仕事場(実家)の前は隅田川。亡くなった「義弟・武夫」が台風19号の時「氾濫していないか?」と心配した「あの大川」である。
小さい頃、この川は早慶レガッタの舞台だった。
毎年、大きな声で、ワセダを応援した。
この辺り、川沿いは全て老舗の料亭ばかり。何故か、料亭の子供は慶應大学附属中等部に通っていて、町内に「早稲田贔屓」はほとんどいない。
当時、早稲田の附属中学校はなかったので、仕方なく、野球が強い「明治大学」の附属中学を受験した。自信はあった。でも、何故か不合格。日大一中に進んだ。
当時「中学受験なんって、インチキだ!」と思った。
(隣の「子安」の倅は慶應ではなく、何故か立教中学。反対側の隣の「松の湯」の倅は勉強が出来て、開成中学。当方の場合、実家の「深川亭」の一番のお得意は日本大学。古田重二良・会頭に可愛がられ「タロウは俺の大学へ行け!」と言われていたから、もしかしたら、最初から日大一中だったのかも知れない)
でも、大学は絶対ワセダ! 早慶戦の時は桟橋に陣取り、応援した。
昨日(10月28日)毎日新聞の堤先輩が送ってくれた「早慶戦全記録 伝統2大学の熱すぎる戦い」を読んで「昭和32年5月12日」のことを思い出した。(144ページ。「教科書にも載った早慶レガッタの沈没レース」江口拓)
日大一中に入った年だから、よく覚えている。
この年は、強風だった。雨も激しかった。テレビの画面も、霞んでいた。
実家の桟橋からは辛うじて見えた。見えてはいるが、スタートから、何故か「強いハズのワセダ」が進まない。一艇身、二艇身……ドンドン、離されている。
何故、遅れるのか?
実は、ワセダは6人で漕ぎ、二人が「水をかき出し」していたのだ。
8人で漕いだ慶應は圧勝するハズだったが、駒形橋の手前で、沈没してしまう。珍事だった。
この時「ワセダの方が頭が良いんだ」と確信したことを思えている。
詳しくは、ぜひ「教科書にも載った早慶レガッタの沈没レース」(江口拓著)を読んで欲しい。
堤先輩が作った「早慶戦全記録 伝統2大学の熱すぎる戦い」には、これ以外にも、思い出いっぱい!である。
隅田川レガッタは場所が変わったが、早稲田大学新聞学科に進んだ当方、野球の早慶戦に夢中になった。
<何だか分からない今日の名文句>
早慶戦は青春!
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「早慶戦全記録」筆者紹介
堤 哲(ツツミ サトシ)1941年東京生まれ。64年早大政経学部卒、毎日新聞入社。社会部記者、 編集委員。97年紙面審査委員長で定年退職、東日印刷監査役。 「早稲田スポーツ」新聞第3代編集長。 著書に『国鉄・JRラグビー物語』(交通新聞社2019年刊)『国鉄スワローズ 1950-1964』『伝説の鉄道記者たち』(いずれも交通新聞社新書)など。