先週末、福島・栃木県境で先約があり「針木康雄さんを笑顔で送る会」(6日、東京都港区のホテルオークラ東京)を欠席した。取材の約束は「親が死んでも」守る方だから仕方ないが、残念だった。
どんな面々が、笑顔で針木さんを送ったのか? 知りたいと思っていたら、10日の「夕刊フジ」が詳しくレポートしてくれた。
政財界、スポーツ界、芸能界から参加者500人。「いたずらっ子がそのまま大人になった」とホリプロ創業者の堀威夫さんが話したらしいが「よく書き、よく遊んだ」針木さんらしく、歌、踊り、浅香光代さんの剣劇。まるで芸能人のパーティーのような華やかだった、と書いている。
針木さんが吹き込み、22年前に発売された「戦友ニッポン」に合わせて赤坂の芸者衆が舞を披露……浅香光代さんが「アタシを(天国に)呼ばないでね」と針木さんの写真に話しかけ、爆笑になったらしい。
桜満開の頃。日本一の「偲ぶ会」ではないか? 欠席したのが、損したような気分だ。
でも、こんな豪放磊落の針木さんでも、涙を見せたことがあった、と始めて知った。
月刊経営塾フォーラムで、経営塾の副会長、中原秀樹さんが「追悼 針木康雄 承後」の中で明かしたエピソード。
「財界」の記者から独立して「経営塾」を立ち上げ、順調に部数を伸ばしていた頃。針木さんは「皇室に対する不敬とも思える筆禍事件」を起こしてしまう。
民族派団体の猛烈な抗議。「針木! 出てこい!」。日本経済新聞が広告の掲載を拒否。広告主の出稿ストップ。
創刊100号記念パーティーも混乱が予想されるという理由で、中止を決めた。
その夜、針木さんは、中原さんの前で、ワンワン泣いた。
ジャーナリストの涙には、いろいろあるだろうが……無念だったろう。
大泣きに泣いたのが「イタズラ小僧」の針木先輩らしいのかも知れない。
「言論の自由」なんて、あり得ない! のかも知れない。
その「言論の不自由」の中で上手に「真実」を貫き通すのは……至難の技だ。針木さんは、以後、上手に「自分の舞台」を守り通した。見事だ。500人の参加者が、それを証明している。
針木先輩が死んでも教えてくれた。
今、11日午前6時。隅田川はもう雨が降り出している。
午後から、風が強いらしい。
花吹雪になる。
<何だか分からない今日の名文句>
春植えざれば、秋実らず