。ああ、情けない。

(毎日新聞東京版1月23日夕刊掲載)


新世紀初「舐めるなよ!」

 妙な電話が掛かってきた。1月10日午後2時過ぎのことである。

 「○○県医師会ですが、あなたは××先生に年賀状を出していますが、××先生は 、去年、副会長から会長に代わられております」

 これは失礼した。普段、手紙の類には「肩書き」を書かないのだが大きな職場、団体 宛に出す場合は「肩書き」を付けた方が間違いがないと考えていた。まあ副会長が会長 になったのだから、喜ばしいことなのだろう。

 それほどの「失礼」にあたるとも思わないが「それは失礼しました」と謝った。

 ところが、である。相手の若い(声の)男性は「改めて、肩書きを会長に訂正して送 り直していただきます」と言うのだ。

 唖然とした。

 その会長さんという方から「会長就任の挨拶状」が来たというならまだしも(挨拶状 が来たとしても)「肩書きが正しくなければ読めない」というのか。

 絶句した。

 が、次の瞬間、こんな非常識を黙って見ていたら日本は駄目になる、と気を取り直し て「キミ、それは非常識だ」と指摘した。だが、相手は「そうでしょうか?」とキョト ンとしている。

 電話を切ってから「会長先生との関係」を確認してみた。僕のデータベースによれば 1998年「ナイチンゲールの日の催し」に講師として招かれ、名刺交換をしている。

 当方を「先生、先生」と言われるので「先生と言われるような人間ではありません。先 生はやめて下さい」と話したことを覚えている。

 99年、2000年、01年、当方が年賀状を出している。「個人として、毎日新聞 の記者として礼を尽くす対象」と判断すれば、出来るだけ出すようにしている。勝手に 出しているのだから、読まなくても、返事をいただかなくても結構である。当時は「副 会長」だった先生から年賀状はこなかった。

 これからは推測だが、○○県医師会に、あるいは日本の医学界に「19世紀」が残っ ているのかも知れない。

 ドクターはお殿様で、看護婦(士)その他の医療関係者は家来、お女中。外部の民間 人、例えば製薬会社の人は足軽。まして「瓦版売り」は××。(××は差別用語で使え ない)

 恐れ多くも「肩書き」の間違った葉書をお殿様に見せるなんて……と考えているんだ ろう。

 「隠然と」と言おうか「平気で」と言おうか、封建主義が存在する。医療の現場で次 々に起こる奇怪な事件の原因の一つに「19世紀的ストレス」がある。

 僕は電話に向かって「舐めるなよ!」と啖呵を切った。ここだけの話だが「啖呵」は 権力に対峙するストレス解消の妙手である。

(毎日新聞東京版1月16日夕刊掲載)


自殺防止に派閥の効用

 元旦、どの「初席」に行くか、ちょっと悩んだ。

 江戸っ子は神社に初詣するのと同じように正月、寄席に行く。東京の初席は上野・ 鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場。永田町の国立演芸場は2日か らだから除外する(官は商売不熱心?である)。

 顔見せの初席はいわばオールスターキャスト。どこも一番看板の人気者が出ている から出し物に甲乙はない。

 どこにするか。初詣の神社とセットで考える。浅草の観音さまを念頭に置けば、上 野か浅草が好都合。

 次に選択の基準になるのは、お目当ての師匠が出るか、出ないかである。

 僕は権太楼が好きだ(テレビに出ないから、あるいは知らない方も多いと思うが古 典の実力派である)

 権太楼が出ているのは?と探してみると彼は上野にも、浅草にも出ている。さて、 どちらを選ぶか。

 浅草を選んだ。どこも11時開演なのに浅草だけは午前9時からやっている。この 気概に惚れた。

 さて、そこで見にいく時間。それはもちろん権太楼が出る午後5時以降ということ になる。注目している三木助も出るが、昼頃なので見られない。それにしても人気者の 「落語界の新人類」が正月“掛け持ち”しないのが不思議に思えた。

 それが、三木助の最後の噺を聞き逃した理由である。

 三木助は卑怯もの、とは言わない。

 自分の命だから勝手にすればいいが、母親が変わり果てた姿を見て、どう思うか。 これを知っていたら……。

 スポーツ新聞は「天才ゆえの孤独が原因」と分析している。が、僕はあえて「天才」 云々と言うべきでない、と思う。「天才」は限りなく神に近い存在。ざらにはいない。 むしろ「天才」でもないのに「天才」と呼ぶのは罪悪だ。

 2日朝、人間国宝・小さんの誕生会。小さんは「これからも稽古をする」と言った そうだが、それは剣道のことである。落語では天才だが、剣の道で彼は鈍才?だから稽 古する。彼は86歳である。86歳で稽古が出来る。

 三木助はその半分の43歳で死を選んだ。何とも残念である。

 愉快に生きるコツを伝授すれば、ここだけの話だが「派閥」である。  サラリーマンは派閥の効用を知っている。派閥は仲良しグループ、お互いに誉め合っ たり、愚痴を言い合ったり、一緒に同じ釜の飯を食い、一緒に酒を飲む。それでいて 密かに「俺の方が上」と自惚れる事が出来る。

 なぜなら派閥にやって来る奴は「弱い者」と心密かに軽蔑することが出来るからだ。

 エッ、それでも自殺したくなる?

 それなら落語を聞けばいい。

(毎日新聞東京版1月9日夕刊掲載)


「お・か・え・り」の詩

 あと二日でご用納め。「おかえり」の季節である。

 地方競馬の哲人ジョッキー・佐々木竹見さんが前代未聞の7000勝を達成した 時、彼の自宅に押し掛けると「東京に出る時、母親が帰って来るな!と言いまして」と 話した。

 1957年、青森から集団就職した15歳の少年に、この母親は「帰ってく るな!」と言った。「恨みませんでしたか?」と聞こうとして止めた。当方の質問より 早く、彼が「この言葉のお陰で一人前になった」と言ったからである。彼は「おかえ り」と言わない母のプラス面を評価していた。

 でも、でも…「帰ってきたよ」「おかえり」という場面を竹見少年は何度となく 夢見たはずである。

 ここだけの話だが、50代の僕だって時に、亡くなった母に「おかえり」と声を かけて貰いたい衝動に駆られることがある。

 「お・か・え・り」はいい言葉だ。

 石川県美川町は「おかえり」の町である。11月日本海に注ぐ手取川に2万匹の 鮭が帰ってくる。古くは北前船の港町で、長い船旅を終えた若い衆を「おかえり」と迎 える町だった。

 毎年五月には勇壮な「おかえり祭り」。二年前から竹内信孝町長の発案で「日本 一心のこもった、おかえり短文」募集が行なわれた。

 全国から、海外からも2000を越す作品が寄せられた。それが、どれもこれ も、心に沁み入る詩ばかりなのだ。

 例えば「雨の夜の母」(金沢市の岡本邦夫さんの作品)

 八〇歳半ばでボケた母が雨が降ると周囲が止めるのも聞かず、傘を持って近くの 私鉄の駅へ出かける。

 この私鉄沿線に勤めていたセガレを迎えに行くつもりなのだろう。だが、そのセ ガレはもう還暦を越え、定年である。

 ある雨の日、セガレは母の後を追い、入場券でホームに入り降車客と一緒に改札 口を出ると、母の顔がパッと明るくなり「おかえり」と言って傘を差し出した。

 そんな小さなドラマばかりだが、読んでいると涙ぐむものまである。

 「おかえり」が11月末、演歌になった。題して「おかえりの詩」。

 応募作を読んだ星野哲郎さんが感激して応募作品を参考にして詩を作った。曲 は新井利昌さん。歌うのは福島県東白川郡塙町出身の白川桔梗さん。演歌にこだわっ て、向島の花柳界から芸能の世界に帰ってきた女性だ。

 17歳の犯罪が多発した2000年も終わる。「お・か・え・り」の温もりを感 じながら、皆さん、良いお年を!」

(毎日新聞東京版12月26日夕刊掲載)




So cool!

 続報である。

 9月、シカゴ在住の「大輔」と名乗る方から「宮崎のお父さんのホームページを見 て下さい」というメールが届いた。福岡市の大学教員、宮崎哲也さんの長女・陽子さん (当時9歳)は、昨年12月4日、学校の持久走の練習中に倒れ、緊急心筋炎でなくなっ た。

 宮崎さんは「学校が無理矢理、練習をさせた。これは学校という密室の中で起こっ た殺人ではないか」とホームページを開設して、世間に訴えた。

 巨大な権力に立ち向かう「道具」としてHPはいまや無視出来ない、といった話を 書いた。(9月19日夕刊)

 その続報である。

 宮崎さんが起こした裁判は遅々とだが進行中。彼のHPのアクセス件数は2000 0件を越えようとしている。

 掲示版に各地から「学校という密室の被害」が幾つか報告されている。

 そして、陽子さんの一周忌。宮崎さんは娘と約束した英語学習本を出版した。(毎 日新聞福岡版に既報)

 2年前、陽子さんはカラオケボックスで宇多田ヒカルの唄を歌うのが好きだった。 でも英語の歌詞が分からない。

 「お父さん、英語の詩が分かるような本を書いて!」

 宮崎さんは陽子さんと“指切り”で約束した。それが実現したのである。

 「カラオケ・イングリッシュ」。B6版、イラスト入りの可愛い本。

 亡き娘との約束を果たした、と書けば良いのだろうが、これは「浪花節」。僕はむ しろ本の内容に興味を持った。

 この本は陽子さんの好きだった「First Love」「Wait & See」 「Automatic」の歌詞を題材に英語の講義をする。

 例えば「外国の歌詞では、よく『gonna』『wanna』が出てくるじゃん。 『なんじゃ?こんなの学校でやってないぞ』って思う諸君もきっといるだろうね。でも gonna=going to、wanna=want toと考えればOK。『〜で はないですか』を『〜じゃん』って言ってしまうのと同じことだよ」。

 普通に使われる英会話を、日本の学校は教えない。この本はその隙を突いた「役に 立つ本」なのだ。

 今年の初め、日本は「英語公用語論」に揺れた。でも推進者・小渕さんが亡くなる と、その議論はどこへ行ったのか、影も形もない。

 ここだけの話だが、僕は公用語論に反対。それにしても、あの論争の「続報」はど うしたのか?公用語論に反対でも、英語教育は本当に役に立って欲しい。

 まあ、ともかく「宮崎さんちの英語本」は“So cool!”(めちゃ、イケて る!)

