10月3日は「大木保之佑」さんの命日。
18歳になるまで「実の父親」と思っていた「保之佑」さんが病死したのは1952年(昭和27年)10月3日。僕「大木太郎」は中央区立久松小学校の2年生だった、
母「ふみ」が、亡くなった大木さんの胸を、何度も何度も、拳で叩いてのを覚えている。
「大木家」は貧乏だった。
父・保之佑は中央区浜町に住み、身延山系日蓮宗の熱心な信者で、彼を慕って集まってくる信者を集めて毎日毎日「お経」を上げていた。
でも、お布施を取ることは無い。無収入。
母は小さな駄菓子屋を営んで細々と生計を立てていた。
たまに、大木さんは「占い」で稼いだ「お金」を母に渡していたようだったが、母は「食べること」にも苦労していた。
でも、保之佑さんはとても優しく、いつも、自転車の後ろに、僕を乗せ、人形町あたりを散歩してくれた。
だから「本当の父」小林春吉さんより「思い出」が深い。
「貧乏な父親」が大好きだった。
3日は午後、足立区の「いずみ記念病院」でリハビリ。
リハビリの最中、話題になったのは「お米」の転売話。
物価高で困窮する世帯を支援するため、東京都は、所得の低い都内の住民税非課税世帯約170万世帯を対象に、1世帯あたり1万円分の米を現物支給している。
そのコメをネットで「転売」している人が多い!というのだ。
「コメなんて貰っても、炊飯器がないから」という人も。
「転売」は違法ではないと思うけど、ちょっぴり、複雑な思い。
昔の貧乏の方が、ロマンチックだった(笑)
<何だか分からない今日の名文句>
貧乏は「淡黄蘗(うすきはだ)」色
(秋の月のように、灰がかった
柔らかな淡い黄色)