サンデー毎日編集部から「編集長が代わる。で、送別会」というFAX。
2012年4月から約二年半、サンデー毎日編集長だった潟永さんは出版社の中軸に座るらしい。
週刊誌の記者経験がない潟永さんは苦労したと思う。でも、善戦した。企画モノの新しい試みが花を開こうとしている。
ご苦労様でした。
後任は城倉由光である。
1960年生まれ。潟永さんより一つ年上だ。
城倉は僕がサンデー毎日別冊編集長の頃、初めて実施した契約記者募集に応募した。 元々、朝日系だった。「何故、受けたの?」と聞くと「木村繁さんが亡くなったから」と言う。
木村繁さんは、日本の科学記者の草分けのような人だった。(1932年10月17日 – 1987年11月13日)
熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校卒。東京大学教養学部科学史及び科学哲学科卒、朝日新聞社入社。水戸支局員を経て、科学部長。米国ウィルソン・センター客員研究員として成果を上げ、我が国初の科学専用テレビ「衛星チャンネル」を作った。(多分、常務取締役だったと思う)
早稲田を出て、その木村さんを慕って、衛生チャンネルに入社した城倉。木村さんがいなくなり、かなり動揺したらしい。
応募では成績抜群。すぐ契約した。
城倉は苦労した。契約記者ということで、出世できない。(途中から正社員になったけど)性格が穏やか過ぎて、人を掻き分けることが苦手。自分をアピールすることが苦手で、損をした。
その城倉の最大の手柄は、スター記者・大治朋子記者を育てたことではあるまいか。
取材の手順を教え、特ダネが書けるようになった彼女を「一年間、社会部で勉強して来い」と命令した。 ところが、一年経ったら、時の編集長が「オンナは要らない」というので、彼女、社会部に居座ることになる。
社会部で、大治さんは二年連続新聞協会賞を受賞した。(「自衛隊は隊員募集のため、住民基本台帳の情報を自治体に求めている」 というスクープは、日本が徴兵制を目指しているのではないか?と国際的なスクープになった)
城倉は大治という国際的なスター記者を育てた。
サンデー毎日の編集長になるのが遅すぎた!というのが、僕の正直な感想だが……週刊誌の氷河期だから、城倉のチカラが生きるのではないか?
頑張れ!城倉!
<何だか分からない今日の名文句>
特ダネが無ければ週刊誌ではない