13日付けの毎日新聞夕刊「牧太郎の大きな声では言えないが」で「僕の記念日症候群」と題して、テレビの「3・11特番」の話を書いた。
「記念日症候群ではないのか? 戦争神経症・災害神経症などのPTSD(心的外傷後ストレス障害)の一種ではないのか?
あの日が近づくと、災害時の記憶がフラッシュバックして、不安や抑うつなどのストレス症状が表れる。
大震災の『軽度な被害者』の僕でさえ、ヘンな夢を見て、うつになる。
生死に関わるような体験をした被災地の人々は、強い恐怖と、そこから逃れることができないという無力感を味わっているのだろう。
メディアが『風化させてはならない』と力を込めて”特番”を組むのだろうが……3・11は『忘れるべき記念日』なのかも知れない」と書いた。(新聞紙面では、デスクの判断で「記憶したくない記念日」という表現に変えた)
はっきり言って、民放の「大震災一年の特番」には、強い違和感を感じている。
視聴者は、どう考えていたのか?
J:COM投票「今週の赤と黒・民放テレビの大震災特番」を見ると……「評価する」が26%。「評価しない」が74%。一つの傾向が分かる。 29%の人が「テレビ局の自己満足」と見ている。
有名人が被災地を訪れる「判を押したような内容」で視聴率も低迷した。
むしろ「3・11特番」が震災を風化させる! という穿った見方さえある。
そうそう、 ブログの読者から厳しい指摘を受けたので、引用しておく。毎日新聞の仲間には、特に読んでもらいたい。
3月8日付ブログ「大震災特番で”マスゴミ”的行動はないか?」を読んでくれた方の率直な意見である。
牧さんは「毎日新聞は”ゴミ”はいないと信じたい」とお書きになっていますが、率直なところ(こんなことを書くと牧さんに怒られるかもしれませんが、すいません)、毎日新聞にも”書いて書きっぱなし”という方はいるように思います。(あくまでも個人的な感想ですが)もちろんそのこと=「ゴミ」ということでは全くありません。
ただ、書くのがまるで社会正義かの如く、結果がどうなろうとあとはまるで知らん顔という新聞記者が少なからずいることは、新聞好きの一人として、とても残念な気持ちです。きっと新聞記者の方々は信念を持って書いているのでしょうから、書いたことによって発生した結果に対しても信念を持って対応してほしいなぁと願います。
また、ここ最近非常に強く思うのは、あまりにも不勉強な記者の方が多いことです。少ない人数でたくさんの担当をされているわけですから、ある部分止むを得ないと思いますが、せめて取材に来る企業の基本的な勉強くらいはして欲しいと思うことがよくあります。
広報を使うのが上手ではない記者も多いですね。できるだけ時間を効率的に使えるように、また意味のある取材になるよう広報は存在しているのに、トップから話を聞かなければ……ということに凝り固まり、結局取材の場においても、広報からでも十分に聞けるような話ばかりで取材が終わってしまうこともよくあります。
新聞好きの一人として少しでも良い取材が成立するようこれからも精進しいと思います。
この指摘をされた人は多分、日頃、広報部門に居て「新聞の危機」を実感しているのだろう。
(一部、誤解もあるとも思うが)心しなければならない。
13日夜は、30代の若者と夕食を一緒にした。両国の「桃太郎」→浅草観音裏「ひまわり」。彼がカラオケで「お座敷小唄」を歌ったのにはビックリした。
楽しかった。
<何だか分からない今日の名文句>
雪に変わりは ないじゃなし
とけて流れりゃ みな同じ