病院の売店で

 毎日新聞社にご無沙汰になった。
「右手の特訓」で入院しいることもあって……まあ、3月末に退社したのだから、当然と言えば、当然だが……
 すると「新聞」と距離感が、ある意味では遠くなり、逆にある点では近くなる。「新聞の弱点」のようなものが、目に見えてくる。
 この病院の売店には、朝日、日経、東京の一般紙と、日刊、中日、デイリーのスポーツ3紙が販売されている。が、ほとんど、売れていない。(観察すると、日刊スポーツが売れている方だが、それも2部。しかも、1部は僕が買っている)
 「年寄り」が多いから、と思ったが、意外だった。
 週刊誌も週刊文春、週刊新潮、週刊現代、週刊朝日、サンデー毎日が三部づつ販売されているが、文春、新潮は先週、まるで売れなかった。
 サンデー毎日と週刊朝日が一部ずつ売れていたが、多分、大学合格号で売れているのだろう。
 ともかく、活字媒体は苦戦している。
 ネットと無縁の年寄りでも、 新聞を買わない。
 もしかすると新聞に対する「信頼感」がなくなっているのではあるまいか?
 例えば……新聞は長いこと「決められない政治」「閉塞状況」と政権を批判していたが、 安倍さんが「決める(過ぎる)政治」を進めると、ドギマギして「変わることが怖い」と批判する。
 新聞は何を言っているのか?
 その新聞の曖昧な姿勢で、信頼を失っているのではないか?
 「決めなければならないこと」と「やってはいけないこと」を区別して、どう読者に知らせるのかが肝心なのだが、それが今の新聞には出来ない。
 多分、記者会見で、情報をもらって努力しないで、幹部になっているから「プロの新聞人」に程遠い面々なのだろう。僕もそうなんだけど。
 そんなことを考えているうちに、来週の「牧太郎の大きな声では言えないが」では、あえて「新聞の無力」を書こう!と決意した。
 21日の「大声」を読んでくれ。
 さて、皐月賞。晴れなら良いのだが。

<何だか分からない今日の名文句>
人の振り見て我が振り直せ!