(毎日新聞東京版12月19日夕刊掲載)


どこにでもある話

 毎日新聞東京本社の裏手、高速道路下に毎夜、2トン車の屋台が出る。

 ビールの空きケースを椅子代わりに屋台を囲み、近くのサラリーマンがおでん、 カルビ焼きを肴にオダを上げる。午前1時を過ぎると記者連中が酒と夜食を求めてやっ てくる。日本そばの汁が旨いと評判で、深夜、マスコミ人の生態に興味を持つ人まで加 わって、忘年会シーズンは殊の外盛り上がる。

 この“毎日名物”の屋台でアルバイトをしている青年が「素晴らしい奴がいる」 と言うので会うことにした。  こんやしょうたろう(紺家正太郎)君、24歳。ことし6月21日、玉川大学文 学部の同級生、井尻慶太君とコンビを組んでCDデビューしたJポップのアーチストで ある。

 こんやがボーカルと詩。井尻がキーボードと作曲。「アルケミニスト(錬金術 師)」と名前を付け、夏の真っ盛り、毎週日曜日、クイーンズスクエア横浜でストリート ライブを始めた。

 8月4日の初日、立ち止まる人ゼロ。何しろ暑くて暑くて仕方ない。

 次の日曜日。チラシを配る。立ち止まる人が10人を越える。で、11月には観 客は1日に100人を越えた。

 演歌歌手のキャンペーンのようなもので、制作した3000枚のCDは売れた。

どこにでもある話だ。

 工夫をした。2人はJポップの落語の「三題噺」を取り入れた。お客さんが出す 「あまり関係のない3つ言葉」を入れて、即興で詩をつくり、作曲して歌う。これが受 けた。まあ、これも、どこにでもある話だ。

 ちょっとびっくりしたと言えば、こんや君の左の腕。肘から先がない。生まれつ きの先天性四肢障害である。

 でも水泳は得意だし「両手があれば便利だと思いますが、不自由とは思わない」 と笑っている。

 途中障害、つまり健常人が突然、障害を持ったら精神的な痛手が大きいが、生ま れながらに障害を持つ人は以外に強いとも聞いている。

 障害者が音楽を職業にするのも、どこにでもある話である。

 もらった彼の詩を読んだ。

 「ある日、ぽーと夜食を食べながら思ったんです。宇宙の大きな流れから見る と、僕はただのかけらなんだって。左手がなかろうと、夢に破れて泣こうが、もっと言え ば、僕がいなくても宇宙の流れは変わらないだろうなって。そう思ったら、ちょっとく やしかったけど、スーと胸のつかえが取れたようにラクになった」

 ここだけの話だが、僕は、どこにでもありそうな詩に涙ぐんだ。人間って小さい 小さいものなんだ。

 だから今夜も、屋台に「どこにでもある話」がやって来る。

(毎日新聞東京版12月12日夕刊掲載)


女性学長が行く

 ノルウェーの閣議では女性大臣が「乳を飲ませる時間です」と手を挙げると、首相 は会議を中断する。授乳は母親の最大のお仕事。彼女が母親なら当然である。

 北欧4国は男女平等精神が徹底していて、閣僚席も半分近くが女性である。男に 対する差別も解消されねばならないから、これらの国では「何故、男だけが徴兵を受け るのか?」という疑問が新たな国家的課題になりつつある。

 つまり男女完全平等が世界の潮流。だから日本でも「総合大学に女性学長が誕生」 と聞いても、別にニュースではないと思っていた。

 ところが、そうでもないらしい。

 単科大学の女性学長は珍しくないが、大手総合大学では初めての誕生なのだ。

 そこで350対332の僅差で、男性候補を退けた東洋大学の神田道子学長に会い に行った。

 「何故、学長選に出たのですか?」なんて聞くのは、聞きようによっては男女平等 に反するような気がして、彼女の“生い立ち”から「志」を類推した。

 生い立ち1・昭和20年の戦争直後。新潟県加茂市に疎開中の小学5年生だった彼 女は「墨塗り」を経験した。GHQに指導で民主教育に相応しくない箇所を教科書から 墨で消す。「筆と硯を持って来なさい」と指導する先生も困惑していた。これが、教育 の重みを意識した初め。

 生い立ち2・お茶の水女子大の卒論は「夜間中学」。昭和31年頃、貧しい家の子供は 中学にいけず、夜間中学で学んだ。彼女はマスコミより早く、その実態をレポートした。 サンデー毎日は彼女を取材した。

 生い立ち3・勤め先は研究所を転々。海上労働科学研究所では「船員とその家族の 実態調査」に専念する。30人の男子船員に混じり、たった一人、女性として海上生活 を送った。

 生い立ち4・東洋大で教鞭を取ってからの専門は女性学。東京都の男女均等法実施 に知恵を絞る。

 「生い立ち」を見れば、別に「女性」だから出来た、というものではない。要する に、人間力を持つ「個性」が学長になっただけである。

 18歳人口が減り、大学の倒産時代が来る。この時、彼女の“生い立ち”に根ざした 感性が求められる。「生涯学習型大学」を目指す大学は数々ござるが、東洋大は……と 言える個性を発揮するシンボル、として、東洋大は彼女を選んだ。

 ここだけの話だが、我が毎日新聞社にも女性の幹部社員が極めて少ない。

 どうしてだろう。読者は多分、女性の方が多いのに新聞を作る現場で女性の感性が 生かされない。

 マスコミの方が遅れている。

(毎日新聞東京版12月5日夕刊掲載)


キムタクと加藤さん

   「男らしい、とか、女らしい、とかいう表現。男女差別につながるから止めま しょう」と、いつも主張している女性が、テレビを見ながら「男らしい!」と大声で叫ん だ。

 何だ、何だ。何があったんだ。

 見ると、芸能レポーターに囲まれたキムタクが何やら話している。

 聞けば、スポーツ新聞に「工藤静香、妊娠4ヶ月」というスクープが飛び出し“ 妊娠の下手人”キムタク君が記者会見に臨んでいるのだ。

 意地悪なレポーターが「静香さんから妊娠を告げられたとき、どう思いましたか ?」と聞く。(これ以降のやり取りは僕の記憶なので、一字一句、再現したものではな い)

 「嬉しかった」。

 「静香さんは何と言いましたか?」 「授かったよ、と言った」

 ここまで聞いて、僕も「キムタクはただ者ではない」と感じた。

 “できちゃった結婚”と揶揄する芸能ジャーナリズムを相手に淡々と、しかも毅 然と「授かった」という表現を使う。美しい言葉ではないか。

 同棲しているのに「グループ交際です」と言ってみたり、まかり間違えれば「僕 の子供かどうか、分からない」なんて話す“ある種の芸能人”には「授かる」なんて言 葉、死語も同然。

 キムタクは、この言葉で自分たちの幸せを「厳粛なもの」と主張した。

 「妊娠したから結婚の話が具体的になったのか?」とレポーターが追い打ちをか けると「それとは関係なく夏の始めにプロポーズしていました。言い方が難しいが、子 供が出来たから結婚ということではない」と胸を張った。

 「つわりはどうですか?」と聞かれると「それは自分が答えることではない」と 極めて理論的である。

 勝負、あった!

 「始めに自分の口から報告をしたかったが、ああいうこと(スクープ記事)に なったので、今報告する結果になったが、自分の口から皆さんに伝えることが出来たこと に感謝している」。

 男らしい。

 肝っ玉が座っている。

 ここだけの話だが、僕は翌日、政界関係者に話した。

 「加藤さんにキムタクの爪の垢でも煎じて飲め、と言って下さい」。

 革命をやるゾ、やるゾ。「100%、勝てる」が、あの体たらく。

 これは胆力の違いである。

 胆力は愛、知恵(断じて知識ではない)責任を背景する人間力。何よりも政治家 に求められる能力である。

 ここ一番、ファンに応える形で、キムタクは静香に素晴らしいメッセージを贈っ た。静香は惚れ直した。

 加藤さんに呆然とした「自信喪失の日本国」は若きキムタクに救われた。

 
(毎日新聞東京版11月28日夕刊掲載)


「いのち微笑む」

 「花と龍」が好きだ。

 火野葦平が書いた北九州・洞海湾の沖仲士・玉井金五郎の物語。巨大な石炭船の 上に一枚の板を渡し、その上に石炭をいっぱい積んだ籠を天秤棒で担ぎ、ゴンゾウ(沖 仲士)は「黒ダイア」を暗い船底に落とす。この作業を毎日毎日、繰り返す。

 「花と龍」はそんな世界の男、信義、労働……を描いた作品だ。

 沖のゴンゾウがエー
 人間ならばヨー
 蝶々トンボもエー
 鳥のうちエー

 日本帝国主義の底辺から怒りの表現。「花と龍」は何回となく映画化され、僕は 必ず見た。(ここだけの話だが「花と龍」はカラオケの十八番だったが、脳卒中になっ てからは音痴になって歌えない)

 記憶が曖昧で映画だったか、テレビドラマだったか、はっきりしないが、197 0年渡哲也主演の「花と龍」も男気がさっぱりして良かった。

 「大川時次郎」という脇役を演じた役者が“いぶし銀”だったのを覚えている。

 それが、である。この週末、大学時代の友人が送ってくれた本をめくっていて、 この「いぶし銀」に壮絶なドラマが隠されていたことを知った。

 小高雄二さん。「陽のあたる坂道」で石原裕次郎の兄を演じた、かつての日活ス ター。あるいはご存じの方もおられるかも知れない。「君恋し」という主演映画もあ る。

 大川時次郎役が小高さんに決まった時、彼は肝硬変を患っていた。

 しかし、この役が役者人生の転換期と感じた彼は、右脇腹をナイフでえぐられる ような激痛を隠しロケに参加した。出番が終わると急いでロケバスに戻り、自分で抗生 物質を注射する。

 撮影が終わる時、抗生物質の3ダースが空になり、両足の太股は黒い注射の痣で いっぱいだった。

 それから、彼を次々と難病が襲う。

 76年急性膵臓炎。これでは死にそうになった。81年、原因不明のベル麻痺。

顔の半分が動かなくなる奇病だった。

 友人が送ってくれた本は“いぶし銀”の小高さんと、その妻・鞠子さんが書いた 「いのち微笑む」(学習研究社刊 本体価格1300円)。壮絶な闘病記だ。作家・倉 本聡さんが「死ぬことはあっても、敗れることはない」をという一文を寄せている。

