7月27日 両国の花火→隅田川の花火
26日は暑くて暑くて。外出を諦め、仕事場待機。
来客2組。話題は原子力。原子力平和利用がすべて「悪」のようなご時世。それで良いのか?
夕方、次男一家が来訪。孫の竜生が「ハンドボールで市川市の大会で三位になった」とメダルを持参してくれた。嬉しいじゃないか。
27日は土用の丑の日。一年で一番の暑い日?
そして、夜はロンドン五輪開会式。そして、明日28日は隅田川の花火大会。
その昔は、仕事場のある柳橋界隈は花火大会を「川開き」と呼んでいた。
『東都歳時記』に「5月28日、両国橋の夕涼み、今日より始まり、8月28日に終る。竝に茶店、看せ物、夜店の始にして、今夜より花火をともす。逐夜貴賎群集す」とある。
これが「川開き」。
両国の川開きに花火が行われるようになったのは享保18年(1733)5月28日。
きっかけとなったのが前の年、享保17年に起こった大飢饉。西日本一帯で、いなごの大群が発生して全国的な凶作となった。
いま、米国本土の約55%が干ばつ状態で、アメリカ人を悩ませているのと同じだ。
この時、江戸市中にコロリ(コレラ)が流行して多くの死者を出した。
8代将軍吉宗は、翌享保18年5月28日に、その尉霊と悪病退散を祈って、隅田川で、水神祭を挙行。 この折、両国橋畔の料理屋が公許を得て、同日川施餓鬼を行い、花火を上げた。それが「川開き初日に花火を打ち上げる」のが恒例になった。
このときの花火師は6代目鍵屋弥兵衛。打ち上げた花火は20発内外。その費用は舟宿と料亭が負担した。
以来、仕事場の前(実家・柳橋深川亭の前)で、花火が打ち上げられ、両国橋の上は大観衆。両国の「川開き」は江戸の夏を代表する風物詩になっていった。
戦後、なぜか、お上の意向で、両国の花火大会は場所を変え隅田川花火大会として、上流で行われるようになって、仕事場から、見えなくなった。(料亭の権利を某新聞社がかすめ取った、と当方は認識している)
それでも、事情を知らない友人が、この日、やってくることがある。
嬉しいのだが……見えないから、悪しからず。
いま、、27日午前9時。暑い。
その両国橋を渡って、これから「ルネサンス両国」で、筋トレ。
それから、鰻屋に行くか?
【隅田川花火大会は】
【日時】平成24(2012)年7月28日(土)
午後7時05分?午後8時30分(荒天時は、7月29日(日)に順延)
第一会場 桜橋下流 ? 言問橋上流
(午後7時05分?午後8時30分 約9,500発を予定)
第二会場 駒形橋下流 ? 厩橋上流
(午後7時30分?午後8時30分 約10,500発を予定)
<何だか分からない今日の名文句>
橋上の一道、人群り混雑し、梁橋たわみ動く/p>