主にBS放送が中心だが、19日から20日に掛けて「日米安保条約改定60年」絡みの番組を幾つか見た。
安部首相の祖父・岸信介が国内の猛反対を力ずくで押し切り、時のアイゼンハワー大統領と「改定安保条約」に署名してから60年経った。
外務省の飯倉公館で行われた記念レセプションで安部さんは「いまや日米安保条約は、いつの時代にもまして不滅の柱」「世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱」と話したらしい。
不滅?不動? まさか!そんなこと、信じているのか?
「同盟」は必ず崩壊する。(特に「多国間同盟」は間違いなく崩れる)歴史がそれを証明している。
にも関わらず「日米安保」は比較的「寿命」が長い。
何故だろう?
それは戦勝国・アメリカと敗戦国・日本の「従属条項」だからだ。
このことを一番、良く知っているのは「アメリカの国益を実現するため、アメリカによって選ばれ、アメリカの資金で政権を奪取した」岸信介である。
A級戦犯として拘留されていた岸さんは、なぜ起訴を免れ、釈放されたのか?多分“米国の手先”となる裏取引に応じ、無期懲役を免れたのだろう。これは歴史の定説でもある。
その時から、日本はアメリカの従属国になった。
(改定日米安保は、米国の極東戦略のために日本を差し出す「負担条項」ばかりだ)
岸さんは「戦後の日本が進む道はこれしか無い」と思ったのだろう。あるいは、日本人の大多数が同じだったかも知れない。
その「アメリカの手先政治」に異議を唱えたのは「田中角栄」。反アメリカの田中角栄はCIAの策謀で?ロッキード事件の刑事被告人にされてしまった。
こんな思い出がある。
駆け出しの政治部記者の頃、自民党河本(敏夫)派を担当した時である。
河本さんが派閥勉強会の会場の箱根のホテルから、深夜、タクシーを拾い、一人で抜け出しのを目撃したのは1982年9月4日のことだった。
河本さんが向かったのは、御殿場の岸信介元首相の別荘。岸さんは、この頃でも「アメリカの代理人」として、一定の力を持っていた。
しかし、この時、首相は鈴木善幸さん。ロッキード事件で逮捕されたが、闇将軍に返り咲いた田中角栄の子分だった。
鈴木首相は「日米同盟は軍事的な意味を持たない」とあえて発言していた。角栄の意見だろう。アメリカを怒らせた。
この夜、岸さんは河本さんに向かって「鈴木クンはダメだ。このままでは、日米関係は閉塞状態になる。キミが、総裁選に立候補しろ!」と勧めた。
鈴木再選を目指す「闇将軍・田中角栄」。アメリカのために、河本擁立を画策する「妖怪・岸信介」ーーという図式である。
この会談の中身を知った僕は毎日新聞に「河本、総裁選に出馬!」をスクープした。
その結果、鈴木さんは続投せず、総裁選の結果「日米同盟派でありながら、田中角栄の子分になった」中曽根さんが天下を取った。
岸さんは「アメリカのために河本さんをダシに使い、親米中曽根政権」を創った。
良くも悪くも岸さんの一生は「日米安保」が全てだった。
そして、日本という国も、良くも悪くも「アメリカの言いなり」なのだ。
安倍さんが「いまや日米安保条約は、いつの時代にもまして不滅の柱」と話した意味は……「どの時代より、安倍政権はトランプ大統領の言いなりです!」と宣言しているようなものだ。
それで良いんだろうか?
<何だか分からない今日の名文句>
中曽根内閣は「田中曽根内閣」だけど
「第二次岸内閣」でもあった