日本海の夕日を見ながら「新聞の凋落」を思ったりして……

 今、ちょっと調べたいことがあって、日本海沿い某市にいる。15日は快晴で、夕日が綺麗だ。

 15日のブログで「新聞の経営者は(消費増税でも)軽減税率の対象品目になっているから大丈夫!なんて勘違いしている。新聞は令和消費増税不況で売れなくなるぞ」と書いた。すると、知り合いが「お前の毎日新聞のコラムが終わってから、新聞は読んでいない。お前のブログで十分だもの」と電話してきた。

 一種の「お世辞」なのかも知れないが……「令和」に入ったら、それこそ、新聞社が次々に倒産するような気がする。

 今、発売中の「毎日フォーラム」4月号の「牧太郎の信じよう!復活ニッポン」で、【米国は今や「ニュース砂漠」「平成」後、新聞は生き延びるのだろうか?】と書いた。

 「平成」は“物書き稼業”から見ると、悲しむべき「活字文化衰退」の時代だった。

 「新聞」は売れない。日本新聞協会が公表している2017年10月の新聞発行部数は全国合計で約4212万部。1年前に比べ、約114万部減。

 昭和の時代、新聞は「1世帯に最低1部」だった。それが「1世帯あたり0.75部」。

 勿論、ネットの普及が原因だが、もっと深刻なのは、記者さんが「お上の言いなり」になっていることだ。

 政府の広報誌なら、カネを払う必要はない。NHKで十分だ。

 綺麗な夕日を見ながら「新聞は消えて行くのか? 」なんて思ったりする。

 まあ「新聞」がなくなっても「報道の仕事」は無くならないけど。

 そう考えて、明日も頑張るか!

 夕食のバイキング。周りは韓国人観光客ばかり。

 新聞を読んでいるのは(少数の日本人を含め)当然、僕だけ。この大きなホテルに、お客さん用の新聞の備えはない。売店にもない。複雑な気分。

 そうそう、毎日フォーラムの「牧太郎の信じよう!復活ニッポン」は5月号から「牧太郎の『令和』をちょっぴり古風に」と名前を替える。

 新しい時代。でも「古風」と言われても「筋」を通す!そんな気概をタイトルにした。

 

<何だか分からない今日の名文句>

「新聞」はなくなっても「記者」は永遠!