みのもんた」が毎日新聞社の入社試験に合格したら……世の中、変わっていただろう

 3月1日「みのもんた」が亡くなった。

 「みの」さんは昭和19年8月22日生まれ。僕は10月10日生まれ。二人とも80歳になったばかり。

 まさか、彼の方が(脳卒中の後遺症の僕より)先に逝くなんて……ショックだ。

 二人とも1967年、毎日新聞社を受験して、新聞記者を目指したが「みの」さん、落ちてしまった。

 なにしろ2000人受けて、多分、17人しか合格しなかった。運がなくては合格できない。

 「みの」さんは文化放送に入り、ラジオのアナウンサーになった。

 ジャーナリストとしても「大成功」を果たした「みの」さん。僕は「並に記者」で終わった。 

 「みの」さんが毎日新聞に入っていたら、世の中、変わったような気がする。

 サンデー毎日の編集長になった時、「みの」さんに「対談もの」をお願いして「話題」になった。

 「みの」さんはなんでもこなす。

 少しだけ、彼を支えたことがある。

 奥さんを亡くし、倅さんの「失敗」で世間を敵に回した時、何度か、飯を食い、激励した。

 少しは、楽になったのではないか?と思ったけど……。

 「みの」さんは波乱万丈。

 でも、みんなを愉快にさせた。素晴らしい人生じゃないか?

 もう少し経ったら、行くからな。

<何だか分からない今日の名文句>

「みの」さんの日課?

①一杯飲むこと

②通帳にたまった、

お金の数を数えること(笑)