この週末(3月12日)とても嬉しいニュースを知った。
写真誌「フライデー」が
<歌手の都はるみと俳優の矢崎滋が東北のビジネスホテルで共に暮らす姿>をスクープした。
都はるみは1984年に「普通のおばさんになりたい」の名言を残して引退したが87年に復帰。
でも、ある病で、声が出なくなって、2015年にコンサート休止を宣言して、芸能界から姿を消していた。
その都はるみがクイズ番組や日本酒「白鶴まる」のCMで、お馴染みだった矢崎と「1泊5000円のビジネスホテル」で一緒に暮らしている。
73歳同士。何となく嬉しくなった。
都が「緑内障で片目はほとんど見えない」矢崎を助けている。
あの「壷坂霊験記」の主人公 お里沢市のようじゃないか。
僕は都はるみの「大ファン」だった。
大学生の頃、錦糸町の「江東劇場」で初めて「歌謡ショー」なるものを見て夢中になった。あの日のことは忘れらない。
彼女は第14回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。デビュー曲は「困るのことヨ」だった。
次に出した「アンコ椿は恋の花」はミリオンセラー。うなり声が素敵だった。
某年大晦日の深夜の事だ。当時、毎日新聞社会面で「芸能界裏の裏」を連載していた僕は、毎年大晦日、NHKの「紅白歌合戦」が終わると、某氏の東京のマンションに芸能プロダクションの社長が集まって、年越しのパーティを開く!と言うので、参加させてもらった。
参加者は10人ぐらい。有名は社長ばかり。それに黒幕風?の芸能大記者が二人。それに、台所に一人、ポツンと都はるみが座っていた。
なぜ、そこに居たのか?分からなかったが、多分、彼女がこの年、一番、活躍したからかも知れない。「ご挨拶」ということか?
歌手は彼女だけだった。(「田辺某」という元歌手はいたが、彼は芸能プロの社長という立場だった)
都はるみは参加者と一言も喋らなかった。
ポツンと台所にいる「超人気者」の寂しい姿。
孤独なんだろう!と思った。社長とタレントの力関係を初めて知ったのは、その時だった。
都と台所で、二人だけでちょっと話した。何を喋ったかは忘れた。
「僕、毎日の記者です。あなたの大ファンです」と言っただけかも知れない。
当時(1970年代)演歌の世界を支配していたのは山口組と某テレビの「池田某」と渡辺プロ、ホリプロなど「芸能プロ」だった。
何やら、美空ひばりの
<笛にうかれて
逆立ちすれば山が見えます
ふるさとの
わたしゃ孤児
街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子>を思い出した。
都はるみの孤独を慰めたのが、多分、東京大学卒の音楽プロデュサー「中村某」だった。
紆余曲折合って、その彼が自殺して……彼女はまた「一人ぼっち」になった?
その彼女を支えてくれ人物がいた!
嬉しいじゃないか。
そう言えば何故か、矢崎さんも東大(中退)のインテリだ。
二人とも、大の阪神タイガースのファン。
プロ野球が始まる頃、いい話じゃないか!
<何だか分からない今日の名文句>
二人三脚? 一心同体?