小畑和彦は、かつての毎日新聞の同僚。同い年。早稲田大学政経学部出身も同じだが、僕の方が、入社が一年早かったので「先輩ヅラ」して付き合っていた。
二人とも、社会部遊軍だったころ、多分、1980年だったと思う。富士見産婦人科病院事件が起こった。
埼玉県所沢市にあった富士見産婦人科病院(すでに廃院。現在富士見市にある富士見産婦人科とは別)で乱診乱療疑惑が発覚した。
妊婦患者が、この病院の診察で子宮癌を宣告された後に、他病院で診察を受けた際に「全く問題が無い」と医師から告げられた。
この病院では不必要な手術を行い、女性の健康な子宮や卵巣を摘出しまう「乱診乱療」を繰り返していたのではないのか?
この疑惑は朝日新聞のスクープで、世の知るところになった。
抜かれたら抜き返せ!
と言うのが(当時の)事件記者の掟。社会部の遊軍から、小畑と僕が現地に派遣された。
一週間、埼玉西支局に泊まり込んだ。悪戦苦闘だった。
正直言って、二人は 医療の知識に乏しい。確かに「乱診乱療」の疑いはあるが、調べれば調べるほど、決めつける証拠がない。(事実、裁判の判断も、乱診乱療に関しては「証拠不十分」だった)
そこで、小畑と相談した。「乱診乱療」は朝日新聞に任せよう。それよりも、伝えるべきは、病院の異常な政治献金ではないか?
テーマを「政界の黒い霧追及」に変えてしまおう!
二人は、毎日新聞一面トップで富士見産婦人科病院側が大物政治家に政治献金をおこなっていたことをすっぱ抜いた。このスクープで、斎藤邦吉厚生大臣は引責辞任した。
ともかく、抜き返した。
この事件で、小畑と僕は「悪戦苦闘の戦友」だった。
僕が政治部に移ってからは、一緒に仕事をすることもなくなったが、あの事件のことは一生、忘れない。小畑の自宅に泊まって、酔い明かしたこともある。
その戦友の小畑が、4月1日ガンで亡くなった。
早かった。あっけなかった。
彼は、一線の記者を終え、一時は 航空部長など管理職を歴任したが、その後、社史編集の要になった。
退社後も、新聞史ジャーナリストとして健筆を振るった。記憶に残っているのが「Maiぱれっと」の2007年1月号「スクープ・その時」というコラム。取っておきの秘話が披露されている。
1939(昭和14年)年5月12日付東京日日新聞(毎日新聞の前身)は「本年度物資動員計画実地綱領」というスクープを一面トップに載せた。昭和14年の統制品目は120余。軍需の資材を最優先にして、民需は一段と厳しく、統制されるという特ダネ情報である。
権力は怒った。どこから秘密情報が漏れたのか?
この記事が出た翌14日早朝、高田元三郎主幹は警視庁特高課員により連行される。記者も、政治部長も、デスクも身柄を拘束された。平沼内閣は情報提供者を探すべく、執拗に取調べを続ける。記者は1週間以上も拘束。「発表のないものを報道した」という理由で、当時の新聞紙法を始めて適用して、政治部デスクに300円の罰金を言い渡した。その頃から、大本営は積極的に「嘘」を流すようになる。新聞は、結果的に身動きできなくなる。
小畑は「権力と新聞の力関係」を見事に活写していた。
流石に、我が戦友、小畑だ。
今夜(5月23日)学士会館で「毎日新聞記者・小畑和彦を偲ぶ会」が開かれる。
<何だか分からない今日の名文句>
記者の醍醐味は「権力との緊張感」