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「殺しの柳川」の流れは簡単に自殺などしない

  一人のヤクザが自殺した、と報じられている。

 六代目山口組の直系、倉本組(本部・奈良市)の川地(通称・河内)敏之組長は26日午後0時20分ごろ、大阪市浪速区にある傘下組事務所の和室の布団の上で、あおむけに倒れているのを、訪ねてきた元組員に発見された。

 病院に運ばれたが、胸に銃創があり、死亡が確認。グレーのスエット姿で右手近くに回転式の拳銃が落ちており、目立った外傷はなかった。

 だから自殺!というのが、当局の見方だ。

 倉本組は8月末の山口組分裂が表面化して以降、残留派と神戸山口組移籍派に割れていて、六代目山口組は今月中旬、川地組長の監督責任を問い、除籍処分にしていた。

 だから、自殺だ!という。

 川地組長は今月初旬から、内臓疾患のため入院していた。

 だから、自殺だ、という。

 そうだろうか?

 倉本組は奈良県奈良市西九条町に本部を置く、六代目山口組の二次団体。かつては組員約2000人の大所帯だった。

 倉本組を起こしたのは倉本広文。初代宅見組副組長から、独立したのだが、元を辿ると「殺しの柳川」の出身である。

 柳川組は、愚連隊系暴力団だったが、三代目山口組の盃を貰ってから、急成長。“殺しの軍団”と呼ばれ、全盛期には傘下に73団体・組員(準構成員含むと)約2800人。全国1道2府10県に進出。三代目山口組時代に、二次団体でありながら広域暴力団に指定された唯一の組織だった。

 倉本は、その「殺しの柳川」の武闘派だった。

 1998年、倉本広文組長が逝去。組織は貴広会と倉心会に分裂。その後、津田功一が貴広会を「二代目倉本組」として継承。5年前、津田が引退すると、河内敏之が三代目になった。

 倉本組は六代目山口組の二次団体。だから、幹部は、いずれも「組持ち」である。

 例えば、組長代行は「稲月興業組長」、若頭は「奈良倉友連合組長」、舎弟頭は「三代目南組組長」といった具合である。

 それぞれに、渡世上のシガラミ、人間関係があるから、山口組が「六代目山口組」と「神戸山口組」に分かれれば動揺する。仕方ないことだ。

 これは、山口組二次団体の宿命だろう。

 ヤクザの離合集散は当たり前のことだ。除籍処分も、当たり前だ。

 そんなことで、自殺するなんて……考えられない。

 捜査関係者は「上からはたたかれ、下からは突き上げられ、板挟みになっていた。最近は精神的に追い詰められて酒浸りになっていたようだ」と説明するが、これはサラリーマン社会の分析。

 現代ヤクザはそんなにヤワなのか?

 まず、奴は殺された!と思うべきだ。

 なぜ、こんなに早く「自殺」と断定するのか?

 つまり、警察にとっても、二つの「山口組」にとっても「自殺」の方が、都合がいいからだろう。

 ただ言えることは、ヤクザの冬の時代。大掛かりな抗争は出来ない時代。「自殺」であって貰いたい人がいるのだろう。

   <何だか分からない今日の名文句>

   ヤクザは「布団の上で」死なないよ