大磯の旧吉田茂邸を見学。日本庭園にカナリーヤシが植えてあった
17日は「野暮用」で大磯へ。ついでに、以前から「見たい!」と思っていた「旧吉田茂邸」を約2時間かけて見学した。
で、分かったこと。
①吉田茂は高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士・板垣退助の腹心だった竹内綱の五男だった。
②父親が反政府運動に加わった容疑で、長崎で逮捕。母親は東京へ出て、竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだ。
③吉田健三は福井藩士だったが、横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)を始め、大成功。財を成したが、子供が居なかった。で、茂は吉田健三の養子になる。
④養父・健三が40歳で死去。11歳の茂は莫大な遺産を相続したが、その一つが大磯の別邸だった。(明治17年に健三が土地を購入し、別荘を建てたもの)
⑤茂は、その生涯を閉じる昭和42年(1967年)まで、この屋敷で過ごし、外交の舞台になる。
⑥茂が暮らしていた数奇屋建築風の総檜造りの本邸は原因不明の火災で、平成21年(2009年)3月に焼失。見学したのは「再建された屋敷」ー
以上が「吉田茂邸の歴史」だが、面白かったのは、
①茂が入った風呂は大きな「舟のような形」だったこと。
②日本酒「司牡丹」を愛し、毎晩のように飲んだこと。
③置き時計が両面から時刻が読める逸品。
④「吉田財閥」と言われるほどの金持ちで、首相退任後に次から次へ増築。「金の間」と言う和室からは太平洋と富士山が一緒に見える。
見学約2時間。車椅子を使って、茂がよく散歩をした庭も見たが、日本庭園にはあまりないカナリーヤシが植えてあった。
カナリーヤシ(学名:Phoenix canariensis)は日本ではフェニックスと呼ばれているが、アフリカ西海岸、カナリア諸島原産。
やっぱり、外務官僚として、海外赴任が長かったからだろう。
病害虫に強く長寿なことから、不死鳥、つまり「フェニックス」。「強い木」が好きだったのだろう。
昭和42年の秋、一日中、富士山を見ながら、大政治家は89歳で亡くなった。
吉田茂のような大物はもう出ないだろう。
「野暮用」も済まし、袖ヶ浦海岸を走って、ホテルで一泊。
深夜、吉田茂の故郷・高知県で震度6弱。地震が多すぎる。
<何だか分からない今日の名文句>
死後洗礼を受け、洗礼名は
ヨゼフ・トーマス・モア吉田茂