なぜ、東京新聞の記者が挙手しても、官邸は「黙殺」するのか?

 今日も「東京新聞」のことを書きたい。実はこの新聞には「思い入れ」がある。
 
 まず、歴史である。
 
 「東京新聞」の前身は1884年(明治17年)、小西義敬によって日本初の本格的夕刊紙として創刊された「今日新聞である。
 
 初代主筆は仮名垣魯文。(戒名が「骨庵独魯草文居士」という「めっぽう面白い人物」
 
 芝居、寄席、花柳界ものが得意で、今で言う「日刊ゲンダイ」「夕刊フジ」ような「芸事新聞」だったらしい。
 
 4年後、名前が「みやこ新聞になり、そ翌年「都新聞」と漢字に変わった。
 
 題字は吉田晩稼の書、地紋は渡辺省亭描く「しだれ柳に筑波山と都鳥3羽」だった。
 
 【因みに、今、東京藝術大学大学美術館 本館で「渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画が開かれている。3月27日(土)〜 5月23日(日)】
 
 「都新聞」は人気があった。東京日日新聞、東京に進出した(大阪)朝日新聞より売れた。
 
 ところが、太平洋戦争開戦直後の1941年、軍部の意向で「一県一紙」。東京ローカル紙として不動の位置を獲得していた都新聞と、政論紙として苦戦続きの國民新聞が無理やり合併され「東京新聞」が生まれた。
 
 反権力で「お遊び」好きな社風の「都新聞」の記者は合併に猛反対したらしい。
 
 僕の母方の「牧家」は料亭を営んだんでいたので代々「都新聞」の愛読者。
 
 父・小林春吉は元々「都新聞」の記者。独立して「日本魁新聞社」を作った。
 
 そんな関係があって「東京新聞」には「思い入れ」があるのだ。
 
 その「東京新聞」が、今、権力者から「嫌がらせ」を受けている。
 
 首相の記者会見で「東京新聞」だけが、質問できないのだ。
 
 菅首相がこれまで官邸で行った9回の会見。
 
 最も多く質問が許されたのが日本経済新聞とテレビ東京で各6回(テレビ東京は1~2月の幹事社としての質問4回を含む)
 
 5回質問できたのは7社。このうち読売新聞、産経新聞、共同通信はすべて幹事社としてではなく、挙手して指名された。
 
 それなのに、東京新聞の官邸担当記者が菅首相の就任以降、毎回、挙手しているが、なぜか、指名されていない。
 
 「挙手の状況、内閣記者会とフリーランス等のバランスなどを勘案して指名している」と官邸は説明するが、コレ、明らかな「差別」ではあるまいか?
 
 そんな中で、この春「東京新聞」の紙面改革。
 
 4月2日のブログ
 
 【まさか?とは思うが、東京新聞まで「リベラル路線」を捨てるの?】
 
 で触れたが「東京新聞」はイロイロな面で「差別」を受け、営業面でも苦しんでいるのではあるまいか?
 
 菅内閣は東京新聞の質問に答えろ!
 
 東京新聞、それまで、辛抱強く、頑張ってくれ!
 
<何だか分からない今日の名文句>
 
インチキ質問が得意な
「日○」「読○」「産○」は御用新聞?
「御用新聞」とは、
政府や政党、ときには大会社など
権力者の利益を守ろうとする新聞。
大昔のことだが、明治5年創刊の
『東京日日新聞』(我が毎日新聞の前身)も 
司法省筋の援助を受け
「御用新聞」と言われた。