鷹峯の麓「しょうざん」

 21日の京都は曇りがち。
 午前中、大文字山の麓、金閣寺に隣接する景勝の地「しょうざんリゾート」を歩いた。
 西陣に生まれ、戦後いち早く「ウールお召し」を開発して、大儲け?した松山政雄さん。彼が昭和26年、 京の山々を借景に、三万五千坪の庭園を作った。「松山=しょうざん」リゾートである。
 松山さんは、広く着物への理解を深めようと、この地に「花と緑の観光工房」を建設する。西陣の製造工場を中心にしたレジャースポット。無料で開放された。
 もともと、この山麓は「江戸時代の芸術村」だった。
 書の世界で「寛永の三筆」と言われた本阿弥光悦に、徳川家康が、京都の洛北・鷹ケ峯の九万坪の土地をプレゼント。光悦は、俗世や権力から離れ、二十年あまり、この地で、能面を打ち、庭を作って、遊んだ。
 本阿弥光悦は書家であり、工芸家であり、画家で、作庭師で、「能面打ち」……日本文化に計り知れない影響を与えた。
 そんな話を聞きながら歩く。
 高級住宅地を縫うように歩くと、緑の中に料亭が点在する。レストラン、ボーリング場、プールもあった。
 会員制「東急ハーヴェストクラブ」が、この地の一部を借りて、リゾートホテル「京都鷹峯&VIALA」を建設中。来年10月にはオープンするらしい。
 ハーヴェストの会員なので、楽しみである。
 昼、市街地「三条」に戻って、旧毎日新聞京都支局跡地近くのカフェで、遅い朝飯。約3時間、寺町、御幸町、河原町あたりを散策。マフラーを購入した。
 夜は、大阪から来てくれた同僚記者と、祇園・新橋通り「清水」⇒室町通り「まんまや和坐」⇒印宮川町名「ほんじょう」……の順で、夜、遅くまで。
 同僚記者から、「無線技師」を夢見た青春時代の思い出を聞かせて貰った。
 彼が「無線技師」になっていたら、会えなかったろう。
 「運命」って、何だろう?と話して……京都の夜は、猛烈、楽しかった。

<何だか分からない今日の名文句>
こころも「錦秋の京」