目に浮かぶ「喪中の風景」
【22日のブログは多忙につきお休みいたします。】

 喪中を知らせる季節になった。
 同期生の「三村」から、こんな葉書を貰った。
 「母 茂子が3月14日に九十九歳三ヶ月で永眠いたしました。せめて、百歳までと思っておりましたが、残念。肺炎には勝てませんでした。
 大正元年生まれ、女子師範を卒業後、小学校教員を長年務めました。弔辞を読んで下さった教え子が八十四歳にはビックリ、いいおふくろでした」
 型通りの「喪中ハガキ」とは違う。心がこもっている。
 告別式の風景が見えるようで……立派な、お母さんだったのだろう。奴が、堂々と自慢している。
 「立派だった日本という国」が目に浮かぶようだ。
 三村! 羨ましいぞ!
 今週は嫌に忙しい。会合が幾つもあって……金曜日から三連休なので、原稿の締切が早い。
 毎日フォーラムの、ことし最後の時評を書いて、夕刊のコラム「大きな声では言えないが」を走り書き。20日午前2時頃、サンデー毎日の「青い空白い雲」に取り掛かったら……睡魔に襲われ、眠ってしまった。
 気がついて、送稿済みの夕刊の原稿を読み返してみたら……どうにも雑駁で、事実誤認もある……ともかく「商品」になっていない。
 未明の「書き直し」になってしまった。
 今日20日は、筋トレと慈恵医大の右手のリハビリ。来客があるし、明日は東大病院の目の検診。それに、ジャパンカップのウェルカムパーティーもある。サンデーの原稿を書く時間がない。困った。困った。
 来週も……ちょっと忙しくて……母校・日大一高の 創立百年記念式典があるが、出られるか……

<何だか分からない今日の名文句>
二の酉が過ぎれば「誰でも走る12月」