トウカイテイオーと「日本最後の切腹」

 今、10月1日午前6時。

 サンデー毎日の原稿を書き上げてから、午前2時頃、寝る前に「優駿10月号」を読み出して、結局、寝ずに、朝日を拝んだ。

 トウカイテイオーの話になると、つい夢中になる。

 石田敏徳さんの「トウカイテイオーが生まれた長浜牧場 緑を生かした小さな牧場」に  長浜牧場の祖先は「庚午事件」がキッカケで、北海道へ渡ってきた、と書いてあり、俄然、興味が湧いて、歴史本を読み返した。

 庚午事変は、明治3年(1870年)に、当時の徳島藩淡路洲本城下で、洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲った事件。

 徳島藩洲本城代家老稲田家は、主家である徳島蜂須賀家と、なかなか、折り合いがつかず、幕末期、徳島側が佐幕派。稲田家側は尊王派。

 結局、兄弟ケンカのような騒乱になったらしい。

 色々、興味深いことが分かった。

 ①時の政府は、徳島側(蜂須賀側)の主謀者小倉富三郎・新居水竹ら10人を斬首としたが、蜂須賀茂韶の嘆願陳情により切腹になった。これは日本法制史上、最後の切腹刑。27人が八丈島へ流された。

 ②岩倉具視は激怒し、襲われた稲田側はかねてより望んでいた家臣の士族としての身分は認められたものの、北海道静内郡と色丹島への移住開拓を命じられた。「仲の悪い兄弟」は離しておくほうがいい、という判断。主従ともども北海道に移り住むことになり、長浜牧場の先祖はその家臣だった。

 ③この事件がなければ、淡路島は兵庫県ではなく徳島県であった、と思う。

 ④(これは、牧太郎的歴史観だが)、この事件が起こらなかったら、名馬トウカイテイオーは生まれなかった。

 歴史って、面白い。で、つい、徹夜になってしまった。

 今日から10月。

 夕方「浅沼稲次郎さんを追悼し未来を語る集会ー日本の民主主義の危機を考える」が、日比谷公会堂で開かれる。

 浅沼さんが好きだ。来週のサンデー毎日の「牧太郎の青い空白い雲」でも、浅沼さんのことを取り上げる。

 暗殺事件の映像が上映されると言うので、是非、行きたいが、強風が心配で……どうしようかと思案中。

 <何だか分からない今日の名文句>

沼は演説百姓よ

汚れた服にボロカバン

きょうは本所の公会堂

あすは京都の辻の寺

大正末年の日労党結党時、友人の田所輝明の作)