指定暴力団稲川会の清田次郎、本名・辛炳圭総裁が21日、亡くなった。84歳だった。
稲川会には幾つか「思い出」がある。
稲川会は戦後まもなく(昭和24年)、博徒・綱島一家(五代目総長・鶴岡政次郎)の代貸だった稲川角二(のちの稲川聖城)さんが、静岡県熱海市の老舗博徒・山崎家一家の縄張りを引き継ぎ「稲川興業」の看板を上げたのが始まり。
一時は、5000人規模の大所帯になった。
僕が警視庁捜査4課(組織暴力)担当になった時、住吉会、山口組と並ぶ巨大組織になっていた。
一つだけ、特ダネを書いたことがある。
1972年(昭和47年)、稲川一家理事長・石井隆匡と三代目山口組若頭・山本健一が五分の兄弟盃を交わしたことをスクープしたのだ。
これは戦後ヤクザ史に残る「大事件」だが、社会部のデスクは「ことの重大さ」に気づかず、社会面の3段扱い。涙、涙、涙だった(笑)
稲川さんは、二代目を石井さんに譲ったが、実子にあたる稲川裕紘さんが稲川会三代目会長に就任。(3代目とは大学時代、一二度、会ったことがあるが「ヤクザの倅」とは見えなかった)
平成18年、その3代目が亡くなったことで、跡目争いが起こり、稲川さんは孫である稲川英希さんの襲名式には参加せず、角田吉男という人物の四代目襲名式に出席して、稲川会の分裂を防いだ。
以来、稲川会には、目立った「抗争」を起こっていない。稲川会は穏やかな組織だ。
角田吉男さんが亡くなって、平成22年、清田次郎さんが五代目会長になった。韓国籍の人物が親分になったのは初めてだろう。
経済ヤクザ!でもあった。平成25年、アメリカ合衆国財務省は稲川会及び、会長の清田次郎と理事長の内堀和也の二人を「金融制裁の対象」に指定した。
韓国籍「シン・ビョンギュ」の清田次郎さん。ほとんど「内部抗争」を経験しなかったが……ここ数年「咽頭がん」が見つかり療養中だったらしい。
稲川会のトップは揃って病死。殺されることはない。
不思議だ。
<何だか分からない今日の名文句>
小泉純一郎の選対本部長は
稲川会横須賀一家の組員?