突然の訃報だった。
2019年(令和元年)10月27日午前1時18分、義弟「武夫」が亡くなった。甥からの電話で知ったが、真夜中のことで、何も出来ず、埼玉県籠原の病院には行けなかった。
台風19号の最中、「武夫」から「隅田川は大丈夫?」という電話を貰った。
「こっちは大丈夫だが、荒川は大丈夫か? それに、お前、元気なのか?」
「元気だよ、お兄さんこそ、無茶をして、倒れないで下さいネ。トシなんだから」と笑っていた。
「武夫」には、持病があった。
慢性好酸球性肺炎。白血球の一種で、アレルギー反応に関与する「好酸球」が引き起こす「特殊な肺炎」。原因は不明?
肺の複数の部分にすりガラスのような淡い陰影がみられ、数日から数か月、せき、発熱、だるさ、息切れ……で苦しむ。
感染症ではないので、細菌に対する抗菌薬は効きかない。ステロイド薬で治すしかないらしい。
今回は、22日に軽い風邪の症状で入院したが、順調。一週間ぐらいで退院する予定なので「入院を知らせなかった」という。
26日もしっかり夕食を食べ、ごく普通だったが、真夜中、容態が急変したらしい。
会いたかった。
「武夫」とは仲が良かった。
初めて会ったのは、当方が22歳の早稲田の大学生。17歳ぐらいの「武夫」はサングラスを掛けていた。生意気だった。
何時も「不良少年ぽく」見せていたが、優しい男だった。何でもプレゼントしてしまう「義侠心」の男だった。
中卒。当時、深谷の裁縫会社に住み込みで頑張っていたが、早々と独立。自分の仕事場を建て、成功した。以来、彼が縫った洋服を何着も貰った。
たまに会うと、必ず、当方をからかって、いつも笑いこけていた。
人の言うことはほとんど無視するタイプだが、親戚の皆んなの話では「マキ兄さんの言うことだけは素直に聞いていた」という。
気が合ったのだろう。
会いたかった。出来れば、二人で温泉に行きたかった。
それにしても、71歳は早過ぎるじゃないか!
ただただ、一日中、泣いた。
<何だか分からない今日の名文句>
有史以来「本物の男」は
外で争い、早死にする?