篠原昌人さんの「新東京の三十年」
篠原昌人さんという方から、回想記「新東京の三十年」を頂いた。
56ページの小さな本だが、フジテレビの記者だった篠原さんが、去年、退社した時、まとめたものらしく、東京へ出てからの「三十年」の思い出を綴っている。
なぜ、この本を小生に届けていただいたのか?
その理由が分からなくて、ちょっと不気味だった。
読み進んで、やっと分かった。
この回想記に一箇所だけ「牧太郎」が登場するのだ。
「第十景 赤坂溜池と島田常務の死」に「(ダグラス・グラマン事件の報道は)ことに毎日は光り、牧太郎というスター記者がいることを知った」とある。
篠原さんという方も、この事件を追いかけていたらしい。
「スター記者」と言われれるのは、ちょっぴり、気恥ずかしいが、あの事件の頃、1日3時間しか眠らず、頑張ったことを憶えている。
確かに、自殺した島田常務が最後に電話をかけた相手、最初に食事をした相手を洗い出し、単独インタビューをしたのを覚えている。
この頃「事件は毎日新聞」だった。
篠原さんのお陰で、我が青春時代が蘇った。
同封の便箋には「新人の私にとって、牧太郎という存在はまことに光るものでした」とあった。
ところで 篠原さんは、どういう方だったのか?申し訳ないが、記憶にない。
で、ネットで調べてみたら……驚いた。
同姓同名の方が、大事件の渦中にいたことがある。
幾つかの報道によると、この人物を巡る大事件が起こったのは、1993年8月。韓国軍の機密情報を取材した「フジTVソウル支局長の篠原昌人」が、軍事機密保護法違反の容疑で、韓国軍の少佐と共に、逮捕された、という記事があったのだ。
同一人物なのか?
悠々とした回想記には、とても、過激な取材活動をするような人柄を感じさせないが……もし、同一人物であったとすれば、彼こそ(取材方法の是非はともかく)敏腕記者だったのだろう。
さて、7月最初の週末。
安保法制の勉強を一先ず、お休みして、少し遠くに、遊びに行くか?
<何だか分からない今日の名文句>
功名心こそ記者のチカラ