 実は妻・鞠子さんは、ご記憶にあるかどうか。かつての清純スター「清水まゆ み」。まゆみさんが18歳で隠れ結婚した二人は、今、夫67歳、妻60歳。この本は純 愛物語でもある。

 
(毎日新聞東京版11月21日夕刊掲載)


サンカと文芸坐

   同じ新聞社の記者が同じネタを追いかけている。お互いに気づかない。

 ここだけの話だが、コレ、ちょっと困る。書く段になって気がつけば、譲り合う ことになるが、気がつかないで同僚記者に先に書かれると、努力が水の泡のような気が して割り切れない気持ちになる。

 その辺のことを理解してくれる苦労人が取材先にいると助かる。

 東京・池袋の名画座「文芸坐」が復活する、というニュースを聞きつけ、支配人の永 田稔さんに取材した時も助かった。「笠井さんが取材に見えまして……」と話して くれたので、当方“役割分担”を決めた。

 一応、僕が先輩なので「君は思う存分書いてくれ。お釣りがあれば俺が書くよ」 で11月9日夕刊に笠井光俊記者の「文芸坐復活」が載った。(是非、読んでいただき たい)

 「お釣り」になるかどうか分からないが、僕は「文芸坐とサンカ」について読ん でもらいたい。

 昭和の初め、朝日新聞に三浦守というサツ回りの記者がいた。この頃、東京では 説教強盗が出没、人間離れした神出鬼没ぶりに、刑事たちは「奴はサンカじゃないか」 と三浦記者の前で嘆息した。

 サンカ?なんだろう。

 サンカとは山窩。非定住・漂泊の民。山間や河川で野営して竹細工や川漁を生業 にする集団で、戦争前の日本には確かに存在していた。

 三浦記者はサンカ社会の研究に没頭して「キング」や「オール読物」にサンカ小 説を発表、あっという間にベストセラー作家になる。「銭形平次」の野村胡堂と並び称 された昭和大衆小説の旗手・三角寛である。(因みに彼の作品「三角寛サンカ選集」は 今年11月から現代書館社で出版される)

 ベストセラー作家で大儲けした三角寛は昭和23年、吉川英治、菊池寛、徳川夢 声らを株主に映画館「人世坐」を作る。実は「文芸坐」は「人世坐」の姉妹館として昭 和30年に作られたものだ。(「人世坐」はすでに閉館)

 永田さんは「場末の誇り」を話してくれた。「映画館には封切り館と下番館があ ります。2番館、3番館、そして場末館。名画座というのは場末館のことです。封切り から時間が経っているのに、お客が来る良い作品。それを上映するのが務め。封切り館 にはない選択権が名画座にはあるんですよ」

>  永田さんは突然の文芸坐閉館、閉館直後の脳溢血、16人部屋の想像を絶する最 悪医療、そして前社長の脱税騒ぎ……色々なことを話してくれた。

 サンカの臭いが残る?「新文芸坐」のスタートはH12年12月12日の黒沢明 監督の「七人の侍」である。

(毎日新聞東京版11月14日夕刊掲載)


茶パツの修行僧 

 三つの理由から連休を利用して「秋薫る高野山・奈良・京都」なるツアーに参加 した 。

  理由の一・脳卒中の後遺症が約9年間。どこまで健常人と一緒に行動出来る か。試してみよう。その2・新聞に毎日のように載っている格安ツアー広告の中味を見た い。

本当に満足出来るのか。その3・紅葉を見たい。

 僕の選んだのは「全行程添乗員同行・食事・観光付き」で39800円コース。ただ 11月2日出発は連休にまたがり割高で46800円だった。

 まず朝が早いのに驚いた。午前6時40分、JR東京駅八重洲北口集合。埼玉県 の奥から来た人は自宅からタクシー、私鉄の始発、地下鉄を乗り継いでやって来た。東 京駅からガラガラの「こだま」を利用するためである。次々に後続列車に追い抜かれ、 約3時間で名古屋に着くのだが、これが”格安”の工夫なのだろう。

 僕は東京駅でまず挫折した。一緒に改札を通ったつもりだったが、一行に追いつ けず迷子になった。健常人と同じようなスピードで歩ける、と思ったのはとんだ錯覚。 普段は職場の仲間がスピードを合わせくれたのである。

 そこで添乗員さんと相談。歩けないないところ、みんなに迷惑をかけるところで はバスに居残ることにした。

 参賀者は中高年。男1女2の割合。お互いに職業、年齢なんて分からない。もち ろん、当方が現役の新聞記者なんて分からない。添乗員も「身障者ツアーの方が良かっ たのに」と思ったのだろう、気の毒な顔をしている。

 行き先々で色々なことを学んだ。

 観光バスの”ぼんぼり”に書かれた社名と車体の社名が違う。おかしい。

 「実は合併したばかりで、車体の社名を書き直すのが間に合わなかった」とガイ ドさん。合併は世の習い。

 京都には昼間から舞妓さんが歩いている。これ「ニセ舞妓」。昼間から舞妓さん が「だらりの帯」なんてことはない。舞妓姿にあこがれた女性が扮装して、観光客と写 真を取るのが趣味になった。

 このツアーは満足だった。もしケチを付ければ二日目のホテルの壁が薄かったこ と。

「音漏れ」である。拝観料は各自負担で、寺によっては秋の観光シーズンに値上げ しているところがあること。(例えば永観堂1000円)

 感激したのは高野山の宿坊。僕は宿坊に泊まったのは初めてで、ここだけの話だ が「寺の経営する旅館」と心得え、女子従業員がいると思っていた。

 面倒を見てくれるのは全員、修行僧。ところが、その中に「茶パス」がいた。驚 いた。が、その「茶パス君」が僕のためにわざわざ椅子を用意したり優しい。僕は茶パ スを誤解していた。

 因みに京都の紅葉は2分。温暖化現象は紅燃ゆる秋はまだまだ先らしい。

     
(毎日新聞東京版11月7日夕刊掲載)


 卑怯な時代

 世の知識人はあまり指摘したくないようなので、あえて書く。

 僕は中川秀直前官房長官の辞任劇に極めて大きな疑義を持っている。

 「卑怯」を許すばかりか、賞賛しかねない雰囲気があるからだ。

 電話に隠しテープをセットして、中川さんが警察情報を漏らしたような言質を取る「元愛人」。テープは暴力団系右翼の手に渡り、写真週刊誌の手に渡り、野党の手に渡り、テレビ局の手に渡り、国民の手に渡った。

 鼻の下の長い政治家さんの「脇の甘さ」は知れ渡り、嘘を嘘で固める舌禍内閣の番頭が更迭されたのは当然と言えば当然だが、ちょっと待って欲しい。僕は「隠しテープ」が市民権を持つ風潮に恐怖を抱くのだ。

 普通、電話で話す時、まさか「隠しテープ」が仕掛けられているなんて思わない。まして親しい間柄なら尚更である。

 疑わないことを良いことに、隠しテープをセットし、何かに利用する。これを日本では「卑怯」と言った。

 1976年の鬼頭史郎判事補ニセ電話事件。京都地裁の鬼頭史郎判事補が布施検事総長の名をかたり、当時の三木首相に「ロッキード事件で田中前首相を逮捕していいのか?」と電話した。

 三木さんに指揮権発動の言質を取り、窮地に追い込もうとしたのである。

 事件発覚後、僕は鬼頭判事補の単独インタビューしたが、彼は「三木さんは電話の中で明確に指揮権を発動した」と強弁した。そうかも知れない。そうでないかも知れない。

 でも僕は思わず「それにしてもニセ電話なんて卑怯だ」と断言した。ここだけの話だが、彼は一瞬、口ごもり「これで中学生の息子が可哀想な目に会うのかなあ……」とつぶやいた。

 この頃「卑怯な行為」を社会は許さなかった。鬼頭さんだって、このくらいは理解出来た。

 中川前官房長官“追い落とし”にはニセ電話事件と同じような「卑怯」が存在する。

 野党の一部では「中川さんの首を取った」と喜んでいる向きもあるようだが、今回の辞任劇で本当にほくそ笑んでいるのは「卑怯な奴ら」である。

 中川さんは辞めるべきだった。森内閣が窮地に陥っても、外交上の失態で辞めるべきだった。「卑怯な奴ら」に屈して辞めるべきではなかった。

 「もし要求を無視すれば、あなたも中川さんの“二の舞い”になりますよ」という脅し文句が聞こえてくる。

 政府は盗聴法を成立させ、卑怯な手段で国民を管理し、卑怯な奴らは盗撮、隠しテープに走る。

 「卑怯な時代」ではないか。

      
(毎日新聞東京版夕刊10月30日掲載)


 黒いベンツのオープンカー

 “慎重”な報道ぶりで、多くのファンを持つ老舗週刊誌のことである。

 ことし7月1日、六本木界隈で起こった英国人元スチュワーデス失踪事件。解決の 糸口もつかないまま、約100日が経過した10月中頃。この週刊誌はこんな記事を掲 載した。

 「英国人元スチュワーデス失踪で『ある資産家』の疑惑」。

 スチュワーデスのルーシー・ブラックマンさんの交友関係から「二部上場の機械メー カーの御曹司(35)」が捜査線上に上がったというのである。

 御曹司は「慶応大卒。その後、アメリカの大学に留学。英語ペラペラ。独身で金と 暇にはコトかかない人物」。匿名だが、六本木界隈の遊び人?には「あの人」と特定す ることが出来る書きぶりだ。

 ここだけの話だが、この記事を読んだ時、これは“ホンボシ”かも知れない、と思っ た。

 それから数日後、カナダ人女性に対する準強制わいせつ容疑で貸しビル会社代表、 織原城二容疑者が警視庁に逮捕された。慶応大卒の資産家。金はうなるほどある。あの 疑惑の御曹司が捕まった、と思った。事実、この週刊誌は織原容疑者逮捕後「『エッ、 あの人だったの?』『やっぱりな』ーーと反応はさまざまである」という書き出しで、 特集記事を載せている。

 やっぱりスクープだった、と思った。が、ちょっと変だ。見出しに「六本木震撼・ 48歳資産家の金髪「猟色陵辱狩」の衝撃」とある。

 48歳? あの御曹司は35歳ではなかったのか?

