美智子様は今日10月20日、80歳。傘寿を迎えられた。
一般の人なら、すでにリタイアしてのんびりとした暮らしを送る年齢なのに……
天皇皇后両陛下は、今も“国務”に命を懸けていらっしゃる。
畏れ多いことだが、美智子さまも、もう「体力の限界」を迎えていらっしゃるのではあるまいか?心配で、心配でならない。
もし、当時の皇太子・明仁親王(今上天皇)のプロポーズをお断りしていれば、もっと「自由な一生」を送ったはずなのに……と思ったりする。
「平民」なんて言葉があった時代だ。
古くから、皇太子妃は皇族か五摂家といった特定の華族から選ばれるのが習わしとされいた。
日清製粉の正田英三郎社長の長女。お嬢様ではあるが、美智子様は皇族でも華族でもない。
「普通の令嬢」が皇太子妃になるということは考えられなかった。しかし、美智子様は覚悟された。
当然、反対する勢力も存在した。
宮内庁内に絶大な発言権と政治力を持つといわれた「松平信子さん」は、香淳皇后の意向で東宮教育参与に就任。皇太子に厳しく教育を行った人物だった。
皇太子妃候補の人選も担当した彼女は「美智子さんとの恋」に気づかなかった。ご成婚に徹底的に反対する。
正田家に「カミソリ入りの手紙」や藁人形を送りつけたり事件もあったように記憶している。
美智子様のご成婚は革命的な出来事だった。
彼女が「日本の民主主義」を具現化した。その分だけ、美智子様は苦労された。
そして、80歳になっても、命懸けで、働いていられる。
そして「日本の平和」だけを祈って、働いていられる。
ありがたいことである。
軍拡の風潮の中で、ギリギリの表現で「平和主義」を守ろうとしていらっしゃる。
美智子様!
ありがとう。
いまや、美智子様が「平和のシンボル」ではないか?
そんな気がする。
紅葉の季節になった。例年より、紅葉が速いような気がする。
週末は北関東から東北に向かった。
今日20日は、福島で「大事な取材」の予定。
<何だか分からない今日の名文句>
「王」とは民衆に命を捧げること