「平成の阿部定事件」の時代背景?
昨日のブログで「小沢嫌いの石原新党はどう動くか?」と書いたら、18日の夕刊フジが、18日付けで「橋下・石原合体で衆院選100議席」と打った。
議席数については疑問だが、ここ50日間で「台風の目」になることは事実だろう。いずれにしても、選挙の年だ。
このところ、飲み屋の話題は「平成の阿部定事件」。東京・昭島市で発生した奇妙な事件。首、胸、下腹部など4か所を包丁のようなもので刺された男性が遺体で見つかった。
もう、5日も経っているのに、自殺か、他殺か、分からない。全裸の自殺は記憶にないが……。
分からない、と言うより、十分な報道がされていないのだろう。読者の関心はあるのに。メディアは乙に構えている。
阿部定事件は1936(昭和11)年5月18日に起こった。
東京都荒川区の待合旅館で、仲居の阿部定(当時満30歳)が、愛人だった男性を殺し、その局部を切り取って、持ち去った事件。
2日後に警察に逮捕された際は、局部を紙に包んで、大事そうに所持していた。当時、日本中が注目した。
阿部定事件が起こった昭和11年は、日本中が閉塞感に包まれていた。ヨーロッパでも同じだった。
その閉塞感を打ち破るようなことが、内外で次々に起こった。
2月1日 – 天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃されて負傷
2月16日 – スペイン総選挙で人民戦線派が圧勝。
2月26日 – 二・二六事件勃発
2月27日 – 東京市に戒厳令布告(~7月16日)
2月29日岡田啓介内閣総辞職
二・二六事件の反乱部隊に原隊復帰勧告(「兵に告ぐ」)が出され、5時間で帰順。
3月7日 – ドイツがラインラントに進駐
3月9日 – 広田弘毅内閣成立
3月12日 – ソ蒙相互援助議定書締結。
5月7日 – 立憲民政党斎藤隆夫の粛軍演説
そして、5月18日阿部定事件。戒厳令下の事件だった。
犯罪は、個別の意思と、時代の意思が作る。
この事件も、未だかつてない、日本国の閉塞感と無縁ではないような気もする。
妙な事件が次々に起こっても、おかしくない。
18日は午前中、筋トレ、午後、野暮用。毎日フォーラム、「大きな声では言えないが」の原稿もあって、知り合いの葬儀も行けなかった。
19日もギッチリ。夕方、大阪からやって来る同僚と「ちゃんこ」を食べるつもりだが……それまで、書きまくるぞ!
<何だか分からない今日の名文句>
愛国の思い、愛憎の形