 そこで、二つの記事を読み比べて見た。まるでハゲ薬の使用前、使用後を見比べる ように「逮捕前」と「逮捕後」の容疑者を詳細に読み比べると、これは別人である。

 複数の人から聞いた話だが、確かに35歳の御曹司は警察の事情聴取を2度受けて いた。事情聴取を受けた原因は「黒いベンツのオープンカー」だった。

 失踪前夜、ルーシーさんと一緒だった男が黒いベンツのオープンカーに乗っていた、 という核心の証言が出てきたのである。35歳の御曹司は織原容疑者と同じように、 この極めて珍しい高級自動車を持っていた。偶然だった。

 これは、やはり誤報である。訂正すべきだと、考える。

 広い意味で捜査の対象になったことは事実だが、事情聴取の対象になった人物は他 に何人もいる。匿名とは言え、特定できるように“犯人扱い”すれば立派な名誉毀損に ならないか。

 これはマスコミの冤罪。

 テレビは毎日のようにこの事件の曖昧な衝撃情報?を垂れ流す。またぞろ過熱報道 のクセが始まった。

 
(毎日新聞東京版夕刊10月24日掲載)


 「横浜新税」の落とし穴

 この欄で競馬の話は書かない、と決めていた。土曜夕刊(東京版)に「競馬はロマ ン」というコラムを持っている。それにギャンブル嫌いの読者から、わざわざ嫌われる こともない、と思っていた。

 でも、今度ばかりはそうもいかない。JRA(日本中央競馬会)の売上げに「横浜 新税」をかけようとする動きが急なのだ。これは紛れもない社会問題。この欄の方がふ さわしい、と思った。読者に嫌われても仕方ない。

 2000年度横浜市の税収見込みは6750億円。三年連続で減少。市債残高は1 兆9000億円。財政逼迫に苦しむ横浜市長はJRA場外馬券売場、性風俗業界などーー を課税対象にした新税を考え出した。JRAに課税すれば年間10億円の収入になる。

 地方分権の流れに乗り、自治体独自の財源を確保するユニークな試み、と評価する 声もあるが、これは悪政だ。

 まず中央競馬の仕組みを説明しよう。馬券の売り上げの75%は、的中したファン に払い戻される。10%は第一国庫納付金として国に納付される(昨年は3657億円) 。残りの15%は賞金、人件費などの競馬運営費。儲けが出ると、その半分を第二国 庫納付金として国に納め(昨年は372億円)、半分をファンサービスや畜産事業など に使う。

 中央競馬は国家財政に寄与するギャンブルなのだ。国は、税金を免除する 代わりに「売り上げの10%」という税金より過酷な国庫納付金を課す。

 それとは別にJRAは横浜市に環境改善費を交付している(昨年は1億1300万 円)。混雑の迷惑料のようなもので、その金額が適当かどうか議論は残る。しかし、J RAは混雑整理のために民間業者を雇って、市の行政サービスである警察官の交通整理 を最小限に押さえている。

 僕は「横浜新税」は二重課税ではないか、と疑う。

 横浜市の財政逼迫はよく理解できるが「あそこに金がありそうだから新税」という 発想は、あまりに税の公平性から逸脱している。

 競馬ファンは再三再四「10%を越える国庫納付金が高すぎる」と抗議して来た。

諸外国と比べて割高な寺銭に嫌気がさし、ファンは逃げ出し、売り上げは3年連続のダ ウンである。

 ここだけの話だが、インターネットを使ったノミ屋(不法私設馬券屋)が寺銭を取 らない、という理由で安い馬券で商売繁盛である。

 そこへ降ってわいた新税。「地方分権」という名の下に国と地方の調整をせずに、 次々に増税しようとする風潮。この増税を黙って見ていると次の犠牲者は貴方かも知れ ない。

       
(毎日新聞東京版夕刊10月17日掲載)


 永倉萬治は「兄貴」だった

 一ヶ月半ほど前のことだった。

 NHKテレビでユーモア作家の永倉萬治さんが女優の小山明子さんと対談をしてい る。

 テーマは「脳卒中闘病記」。小山さんのご主人、大島渚監督は永倉さん同様、脳 卒中と闘い、見事、社会復帰を果たしている。

 画面で、永倉さんの回復ぶりは目覚ましかった。かなり流ちょうに話しているし、 マヒした右手が動いている。

 驚いた。

 テレビが終わって自宅に電話した。

 奥さんが明るい声で「テレビ局に行って、まだ帰ってこないんです」
 生番組だった。

 「彼の右手が上がった? そう、時間が経っても治るんですよ」。

 しばらくして彼から電話がかかる。
 「テレビ、見たんだって?」
 「凄げーなぁ。右手が上がってるの見えたよ」

 それから話し込む。出版不況で本が売れない、編集者は「ホラーを書け」と言うけ ど俺には無理ーーといった話になって「今度、会おうか?」と提案すると、彼「本当? 指切りげんまん、だからね」と念を押した。

 永倉さんと知り合ったのは1992年春。僕が脳卒中で倒れ、入院5ヶ月後のこと だった。彼の「大熱血闘病記」を読んだ僕は面識のない作家先生に直接、電話したのだ。

 「脳卒中になってからも本を書いているって本当ですか?」と尋ねると「本当よ。 失語症だって書ける」。翌日、彼は病院にやって来てくれた。

 当時、言語療法士から「失語症ですから新聞記者に戻ることは無理」と言われ、途 方にくれていた。永倉さんは「俺もそう言われた。でもアレ、嘘。絶対に書ける」と僕 を激励した。

 「兄貴」のような優しさだった。

 「指切りの日」が近付いた頃、電話がかかった。「足をすりむいたんだ。靴を履く と痛いんで10月中旬に延ばそうよ。指切りだよ」

 その時「何で、すりむいたの?」と聞けばよかった。

 鳥取地震の6日の夕方、一段落して夕刊を読むと「『ラスト・ワルツ』永倉萬治さん 急死」

 夕刊を落とした。

 記事には「合気道の練習中に倒れ……」とある。

 馬鹿! 涙が止めどなく流れた。

 ここだけの話だが「脳卒中患者特有のセックスのやり方があるんだ。教えてやろう か」と彼が笑いながら話したことがある。「冗談、言ってるんじゃないよ」とすげなく断っ た。「教えて、教えて」と言っていれば良かった。

 指切りゲンマン、嘘ついたらー彼の暖かい指はあの世に行ってしまった。

 
(毎日新聞東京版夕刊10月10日掲載)


 「ペルー政変」幻の特ダネ

 友人のTBSキャスター、中村尚登さんに久ぶりに会ったら「悔しい」と歯ぎしり をしている。

 巨体ゆえか、風貌が優しくて「悔しい」という言葉は彼に似合わない。

 「何があったの?」

 「フジモリさんの大統領辞任に気がつかなかっただ。うまく行けば、世界的なスクー プになったのに」

 聞けば、中村キャスター、作家の曽野綾子さんが計画した南米旅行に同行した。南 米の貧困地域で日本人が進める奉仕活動を見学して激励する旅である。

 中村さんは土日の朝、自分のラジオ番組を持っているので一行とは遅れて9月3日 に成田を出発。24時間かかってサンパウロ空港に到着した。寒波で気温15度ぐらい。

日本はまだ30度を越えていた。

 その日から一行に合流して、彼はブラジル、ボリビア、ペルーの三ヶ国を歴訪する。

サンパウロは人口1200万人。東京と同じ規模の大都会だが、失業率8%。街中が ホームレスに溢れていた。

 近くのグアリヨス市のスラム街は煉瓦造り。煉瓦は日本円にすると1000個1万 円。煉瓦を4000個使って家を造り、12,3畳の広さに15人の人が住んでいる。

 様々のカルチャーショックを経験しながら一行はペルーに入り、フジモリさんに会 うことが出来た。

 何故、会えたかというと、曽野さんが会長を務める日本財団が物心両面からペルー を支援をしたからだろう。

 9月12日午前9時、フジモリさんは一行を大統領専用機に乗せ、標高3400メー トルの都市・クスコに案内した。その折り、一行はフジモリさんと懇談した。

 一人が「5年の任期が切れたら、また大統領選に出るのか?」と質問した。法律を 変えてまで権力に居座った?フジモリさんだが「それはない」と断定的に答えた。

 妙な気がした。彼の記者経験からすれば「その時にならないと分からない」と答え るはず、と直感した。フジモリ政権に何かある。調べてみるか。

 翌日、一行は帰国の途についた。24時間たって成田に着くと「ペルーの政変」の ニュース。

 フジモリさんは辞任を表明している。

「悔しかった」

  中村さんは歯ぎしりをした。

 その彼の南米日記はホームページに載っている。彼が写した「写真館」にはペルー 大統領官邸の写真もある。ここだけの話だが、テロ集団が欲しがりそうな写真もある。 興味のある方は

「サタデートーク」     
(毎日新聞東京版夕刊10月3日掲載)


 癒し合う仲間

 「浮き世の義理」も結構役にたつ。

 春先、兵庫県立看護大学の国際セミナー「病む人と癒す人」に参加して欲しい、と 南裕子学長に頼まれた時には「これも浮き世の義理」と覚悟した。

 「癒す、というテーマなのに患者さんがいないの」。僕のような身障者が参加する のは至極、当たり前。反対出来ない。それに、南さんには取材で、ご厄介になっている ので断るわけにはいかない。

 日程を見ると9月24日の午後の4時間半。ちょうどシドニーオリンピックの女子 マラソンの当日。それに大好きな競馬は神戸新聞杯。嗚呼。

 それでも参加せざるを得ないのは「浮き世の義理」のなせる技である。

 テーマは「癒す」。専門職である看護婦が果たして「癒す技術(わざ)」を持ち得 るかーーである。

 「癒し」という言葉が頻繁にメディアに登場するようになったのはバブル崩壊以降。

物質性より精神性を大事にしたいという思いが、古くて新しい「癒し」にスッポット ライトを当てた。

 最近は健康雑誌に「癒す」という言葉がない方が珍しい。

 ところが、本当の「癒し」とはどんなものなのか。必ずしも現代人は理解していな い。そんなところが、セミナーの出発点だったのだろう。

 ドイツの医療的人間学の権威・ディーター・ヤンツ教授をはじめ、いろいろな人々 が「僕の癒し論」のようなものを発表した。

 僕も「経験からだが、一番癒しあうことが出来るのは、同じような境遇を共有する 同士ではないか」と持論を展開した。僕は医師や看護婦に癒されたこともあるが、むし ろ、脳卒中の仲間に癒されたことが多い。そして、僕も仲間を癒している、と思ってい る。

