その「石仏」は右手を頬に軽く当ていた

 仕事場の裏の「小さな庭」に置いた「石仏」に、毎朝、逢いに行くことにした。
 
 10日はその最初の参拝。
 
 約200年も、雨風に曝された石の塊だから「御顔」だけしか分からなったが、朝になって、つくづく見ると「右手」を頬に軽く当てているのが分かった。
 
 国宝の、広隆寺にある「弥勒菩薩半跏像」の一つ「宝冠弥勒」と呼ばれている像を思い出した。
 
 作者は、この仏様を念頭に彫ったのではないか?
 
 「石仏」は深く その癖、緩やかに思索されている。
 以前、少しだが「仏のこと」を勉強したことがある。
 
 「阿弥陀仏は十方諸仏」と教えられた。
 
 「十方」とは大宇宙のこと。大宇宙には地球のようなものが無数に存在する。
 
 つまり、地球も大宇宙の中の塵?
 
 それと同じように、大宇宙には数え切れないほどの仏がいらっしゃる。
 
 お釈迦さまも、観音も。
 
 僕の前の「石仏」も塵。もちろん、僕はもっともっと小さな塵。
 
 「石仏」と仲良くしよう!
 
 
<何だか分からない今日の名文句>
      
わいつも如来と一緒!