森喜朗首相(当時)の買春検挙歴、安倍晋三首相のパチンコ業者との癒着と自宅火炎瓶事件、則定衛東京高検検事長(当時)の愛人スキャンダル……これ、みんな「噂の真相」のスクープだった。
何でも書く。反権力、反権威のネタなら、何でも書く。
「噂の真相」の編集長を25年務めた岡留安則さんは「書いたもの勝ち」だった。ことの真偽は敢えて問わない。 それなりの取材が出来れば、すぐ「字」にする。それが岡留流だった。
サンデー毎日の編集長だった頃「裏取り」取材に汗をかいていた我々は正直「無頼の岡留流」に嫉妬したものだ(笑)
当時「噂の真相」には、批判されたり、褒められたり、何度か取り上げられた。その度に「勝手に書きやがって!」と腹を立てた(笑)
その岡留さんが1月31日、右上葉肺がんのため那覇市内の病院で死去した。71歳だった。
法政大学社会学部を卒業後、法学部に学士入学。一貫として、学生運動に没頭した。いわゆる「団塊左翼」だったのだろう。
『マスコミ評論』を経て1970年3月『噂の真相』を創刊。広告を入れない方針で、何でも書いた。スポンサーがいないから、何でも書けたのだろう。羨ましかった。
2004年4月、休刊した。残念だった。
確かに、週刊文春が政界スキャンダルを連発していたが、週刊誌は「文壇のスキャンダル」を書かない。 文化人という「権力」「権威」は批判されない。おかしいじゃないか?
「噂の真相」が無くなって、文化人批判がタブーになった。それが残念だった。
その後、岡留さんは沖縄県に移住。飲食店を経営しながら、沖縄の米軍基地問題で発言し続けてきたが……数年前、脳梗塞を発症。ガンも見つかり、闘病を続けていたらしい。
71歳。早死だ。
でも、岡留流の「書いたもの勝ち」は、ネット世代に受け継がれている。
良いか?悪いか?は敢えて言わない。でも、岡留さんは「筋を通した無頼」だった、と思う。
家族を持たなかった。いつ死んでも仕方ない!と思っていたのだろう。妻子がいないのが「無頼」の証拠だ。
ともかく、岡留さんはカッコ良かった。
<何だか分からない今日の名文句>
「死んだら沖縄の海に散骨してくれ」
(サングラスの遺言)