コロナ騒動で、人々は「許さなくなった」ような気がする。
「不寛容」というか、「無寛容」というか、「非寛容」というか、ともかく「何事も許さない」。そんな人が増えた。
これまで、日本は「寛容の国」だった。「良い加減」に生きても、それが許された。
クリスマスと、お正月を一緒に祝い、生まれたときには「お宮参り」、結婚式を教会で挙げ、葬式は寺に頼む。良い加減だ。
宗教に関しても、日本人は「寛容」だ。
自分と違う人物、グループ、その考え方、自分が否定的に評価する「もの」を受け入れる。これが、日本人の「美徳」だった。
嫌いだけれど共存しよう!と親から教えられた。
だから、日本は成長した。多様性が「富」を生んだ。
「良い加減」が許されるから、我々は「楽に」生きた。
それが、どうだろう。一年余りのコロナ騒動で変わった。
人々は「良いマスク」と「悪いマスク」を区別して、布マスクだと敬遠される。
時間外営業する飲食店に「殺すぞ!」と脅す人まで出た。
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と話した森さん。「程度が低い人間」ではあるが「森を辞めさせるぞ!」と熱り立つほどのことだろうか?
謝っても許さない!なんて……今までの日本の文化とは違いすぎる。
今日2月9日発売のサンデー毎日「牧太郎の青い空白い雲 803回」では
【時津風親方並みの「能天気な遊び人」がいるのが民主主義だ!】を書いた。
そのコラムでは書かなかったが……時津風は現役時代からの賭博好きだったが、酒もタバコもやらない人間だった。
2007年の力士暴行死事件で先代師匠が解雇され、部屋継承のため、彼は33歳で強制引退させられた。現役への未練で、彼は滅茶苦茶になったのだろう。
気の毒な面もある。
コロナ騒動が終わったら、我々は「許す日本人」に戻ろうよ!
<何だか分からない今日の名文句>
アメリカは「悪いお手本」
90年代「ゼロ・トレランス方式」
(zero-tolerance policing)
遅刻、無断欠席、宿題忘れ
何でも罰せられたが
少年犯罪を増えた!