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志ん朝の「明烏」は“黒門町”を超えた?

 7日は、優之介の入学式だというのに、朝から本降り。昼、お祝いに「特上」の寿司を届けてもらう。

 午前中は税理士と不得意な会計事務処理。午後は「春の嵐」が来るというので、外出を見合わせ、例の

「志ん朝三十四席DVD8枚+CD5枚」を鑑賞。 CDで「明烏」(1972年10月13日収録)を二回、聴いた。確かに名人芸だ。

 息子が道楽者だと親は心配するが、あまりに堅物すぎても親は心配する。日向屋の若旦那・時次郎は、部屋にこもって難解な本ばかり読んでいるような頭の固い倅。悪所遊びとは一切無縁「そんないかがわしいことなど、いけません!」

 あまりの堅物ぶりに閉口した父親は「遊びも知らぬ世間知らずでは困る」と、町内でも「札付きの遊び人」の源兵衛と多助に、時次郎を吉原に連れて行くよう頼み込む……。そんな噺だ。

 「明烏」は、ご存知、黒門町の師匠・8代目桂文楽の得意ネタ。高座にあがると「待ってました、黒門町!明烏!」の声が掛かる。僕も、文楽の「明烏」を何度か見たが、他の噺家の「明烏」を聴いたことはない。文楽に遠慮して、この噺をしようとしない、というのだが……でも、志ん朝は違う。文楽の前で、堂々と演じた。( 多分、志ん朝の他に「明烏」をやるのは、談志、小朝、円窓、楽太郎ぐらいだったと思う)

 CDなので「手振り」が見えないはずだが、吉原の様子、困り切った若旦那の表情が目に浮かび、爆笑、爆笑だった。落語はテレビより、ラジオの方が似合う話芸なのかも知れない。 志ん朝は「潔癖なまでの世間知らず」の時次郎を演ずるに格好な「色白」。正直言えば「時次郎」に関しては、若くして、文楽を超えていたような気もする。

 さて、春の嵐が過ぎれば、桜も終わり。隅田川もピンクの絨毯のように見えた。

<何だか分からない今日の名文句>

落語は今はなき「吉原」の基礎知識