週末の野暮用は「年末らしい厄介なこと」ばかり。例によって、銀座松屋で、お歳暮を注文。ことしも、あと50日間だ。
土日はトランプ日韓中歴訪の分析という「お勉強」。時間が余ったので、月刊誌「世界」を熟読した。
笠原十九司氏の「戦争の《前史》と《前夜》」という論文が勉強になった。
「(歴史は)あたかも偶発的事件によって、戦争が始まったかのように描いているが、戦争勃発の契機になる《事件》に至った《前史》を学ぼう。幾つかの《事件》は《必然》だったことに気づく」というような指摘である。
確かに、日中戦争の前史をよく読むと《事件》は偶発的でありながら《必然》でもあった。
今、日韓を巻き込む「米朝の緊張」にも同じことが言える。
もし、トランプが大統領にならなかったら?もし、トランプが「あんなこと」を言わなかったら?こんな《事件》は起きなかった!というような予感がする。
もし、安倍晋三が首相にならなかった?ということも言えるだろう。時を同じくして、日本人の一部が「戦前の国家主義」に戻ろう!と画策する。一億火の玉で、戦争に勝つ!という極右の台頭?
彼らが、勘違いしなければ、こんな《事件》は起きなかった!ということも、あるかも知れない。
政治ジャーナリズムがこれほど脆弱にならなかったら?リベラル主義が、これほど脆弱にならなかったら?こんな《事件》は起こらなかった!
そんな結論を、僕は予感しているのだ。
2017年の「最後の50日間」。《事件》が起きなければ良いのだが。
<何だか分からない今日の名文句>
リベラリズムの主軸は一億一心の対極にある
(宮澤喜一の言葉)