十二月初めての週末。4日は代々木の「将棋会館」見学。5日は寒くて冬籠り。晴れ渡った6日の日曜日、「竹好き」な当方、竹林が見たくて「竹寺」(飯能市の医王山薬寿院八王寺)を初めて参拝した。
山深い、標高490メートルぐらいの場所。
狭い山道。友人がマイカーを上手に運転してくれたので、真っ赤な紅葉を見ることが出来た。ありがとう。銀杏が綺麗だった。
「竹寺」は神仏習合の寺。本尊は牛頭天王。
牛頭天王(ごずてんのう)は、京都の感神院祇園社(現八坂神社)の祭神でもあるが、こんな伝説が残っている。
この太子は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛の頭をもち、3尺の赤い角も持っていた。
王位を継承して牛頭天王を名乗るが、后を迎えようとすると、その姿の怖ろしさに、誰も近寄ろうとしない。
牛頭天王は酒びたりの毎日を送るようになった。
誘われて、山野に狩りに行った時である。
一羽の鳩があらわれ「大海に住む沙掲羅龍王(八大龍王)の娘のもとへ案内する」と言う。そこで、牛頭天王は娘を娶りに出かける。
旅の途中、金持ちの「古單將來」に宿所を求めたが、強欲の男はこれを断った。それに対し、貧乏な兄の「蘇民將來」は喜んで宿を貸し、粟飯を振舞った。
蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民に授ける。
龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女の頗梨采女を娶り、8年をそこで過ごす間に七男一女の王子(八王子)をもうけた。
牛頭天王は、帰国後、古単へ復讐する。
牛頭天王は「古単の妻」が蘇民将来の娘であることを知り、彼女だけ助命する。
「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ、末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。
「蘇民将来」のことは、日本各地に伝わっている逸話。「蘇民将来」と記した護符は、国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されている。
門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っていると、疫病が退散する!と言い伝え。
そこで、当方、「茅の輪」から入って「護符」を頂いた。
「六角柱のこけし型」の物で、1500円だった。
参拝客は午後3時ごろで6人(多分、登山客)。竹林は見事だった。
来年は「牛」の年。コロナ騒動が続けば、この「山深い寺」でも繁盛するだろう。
<何だか分からない今日の名文句>
牛の神様は日中友好の証?
(1992年11月11日、
「牛頭明王銅像」が
中国から、この寺に贈られた)