9日の東京新聞の社説が80年前の9月10日に亡くなった「気骨のジャーナリスト、桐生悠々」のことを書いていた。
日本が破滅的な戦争に向かう時代、桐生悠々は
《この頃の新聞に至っては、…全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論を代表せずして、政府の提灯を持っているだけである。そして彼等は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている》
《今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已むを得ずなおこれを購読しつつある。…今日のだらしない状態である》と書いていた。
言論統制の時代、彼は覚悟して「お上」の言いなりになってしまった新聞を厳しく批判した。
今、東京新聞が「桐生悠々」のことを書いたのは、日本のメデイアが「政府自民党の提灯」に成り下がっているからだ。
ここ10日余り、メディアは総裁選のことばかり報道して、結果的に「自民党の提灯」になっている。
9日は朝から「河野太郎総裁、総理で10月4日臨時国会招集、ただちに解散、10月12日公示で24日投開票」という怪情報が流れている。
「人気の河野」に乗りたい若手議員が流した情報らしいが、本当に、国民から河野が支持されているのか?甚だ、疑問だ。
はっきり言って、彼が行くところ、混乱に次ぐ混乱。有名なトラブルメーカーだ!
みんな「実態」を知らないだけじゃないか?
実は日本人の1割ぐらいが「太郎」という名前が好きだ。だから「太郎」は得をする。(僕も「太郎」だから、すぐ覚えてもらえて助かった)
若い頃「小説・新自由クラブ」(角川文庫)を書かせて貰い、競馬仲間としても親しい、父上、河野洋平さんは「政治家になるかどうかは分からないが、取り敢えず、長男は太郎に決めた」と話していた。
「太郎」の名前で、若干、世論調査でも得をしているのではないか?
ともかく「河野太郎」が優勢!とは言えないだろう。
誰もが自由に発信すれば良い。だから、僕も言いたい放題だ(笑)
でも、電波を独占しているテレビは「報道の自由」と同時に「報道の平等」を守る責任がある。
ともかく、与党、野党、平等に!
岸田も、河野も、高市も、みんな平等に!
それがテレビの「基本的な立ち位置」だろう、と思うのだが……
<何だか分からない今日の名文句>
「平等」とは
物事のあり方が真理の立場から
見ればすべて同一であること