柳橋の「代地会報」第2号が出来上がり、15日、世話役の重岡卓さんが届けてくれた。
今回は、頼まれて「柳橋代地は夜の首相官邸だった」という一文を寄せた。
昭和35年の両国花火の日。実家近くの「料亭・津久松」の前で、須賀一さんが撮ったスナップ。この写真を元に、当時の柳橋代地の隆盛を書いた。
「代地会報」は好評らしい。店内に置いてもらったら、一日で、なくなったところもあるらしい。
「内山庄栄」と言われる方から、僕の一文を読んで、懐かしかった!というお手紙を頂いた。
ありがとう。
書いて良かった、と思った。
母方のおじいさん「牧文次郎」は昭和初頭「代地睦会」を作ったメンバーの一人。東京・日本橋「洋書の丸屋善七店(通称・丸善)」の番頭だった人で、独立して「東京深川屋」の名前で「新撰皇國道中明鑑」(鉄道馬車事情を紹介した本)などを出版。後に家業の料亭「深川亭」を継ぎ、当時、日本一華やかな花柳界と言われた「柳橋料亭組合」の組合長を務めた。
インテリで、文章が好きな「おじいさん」だったらしい。
80年ぐらい経って「代地会報」が誕生。孫が巻頭を書く。さぞ、喜んでいるだろう。
<何だか分からない今日の名文句>
「代地」の祭りは6月3、4日
(第六天榊神社の大祭)