この種の事件を大々的に報道すると、少年たちが「じゃあ、俺も!」というヘンな心理状態に追い込まれることもある。だから、あまり触れたくないのだが……少しだけ、感想を書いておきたい。
7月26日、長崎県佐世保市で県立高校1年の松尾愛和さんが殺害された事件。
殺人容疑で逮捕された16歳の女子生徒は「人を殺してみたかった」「遺体をバラバラにしてみたかった」といったようなことを話しているという。
被害者の後頭部を工具で何度も殴り、ひもで首を絞め……遺体は首と左手首が切断され、胴体の一部も切られていた。
「猟奇事件」である。
「人を殺してみたかった、誰でも良かった」というセリフは、ここ数年、何度か聞されていたが……16歳の少女が「憎しみの対象」を殺したのではなく、相手は「誰でも良かった」と思っていたとすれば……さらに深刻である。
子供の頃、小動物を解剖したことがある、と言うから「攻撃的な特異な資質」が根底にあるとは思う。が、この犯罪には、これに加えて「時代背景」らしきものが存在するような気もする。
同じ頃、ネットの掲示板に「殺しちゃった」という書き込みもあった。血のついた手の写真もあった。
この少女が投稿したとすれば……少女が目的にしたのは「殺傷」ではなく「殺傷の結果を見せる」ことだったのだろう。
何も(誇れるもの、守るものが)ない人生。だから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間。彼らをネットでは『無敵の人』と表現するそうだが……『無敵の人』の犯罪は「人を殺すこと」が目的ではなく「その結果」を見せびらかして、陶酔することにある。
社会的立場も、地位も、金も、家族もないから、捕まっても、死刑になっても、なんら怖くない!
『無敵の人』である。
そんな人の犯罪が増えている。
この少女は、裕福な家庭に育ち、頭が良い。聞くところによれば、9月にオーストラリアに留学する予定だった。
良家の子女。大切なものが沢山ある。が、ある時、この「大事なもの」が虚構であることに気づく。
「私には何もない!」と思った瞬間、『無敵の人』のような「ヤケッパチの気分」になったのではあるまいか?
気がつけば「無敵な少女」になっていた。
少女に何が起こったのか?
年頃の子供を持つ親には、知るのが怖いような事件ではないか。
<何だか分からない今日の名文句>
「常軌」が見えない明日