 言い換えれば「弱さの共有」が癒しを生む。互いの共鳴がなければ「癒し」は存在 しない。職業的癒し、癒し商品は存在するが、そこには共鳴がなければ、本当の「癒し あう関係」は生まれない、と話した。

 学者先生の講義と大分、かけ離れた論調に聴衆の看護婦さんは複雑な顔をしていた。

でも、医学知識皆無の患者仲間の励ましの方が、時と場合によっては、奇跡を起こす ことさえある。

 ここだけの話だが、ついでに看護大学の建築物にイチャモンをつけた。

 僕は右半身マヒの後遺症で手すりのない階段が上れない。看護大の階段に手すりは ない。僕は悪戦苦闘した。

 設計者はこの校舎を「癒しの空間」と呼んだ。

 善意のアカデミズムが陥りやすい落とし穴、と発言したのは、行き過ぎだったか。

 でも、この時、聴衆は深く共感した。「浮き世の義理」で本音を話せば、役に立つ。

          
(毎日新聞東京版夕刊9月26日掲載)


 ネットが庶民の武器に

ホームページに掲示板を開設してから、大げさに言って人生、変わった。

 どういう風に変わったか、と言うと……夜中に突然、目が覚めて掲示板を覗きたく なる。トイレを済ますとパソコンの前に座り込み1時間、2時間。これがハマる、とい うことか。

 例えば掲示板に「芸能界の裏の裏のファンでした」と書き込みがあった。20年以 上前に書いた記事を覚えていてくれたなんて奇跡だ。感動する。

 しかし、以前にも「あれ、おもしろかった」なんて言われ「お世辞だろう」と思っ たこともある……インターネットになると反応が違う。不思議だ。

 深夜、誰もいない部屋の隅で、書き込みをしてくれた人と何か“赤い糸”が結ばれ たような気分になる。

 これがハマるということか。

 インターネットに縁のない人には、この感覚は理解できない。逆にパソコンのベテ ランには、しごく当たり前。

 察するに、この感覚の違いが俗に言う「IT格差」が生じる原因だろう。

 掲示板開設3日目の夜、シカゴ在留の「大輔さん」からの便りが舞い込んだ。もち ろん、知らない人である。

 うれしかった。シカゴで僕のHPを見てくれた人がいる。感動した。

 しかし、世界中に行き渡るインターネットなのだから当然と言えば当然。ネット仲 間はさして驚かないが、逆にインターネットに無縁を装う人は「電話があるじゃないか」 と冷たく言う。

 その「大輔さん」が「宮崎のお父さんのHPを読んだら」とアドバイスしてくれた。

 生まれたばかりのネット仲間。直ちに「わっ!!こどもがあぶない!こんな学校に 任せておけるのか?」と題するHPにアクセスしてみた。

 開いているのは、昨年12月4日、福岡市内の警固小学校の体育の授業中、不慮の 事故で死亡した宮崎陽子さんのお父さんである。「最愛の娘は”学校という密室”で殺 された」と信じる父は数多くの人々に「真相」を知って欲しい、とHPを開設した。

 小児喘息の持病をもっていた陽子さんは無理矢理、走らされた。伴走の体制はなかっ た。瀕死の状態で倒れている陽子さんは30分もアスファルトの上に放置されたーー という彼の主張を理路整然と綴っている。

 父は今月1日、福岡市を相手取り損害賠償を求めて提訴した。多分、地元でしか、 ニュースが流れないのだろう、日本人の多くが知らないニュースをHP好きの海外の邦 人が知る。

 因みに宮崎さんのHPはhttp://members.tripod.co.jp/TMiyazaki/index.htm

 HPは、国境を越え、巨大権力に対峙する、庶民の武器になっている。
(毎日新聞東京版夕刊9月19日掲載)


 震災モニュメントへ行こう

 読者の中には「全国どこへに行っても同じ毎日新聞を読んでいる」と信じている人がいる。それは違う。

 新聞の内容は地域によって微妙に、と言おうか、かなり違う。早い話、僕の「ここだけの話」は毎日新聞東京本社、西部(九州)本社、北海道支社で印刷される新聞には載るが、大阪本社、中部(名古屋)本社版に載らない。

 このコラムは大阪、名古屋方面の読者の肌合いに合わない、という判断もあるのだろう。時々「江戸っ子」なんていう言葉が不用意に飛び出すから「西」には不似合いなのかもしれない。

 新聞の地域性は極めて大切である。

 そこでホームページにて「ここだけの話」のバックナンバーを収録して「西」の読者に読んでもらうようにした。

 なにしろインターネットには距離、時間の制約がない。

 最近、インターネットのやりとりで「忘れない 1・17 震災モニュメントめぐり」(震災モニュメント作成委員会・毎日新聞震災取材班編著)という本を手に入れた。

 何のことはない、我が毎日新聞大阪本社の仲間が作った本である。インターネットで知るまで、その存在を知らなかった。多分、大阪の紙面では何度も紹介されたのだろうが、東京の紙面では、通り一遍の紹介だったのかも知れない。

 手に入れてみると、この本、”すぐれもの”である。

 95年1月17日の阪神・淡路大震災。その後、5年間の間に異人館、南京町、メリケンパ−ク……観光名所のすぐそばに120カ所もの震災モニュメントが建てられた。

 例えば、西宮市立高木小学校の復興の鐘、西宮市立浜脇中学校のリンゴの植樹、宝塚市ゆずり葉緑地の鎮魂之碑・タイプカプセル、芦屋市・浜風の家の「きぼう」の像、芦屋市・三八通商店街の布袋像、東灘区・保久良神社・折れた鳥居の「記念石」、JR新長田駅・イラスト「こうのとり」タイル、淡路島熊田処分場跡「時のしらべ」……どれも人々のこころがこもっている。

 そのモニュメントをマップした240ページ。写真、地図、コラム……それに「行った日」がくっついていて、自分で日時を書き込むと「日記」にもなる。

 観光名所からちょっと足を延ばし”震災の現場”を訪ねてみたい人には必読ガイド。

むしろ「東」の人々に読んでもらいたい。遠くの読者に知らせたい”地域もの”がある。これはその典型。ここだけの話だが、汗を流した善意の出版社は何故か破産。問い合わせは「マップ作成委員会」(078−595−1500)である。
(毎日新聞東京版夕刊9月12日掲載)


 村おこしの秋

 友人のお嬢さんはドラゴンボートに夢中である。

 ドラゴンボートは、漕ぎ手20人の香港のボート競技。太鼓を打ち鳴らす勇壮な闘 いだ。彼女は先月、琵琶湖の大会に 「東京龍舟」 チームの一員として出場、見事、優勝した。

 賞品はエアコン1台、近江牛5キロビール6ケース……いかにもユニークだ。

 「こんどは、どこで漕ぐの?」と聞くと「川崎村です。賞品はリンゴの木3本分で す」。

 川崎村?

 どこにあるのか、地図をたどってみた。一関市の隣の岩手県東磐井郡川崎村。人口 約5000人の小さな村だ。

 村の大半が標高350メートルの丘陵地。樹齢1000年以上の、枝が笠のように 広がった「笠松」、縄文時代の人骨が出土した布佐洞窟遺跡……と観光資源はいくつか あるが、観光客を呼べるほどのものではない。

 産業は葉たばこ、リンゴ。典型的な東北の過疎村と言っていいだろう。

 その小さな村で9月24日「北上川流域交流Eボート大会」(連絡先・TEL01 91−43−3112)が開かれる。

 Eボート?

 最近は「Eメール」とか「Eビジネス」とか、やたら「E」が付く言葉が氾濫して いる。これも“電子ボート”の事かと思ったら差にあらず。

 子供から大人まで誰でも簡単に漕げる、まったく新しいボート。ドラゴンボートに 似ているらしい。主催者は「Eは電子ではなくExchange(交流)、Environment(環境) 、Earth(地球)、Epoch-making(重要)、Ecology(生態)、Energy(エネルギー)、 Education(教育)などの意味」と言う。

 意義深い大会のようだが、要するに「村おこし」と考えればいい。

 賞品が振るっている。

 優勝チームには「キングオブボートの称号」と副賞に「リンゴの木3本分」。収穫 期になると3本のリンゴの木から取れたリンゴが優勝チームにプレゼントされる。

 「リンゴの故郷」をアピール大会は今年で3度目。ユニークな北上川のイベントは 全国区になりそうな気配だ。

 今、地方の発想が面白い。

 新潟県の十日町市など6市町村が協力して実現した、例の巨大な村おこし「越後妻 有アートトリエンナーレ2000」は9月10日幕を下ろす。

 8月14,5日付けの夕刊で三田晴夫記者がこの「大地の芸術祭」をレポートして いるので中身には触れないが、世界最大級の野外アートは地方だから出来る独創的な表 現ではないか。

 秋。参加する秋。

 ここだけの話だが、大都市のイベントより「村の発想」の方が生き生きとしている ような気がしてならない。
(毎日新聞東京版夕刊9月5日掲載)


 電子政府を拒むもの

 最近、石原慎太郎知事が都庁のIT(情報通信技術)に怒り狂った。

 話すのは、ある民間会社の公共システム担当者。役所と協力して官民協業の「電子政府」を目指す技術者である。

 「若い都議会議員が都に資料を求めた。『Eメールでお願いします』と言ったのに、職員は『先生の事務所にお届けします』。彼はア然とした。そんな悠長なことでは行政の電子化は夢のまた夢。知事に『この時代遅れ、ご存じか?』と詰め寄った」

 バブルの象徴・東京都庁の超高層ビル。ハード類は万全だが、行政の現場にインターネットを使うという意識がない。石原さんはガックリした。

 インターネットは核攻撃を受けても絶対に切れないネットを作るためにアメリカが開発した技術。1993年、クリントン大統領は、この技術で連邦政府の行政改革を進めようと演説した。「民間企業が情報化時代にふさわしい変革を遂げている間に、連邦政府は1930年代と同じ組織を継続していた」。彼はゴア副大統領にNPR(ナショナルパフォーマンスレビュー)の実施を指示した。

 形式主義の排除、顧客優先、職員の活性化、小さい効率的な政府ーーそれが電子化の狙いだが、どれもこれも日本の役所に欠けているものばかりだ。

 ”秘密の専用線”を使って市民の目から情報を隠すのが役所の仕事、と勘違いしている公務員がいる。彼らに「瞬時に市民が情報を共有するIT」を説明するのは難儀である。

 それでもクリントンの電子政府はある程度進んだ。

 さて、日本はどうだろうか?。

 昨年末のミレニアム・プロジェクトで2003年度までに電子政府基盤をつくることになった。が、決済にハンコが20も30も必要な”日本的風習”の前で電子化は立ち往生している。

 森さんにリーダーシップがない、という指摘もある。が、問題は冒頭に紹介したような公務員の「意識のズレ」にあるように思えてならない。相変わらず「情報は限られた人間だけのもの」と勘違いする。議員先生には「お届け」して、市民には「見せられない」。場合によってはトップにも情報が届かない”情報独占状況”を作る。

 ここだけの話だが、埼玉県の土屋義彦知事は「彩の国さいたま劇場」の中に立派な「舞台芸術資料室」を作った。しかし、何故か、市民に資料のコピーも許さない。図書館ではコピーが出来て、何故、ここでは「ノー」なのか。

 悪評紛々。そんなマイナス情報はトップには届かない。

 行政サービスは誰のものか?

