Author Archives: 牧 太郎

大震災特番で「マスゴミ」的行動はないか?

 「新聞記者で死にたい」と思いつめている。現役の記者で死にたい。
 それしか出来ないからだ。生まれ変わっても新聞記者だろう。
 「新聞記者」に誇りを持っている。「新聞記者」という言葉が好きだ。
 でも「マスコミの人」と言われると違和感を感じる。「俺は、そうではない!」と言いたい。
 マスコミュニケーション( mass communication)。つまり、大衆伝達。大衆(マス)の情報伝達に関わる、テレビ、ラジオ、インターネット、新聞、雑誌、書籍などの人間を言うのだろうが……テレビと新聞を一緒くたにするのが嫌だ。
 まして「マスゴミ」と言われると……。
 確かに、昨今のマスコミは「ゴミ」と言われても、文句が言えない部分がある。
 事実に基づかない意図的な報道、事故や犯罪の被害者に対する人権無視の報道姿勢。「反権力」を標榜しながら、いつも長いものには巻かれる姿勢。バックを持たない一般人や有名人に対しては容赦がない。政治家、スポンサー、広告代理店、大手事務所所属の芸能人、女性団体、民族団体、同和団体、××学会などの不正については、取り上げても追及が甘い。
 それに加えて「マスコミの人」の身勝手さ、である。
 取材対象に、多くを要求するくせに、自分は何もしない。なんら責任を取らない。「マスコミの人」の中には「ゴミ」のような存在が混じっている。
 毎日新聞は「ゴミ」はいないと信じたい。
 毎年、新入社員の研修で講師をしているが(「ゴミ」という表現は使わないが)「最低限、社会から嫌われるな!」と話している。
 この一週間、テレビは「大震災1年」の番組一色になりつつある。3・11は一日中「一年のもの」になるだろう。
 ご苦労は分かるが、これほどの数多い「特番」を適切に取材し、適切に放送出来るのか?
 限界を感じる。
 無理に取材するばっかりに「ゴミ」的行動にならないか?
 不安だ。
 夕刊フジに連載されている「地元女性記者の被災地報告」を読んでみると、被災地でも「マスゴミ」的な出来事があったらしい。
 地元紙「東海新報」の鈴木英里さんは「マスゴミに近親憎悪」を感じた、と書いている。 「マスコミの人」は「被災度は高い方が良い。亡くなった家族は多い方に言いたい」という態度だった、と書いている。あまりに酷い「マスゴミ」。
 大震災1年の過剰報道が「マスゴミ」になったら。心配だ。

<何だか分からない今日の名文句>
「カスゴミ」という言葉も