大谷翔平選手が岸田内閣からの「国民栄誉賞授与」を辞退した!
あっぱれ!である。
時の内閣は決まったように、人気が落ち目になると「国民栄誉賞」を授与したがる。
「日本国に喜ばしい出来事が起こった」を演出する「政権のための国民栄誉賞」なんて要らない。
過去、これに抗議した「辞退」があった。
作曲家の古関裕而さん。夏の甲子園の大会歌『栄冠は君に輝く』や1964年の東京オリンピック開会式の入場行進曲『オリンピック・マーチ』を作曲したのだが、1989年、80歳で亡くなると、遺族に対し古関さんへの国民栄誉賞授与を打診された。
「内閣の人気取り」がミエミエで、遺族は「亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と辞退した。
「授与」することで、自分の名前が歴史に残る!と考える総理大臣も多い。
「国民栄誉賞」大好きな内閣総理大臣は?
7人の安倍晋三、4人の中曽根康弘、3人の宮澤喜一 2人の福田赳夫 、麻生太郎。
その一方で「貰いたくない人」もいる。
イチローはこれまでに3度も「国民栄誉賞」を断っている。
実は「国民栄誉賞」という名称に、ホンの少しだが、違和感を持ったことがある。
最初の授賞者・王貞治は中華民国籍。日本国民でもあるが、彼は「中国」に誇りを持っているのではないか?と、受賞当時、社会部記者だった僕は思ったりしていた。
色々な面で、大谷の「辞退」は賢明だった。
<何だか分からない今日の名文句>
「そんなんもろうたら、
立ち小便もできへんようになる」
(「世界の盗塁王」福本豊の辞退理由)