 それが分からない”感覚のズレ”がいま、行政の電子化を阻んでいる。
(毎日新聞東京版夕刊8月29日掲載)


 ホームレス最新事情

 8月26日の土曜日、東京は恒例の隅田川花火大会。花火の当日は混雑が予想され、 隅田川に面した遊歩道は一部、立ち入り禁止になる。

 「8月18日から28日まで、この管理用通路に物を置いたり、寝泊まりする行為 を禁止します」と警察署と東京都第一建設事務所は連名で張り紙を出し、河川敷の寝泊 まりを禁止する。

 ホームレスは先週の終わり頃から、青テントを片づけ、何処ともなく姿を消す。
 この張り紙にはもう一つ、大事な意味がある。

 法律上、一カ所に2年以上住み着くつくと「居住権」が発生する。ホームレスが道 路の一カ所に家財道具を持ち込んで2年以上生活すれば「居住権」が発生して、法的に は追い出すことが出来ない。

 1年に一度は住所?を変えた「証拠」が必要なのだ。

 隅田川花火大会は、実はホームレス対策でもあるのだ。

 この辺のことは彼らも十分承知でサッサと姿を消し、10日間経つと「やはりここ が良い」と隅田川の遊歩道に帰ってくる。ホームレスは柔軟だ。

 何故、彼らは「3日やったら止められない」のか。

 ここだけの話だが、隅田川沿いのホームレス事情に詳しい”横町の理髪屋”は「衛 生管理の徹底がホームレスを助けている」と解説する。

 コンビニのパン、おにぎりは「賞味期間」がすぎると、自動的に廃棄される。しか し、捨てられたからと言って腐っている訳ではない。防腐剤が入っているから腐ること はまずない。そこで、かなり贅沢な食生活が保証される。

 朝5時半から6時ごろ、浜町河岸の遊歩道では、青いテントから起き出した住民? がそろって遊歩道を掃除する。全員参加の朝の掃除。すがすがしい。

 別に釣って食べる訳ではないが、長い釣り竿を隅田川に浮かべる。両国橋の東詰め の青テント村には、毎朝、バットの素振りに汗を流し、健康維持につとめる人もいる。
 趣味もスポーツも健在である。

 僕が目撃した光景。中年のホームレスが携帯電話で楽しげに話していた。

 最近、急増している30、40代のホームレスは身ぎれいで、下着を洗濯をして干 す。
東京見物にやって来た水上バスの乗客はホームレスの下着ばかり見学する。

 墨田区向島あたりで目撃された新事態。青テントから起き出した中年のホームレス はパリッとしたスーツに着替え、革カバンを抱えて颯爽と駅に向かった。

 ホームレスのサラリーマンがいる時代なのだ。
(毎日新聞東京版夕刊8月22日掲載)


盲学校の甲子園

   「長い寄宿舎生活の間にはどんな遊びにも飽きてしまって、何をしても全然興味を 覚えず、何か新しいものを求めたくて堪らない時期があった。その時、誰始めるともな く空カン転がしが始まった。これが盲人野球の第一歩である。昭和5年の頃であったが、 この空カンがラムネ玉、ピンポン球と変化した。ある時、校庭の隅から3,40糎の 細い丸い棒を拾ってきて、転がって来るラムネ玉をカーンと打った」

 これは「田中」という人物が昭和8年10月に書いた「盲人野球誕生する」と題す る一文。グランドソフトボールに携わる人間は必ずこの一文を読む。ラムネ玉を打った 瞬間の澄み切った音。それが原点だった。

 グランドソフトボールをご存じだろうか?。ソフトボールに似た、眼の不自由な人 達の野球である。

 レールを説明しよう。

 プレーヤーは10人。眼の不自由な人は全盲と弱視に分けられるが、この競技では ピチャーは全盲、キャッチャーは弱視、と決まっている。

 全盲選手はアイマスクをする。アイマスクをつけるのは、全盲と認定される選手で も視力に微妙な違いがあるので「全く見えない条件」に統一する。

 会場はサッカー場などを使う。野球場は芝生で打球の「音」が消えるので使えない。  さて、プレーボール。

 弱視のキャッチャーは5秒以内に連続した「かけ声や手ばたき」でホームベースの 位置をピッチャーに教える。

 ホームから12メートル離れたピッチャーはアンダーハンドかサイドハンドで球を 投げる。というより転がす。球が3バウンド以上しなければ違反。

 打者が打ったら走塁コーチャーが一塁ベースを「かけ声や手ばたき」で教える。打 者は走る。

 ベースは2つある。守備ベースと走塁ベースが離れて置いてあるのだ。打者は走塁 ベースに向かい、野手は守備ベースに球を送球する。選手を怪我から守るルールだ。

 この競技は「音」を頼りにする静寂のスポーツ。観客は押し黙りプレーを見るが、 プレーが一段落すると大歓声があがる。感動的である。

 「盲学校の甲子園」は8月24日、25日の両日、東京世田谷区駒沢公園1−1駒 沢オリンピック公園総合運動場(03−3421−6121)で開かれる。応援に来て ほしい。

 昭和26年に始まった”もう一つの甲子園”は経済的な問題で中断したこともある。 ここだけの話だが、関係者や親御さんのご苦労を知って涙が出た。でも”美談もの” にしたくない。スポーツ記事として書きたかった。

 最後に予想。優勝候補は北信越選抜。関東は復活大会以降、未だに未勝利である。

 静寂の中で行われる「もう一つ甲子園」を応援しようじゃないか。
(毎日新聞東京版夕刊8月15日掲載)


麻雀はオリンピック種目?

   特ダネに次ぐ特ダネで他紙を圧倒した「ロッキード事件の毎日」。その頃の名物社 会部長・牧内節男さん(元スポーツニッポン東京本社社長)がホームページ「銀座一丁目新聞」 を立ち上げてもう5年。

 8月1日号を読んだら中国雲南省に”マージャン小学校”が建った、という奇妙な ニュースが載っていた。
 何のことだか、良く分からない。

 ここだけの話だが、大先輩の牧内さんは気難し屋で「どういう事ですか?」と聞く わけにもいかず、その記事に登場した日本健康麻将協会・田辺恵三会長を直接取材した。

 「麻将って何ですか?」
 「中国では麻雀の事を麻将と書いてマージャンと読みます」
 「健康マージャンと言うのは?」
 「マージャンはギャンブルというイメージが強い。しかし、本当は金を賭けなくて もおもしろい。ボケ防止にも役に立つ。健康な競技なんです」

 なるほど。なるほど。
 「マージャンの発祥地・中国ではギャンブル色が薄いという訳ですか?」
 「いやいや、それは逆で中国では点棒がなくて、直接お金で決済する。博打そのも の。そこで私たちの活動が始まったんです」

 日本に雀荘、約15000軒。そのうち50軒余りが「健康麻将」の思想に賛同、 お客さんが少ない時間に家庭の主婦、お年寄りの皆さんに雀荘を開放して「健康マージャ ン大会」を楽しんでもらった。

 愛好家5億人の本場・中国にも「健康麻将」を広めようと決意した彼らは1995 年、日中友好交流麻雀大会の実現する。第一回は東京、続いて北京、南京、西安。「東 南西北(トーナンシャペエ)を一巡した。

 中国には「頭脳スポーツ」という概念がある。碁、中国将棋、チェスなどは頭脳ス ポーツだが、麻将は博打。スポーツとして認められいなかった。
 そこで田辺さん、国家体育運動委員会に「頭脳スポーツに認めろ!」と内政干渉的 陳情?を繰り返し、1998年、ついに中国政府は頭脳スポーツとして認め中国統一ルー ルを制定した。

 「そこで小学校の件ですが?」
 「我々の願いが実現したお礼に小学校を作ってプレゼントしたんです」
 雲南省の省都・毘明から約500キロ、標高3300メートルの山村に「日本健康 麻将希望小学校」が建った。

 7歳から12歳の子供たちが学ぶ小学校の建設費は300万円である。
 2008年、もし北京でオリンピックが行われれば「健康麻将」は公開競技に選ば れるだろう。
(毎日新聞東京版夕刊8月8日掲載)


7月12日 ヒラリーさんは誰のもの?

 友人から「こんな面白い話、ホームページだけではもったいない。『ここだけの話』 に載せなければ、毎日新聞の読者に申し訳ないゾ」と叱れた。

 約一ヶ月前、HPを始めた頃、日記に書いた「笑い話」が傑作だ、と褒めてくれる ので本邦初公開!ホームページから毎日新聞へ転載。

1泊2日の尾瀬の取材から帰る途中、某省の友人にばったり会った。

 彼との世間話に「景気」「健康」は登場せず、浮き世離れした笑い話…。

 アジアの某国の某高官は英語が大の不得意。アメリカを訪問するに当たって、 周囲は彼の英語力不足に頭を痛めていた。
 そこで、側近は知恵をつけた。

 「How are you?(こんにちは、お元気ですか)」と言って下さい。相手が
 「Fine, thank you, and you?(お陰様で、ありがとう。あなたはいかが?)」
 と答えますから、そしたら閣下は
 「Me, too(はい、私もお陰様で元気です)」と言って下さい。それだけを覚えて おけば、表敬はOKです。

 ところがである。
 閣下は当日、大統領に面会すると、なぜか「Who are you?(あなたは誰ですか)」 と言ってしまった。
 クリントン大統領は大いに驚いたが、隣にいたヒラリー夫人を指さし  「This is Hirary. I am her husband(これはヒラリー。私は彼女の夫です。)」と さりげなく応答した。
 すると、閣下は教わった通り「 Me, too(私もヒラリーの夫です)」と誇らしげに 答えたーー!?

