「仮装一流国」である必要はない!

 ハガキ一面に毛筆で「牧太郎 がんばれ!」と大書した“便り”が来た。
 「一般民衆の声が届かないもどかしさ!」と書いてある。
 戦争なんて大嫌いだ!という民衆の声が掻き消され、憲法を無視して「集団自衛権行使」が認められようとしている。
 このハガキに、国民の「もどかしさ」が滲み出ている。
 松本大学で「地域社会とエコツーリズム」を教えている「かつての同僚記者」からも手紙をいただいた。(この人、話したこともない間柄だが)
 「今、新聞を空しく読むことがあります」と書いている。
 「権力に対して、ものを言えない弱さを感じてなりません」と書いている。
 恥ずかしいが、その通りだ。
 新聞が何も言えないがばっかりに、平和憲法は今、葬られようしている。
 今日15日、首相の私的諮問会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇、座長・柳井俊二元駐米大使)は集団的自衛権の行使容認に向けた報告書を安倍さんに提出する。
安倍さんは夕方、記者会見し、集団的自衛権を容認する解釈改憲を含め、今後の検討についての「基本的方向性」を示す。
 日本は曲り角に立った。
 あえて言いたい。
 日本は「一流国」でなければならないのか?
 大国主義に酔った主導者たちが「集団自衛権」という名の下に「軍拡」への道を突っ走る。
 戦前「一流国」を目指して、戦争に突入、泥沼に墜ちて行った「あの時」と同じように……、
 日本は「一流国」でなければならないのか?
 経済でも、軍事でも、科学分野でも、スポーツでも、なんでも「一流国」である必要があるのか?
 大事なのは「国民の生活の質」じゃないか!
 民衆の「幸せ」が一流であるか?
 それが問われるのが「政治・外交」じゃないか。
 小さな領土問題を無視しろ!とは言わない。
 これは大事だ!
 でも、一番大事なのは「国民生活の質」である。
 戦争に負けて、日本は「民主主義」を手にした。戦争放棄で「豊かな生活」を勝ち得た。
 これが、憲法に守られた「豊かな日本」である。
 この平和憲法を空文化する指導者たち。
 二世議員の「世間知らず」が「美しいが日本」なんてキャッチフレーズに酔っ払って、日本を「戦争が出来る国」にしようとしている。
 これを許してはならない。
 気がつけば、周囲は……御用新聞の輩ばかりだが……読者の皆さんは応援してくれる。
 だから……牧太郎は「時代遅れの国家主義」と戦う!

<何だか分からない今日の名文句>
引きずる「一流国の幻想」