東日本大震災・大津波・原発事故から約3年半。10月21日、やっと、福島第一原子力発電所の敷地に入って、直接、取材することが出来た。
身体が不自由なので、防護服を着用するのが無理!という判断もあって、長いこと、実現できなかった。
ようやく、放射線量が低くなり、特定の地域だけを除けば、マスク、足カバー、手袋だけで、行き来することが出来るようになった。
そこで「3年半後の現状」を案内してもらった。
多核種除去施設、タンク群、地下水バイバス揚水井……凍土遮断水壁建設現場……主に、汚染水対策を見せてもらった。
1~4号機の原子炉建屋は外から見た。
意外だったのは、6000人もの作業員がいたこと。活気がある。
心配された台風の影響が少なかったこと。想像以上に「廃炉作業」が進んでいる感じだが……安倍さんが主張するように「汚染水がコントロールされている」というのは、どうだろうか?
亡くなった吉田所長が座って、指示を出していた「耐震ビルの司令塔」で、新しい所長の小野明さんに「廃炉が終わるのに、どの位、掛かるのか?」と聞いた。
東大原子力学科卒の小野さんは「40年ぐらい!」と言われた。正直言えば「20年ぐらい」と言われるものと思っていた。
「福島の土地」が元に戻るのを、僕は見ないで死ぬのかなあ?
それでも小野さんは「原子力発電は必要だと思う。それを決めるのは国民だ!」と話した。
この辺りのことは、もっと勉強しなければ……。
取材には、僕の不自由な身体を支えてくれたスタッフが7人。本当に、ありがとうございました。
一番、嬉しかったのは、紆余曲折していながらも、現場に「落ち着き」と「活気」が戻っていたことだ。
(場所によっては、120mSv/hを計測されたところもあったが)この取材での被曝は0.1mSv/h。歯医者で、放射線撮影をする程度だった。
<何だか分からない今日の名文句>
電力マンの「こころ」は再起動したが