 二人は真っ青な空の下で大笑いした。もっとも、この笑い話、同時通訳の世界では 有名な話でニュースではないらしい。

 と、まあ、そんなたわいのない日記を7月12日更新の個人HPに載せたのだが、 それから一週間後、何故か写真週刊誌2誌に、2週間後、某有力週刊誌に「よく似た笑 い話」が出た。

 こちらの”報道”では「英会話失言の森さん」ということになっている。
 僕に「笑い話」を披露した”某省の友人”は具体的に「英語力不足の高官」の名前 を教えてくれなかったが、森さんだったのか。いまだに半信半疑である。

 ともかく一ヶ月も経ってから同じ「笑い話」を読まされた”HPのお客さん”(当 時、延べ約200人位)には申し訳ない。が、HP主導のマスメディア連動情報発信時 代が来るような予感もするので、あえて書いてみた。
(毎日新聞東京版夕刊8月1日掲載)


もっと、恐ろしいこと

 数日前、ビル管理会社に勤める友人が「沖縄サミットが終わるとゼネコンの倒産す るんじゃないか……」と渋い顔で切り出した。
 自主再建路線が「税金による私企業救済」と批判され「そごう」は民事再生法適用を申請して倒産の道を選んだ。次はゼネコン?
 業界は倒産の噂で揺れ動いている。

 友人は「大企業の倒産は直接、一般人に関係ない。が、連鎖倒産で幾つも起きると、恐ろしいことを経験する人も出る」と話す。

 これはあくまでも希なケースだが、例えばビル管理会社が倒産するとマンション管理組合の金が心配だ。
 区分所有者から集めた修繕積立金。管理組合はこの積立金を銀行口座にして理事長、会計が管理する。ところが「日常業務を円滑に行うために」という理由で通帳と印鑑をビル管理会社に預けるケースが多々ある。

 となると恐ろしいことが起きるのだ。

 ビル管理会社が倒産した直後、債権を持つ銀行は「積立金の所有者はビル管理会社」と勝手に判断して差し押さえてしまう。マンションの住民に取っては青天の霹靂。当然、裁判になるが結果はケースバイケース。裁判の勝ち負けは微妙である。

 「やはり理事長が通帳、会計役員が印鑑を保管するのが良いのだが…」と友人が口ごもるので「歯切れが悪いゾ」と言うと「ここだけの話だが、もっと恐ろしいこともあるんだ」。
 大きなマンションの場合、積立金は「億」を越える。そこで「積立金ドロ」が登場するのだ。

 役員になり手がないのを見透かして嫌々、理事長と会計になった善意の2人がある日「積立金ドロ」に変身する。目標金額に達すると2人そろって香港にドロン、というケースを友人は幾つか目撃した。

 ああ、恐ろしい。
 倒産は善意の人々を奈落の底に突き落とす。
 だから自民党の一部には「ゼネコンを救え!」と動いている向きも多いが、正直言って不景気の原因は「ゼネコン救済施策」にあるような気もする。
 業界に詳しい関係者によれば昨今、公共事業費の約40%はゼネコンの取り分。下請けは60%の取り分で渋々工事を引き受ける。3次、4次の下請けは「とても儲からない」と知りつつ、運転資金を得るために泣く泣く工事を進める。
 手抜き工事が心配されるが、問題はゼネコンに入った40%の資金が「金利支払い」の名目で銀行の金庫に直行することである。40%の資金は流通することなく”死んだまま”である。

 「ゼネコン救済」という名前の銀行救済。これは不景気の悪循環である。
(毎日新聞東京版夕刊7月25日掲載)


森さんも良いことを言う

 首相官邸の玄関に入ると、向かって左側に奇妙な「窓」がある。
 幅約4メートル、高さ1メートルのガラス戸。初めて首相官邸に行った時は何の「窓」か、分からなかった。
 刑務所の看守が独房の中を監視するために小窓を開けるーーそんな光景を想像して欲しい。この窓も”監視の窓”なのだ。
 「窓」の向こうは報道各社の番記者が待機する「番小屋」。この窓から彼らは最高権力者に会いに来る人間をキャッチする。原則として首相が朝起きてから眠るまで権力の周辺を”監視”する仕事は激務である。

 7月7日午後1時半、官邸食堂から出てきた森さんが「番記者、ちょっとこっちへ。 これはオフレコだからな」と断って話し出した。

 「(新聞は)都合のいいところだけをつまんで書いているだろう。(中略)それを読者が見たら、部分だけ抜き出してあるから『森はひどいことを言っている』となる。それは僕も機嫌良い時も悪い時もあるから、僕が話しやすい雰囲気を作るのも仕事だろう。僕も新聞記者を短い間だがやっていたから、それが人間関係というものだろう。今でもトイレに行くところを聞かれたって『うるさい』となるだろう。トイレから出て『ああ、気持ちよかった』という時に聞いてくれればいいだろう。(中略)会議の前に行く時はしゃべる内容を考えながら歩いているし、そこで『どうですか?』と聞かれても『うるさい、この野郎』となるだろう(中略)。TPOを考えてほしい」。

 約25分にわたる要望?は、森さんが「オフレコ」と断ったこともあり、報道各社で取り扱いがマチマチ。それに森さんがこれを報道した新聞に腹をたて、番記者との取材を拒否している、と聞いた。
 まあ、大人気ない、と思うが、産経新聞が掲載した森さんの「言い分」全文を見る限り「森さんも良いことを言うじゃないか」と思った。
 首相が執務室から出ると、番記者が取り囲み、質問、質問また質問では、スーパーマンでも疲れ果てる。ここだけの話だが、番記者時代「何で、こんな非生産的なことしているのか」と一人嘆いたことがある。

 権力の中枢を取材することは欠かせない。が、立ち話で大事なニュースが飛び出すことはまずない。精々「首相の失言」ぐらいのことだ。
 「若いのだから、朝早くから夜遅くまで働け。首相の一言一句を聞き漏らすな」と葉っぱをかけられた番記者が何でも良いから質問しているとすれば、これは徒弟制度の物ではないか。
 番記者の取材形式をもっとスマートに出来ないものか。
(毎日新聞東京版夕刊7月18日掲載)


ホームページ奮闘記

 アメリカ人が一日にインターネットで費やす時間は、テレビ・ラジオを視聴する時間 を上回った。

 小説家を目指す友人は「自分のホームページで作品を発表して、お客さんがつくと単 行本にする。出版社も、ファン層がはっきりしているから便利なんだ」と解説してくれ た。 そんな時代なのか。

 有名人の多くがホームページを持っている。例えばHikki’s WEBSITE 。これ、宇田多ひかるのホームページ。「午後3時に起き、胃が痛くなるほど、タバス コたっぷりのパスタをたいらげました」といった日記が続く。発信した時間は「4日午 前3時45分」。深夜、パソコンに向かう、両親の夫婦げんかに悩む?彼女の姿が脳裏 に浮かぶ。これはテレビ、新聞、雑誌とはひと味もふた味も違う。

 有名人だけではない。普通の人が、ごく普通にホームページを持っている。
 僕も作ろう、と思ったのには理由があった。友人が人事異動で大阪に行く。お世辞か もしれないが「ここだけの話、読めなくなるナ」と言ってくれた。実は、この欄、大阪 、名古屋地区では掲載されていない。数日遅れになるが、ホームページで読んでもらお う。

 連休明け、知り合いの若者たちの協力で立ち上げ作業が始まった。ロゴのデザイン、 内容、リンク相手探しーーウキウキする。中学校の頃、壁新聞を作ったことを思い出し た。 ところがである。ここだけの話だがオープン直前、迂闊にも「広報活動」をすっ かり忘れていたことに気づく。検索登録には時間がかかるのだ。
 まず、リハビリで通う診療所でビラを配った。が、中高年の患者仲間はトンと何のこ とか分からない。それでも「娘がパソコンを持っていますから……」と言ってはくれた が心許ない。
 30枚用意したビラは16枚残った。帰りに町内の米屋にビラを渡すと、当方の下手 くそなキャッチ「明日、開店!」を見て「どんな店を開くの?」と要領を得ない。
 FAXで片っ端から友人に「明日、開店!」を流したが、果たしてアクセスはあるの か?。オープン初日の七夕、僕はアクセス件数に一喜一憂した。
(毎日新聞東京版夕刊7月11日掲載)


責任を忘れた「待合い室」

   総選挙が終わって1週間あまり。様々な分析が行われた。

 例えば、通産大臣経験者が5人も落選した。
 通産大臣はどちらかと言うと、大都会選出の議員が座るポストで公共事業バラマキ主 義とは異なり、IT(情報技術)革命に熱心な人が多かった。
 大都会で集めた税金を田舎の公共事業に使う自民党は、90年代、都会人から「NO !」と言われ続け、何とか「連立」で生き延びてきた。しかし、それも限界。公明党の 協力を得ても「田舎政党に縁を切る」という有権者の強い意向は変えることは出来なか った。通産大臣経験者は「公共事業一辺倒の自民党候補」というレッテルを張られ、そ ろって討ち死にした。

 皮肉なことだが、相変わらず田舎では公共事業推進派が楽勝しているから、自民党内 の力関係は「公共事業派の一人天下」ということになる。
 自民党が「田舎の顔」と「都会の顔」を持ち続けることはもう無理である。  落選した自民党都会派は「大都市保守新党」を作るしか道がない。例えば石原慎太郎 新党。田舎の価値観と対決する政党を作るしか生きる道はない。
 とまあ、生意気にも、そんな政治予測をする僕だが、実はもっと深刻のことに憤って いる。日本人が「責任を取る文化」を忘却したことである。
 「大勝はしないけど、大敗もせん」と見極めた野中さんが、責任ラインを低めに設定 した。これが「負けても責任を取らない」の始まりだった。野中さんだけではない。上 から下まで誰も彼も責任を取らない。

 大体、テストを受ける生徒が「勉強していないので、合格点は100点満点で40点 にしよう」なんて決めること自体、おかしい。
 日本のリーダーは政治家であれ、経済人であれ、教育者であれ「責任を取る文化」を 忘却した。中小企業の経営者が家屋敷を手放し、中には自殺に追い込まれているのに、 巨大な私財を隠し、公的資金を求める破産民間企業のお偉方がいる。責任放棄の世の中 。

