育英小学校の児童だった70年前の頃、鳥越神社の神主が開いていた学習塾に通っていた。
(筋むかい、芸者置き屋「光本」の娘「幸子」さんと一緒に通った。「幸子」さんは、新派入り、明治座の舞台『望郷の歌』で子役デビュー。寅さんの映画『男はつらいよ』初代マドンナを演じ、有名になった)
その鳥越神社のお祭りには1370年の歴史がある。都内一重い!といわれる千貫神輿の渡御。
当時は、それほど賑やかではなかったが、最近は、全国から20万人が一目見ようと集まる。露店も約200軒ぐらい。東京で、もっとも「お客さん」が集まる「お祭り」の一つだろう。
コロナ騒動で中止され、今年は3年ぶり。盛り上がっている。
実は「65年ぶり」に千貫神輿がやって来る「場所」がある。
神社の「飛び地」台東区駒形の一部である。
「駒形1丁目」は浅草消防署と「駒形どぜう」を結ぶ道路。町会組織が南北に3つある。
北側「駒形町会」は浅草神社氏子で、お祭りは三社祭。
浅草消防署やバンダイ本社がある南側「駒形南町会」は諏訪神社氏子で、駒形祭。
例年、同じ日に祭礼を行うが、駒形1丁目2番地と5番地は違う。
ここは鳥越神社の飛び地。「志ん猿町会」と呼ばれ、お祭りも別の日に行われのだ。
駒形1丁目は「鳥越神社」「諏訪神社」「浅草神社」の三社の氏子が生活しているのだ。
「飛び地」が誕生したのは、江戸時代、たびたび襲う大火から、浅草御蔵と神社を守るため、幕府が神社東側にあった「猿屋町」の土地を火除地として召し上げた。
その「代地」としてあてがわれたのが「新しい猿屋町代地」。つまり、現在の「志ん猿」である。
「志ん猿」への渡御は江戸時代から、延々と続いたが、1958年、自動車が急増。交通規制が難しいことを理由に、警察から連合渡御の中止を求められ、姿を消していた。
それが、今年、65年ぶりに復活する。
実は、僕の実家(仕事場)のある「柳橋」もその昔「旅籠町代地」と呼ばれていた。
「代地」同士で、ちょっと親しみを持っていた土地だが。要するに「お祭り」には「お上」は決める「飛び地」なんて関係ない!
鳥越のお祭りは開催中。11日まで。
<何だか分からない今日の名文句>
鳥越学習塾の教えは「平和」
昭和20年8月、
太平洋戦争の敗戦を知った宮司が、
出征兵士を送り出した社として、
責任を感じ、境内で壮烈な割腹!