8日は未明から、テレビにかじりついていた。
2020年オリンピック開催地の決選投票。ハラハラした。開けてみれば、東京は60票、イスタンブールは36票。圧勝だった。
東京では1964年以来56年ぶり2回目の五輪開催。おめでとう。関係者のご努力に敬意を表する。
毎日新聞のコラム「牧太郎の大きな声では言えないが」でも、このブログでも「落選してもイイじゃないか?」と書いていた。
今の日本には、五輪より「やるべきこと」が沢山ある!と言うのが、僕の主張。でも、老い先短い当方「出来れば東京オリンピックを見たい!」と言うのも本音である。
2020年には75歳。まだまだ、元気で、東京オリンピック、パラリンピックを楽しむゾ!
でも、テレビにかじりついた「歴史的な一日」には、幾つか疑問が残った。
例えば、東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題で、安倍さんは「(福島第1原発の)状況はコントロールされている。東京にダメージが与えられることは決してない」と説明した。
近海モニタリングのデータなどを示して、「汚染水による影響は港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている。抜本解決に向けたプログラムを私が責任を持って決定し、すでに着手している」と答えた。
これまでこの問題で、何も言わなかった総理大臣が、数日前、急遽「対策」を発表して「安心だ!」と自信満々である。
本当なのか?
甚だ、疑問である。
東京五輪という「国家的目標」を達成するために、もし、国民を、世界を騙したとしたら、これは「誤った国家主義」である。そんなことは断じてない!と信じたいが……。
「国家の目標」が「国民の目標」になる国家主義には「光と陰」が同居する。
18世紀以降(日本では明治維新以降)、国家は、軍事力、経済力によって「支配権」を拡大しようとした。国民も「強い国家」を願うようになる。
帝国主義、覇権主義の時代である。
そこには、いつも「光と陰」が同居した。
今、我々は、日中、日韓関係という「国家主義のぶつかり合い」に苦闘している。
中国も、韓国も、内政の失敗を「日本を批判する」ことで隠そうとしている。「国家主義」で、隠そうとしている。
国家主義の「陰」が表面化した「危うい時代」である。
日本も、同じような道を選ぼうとするのか?
疑問である。
9月8日は、良くも悪くも「国家主義の一日」だった。
五輪決定を素直に喜び、同時に「誤った国家主義」にならないような「冷めた目」を持ち続けることが必要ではないだろうか?
少し時間を置いて、皆が冷静になったころ、毎日新聞のコラムで「五輪と国家主義」について書こうと思っている。
<何だか分からない今日の名文句>
自然に生きる「鳥たち」に国境はない