女剣劇の浅香光代さんが「膵臓がん」でなくなった。92歳だった。
で、スポーツ新聞などが「浅香さんと首相も務めた大物政治家との間の隠し子」という表現で、息子さんが「思い出」を語っているが、コレ、厳密に言えば「誤報」である。
浅香さんは2013年、週刊誌上で「19歳の時、30歳以上も歳の離れた妻子ある政治家の子どもを妊娠し、未婚のまま、その男性との間に2人の男の子を産んだ」ことを告白した。
14年、あるイベントで、実名は伏せたものの、記者から「元総理大臣ですか?」と確認されると「そうです」と明言。子供には「国をつかさどる、素晴らしい人」と伝えたことを明かしていた。
実は、この発言、永田町でも「父親は誰か?」と話題になったのが、4月15日放送の「グッド!モーニング」で、浅香さんは「父親は元首相ではない」と“前言撤回“。
「総理大臣になるところだった人」と言い直し「言い方が悪かった。アイムソーリー(総理)です」と釈明している。
多分、浅香さんが「話題作り」で、つい「父親は総理大臣」と言ってしまったのだろう。
もう一つ「女剣劇と言えば浅香光代!」という見方にも、ちょっぴり違和感を持つ。
76歳の僕に取っては「女剣劇」と言えば「大江美智子」さんだった。
新派の俳優・松浪義雄さんの娘。宝塚音楽歌劇学校出身で、満13歳で宝塚少女歌劇団に入団。
大人気だった。
その彼女が「大江美智子一座」を結成したのが、女剣劇の始まり。
悲しいことに、彼女は28歳で、急性盲腸炎で亡くなった。
で、僕が夢中になったのは、弟子の「2代目・大江美智子」。美しく、剣捌きが抜群だった。「ふともも」をチラッと見せるようなことはなかった。
女剣劇は「浅香光代」だけではない。
大江美智子(二代目)、不二洋子、伏見澄子を「女剣劇三羽烏」と言った。念のため。
<何だか分からない今日の名文句>
「薫風…青空を斬る女剣劇」
(昭和11年の都新聞の見出し)