「代地会報」の創刊号が届いた

 12日、町内の世話役が「代地会報」の創刊号を届けてくれた。

 「代地」とは……仕事場のある「東京都台東区柳橋一丁目」の約5分の3を表す「名前」である。

 江戸時代初期には江戸城や市街地の整備のために、強制的に土地を没収。そこに住む人を移転させた。それが「代地」。代替地のことだ。

  明暦の大火(明暦3年1月18日。当時の江戸の大半を焼失。振袖火事・丸山火事とも呼ばれる)以後は防災のための「代地」。火除地の設置など防災上の理由で、大名屋敷や寺社・庶民の町屋などを問わず、町全体が丸ごと1か所もしくは数か所に分散して移動させられた。

 浅草御蔵の火除地拡張工事が行われ、御蔵の隣の町家は移動させられた。この「移住」で、新たに出来たのが、隅田川沿いの「柳橋代地」という街である。約400年前の話だ。

 (ちなみに毎日新聞社の前身・東京日日新聞の発祥の地は「柳橋代地」である)

 歴史のある街。今でも「柳橋町会」の他に「代地睦会」がある。

 ところが、最近、この地を「アキバの隣」という人が多くなった。ちょっと前まで、日本一の花柳界だった「柳橋代地」を忘れている。

 冗談じゃない!「代地」の名前を残そう!と、何人かが立ち上がった。

 その試みの最初が「代地会報」の発刊である。12日、世話役の方が届けてくれた。

 読んでみると……連載  「だいちさんぽ」の第一回は「にしざわ化粧品」。

 僕の小学生の同級生の実家。 「にしざわ化粧品」の前の通りは、一日中三味線の音が絶えなかった。だから「三味線の通り」。

 皆さん、美味いものも多い「柳橋代地」に遊びに来てください。

<何だか分からない今日の名文句>

江戸っ子だい、代地の生まれよ!