- 「新聞」は凄い、と思った。
個人の発信力の時代。ツイッターが世論を作る。そんな一面もあるが、安保法案が強行採決された9月19日の新聞は「怒りと冷静さ」を共有する、国民の、国民による、国民のメディアに相応しい「底チカラ」を見せた。(隅から隅まで読んだのは、毎日、朝日、信濃毎日の三紙だが)
一部の御用新聞を除いて、新聞は反権力を貫いた!特に、毎日新聞には「覚悟ある記事」が目立った。(旅行中で、東京新聞は読めなかったが、多分、立派な紙面だった、と思う)
毎日新聞の「安保法案:国家の過ちに謙虚であれ」という論説委員長・小松浩さんの記事は素晴らしかった。
「想起されるのは、米国社会に深い亀裂を生んだベトナム戦争である。米国はベトナムの民族自決の願いを力で抑え込もうとして歴史の流れにあらがい、敗北した。戦争計画立案の中心人物だったマクナマラ元米国防長官は、回想録にこう書き記している。
《我々は正しいことをしていると信じていたが、振り返れば我々は間違っていたのだ》」
小松さんは、アメリカの失敗を例に取り「安倍さんは間違っている!」と弾劾した。
「その米国は、イラク戦争でまた失敗する。米英同盟を理由に参戦した英国も深く傷ついた。ハード元英外相は《愚かで間違った戦争だった》と断じた」と小松さんは書いた。マクナマラの「国家の真の強さとは卓越した軍事力にあるのではなく、国民の連帯の中にある」という言葉。その通りだ。
小松さんは、僕が中曽根内閣の首相官邸キャップだった頃の首相番記者。性格が温和で、バランスの取れた人物、という印象だった。
その彼が持ち前の「冷静さ」を持ちながら「時の権力」と戦う!と宣言した一文。毎日新聞の紙面はことごとく、素晴らしかった。
信濃毎日新聞の「斜面」というコラムも感動ものだった。
旧臼田町出身の中国文学者、竹内好(よしみ)(1910~1977年)さんの話だ。1960年5月18日。竹内好さんは「安保批判の会」代表の一人として岸信介首相と面会した。首相は「多数で押し切るつもりはない」と言った。だが自民党は20日未明、新安保条約承認の強行採決に踏み切る。竹内はこれに抗議し、東京都立大教授を辞した。
あの頃と「事態」は同じだ。
民主か独裁か?あの時も、今も、問われている。
60年安保闘争は潮が引いても民主主義の種をまいた、と「社面」は書いた。
9.19。我々は安倍さんの独裁に負けたが、もしかすると、負けてよかったのかも知れない。
これからのキーワードは「国民の連帯」だろう。
連帯! 連帯! また連帯!平和のための「国民の連帯」。
新聞、テレビ、ラジオ、ツイッター……様々な意見を比べているうちに、1年後、国民の連帯が「平和日本」を取り戻す!そんなシナリオが見えてきた。
<何だか分からない今日の名文句>
下手に勝つより、上手に負けた方がよい!