牧内節男大先輩からハガキを貰った。戦後最大の疑獄事件、ロッキード事件報道を社会部長として指揮し、数々のスクープで「毎日に敵なし」と言われた頃の大記者。牧内社会部長に怒られ、怒られして、何とか「特ダネ記者の端くれ」になれた。牧内さんには頭が上がらない。(その後、牧内さんはスポーツニッポンの社長になった)
「前略 毎回、毎日夕刊紙上で健筆、拝見しております。それにしても、新聞記者の足腰が弱くなった」で始まる文面。また、お小言だ。
「原節子が死亡して、80日後に紙面化するとは何事か。しかも、朝日に抜かれたではないか!」
怒り心頭である。
確かに、普段「発表もの」ばかり書いている記者さんは人脈が枯れて、足腰が弱っている。
後輩を指導すべき、我々の世代にも、責任があるが……10日の社会部旧友会で、牧内さんの「怒り」大爆発?困った、困った(笑)
今日、12月4日。また、この日が来た。
1991年12月4日午後7時半、脳卒中で、嘘中で倒れた。三日三晩、意識が無かった。一ヶ月、何も喋れなかった。
多分、人生最大の事件。でも、何とか、精神的に立ち直って、右半身麻痺だが、生き延びている。
みんなの助けで、人生「最悪」の事件にはならなかった。ありがとう。
そう言えば、あの時、見舞に来てくれた牧内さんは「馬鹿野郎!」と言っただけで、何も言わずに帰っていた。
気がついてみたら、枕の下にそっと5万円……涙が出た。
<何だか分からない今日の名文句>
原節子「秘密のラブレター」を抜け!