刑事さんご用達の「青木テーラー」

 突然、青木健一さんから携帯が掛かってきた。
 「牧さんのコラムを読んで、懐かしくて」。
 何十年ぶりだろうか。
 青木さんは、警視庁に出入りが認められていた「青木テーラー」のご主人。
 警視庁捜査2課担当の時、オーダーを格安で作ってもらっていた。
 月賦というシステムがあった。決まって21日の給料日に警視庁七社会の記者クラブにやってくる。
 そんな時、世間話をしながら刑事さんの動向(例えば、冠婚葬祭)などを聞いたりしていた。
 懐かしい。
 西新井に住んでいると言うので、17日、右手のリハビリに通う「いずみ記念病院」のカフェで落ち合った。
 変わらなかった。頭は白くなっていたけど。
 数年前、警視庁の通行証を返納して洋服屋を閉じている。
 「78歳だから。6人兄弟だが、ミンナ死んじゃった。」
 「何時から警視庁で商売を始めたの?」と聞くと、「住友銀行1000万円強奪事件があって、何時だったかな。兄貴がデカで、この事件を追う仲間が背広を作ってくれて。これがキッカケで、警視庁に出入りするようになった。それから、40年以上・・・・。」
 
 シミジミと昔話をしてくれた。
 もともと、地域との付き合いが上手で、西新井第二小学校のPTA会長をしていたが、「今は、カラオケ教室の先生をやっている」。
 彼が足立区の民謡大会に優勝したことを思い出した。
 青木さんは、上手に「リタイア後」を楽しんでいるらしい。
 「バンちゃんとお揃いの背広を作って、話題になったの覚えている?」と青木さん。
 思い出した。
 バンちゃんは、特ダネ記者の大先輩、根上磐さん。
 名物記者だったが、結構な我儘でお揃いの背広を作ったが、紺の地に赤いストライブで、あまりにド派手。
 二人揃うと、お笑いコンビと間違えられるというので「お前は、警視庁に着てくるな!」と命令された。
 当時、 警視庁・毎日一家は、タコ部屋のようだった。
 そこに出入りする青木さんも、毎日一家の準構成員?だった。
 何十年ぶりに会ったのに、毎月会っているような気分。
 青木さんは、「お土産だ!」と言って、草団子、チョコレート、ジャム・・・・袋いっぱいの食料品をくれた。
 僕の写真を撮って、「昔から、牧さんのファンだった」と青木さん。
 お世辞が上手なのは、昔と変わらなかった。

<何だか分からない今日の名文句>
渾名は「桜田門の英國屋」