 先週、大先輩の政治記者・岩見隆夫さんと中曽根元首相に会った。中曽根さんは「責 任追及が起こらないのは待合室に問題がある」と笑いながら話した。「待合い室」とは ニューリーダーのことだろう。
 中曽根さんには自慢の句がある。「道を行く 若葉の照りに はじらいて」。若い優 秀な人がまぶしくみえるーーという意味だろう。ここだけの話だが、中曽根さんは「ま さに今”若葉の照り”なんだがネ」と苦笑いした。

 責任を追及しないから、僕の時も、追及しないでーーという「待合い室」の堕落は” 若葉の照り”とは無縁である。
(毎日新聞東京版夕刊7月4日掲載)


ブランド負け

 一度も会ったこともない青年が「知恵を借りたい」とやって来た。母親も同道している。
 「D社の入社試験を受けたのですが、一次で落ちてしまいました。コネはしっかりしているんです。何とか一次に潜り込めば、入社できるんですが。何とか出来ませんか?」
 「……」
 「何しろ、息子はD社に入ることばかり考えて勉強して来たんです…」と母親が応援する。
 「あきらめれるしかないでしょ」。
 冷たくならざるを得ない。D社に知り合いもないし、第一、彼らの言い分は”ルール違反”じゃないか。
 確かに就職は筆記試験の成績だけで決まる訳ではない。本人と家族の”総合力”のようなもので決まる。
 ここだけの話だが、ある国会議員は「裏口入学を世話しても誰も『○○先生のお陰』とは言わない。でも、就職を世話すると『○○先生のお陰』と吹聴してくれる。不思議なものだ」と話していた。確かに”裏口入社”に罪悪感は存在しない。
 それにしても「世界のD社」はそんなに魅力的なのか?。
 某出版社の30歳代の女性編集者が「D社の社員と結婚するのが夢で、婚期を逸した、という女性が何人もいるのよ」と話す。これはもう”人生のブランド負け”である。
 さて、くだんの母親。「息子はD社に入りたくて、人一倍、勉強したのに」と涙を流さんばかりである。
 シングルマザーをテーマにしたNHKの朝ドラ「私の青空」で、加賀まりこが扮する「漁師の妻・お玉ちゃん」は気の利いたセリフを吐く。
 「もっと勉強すれば良かった」と後悔する我が子に、お玉ちゃんは「顔とハートが悪い人間は、致し方なく学問をする。それだけだよ」。
 立身出世のために勉強して、運悪く挫折すると、元々、悪い人相がさらに悪くなる。
 立身出世もブランド志向も、カッコ悪いことーーと知るべきである。
(毎日新聞東京版夕刊6月27日掲載)


何人もいる肩書ニッポン

 30年近く「町内会長」を務めた友人が、東京都知事表彰を受けたというので、お祝い会が開かれた。
 来賓の一人が「前の青島知事ではなく、石原知事から表彰を受けたのは同慶の至り」と、あいさつするくらいだから“慎太郎人気”は並大抵ではない。
 空いていた隣の席に、八代英太郵政相がアタフタとやって来た。
 「何でここに?」と彼。「やつ、古くからの友人なんだ。八代さんこそ?」「ここ、僕の選挙区なんだ」
 あいさつに立った八代さん。「ここに来て何年ぶりかで友人に会いました。毎日新聞論説委員の牧太郎さんです。実は昭和52年、私が参議院に立候補をした時の仕掛け人でして……」と話し出した。「車いすを国会へ!」と応援したのは事実だが、間違いがある。僕は論説委員でなく編集委員である。新聞社の意見「社説」を書くのが論説委員。編集委員は社説を書かない。訂正しなければならない事柄だが、別に「訂正!」と言うほどのことでもない。それでも同じテーブルの毎日OBの政治評論家・三宅久之先輩が「牧のヤツ、いつから論説委員になったんだ」といった表情。
 宴たけなわ、初対面の方から声をかけられた。「論説委員は何人もいらっしゃるんですか?」「実は私、編集委員でして……」「そうですか。編集委員というのは偉いんでしょうね?」「決して偉いというわけではありません」
 この人、新聞社に関心があるらしい。「仕事ですか? いろいろありますが、まあ古手の新聞記者と思っていただければいいでしょう」
 編集委員にはデスク的な仕事をする人もいれば、専門記者もいる。それを詳しく説明するのは難しく「古手の新聞記者」という表現を使った。
 すると、この人「それほど偉くないんですか。実は、私の友人にも毎日新聞の編集委員をしている者がおりまして……。□□というんですが」
 これには困った。□□君は親しい友人。決して偉ぶったようなところはないけど、もしかして「編集委員の重責」を力説していたかもしれない。
 「僕のようないいかげんな編集委員もいれば、立派な編集委員もいまして」と妙な“釈明”になってしまった。
 なにしろ「肩書」は面倒くさい。だが「肩書」がないと生きていられない人もいる。最近「保証金を払って入社すれば、好きな“肩書”を使うことができます」という奇妙キテレツな商売が登場した。
 再就職の面接で「前の会社で何をしていましたか?」と聞かれると「部長をやっていました」と答える人が何人もいる。“肩書ニッポン”である。【編集委員】
(毎日新聞東京版夕刊2月29日掲載)


「お世継ぎ」の重圧

 雅子さまのご懐妊報道を取り上げたためだろうか、このところ、女性の読者から、お手紙をいただく。
 多くの女性が「ご懐妊騒ぎの前から“雅子さまはお気の毒”と思っていた」と正直な思いをつづっている。ここだけの話だが、ある人は「お世継ぎを産んでほしい、という皇室関係者の期待は雅子さまにとって大変な重圧だったと思います。私には女性を“子供をつくる道具”としか考えないようで許せないのです」という意見を寄せて下さった。
 僕も、「お妃(きさき)の諸問題」の本質はここにある、と思っていた。
 子供を産む自由、子供を産まない自由。これは日本民族、誰(だれ)にも保障された権利である。にもかかわらず、皇室に嫁いだばかりに、この「自由」を失う。それが悲しい。
 皇室典範の第1条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあり、女性天皇を認めていない。だから皇太子妃には「お世継ぎ」誕生が期待される。その期待を知りながら皇室に加わったのだから気の毒だが仕方ない、と主張する向きもあるようだが、それは憲法違反である。
 「天皇」は国家元首的機能を務めているが「天皇」の地位にある個人は日本民族の一員。個人として「神」であったり「主権を持つ王」であったり「他民族の一員」であったりすることはない。「天皇」が日本国民に含まれるかどうかについても、政府は「主権は国民にある。この国民のうちには天皇を含む」と説明したことがある。
 皇太子も日本民族の一員たる個人として結婚するのであって「国家元首的機能」が結婚するのではない。だから、彼らにパートナーを選ぶ自由が存在するし、お妃が子供を産む、産まない「自由」を持つのは、当然である。
 皇室典範を変え「女性天皇」を認めることも必要だが、皇室の「機能」と「個人」を分けて考えればよいではないか。「天皇」個人に子供がいなければ、他の皇族が「機能」を譲り受ければよいだけのことである。
 梨園(りえん)に嫁いだ某有名女優が「男の子を産むまではまともに扱ってくれなかった」と述懐している。日本の社会はいまだ家父長制を引きずっている。
 女性というだけで、生まれながらに家長の支配する家族形態に組み込まれる不幸。一般社会ではようやく、その不幸がなくなりつつある。
 日ごろ、家父長制に批判的な朝日新聞でさえ、こと皇室のことになると、その時代の流れを無視して「国民の最大の関心事」とばかりに深夜「懐妊の兆候」の号外を出す。
 そこに、僕はジャーナリズムの哲学的危うさを感じてならないのだ。【編集委員】
(毎日新聞東京版夕刊1月18日掲載)


「書かない特ダネ」のこと

 外出から帰ると留守番電話に「オブチケイゾウです。おめでとうございます。昨日の『ここだけの話』を読み、感服しました」。
 聞き覚えのある声。
 うわさには聞いていたが、突然、総理大臣が電話を掛けてくるのは本当なのだ。しかも“留守電”である。
 ひょっとすると偽電話かもしれないが、まあいい。まさか公務多忙の総理大臣に「留守電にメッセージ、入れた?」なんて聞くわけにもいくまい。ともかく紙面を借りて留守電の「オブチさん」にお礼申し上げる。
 実は、前回、朝日新聞の「雅子さま、懐妊の兆候」号外報道を批判したら、オブチさんをはじめかなりの方からご意見をいただいた。読者、特に多くの女性読者には僕の意見に賛同していただいたが、ここだけの話、むしろ毎日新聞の仲間には、どうも評判が悪い。
 「もし、君が“懐妊の兆候”の事実を知ったらどうする。君なら書いたはずだ」「毎日は報道合戦で朝日に負けたんだ。それを認めないで批判するのは引かれ者の小唄」「皇室は公人の最たるもの。プライバシーうんぬんは関係ない」等々。
 ごもっともな意見もある。が、ひとつだけ明確に答えられることは「僕だったら書かない」ということである。
 雅子さんがお妃(きさき)に決まった時、こんな経験がある。サンデー毎日の同僚(皇室担当ではない)から「ある人に聞いたのですが、雅子さんがお妃に決まりました。どうしましょう」と相談された。僕は病気で編集長を辞め、一介の記者になっていたが、相談相手にはなれる。
 僕は一部始終を聞いて「書かない!」と即座に判断した。情報元が「雅子さんとごく親しい、権力を持たない人物」だったからだ。ニュースソースを調べられ、その人が職を失ったらどうするのか。
 ニュース源の秘匿は、第一の人権保護と思っていた。
 十数日後、婚約発表。協定があったにせよ、もしかしたら彼の一世一代の特ダネになったかもしれないが、我々は「書かない道」を選んだ。
 僕は「何でも書く男」と思われがちだが、そのくらいの「つつしみ」は持っている。だから、書かない。
 皇室は公人――という大義名分で、大新聞が「スクープの自己満足」に走るのが、いささか気になるのだ。
 「カッコ良すぎる」と仲間から言われても、持論は変えない。毎日にも朝日にも「書かない特ダネ」が、幾つもあったじゃないか。【編集委員】
(毎日新聞東京版夕刊1月11日掲載)