歌舞伎座が東京で一番、古い劇場のよう勘違いしている向きが多い。が、一番、古いのは東京・浜町、明治座である。
明治の演劇改良運動の流れを受け、ジャーナリストの福地源一郎と金融業者の千葉勝五郎が共同経営で、1889年(明治22年)、東京市京橋区木挽町に開設したのが歌舞伎座。(ちなみに、福地源一郎は毎日新聞の前身『東京日日新聞』主筆、のちに社長)
明治座は、それより16年ほど前の1873(明治6)年4月、喜昇(きしょう)座という名前で誕生している。
その後、久松座、千歳座と改称した。
1893(同26)年、初代左團次が座主となり、名前が明治座になった。もちろん、歌舞伎専用の劇場だった。
1917(大正6)年に松竹の経営となったが、関東大震災や東京大空襲で焼失。戦後再建されたが、1957(昭和32)年に再び焼失。松竹には経済的余裕がなく、翌年の新築開場を機に、地元の老舗料理屋「玄冶店(げんやだな) 濱田家」を営む三田政吉氏が経営の中心になった。
三田さんは東京の花柳界の実力者。この関係で、芳町、柳橋の料亭、芸者置屋が応援。僕の実家の柳橋・深川亭も明治座の株を持った。
大企業の劇場ではなく、地元が応援する大劇場になった。
その明治座は平成25年4月28日に創業140周年を迎えた。
日清・日露の戦、関東大震災、第二次世界大戦……その度に困難を潜り抜けた明治座。
歌舞伎座が歌舞伎専門、帝国劇場がミュージカル中心とすれば、明治座はバラエティー劇場。 昔は歌舞伎、新派、新国劇で回していたが、最近は、喜劇や時代劇、人気歌手の座長公演などが中心になった。
それでも、平成の明治座には、歌舞伎に戻ろうとする試みある。
去年から、年に二回、歌舞伎を上演することになった。一番古い劇場に歌舞伎が戻って来た。
でも、ほとんんどのメディアは無視している。
歌舞伎座を経営する松竹に比べ、明治座には「広報力」が欠如しているのか?残念である。
今夜、その明治座に花形歌舞伎を観に行く。
新しくなった歌舞伎座に挑戦するかのような「140周年の明治座」。
出し物は……
昼の部 源平布引滝、実盛物語(さねもりものがたり)
与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
夜の部 将軍江戸を去る(しょうぐんえどをさる)
徳川慶喜を市川染五郎 山岡鉄太郎を中村勘九郎が演じる。
<何だか分からない今日の名文句>
汗と涙と歓声と