きょう(9月2日)東京地区発売のサンダー毎日で「僕が封印した藤圭子の『母』と『川端康成』」を書いた。
藤圭子が投身自殺して以来、「あの事」を墓場まで持って行くべきか?悩んだ。
「高度成長と全共闘」の時代を「藤圭子の存在」を通じて描こうとした時期(1996年ごろ)、突っ込んだインタビューをして、彼女が抱えていた「意外な出来事」を知った。
当時、これを書くには「勇気」が必要だった。
封印しよう!と思い、当時の主筆(編集最高責任者)と相談して、連載そのものを断念した。取材をして、一定の「新事実」を掴んで「字」にしないケースは、それまでほとんどなかった。
「藤圭子物語」は僕には荷が重かった。
彼女が自殺して……もう一度、考えてみた。
あの日、「連載するなら、これは書いて欲しい」と藤圭子は言っていた。このままにして良いのか?
考え考え、ギリギリの表現で「あの事」を記録しておくことにした。
読んでくれ!
どこかで、藤圭子が「心の病」に追い込まれる原因の一つに、「母」と「川端康成」との出来事があるように思うのだ。
<何だか分からない今日の名文句>
「歌があったからまあいいっか!と言えるような死に方をしたい」
(越川記者に漏らした藤圭子の「死生観」)