「山河破れて国なし」ではないか?
作家・五木寛之さんが「山河破れて国あり」と書いている。(「流れゆく日々」)
大震災で、山も河も破壊された。
その一方で、大学生の約60%が公務員を目指している。国は潰れないからだ。
なるほど、と思う。
でも、本当に「国」はあるのか?
潰れない「国」って何だろう? 機能としての「国」はなくなりつつあるじゃないか? 国民との約束を次々に破る。そんな「国」なんてあるのか?
これは五木さんも同じだとおもうが……「国」の指導者は、政治家は、財界、金持ち、官僚の使い走り。「国」はなくなりつつあるんじゃないか?
山河破れて国なし、ではないのか?
19日は午前中、たいとう診療所でリハビリ。午後、こんなこと考えていては、原稿が進まない。
夜、大阪からやって来た親しい同僚記者を囲んで、両国のちゃんこ「桃太郎」で、6人の新年会。
「今、メディアは何をすべきか?」という青っぽい議論。かなり「絶望的な思い」を訴える奴もいるが……「国」を守るためにも、我々は「権力の使い走り」にならない覚悟が必要だ。
例えば、原発絡みの「労働者集め」。権力に代わって、ヤクザが動き、莫大な金が動いている。でも、メディアはこの「暗黒」を追及できずにいる! と同僚記者。
「国」は一般人がヤクザと付き合うと犯罪だ! と取り締まりしている癖に、被災地で、ヤクザを利用している。ウラ社会の支配が続く。
その一方で、九州では、公共工事から暴力団排除する民間人が、ピストル攻撃されている。
無責任な「国」が混乱を引き起こしているのだ。
二次会のカラオケを途中退席して、深夜、サンデー毎日の「青い空白い雲」を執筆。
今、20日午前3時。ちょっぴり、雨は降ったが、期待した雪は降っていないようだ……
<何だか分からない今日の名文句>
山河破れて、ヤクザあり